ドームの中では、僕らの恋も売り切れません。


  三塁側のいつもの席に、今日もあのおじいさんの姿があった。
「こんにちは。今日もホットのお茶でいいですか」
「ああ、頼むよ」
  芽衣さんが注文を取りに行くタイミングで、僕はちょうど近くの通路を見回っていた。おじいさんは僕の姿にも気づいて、軽く手を上げてくれた。
「今日は二人揃ってるんだね」
「僕はたまたま近くを回ってただけです」
「たまたま、ねえ」
  含みのある言い方に、僕は少し落ち着かない気持ちになった。芽衣さんがお茶を差し出すと、おじいさんはそれを受け取りながら、僕たち二人を見比べるように眺めた。
「お二人さん、仲がいいね」
「同僚ですから、まあ」
「うちら、それなりに長い付き合いですし」
  芽衣さんが平然とした顔で答えたけれど、僕は内心、少しだけ言葉に詰まっていた。仲がいい、という言葉自体は、否定するようなものではないはずなのに、なぜか素直に頷けなかった。
「わしくらいの歳になるとね、なんとなく分かるんだよ。相性がいい二人っていうのが」
「相性、ですか」
「うん。並んでるときの空気が、自然なんだ。無理してる感じがしない」
  おじいさんはそう言うと、湯気の立つお茶を一口飲んで、満足そうに息をついた。深い意味で言ったのか、それとも単なる世間話なのか、僕には判断がつかなかった。
「――律、次の持ち場、そろそろじゃない?」
  芽衣さんが、いつもより早口でそう言った。心なしか、耳のあたりが少し赤い気がした。
「あ、そうですね。行きます」
「わしのことは気にせず、行っておいで」
  おじいさんに見送られながら、僕たちは並んで通路を歩いた。しばらくの間、どちらも何も話さなかった。
「――さっきの、変な意味じゃないと思うよ」
  沈黙を破ったのは、芽衣さんのほうだった。
「分かってます。ただの世間話です」
「うん、そう。世間話」
  念を押すような言い方が、逆にどこかぎこちなかった。僕たちは、それ以上その話題に触れないまま、それぞれの持ち場へ向かった。
  一人になってから、僕は「相性がいい」という言葉を、何度も頭の中で繰り返していた。
  深い意味はない。ただの世間話。
  そう自分に言い聞かせているのに、なぜか胸の奥のあたりが、少しだけ落ち着かなかった。