魔力の少ない魔法使い

「……がはッ!」
「九条ッ!」
「絋弥君ッ!」
 空気を裂くような重い打撃音と共に、男の無慈悲な前蹴りが絋弥の腹部を深く抉った。
 防御すら間に合わず、絋弥の身体はくの字に折れ曲がり、弾き飛ばされるように後方の壁へと激突する。崩れ落ちた彼は、苦悶の表情でその場に膝をつき、咳き込んで血を吐き出した。
 圧倒的な力の差。それを誇示するかのように、男は一切の隙を見せず、倒れた絋弥へとゆっくりとした足取りで歩み寄っていく。
 その後背を突くように、玲奈とサラの二人が男へ向かって地を蹴った。
 左右に分かれ、二人は同時に死角からの挟撃を仕掛ける。しかし――。
「遅いな……」
 溜息まじりの声が響いた直後、男は振り返りもせずに拳を固め、凄まじい速度でサラの顔面へと裏拳を突き出した。
「――ッ!」
「サラ!」
 間一髪、サラは咄嗟に鎌の柄を盾にしてガードしたが、直撃した重戦車のような衝撃に耐えきれるはずもない。彼女の軽い身体は数メートル後方へといとも簡単に吹き飛ばされた。
 同時に、逆サイドから玲奈が渾身の力で剣を振り下ろし、そのまま下から上へと鋭く斬り上げる。必殺の軌道だったが、男は上体を僅かに反らすだけで、羽虫でも避けるようにあっさりと躱してみせた。
 そして男は、そのまま体を回転させ、玲奈の横腹を狙って鋭い回し蹴りを放つ。
「くッ!」
 玲奈は咄嗟にしゃがみ込んでその凶刃を避けたが、頭上を通過した男の足が巻き起こした暴力的な風圧だけで、結んだ髪が激しく煽られ、肌が粟立った。
 体勢を崩し、無防備になった玲奈へと男が追撃の蹴りを叩き込もうとしたその瞬間――。
 バンッ! という銃声と共に、男の死角から鋭い銃弾が飛来した。
「クッソ!」
「九条、助かったわ……!」
 膝をつきながらも銃口を向けていた絋弥の援護射撃。男が面倒そうにその銃弾を硬化させた腕で弾き落とした隙を突き、玲奈は後ろへ飛んで男から距離を取ろうとする。
 しかし、男の動きは彼女の退避行動より遥かに速かった。
 距離を取ろうとした玲奈の細い腕を、蛇のような速さで男の手がガシッと掴み取る。
「え……」
 次の瞬間、男はもう片方の手で玲奈の首元を乱暴に掴み上げ、そのまま宙へと持ち上げた。気道を圧迫され、玲奈の顔が苦痛に歪む。
「が、ぁっ……!」
 玲奈は必死にもがき、首を絞め上げる男の太い腕を両手で引き剥がそうとするが、まるで鋼鉄の万力に挟まれているようで全く歯が立たない。
「玲奈ちゃんから離れて!」
 体勢を立て直したサラが、男の背後から大鎌を大きく振り抜く。しかし、男は背中に目でもついているかのようにその一閃を半歩ずれて躱すと、振り返りざまにサラの腹部に重い蹴りを叩き込み、再び彼女を蹴散らした。
「てめぇ……ッ!」
 激昂した絋弥が血を吐きながら地面を蹴り、男へと肉薄する。
 走りながら、絋弥は手にしていた武器の形状を変化させる。
『形状変化《モード・チェンジ》』
双銃から大剣へと姿を変える。絋弥は男の頭蓋をかち割る勢いで、その重厚な刃を大上段から振り下ろした。
 だが、その一撃すらも――。
「なっ!?」
 男は首を絞めていない片手だけを頭上へ掲げ、絋弥の渾身の斬撃を『素手』で軽々と受け止めてしまった。
「君たちは強い。それは認めるが……まだまだ経験不足だ」
 男はそう吐き捨てると、宙吊りにしていた玲奈の身体をゴミでも捨てるように放り投げた。
「玲奈ちゃん!」
 投げ出された玲奈は、受身を取る間もなく地面に叩きつけられ、派手な音を立てて転がっていく。
「くそがあぁッ!」
 絋弥が剣を押し込もうと吠えるが、男は涼しい顔で掌に魔力を集束させた。
「怒りに任せて戦うのも悪くはないが……それが致命的な隙を生むことになるぞ」
 言葉と同時に、男の手のひらから高圧縮された火の玉が放たれ、至近距離で絋弥の腹部に直撃した。
「……ガハッ!」
 爆発の衝撃で、絋弥の体はボロ雑巾のように宙を舞い、床に叩きつけられる。
 男は立ち止まることなく、今度はサラの方へと冷酷な視線を向けた。
 その視線の意味に気づき、サラは急いでその場を離脱しようとしたが、遅かった。
 サラが瞬きをした次の瞬間には、いつの間にか移動していた男が、彼女の鼻先に立っていたのだ。
「しま――」
 男の重い掌底が、無防備なサラの腹部を容赦なく打ち抜く。
「がはッ……!」
 凄まじい衝撃に肺の空気を全て吐き出し、サラの身体は弾丸のように吹き飛ばされ、硬い石壁に激突して崩れ落ちた。
「ぐっ……うぅ……」
 サラは痛みに顔を歪め、すぐに起き上がろうと力を込めるが、全身の骨が軋み、上手く立ち上がることができない。
「サラ……!」
 地面に倒れた玲奈が、助けに向かおうと必死に腕に力を込めるが、彼女の身体もまた度重なるダメージで思うように動かなかった。
「さて……これで終わりだ」
 男は興味を失ったように二人から視線を外し、再び玲奈の方を見下ろした。
「まだ……終わって、ねぇよ……!」
 静まり返った空間に、血を吐くような声が響く。
 男が声のする方へ視線をやると、そこには血だらけになり、足元をフラつかせながらも、決して闘志を消さずに立ち上がっている絋弥の姿があった。
「ほう……あれを至近距離で受けて立てるとは。やはり君は凄いな」
「……お前に褒められても、嬉しくねえんだよ」
「そうか……なら、これでどうだ?」
 男がそう言い終わるか終わらないかの瞬間だった。
 掻き消えるように男の姿がブレたかと思うと、一瞬にして絋弥の目の前へと現れる。そして、反応する間も与えずに、その強固な拳が絋弥の横腹を深々と抉り抜いた。
「がッ……ぁ……」
 今度こそ防御すらできなかった絋弥は、壁にめり込むほどの勢いで吹き飛ばされ、そのまま意識を手放して倒れ伏した。
「九条!!」
「次は、君だ」
 玲奈の悲痛な叫びを無視し、男は彼女の眼前に歩み寄ると、虚空から無骨な刃を持つ剣を召喚した。
(このままじゃ……やられる……)
 男の冷酷な目を見上げ、玲奈は己の無力さに悔し涙を滲ませ、血が出るほど強く唇を噛んだ。
「さて……これで本当に終わりだ」
 男が冷たく宣告し、トドメの一撃を放つべく剣を構える。
(……ダメよ。このまま私がやられたら……誰が、あいつを)
 頭に浮かぶのは、無茶ばかりする不器用な幼馴染の顔。
(――私が、隼人を守るのッ!!)
 限界を超えた魔力が、玲奈の体から爆発的に吹き荒れた。
「【氷結砲】ッ!!」
 玲奈は残された最後の魔力を全て込めた両手を突き出し、至近距離に迫っていた男に向かって絶対零度の氷の魔力砲を放った。
「む!?」
 完全に勝負がついたと油断していた男の顔に、初めて明確な驚きが浮かぶ。男は咄嗟に剣を持っていない方の左手を前に突き出し、氷の奔流を素手で受け止めた。
 バキバキと音を立てて周囲の空間すら凍りつかせる一撃。
 だが、冷気が晴れた後、そこに立っていたのは――左手を僅かに凍らせただけで、無傷のまま立ち塞がる男の姿だった。
「……驚いた。あそこまで追い詰められて、まだこれほどの魔法を放てるのか」
 男は、氷を砕いて血が垂れる己の左手を見つめながら、素直な感嘆の声を漏らした。
 だが、それは同時に、玲奈の決死の反撃が「その程度」でしかなかったという絶望の証明でもあった。
「ハァ、ハァ、ハァ……ッ」
 最後の力を振り絞った玲奈は、肩で激しく息をし、ついにその場へ崩れ落ちる。もう指一本動かす力すら残っていない。
「立派な意志だった。だが……もう力は残っていないようだ」
 男は冷徹な眼差しでそう告げると、今度こそ確実に命を刈り取るべく、刃を高く振り上げた。
「西園寺、逃げろ!!」
「玲奈ちゃん!!」
 意識を取り戻した絋弥と、動けないサラの絶望的な叫びが木霊する。
(ごめん、隼人……。あなたを、守れなかった……)
 死を覚悟し、玲奈は静かに、キュッと目を閉じた。
 ――男の無慈悲な刃が振り下ろされる。
 カキィィィィィンッ!!!!
 肉を断つ音ではなく。
 空間を震わせるほどの甲高く激しい金属音が、部屋中に鳴り響いた。
「……君は、ッ」
 男の驚愕に満ちた声。
「……え?」
 痛みが来ないことに疑問を抱き、玲奈は恐る恐る閉じていた目を開けた。
 そこにあったのは、男の凶刃ではなく。
 燃え盛る炎を纏った剣を横に構え、男の刃を完璧に受け止めている――昔からずっと見慣れた、安心感のある少年の背中だった。
 少年は男の剣を力強く弾き返すと、空いた隙を突いて男の腹部に強烈な前蹴りを叩き込んだ。
「チッ!」
 男は舌打ちと共に、たまらず後方へと大きく吹き飛ぶ。
 男と距離を取ったその少年は、息を整えながら、倒れ込む玲奈の方をゆっくりと振り返った。
「大丈夫か、玲奈」
 そこにいたのは、傷だらけになりながらも、決して折れない強い光を瞳に宿した幼馴染だった。
「……は……やと?」
 信じられないものを見るかのように、玲奈の目から大粒の涙が溢れ出す。
「ああ。悪い、遅くなった」
 隼人は、昔から何も変わらない、不器用で優しい笑みを浮かべてそう言った。
「……ほんと、遅すぎるわよ。……バカ」
 玲奈の目の前には、子供の時からずっと一緒にいる幼馴染がいた。