魔力の少ない魔法使い

茜はグラと一定の距離を保ちながら、次々とメスを投げ続けていた。
 銀色の刃が幾筋もの軌跡を描き、絶え間なくグラへ襲いかかる。
「くそっ……!」
 グラも魔法を放って応戦する。
 しかし、茜の投げたメスは飛来する魔力弾を正確に撃ち抜き、次々と空中で炸裂させていった。
 さらに煙を突き抜けた刃が、グラの頬や腕を浅く切り裂いていく。
「一体どれだけあるんだよ、それ!」
 グラは飛来するメスを鬱陶しそうに避けながら叫んだ。
「さあ? 私も数えたことはないな」
 茜は楽しげに口元を緩め、再び数本のメスを投げ放つ。
「まさか無限とか言わねぇよな……あークソッ! 考えるのは苦手なんだよ!」
 グラは苛立たしげに頭を掻く。
 そして――。
「だったら、無理矢理近づくしかねぇ!」
 正面から突っ込んだ。
 飛来するメスを避け、避けきれないものは腕で受けながら、強引に茜との距離を縮めていく。
「なるほど……そう来たか」
 茜の口角が僅かに上がった。
「届いたッ!」
 幾つもの傷を負いながらも、グラがついに間合いへ入り込む。
 全身の力を乗せた拳を、茜目掛けて振り抜いた。
 しかし――。
「なっ……!?」
 拳は虚しく空を切った。
「残念だが――」
 背後から声がする。
「私はこっちだ」
 振り返るより早く、茜の右手がグラの首筋を掴んだ。
「ぐっ!?」
 そのまま身体を崩し、勢いを利用してグラを地面へ叩きつける。
 ドゴッ!!
「がっ……!」
 グラの身体が地面へ打ちつけられた。
 倒れた状態からグラが強引に脚を振り上げる。
 死角から放たれた蹴り。
 だが、茜はそれを片足で踏みつけて封じた。
「ぐぅっ……!」
「生憎、私は接近戦も嫌いじゃなくてな」
 茜は冷静にグラを見下ろす。
「ぐぁ……まだまだ、これから……だッ!」
 グラは首を掴む茜の手首へ両手をかけ、必死に引き剥がそうとする。
「ほう。この状態でもまだ力が残っているか」
 茜の瞳が僅かに細められた。
「なら、もう少し強く――」
 その時だった。
「……ん?」
 グラの腕に巻かれていた黄金のブレスレットが淡く輝いた。
 茜が追撃のため左手へ魔力を集中させる。
 しかし、その魔力が不自然に揺らいだ。
「……?」
 次の瞬間、掌に集めていた魔力の一部が、グラの腕へ吸い寄せられていく。
「――なるほど」
 茜は即座にグラから手を離し、距離を取った。
 自身の掌を見つめる。
「今、私の魔力を吸ったな」
「へへっ……バレたか」
 グラがゆっくりと起き上がる。
 茜の視線は、その腕に巻かれた黄金のブレスレットへ向けられていた。
「てっきり、お前自身が特殊な体質を持っているのかと思っていたが……どうやら、そのブレスレットが吸収を助けているらしいな」
「……」
「だから、認識できていない攻撃には対応できなかった」
 先ほど背後から浴びせた魔法を思い返し、茜は小さく頷く。
「お前が認識した魔法や、直接触れた魔力を、そいつを介して吸収する……そんなところか?」
「そこまで分かりゃ十分だろ」
 グラがニヤリと笑う。
「私としたことが、少し勘違いしていたようだな」
 茜が興味深そうにブレスレットを見つめていた、その時。
 グラの足元からどす黒い魔力が溢れ始めた。
「……ほう」
「汝、我が声に応えよ。闇より生まれ、来たりし大いなる罪よ――」
 グラが低く詠唱を紡ぐ。
 茜は止めようとはせず、その場で静かに観察を続けた。
「万物を喰らい尽くす、大罪が一つ――暴食の罪」
 黒い魔力がグラの身体を取り巻いていく。
「――貪れ、ベルゼブブ」
 魔力が大きく膨れ上がった。
「〈悪魔融合〉」
 どす黒い光がグラの全身を包み、そのまま肉体へと収束していく。
 やがて光が晴れた。
「……なるほど」
 そこに立っていたのは、先ほどまでとは大きく姿を変えたグラだった。
 頭部からは二本の触角が伸び、背中には巨大な蠅を思わせる透明な羽が生えている。
 全身の皮膚は硬質な黒へと変色し、口元は裂けたように大きく広がっていた。
 瞳も赤く染まり、そこには飢えを思わせる異様な光が宿っている。
「あんまり、この姿は好きじゃねぇんだけどな」
 グラが背中の羽を広げる。
「本気でやらねぇと、あんたには勝てなさそうだ」
「ふん」
 茜は鼻で笑った。
「本気を出したところで、私に勝てるとは限らんぞ」
「だったら――」
 グラの羽が震える。
「試してみるか?」
 ブンッ!!
 耳障りな羽音と共に、グラが宙へ飛び出した。
 茜はすぐさま複数のメスを投げる。
 だが、グラは背中の羽を細かく動かし、空中で軌道を変えながら刃を躱していく。
(飛行能力か……厄介だな)
 先ほどまでとは明らかに違う速度で距離を詰め、グラの拳が茜へ迫った。
「くっ……!」
 茜は両腕を交差させて受け止める。
 ドンッ!
 重い衝撃に押され、身体が後方へ弾かれた。
 数歩分地面を滑りながらも、茜はすぐに体勢を立て直す。
「まだだ!」
 グラが上空から追撃する。
 急降下しながら踵を振り下ろした。
 茜は横へ跳んで回避する。
 直後、グラの踵が地面を強く叩き、石畳に亀裂が走った。
「ハハハッ!」
 グラは再び宙へ舞い上がる。
 蠅のように不規則に飛び回りながら、左右から立て続けに攻撃を仕掛けてきた。
(速さも、力も大きく上がっているな)
 茜は攻撃を躱しながら、冷静にその動きを観察する。
「どうした! 避けるだけか!」
「そう見えるか?」
「なに――」
 グラが大きく右拳を振りかぶった。
 その瞬間。
「隙だらけだ」
 茜が身体を沈め、懐へ入り込む。
 下から突き上げるように放たれた右拳が、グラの顎を捉えた。
「がっ!?」
 身体が後方へ弾かれる。
 だが、グラはすぐさま羽を動かし、空中で体勢を整えた。
「チッ……やっぱり強ぇな!」
 グラが口元の血を拭う。
 次いで背中の羽を勢いよく振るわせた。
「……!」
 空気の塊が衝撃となって茜へ飛来する。
 茜は身を翻して躱した。
 続けざまに二発、三発。
 衝撃波を放ちながら、グラ自身も低空から一気に距離を詰めてくる。
「逃がすかよッ!」
 漆黒の爪が茜の首元へ迫る。
 しかし――。
 キィンッ!!
 茜は両手に持った二本のメスを交差させ、その爪を受け流した。
「ほう」
 火花が散る。
「その爪も、かなり硬くなっているようだな」
「ヘラヘラ笑ってんじゃねぇ!」
 グラが反対の腕を振るう。
 茜はメスの柄で肘の内側を弾き、軌道を逸らした。
 そのまま一歩引き、再び間合いを取る。
「……なるほど」
 茜はゆっくりと白衣の袖を捲り上げた。
「飛べるようになり、速度も腕力も上昇。身体の強度も先ほど以上、と」
「まだ分析してんのかよ」
「ああ」
 茜は楽しそうに笑う。
「だが、そろそろ十分だ」
 両腕を広げる。
 その周囲に、光の粒子が次々と集まり始めた。
「ここからは――」
 一振り。
 二振り。
 さらにその後ろへ。
 無数の銀色のメスが空中に顕現していく。
「私も本気で相手をしてやろう」
 茜を取り囲むように並んだ無数の刃が、一斉にその切っ先をグラへ向けた。