魔力の少ない魔法使い

星雲魔術師学園の敷地内。
一年生の入る学生寮の前――本来ならば放課後の生徒たちの笑い声が響くはずのその場所には、凄惨な光景が広がっていた。
激しい戦闘の痕跡。粉々に砕け散った石畳と、黒く焼け焦げた木々。そして、数十人の身体が、倒れていた。
 静まり返った絶望の空間にただ一人、微動だにせず平然と立ち尽くしている者がいた。
 今回の学園襲撃における首謀者の一角であり、圧倒的な力でこの惨状を作り出した張本人――スペルだ。
 数十人と戦闘を行った後だというのに、スペルの衣服には傷一つなく、その表情にも疲労の色は一切浮かんでいなかった。まるで次元の違う力を見せつけるかのように、その背中はただ冷酷に周囲を見下ろしている。
「…やはり貴方が来ましたか」
 ふと、スペルは背後から近づいてくる微かな気配に気づき、振り返ることなく静かにそう口にした。その声には焦りも驚きもなく、ただあらかじめ決まっていた運命を確認するような響きがあった。
「……」
 言葉を投げかけられた人物は、無言だった。
 彼は何も返事をせず、ただ周囲に倒れ伏す人々――つい昨日まで言葉を交わしていたかもしれない学園の人間たち――を視界の端に痛ましく収めながら、静かに前へ歩みを進める。 コツ、コツと、硬い靴音が、静まり返った空間に重苦しく響き渡った。
「久しぶりですね、ヴァニタス…いえ、今はルイ・エスクードでしたか」
 冷たい風が吹き抜け、青い髪を悲しげに揺らしてそこに立っていたのは、ルイだった。
 ゆっくりと振り返ったスペルの瞳が、かつて同じ組織に属し、今は道を違えた弟の姿を捉えて僅かに細められる。
「…兄さん」
 ルイは、喉の奥から絞り出すような声で、静かにそう呟いた。
 血を分けた実の兄。かつては誰よりも敬愛し、背中を追いかけた存在。その兄と、敵対者として再会してしまった事実に、ルイの胸は引き裂かれるように激しく痛んでいた。
「私達が何をしに来たか、貴方は分かっていますね?」
 スペルの冷徹な問いかけが、ルイの心を容赦なくえぐる。組織の目的、そして彼らがどれほど無慈悲にそれを遂行するかを、かつて内側にいたルイは誰よりも理解していた。
「…ええ」
 ルイは伏せていた目をゆっくりと上げる。その瞳には、悲痛な色が濃く滲んでいる。
「なら…」
「答えることはできません」
 スペルの言葉を遮るように、ルイは強い拒絶の意志を示した。
予期せぬ弟の鋭い拒絶に、スペルはフフッと小さく、しかし酷薄に笑う。そこにはかつての弟に向けた柔らかな感情と、今の立場という冷酷な現実の狭間で揺れる、兄としての複雑な情愛が混じり合っていた。

「では、仕方がありませんね」
 交渉の余地はない。そう判断したスペルの眼光が鋭く研ぎ澄まされる。
 次の瞬間、大気が悲鳴を上げた。スペルが右手に自身の膨大な魔力を収束させると、空間が歪み、まばゆい光の粒子が集束して一本の白銀に輝く神々しい槍が顕現した。切っ先から放たれる質量を持った殺気が、ルイの肌をビリビリと刃物のように刺す。
「…兄さん。どうか、諦めてもらうことはできないのですか」
「できません」
 すがるようなルイの懇願を、スペルは間髪入れず即答で切り捨てた。一切の迷いすらないその答えを聞き、ルイは深い無力感に苛まれるように、痛ましげに顔を下へと向ける。
「…貴方も武器を出しなさい」
 戦意を見せず立ち尽くす弟に対し、スペルは冷酷に戦闘を促す。
「兄さん、私は…」
 ルイの両拳が震えていた。できることなら闘いたくない。言葉を尽くして、どうにかこの狂気を止められないかと、彼は本気で考えていた。大切な兄と闘うことを避けたかったからだ。
「貴方はどうして、私達を裏切ったのですか」
 突きつけた槍の切っ先を下ろさぬまま、スペルが問う。その声には、優秀だった弟が組織を離れたことに対する、ほんの僅かな理解し難い苛立ちが混じっていた。
「それは…」
「貴方が裏切らなければ、こんなことにはならなかった…今からでも遅くありません。こちらに戻ってくる気はないのですか?」
  それは、組織の人間としての命令ではなく、兄として差し伸べた最後の手だった。
 かつての冷たくも確固たる居場所だった組織の記憶と、学園で出会った温かい仲間たちの笑顔。そして今、目の前で命を散らしている人々の無惨な姿が、ルイの脳裏で激しく交錯し、ぐちゃぐちゃに混ざり合う。
「……」
 スペルの問いに、ルイは何も返せず無言だった。
 血生臭い風が通り過ぎる音だけが、対峙する兄弟の間を吹き抜けていく。重い沈黙が数秒、永遠のように続いた。
「…私は」
 やがて、ルイがゆっくりと口を開いた。
 その声は、これまでの震えを乗り越え、驚くほど静かで、確かな芯を持っていた。
「私は、組織に戻る気はありません」
 それは、明確な決別宣言だった。
 学園で共に笑い合った仲間たち。不器用ながらも自分を受け入れてくれた居場所。そして何より、自分自身の信じる道を守るため、ルイは血塗られた過去を永遠に断ち切る決意を固めたのだ。
「それがどう言う意味か、分かっていますね」
「分かっています」
 スペルの冷酷な最後通告に対し、 ルイは一気に魔力を高めた。
 ルイの周囲の空気が漆黒に染まり、足元の瓦礫が魔力の余波でカタカタと震え出す。空間がドクン、と脈打つように歪み、ルイの右手の中に、赤黒く不吉なオーラを纏った巨大な魔槍――〈グングニル〉が召喚された。
 武器を構え、真っ直ぐに兄を見据えるその顔には、先ほどまでの少年の迷いは完全に消え去っていた。そこにあるのは、立ちはだかる最大の壁を乗り越えようとする、一人の戦士としての凄絶な覚悟だけだった。
「覚悟は決まったようですね…良いでしょう。全力で相手をしてあげます。来なさい」
 スペルは一切の容赦を捨てるように槍を低く構え、周囲の空間ごと圧し潰すような底知れない魔力を解放して挑発する。
「…行きます」
 ルイは静かにそう呟くと同時に、足元の石畳を粉砕するほどの踏み込みを見せた。
魔力を込めた赤黒い槍〈グングニル〉を、実の兄であるスペル目掛けて、躊躇いなく一直線に投げ放った。
 ズガァァァン!!
 爆音と共に、赤黒い閃光が切り裂き、兄弟の距離を瞬時にゼロへと縮めていった。