魔力の少ない魔法使い

「…ッ!」
 鈍い破砕音が響き、赤髪の少年――八雲の身体が宙を舞って後方の瓦礫へと激しく蹴り飛ばされた。
「八雲! くそ、こいつ……!」
 学園の一角、崩落した校舎の瓦礫が散乱し土煙が立ち込める中、雨宮と八雲の二人が息を荒らげながら強敵・ケディアと死闘を繰り広げていた。
 息の合った二人がかりでの決死の猛攻。しかし、ケディアは的確な体捌きと防御で二人の攻撃を悉く捌き切り、依然として優位に立ち続けている。
(こいつはまだ本気じゃねえ…つまり今しかこいつに付け入る隙はない!)
 雨宮は焦りを力に変え、死角へ潜り込むように自身の得意な超接近戦を果敢に仕掛ける。踏み込みと同時に放たれる、急所のみを狙った鋭い打撃のラッシュ。拳と蹴りが空気を裂く。
 八雲もまた、瓦礫の中から立ち上がり、口端から流れる血を乱暴に拭い去る。鋭い目つきに持ち前の反骨心を滲ませ、蓄積されたダメージから顔を歪めながらも体勢を立て直した。
「舐めんなぁッ!!」
 雨宮の波状攻撃が生んだ一瞬の隙。そこに完全にタイミングを合わせ、八雲は己の身の丈ほどある愛用の如意棒を力任せに振り回し、渾身の一撃をケディアの横っ腹へ叩き込もうとする。
 完璧な連携。並の敵ならば間違いなく致命傷となる挟撃だった。
「……ほう」
 ケディアの目が僅かに細められる。
 彼は半歩だけ後ろへステップを踏んで雨宮の連撃を捌き、死角から迫り来る八雲の如意棒を腕で的確に弾き返した。ガンッ! と重い衝撃音が響く。
 だが、食らいつく二人の執念が、ケディアの予測をほんの僅かだけ上回った。
 弾かれた如意棒の風圧と、強引にねじ込まれた雨宮の鋭い蹴りがケディアの肩口と頬を掠め、服の一部を切り裂く。ケディアの頬に、薄く一筋の血が滲んだ。
 確かに攻撃は届いた。――だが。
「悪くない連携だ。だが、決定打には程遠い」
 ケディアは頬に滲んだ血を拭うことすらなく、全く痛痒を感じていないかのような涼しい顔のまま二人を見下ろした。あれだけの攻防を繰り広げながら、その呼吸は一つとして乱れていない。
 掠り傷を与えはしたものの、依然として目の前に立ちはだかる絶対的な実力差。二人はじわじわと体力を削られ、翻弄され続けていた。
その絶望的な攻防が暫く続くと、二人の身体に刻まれたダメージが限界に達し始め、目に見えて動きも悪くなっていく。
 そして、二人は徐々にケディアの容赦のない反撃に耐えきれなくなっていった。
「…まずは一人」
 ケディアの酷薄で冷たい声が響いた瞬間だった。
 雨宮の僅かな隙を突き、ケディアが流れるような動作で白刃の剣を鋭く突き出した。その凶刃は、回避行動を取る間もなく、雨宮のお腹を深く、無惨に貫通した。
 ゴボッ、と鮮血が空中に舞い散る。雨宮は驚愕に目を見開き、声にならない呻き声を漏らすと、そのまま糸の切れた人形のように崩れ落ちて地面に倒れ込んだ。
「雨宮!!」
 血だまりに沈む仲間の姿に、八雲は怒りで目の前を真っ赤に染め、全身のバネを使って全力で如意棒をケディアの脳天目掛けて振り下ろす。
 だが、ケディアは余裕の表情で後ろに下がり、その必殺の一撃を紙一重で避けた。如意棒が虚しく地面を砕く。
「おい! 雨宮大丈夫か! …血が止まんねぇ、このままじゃ…ッ」
 八雲はすぐさま倒れた雨宮の傍に膝をつき、必死に傷口を押さえるが、指の隙間からどくどくと大量の血が溢れ出していく。八雲が雨宮の絶望的な状態を確認し、焦燥に駆られていると、ケディアは音もなく容赦なく八雲の背後へと回り込み、攻撃を仕掛けた。
「て…めぇ」
 振り返る暇もなかった。ケディアは左手で八雲の首を乱暴に掴むと、そのまま片手で軽々と彼の身体を宙に持ち上げた。
 首を激しく絞め上げられ、足が虚空を掻く。八雲は必死に両手でケディアの腕を引き剥がそうともがくが、まるで鋼鉄の万力のように固定されたその手は微動だにしない。
(流石にヤベェ…意識が)
 酸素が完全に絶たれ、八雲の視界が急速に黒く暗転していく。
 八雲が完全に意識を無くしかけたその時、空気を切り裂くような鋭い魔法の矢がケディアの顔面目掛けて飛んでくる。
 直撃を察知したケディアは、忌々しげに舌打ちをして魔法を避けるため、八雲から手を離した。
 ドサッ、とアスファルトに落下した八雲はその場に四つん這いで倒れ込み、激しく咳き込んだ。
「八雲、大丈夫!?」
 咳き込む八雲の元に駆け寄り、冷静ながらも焦りの滲む声で話しかけたのは、艶やかな黒髪をなびかせた一ノ瀬だった。
「お前、なんでここに」
「あんた達だけだと心配だったのよ」
「お前の敵う相手じゃねぇ!さっさと逃げろ!」
 八雲は擦れ枯れた声で一ノ瀬を突き放そうとする。だが、普段から落ち着きのある一ノ瀬は、毅然とした冷静な瞳で八雲を見つめ返した。
「そんなこと分かってるわよ…誰も一人で来たなんて言ってないでしょ」
 一ノ瀬はそう言うと、静かに後ろを振り返る。
 八雲が一ノ瀬の目線の先を追うと、そこにはこの学園の最高責任者である学園長である桐宮桜が立っていた。荒れ果てた戦場には似つかわしくない静謐な空気を纏ってそこに立っていたのだ。
「八雲君ですね、間に合って良かったです…怪我は有りませんか?」
「え、あ、ああ…って俺よりも雨宮が!」
 八雲は自身の身より、瀕死の雨宮を案じて叫ぶ。しかし、桜は穏やかな微笑みを浮かべた。
「彼なら大丈夫ですよ。治療しましたから」
 八雲は桜の言葉を聞き、慌てて雨宮の方へと視線を向ける。
 いつの間にか、雨宮の横には水無姉妹が寄り添っていた。温かい光を帯びた治癒魔法の残滓が漂い、致命傷だったはずの傷は完全に塞がっている。彼女たちが何も騒いでいないことから、雨宮の命の無事がはっきりと分かった。

「最初から殺すつもりはなかったようですね。致命傷になるような箇所は、意図的に外されていました」
「急所を、外してた……?」
「ええ。単に戦闘不能にするための、ひどく正確な一撃でした」
桜が静かにそう補足する。
「さて、本当は貴方達には言いたい事が沢山あります…『学園長!』」
 一ノ瀬が突然、鋭い声でそう叫んだ。
 ケディアが隙を突き、会話中の桜目掛けて魔法を無音で放ったのだ。だが、桜はそれを特に焦ることもなく、優雅な動作で右手を前に出すと、空間そのものを盾にするかのように、ただそれだけで強力な魔法の塊を完全に掻き消してしまった。
「…が、今はそんな時間もなさそうですね」
 桜は淡々とそう言うと、纏う空気を一変させ、絶対零度のごとく冷たい目線をケディアに向ける。
「貴方達、急いでこの場から離れなさい」
 桜が背中越しにそう指示を出すと、状況を理解している一ノ瀬は無言で頷く。
「…ちょっと八雲!」
 しかし、八雲は悔しさに全身を震わせ、その場から動こうとはしなかった。仲間を目前で傷つけられ、自分自身も手も足も出ず無様に敗北したこの現実から、誇りにかけて逃げることなどできなかったのだ。
「…八雲君。貴方なら分かっているはずです」
 桜に静かな声でそう言われると、八雲は自身の無力さに歯を食いしばり、血が滲むほど両手を強く握りしめる。
「…貴方はまだまだ強くなります。ですが、今は引く時ですよ」
 桜は、不甲斐なさに震える八雲に対し、すべてを包み込む母親のような慈愛に満ちた声で優しく声をかける。
「……」
 数秒の重い沈黙の後。八雲は強く握っていた拳からゆっくりと力を抜くと、桜の背中に向かって深く、軽く礼をして歩き出す。
「…貸せ」
 そして、雨宮を二人で懸命に支えている水無姉妹のところに行き、まだ意識の戻らない雨宮の身体を自身の大きな背中にしっかりと背負う。
 そのまま八雲は、振り返ることなくこの場から立ち去ろうとする。水無姉妹も、八雲の背中の後に続く。
「学園長。二人を助けて頂いてありがとうございます」
 最後に残った一ノ瀬は桜に深く一礼し、そう言うと、八雲たちを追ってこの場から立ち去った。
 生徒たちの気配が完全に遠ざかったことを確認すると、桜はふう、と静かに息を吐いた。
「今の私は少し冷静さに欠けます…貴方達を巻き添いにしない保証ができませんでした」
 桜は八雲達が歩いて行った方を見つめると、誰に聞かせるでもなくそう呟いた。
 そして、ゆっくりとケディアに向き直る。その瞳の奥には、先程までの学園長としての慈愛は完全に消え失せ、底知れない激しい怒りの炎が静かに、だが確実に燃え盛っていた。周囲の小石が、溢れ出る魔力に当てられてカタカタと震え出す。
「貴方達だけは許しません。私の子供達を傷つけた…そのお礼はたっぷりと返させていただきましょう」
「…傷つけた? 妙だな。我々は桐宮隼人に傷を負わせていないはずだが」
 ケディアが怪訝そうに眉をひそめる。組織が狙うべき対象である学園長の息子の名は、確実に把握していたからだ。
 その言葉に、桜は冷たく、しかし誇り高く言い放つ。
「確かに隼人は私の血の繋がった子供です…ですが、私は学園長。ここの生徒は私の子供も同然。血の繋がりなんて関係ありませんから」
 桜の放つ膨大な魔力が一気にドーム状に膨れ上がり、周囲の大気が悲鳴を上げる。彼女は絶対的な強者としての圧倒的な威圧感で、ケディアを真っ向から睨みつける。
「では、始めましょう」
 そして、静かな死刑宣告のようにそう言うと、桜は容赦のない破滅の魔法をケディアに向けて解き放った。