――グラウンド。
放課後の乾いた土の匂いに、焦げた臭いが混じっていた。
本来ならば、この時間は部活動の掛け声で満ちているはずの場所だ。それが今は、抉れた地面と、その縁で燻る炎だけが広がっている。
「アハハッ、よっわいな~」
砂埃の向こうで、間延びした声が笑った。
藍色の癖っ毛を揺らした小柄な少年が、まるで公園で遊んでいるかのような軽さでそこに立っている。中性的な顔立ちには、緊張も殺意も浮かんでいない。ただ退屈だけがあった。
「お前達は早く逃げろ!」
少年と生徒たちの間に立ち塞がっていたのは、この部の顧問を務める教師だった。両手を広げ、背に庇った生徒たちへ怒鳴りつける。
「で、でも先生!」
「いいから行け!」
教師の声には、普段の授業では聞いたことのない切迫があった。生徒たちが躊躇っている間にも、少年の掌には次の魔力が渦を巻いている。
戦況は、誰の目にも明らかだった。
教師は防御に徹し、飛来する魔法を懸命に弾き続けている。だが、それだけだ。反撃に転じる余裕など、最初の一撃を防いだ時点で失われていた。
「生徒を逃がすために闘うなんて、教師の鏡だね~」
「くっ……」
「でも、それがいつまでもつかな」
少年がニヤリと口の端を吊り上げる。
その瞬間、放たれる魔法の数と威力が跳ね上がった。
一発、二発と障壁が軋み、三発目で罅が入る。四発目が防御をすり抜け、教師の肩を焼いた。五発目が脇腹を抉る。
「……ッ」
膝が落ちた。土に手をついた指先が、細かく震えている。
「あれ? もう終わり~?」
少年が首を傾げる。心底つまらなそうな顔だった。
「ま、まだだ」
教師は歯を食いしばり、震える脚に力を込めた。立ち上がる。ただそれだけの動作に、この場の何もかもを注ぎ込むようにして。
背後で、生徒たちの足音が遠ざかっていく。あと少し。あと少し保たせれば、あの子たちは校舎の陰に届く。
「へぇ~、頑張るね~……」
少年は感心したように目を細め――それから、あっさりと興味を捨てた。
「……でも、そろそろ飽きたし。これで終わりにしてあげるよ」
右手が、無造作に前へ突き出される。
掌の前で光が凝縮していく。これまでの牽制とは比べ物にならない密度。教師は防ぐ手段を持たなかった。それでも、その場から一歩も退かなかった。退けば、逃げる生徒たちの背中に届いてしまう。
光が、放たれた。
轟音。衝撃波がグラウンドの土を巻き上げ、教師の立っていた場所を土煙が覆い隠す。
「……」
少年は立ち去らなかった。
笑みを引っ込め、目を細めて、渦巻く煙の一点を見つめている。
やがて風が吹き、煙が薄れていった。
その中に立っていたのは、二つの人影だった。膝をついたままの教師と、その前に立つ一人の男。着崩したスーツの裾を風になびかせ、片手をポケットに突っ込んだまま、もう片方の手だけを前に翳している。
「……僕の魔法を防ぐなんて、結構やるね~!」
少年が声を弾ませた。
男は――烏廻辰巳は、少年を一瞥もせず、背後を振り返った。
「大丈夫ですか」
「う、烏廻先生……ありがとうございます」
「いえ。……とりあえずこの場は俺に任せて、早く避難してください」
「わ、分かりました」
教師は痛みを堪えて立ち上がり、それでも去り際に一度だけ足を止めた。
「気をつけてください。あいつ、見た目は子供でも……とてつもなく強い」
「了解です」
烏廻の返事は、いつも通り気の抜けた調子だった。
教師が背を向け、覚束ない足取りで走り出す。
その背中へ、少年の掌が向いた。
――音もなく、烏廻の姿が消えた。
次の瞬間には教師の隣に立っており、飛来した魔法を片手で受け止め、握り潰すように掻き消していた。
「んー、まあ、当たらないか~」
少年はケラケラと笑っている。悪びれる様子は微塵もない。
教師は目を見開いて烏廻を見上げ、もう一度深く頭を下げると、今度こそ校舎の方へ走り去っていった。その背が完全に見えなくなるまで、烏廻はその場を動かなかった。
「あんた、知ってるよー」
少年が、両手を後ろで組みながら首を傾げる。
「烏廻辰巳でしょ? 当たりを引いちゃったな」
「当たり?」
「そ! あんたは強いって聞いたし、大当たりでしょ」
少年は指を一本立て、心底楽しそうに続けた。
「ヴァリの悔しがる姿が目に浮かぶから、それもまた良いね」
烏廻は、ようやく少年の方へ向き直った。
「当たりか……」
気だるげに首を鳴らす。
「まあいい。さっさと始めるか」
言い終わるより早く、少年の魔法が飛んだ。
烏廻は横へ跳ぶ。だが、その着地点にはすでに二発目が置かれていた。
(――先読みか)
飛び退いた先へ先回りする配置。牽制と本命を同時に撃つ手口。子供の顔で笑いながら、やっていることは老練な魔導師のそれだ。
烏廻は空中で右手を返し、自分の魔法を叩きつけて相殺した。爆風が二人の間で弾ける。
「やっぱ、さっきの奴とは比べ物にならないくらい強いんだね」
少年の口調は変わらない。だが、その目の奥に、初めて光が灯った。
「けど、どこまでついてこれるかな~」
魔力が膨れ上がる。放たれる魔法はさらに数を増し、一発一発の威力まで明らかに跳ね上がっていた。 無数の光弾がグラウンドを埋め尽くすように飛び交う。
烏廻もまた、片手を上げただけで同等の数を展開した。撃ち合いは拮抗し、爆音が絶え間なく空気を叩く。
「……なかなかやるね。だったら、これはどうかな!」
少年の頭上に、複雑な魔法陣が幾重にも折り重なった。
これまでとは桁が違う。大気が唸りを上げ、足元の土が魔力に押されて震え出す。
「最上級魔法か……」
烏廻の呟きは、あくまで平坦だった。
巨大な奔流が、地面を舐めるようにして烏廻へ迫る。
烏廻は右手を前に出した。その掌に灯ったのは、迫り来るそれとは比較にならないほど小さな光の粒だった。
少年の笑みが、僅かに強張る。
放たれた光の粒は、大質量の奔流に呑まれ――そのまま、内側から食い破った。
最上級魔法が霧散する。相殺されたのではない。真正面から、その威力ごと押し潰されたのだ。
そして光の粒は、勢いを一切落とすことなく、少年へ向かって直進した。
「!?」
少年は反射的に横へ跳んだ。頬のすぐ横を光が通り過ぎ、癖っ毛が数本、焼けて散る。
着地した少年は、自分の頬に指を当て、それからゆっくりと烏廻を見た。
「驚いたなぁ。まさか打ち消されるとは思ってなかった」
「こんなので驚いててどうするんだ」
烏廻はポケットに手を戻し、大あくびでもしそうな顔で言った。
「まだ、準備運動にもならねえよ」
空気が、変わった。
「……ハハハッ!」
少年が笑う。だが、その笑い声には先ほどまでの余裕がない。
「ちょっと魔法を返せたくらいで、何いい気になってんの? あれくらい序の口でしょ!」
言葉の端が、明らかに荒れていた。
「それに僕は、こっちの方が得意なんだよ!」
両手に、短剣が二振り顕現する。
少年は地面を蹴った。 少年は地面を蹴った。小柄な体躯を低く沈め、一気に烏廻の懐へ滑り込む。
「切り刻んであげるよ!」
逆手の刃が、喉、脇腹、腿、目と、急所だけを正確に狙って連続で走る。並の魔導師なら三合と保たない連撃だ。
烏廻は、最小限の体捌きでそのすべてを避けていた。
半歩下がり、上体を捻り、顎を引く。それだけで刃は空を切り続ける。ポケットからは、まだ片手を出してすらいない。
「避けるだけで精一杯なの? さっきの威勢は――」
少年の刃が、大きく振り抜かれた。
その瞬間だった。
ゴッ、と鈍い音が響き、少年の身体がグラウンドを転がった。
「悪いな。隙だらけだったもんだから、ついな」
烏廻は、握った拳をゆるゆると開きながら言った。
「……それに、俺もこっちの方が得意なんだわ」
その手に魔力が集う。
「天を満たし、地を滅せよ――〈インドラ〉、〈ヴリトラ〉」
右手に純白の剣が、左手に漆黒の剣が。二振りの刃が、静かに烏廻の手に収まった。
少年は口の中に溜まった血を吐き捨て、ゆらりと立ち上がる。もう笑ってはいなかった。
「もう、あったまにきた」
藍色の前髪の下で、目が据わっている。
「アンタには地獄を見せてやる」
「こいよ」
烏廻は二本の剣をだらりと下げたまま、いつもの気だるげな声で応じた。
「俺はこう見えて教師だからな。お前みたいなクソガキは、教育し直してやるよ」
二人は同時に、地面を蹴った。
放課後の乾いた土の匂いに、焦げた臭いが混じっていた。
本来ならば、この時間は部活動の掛け声で満ちているはずの場所だ。それが今は、抉れた地面と、その縁で燻る炎だけが広がっている。
「アハハッ、よっわいな~」
砂埃の向こうで、間延びした声が笑った。
藍色の癖っ毛を揺らした小柄な少年が、まるで公園で遊んでいるかのような軽さでそこに立っている。中性的な顔立ちには、緊張も殺意も浮かんでいない。ただ退屈だけがあった。
「お前達は早く逃げろ!」
少年と生徒たちの間に立ち塞がっていたのは、この部の顧問を務める教師だった。両手を広げ、背に庇った生徒たちへ怒鳴りつける。
「で、でも先生!」
「いいから行け!」
教師の声には、普段の授業では聞いたことのない切迫があった。生徒たちが躊躇っている間にも、少年の掌には次の魔力が渦を巻いている。
戦況は、誰の目にも明らかだった。
教師は防御に徹し、飛来する魔法を懸命に弾き続けている。だが、それだけだ。反撃に転じる余裕など、最初の一撃を防いだ時点で失われていた。
「生徒を逃がすために闘うなんて、教師の鏡だね~」
「くっ……」
「でも、それがいつまでもつかな」
少年がニヤリと口の端を吊り上げる。
その瞬間、放たれる魔法の数と威力が跳ね上がった。
一発、二発と障壁が軋み、三発目で罅が入る。四発目が防御をすり抜け、教師の肩を焼いた。五発目が脇腹を抉る。
「……ッ」
膝が落ちた。土に手をついた指先が、細かく震えている。
「あれ? もう終わり~?」
少年が首を傾げる。心底つまらなそうな顔だった。
「ま、まだだ」
教師は歯を食いしばり、震える脚に力を込めた。立ち上がる。ただそれだけの動作に、この場の何もかもを注ぎ込むようにして。
背後で、生徒たちの足音が遠ざかっていく。あと少し。あと少し保たせれば、あの子たちは校舎の陰に届く。
「へぇ~、頑張るね~……」
少年は感心したように目を細め――それから、あっさりと興味を捨てた。
「……でも、そろそろ飽きたし。これで終わりにしてあげるよ」
右手が、無造作に前へ突き出される。
掌の前で光が凝縮していく。これまでの牽制とは比べ物にならない密度。教師は防ぐ手段を持たなかった。それでも、その場から一歩も退かなかった。退けば、逃げる生徒たちの背中に届いてしまう。
光が、放たれた。
轟音。衝撃波がグラウンドの土を巻き上げ、教師の立っていた場所を土煙が覆い隠す。
「……」
少年は立ち去らなかった。
笑みを引っ込め、目を細めて、渦巻く煙の一点を見つめている。
やがて風が吹き、煙が薄れていった。
その中に立っていたのは、二つの人影だった。膝をついたままの教師と、その前に立つ一人の男。着崩したスーツの裾を風になびかせ、片手をポケットに突っ込んだまま、もう片方の手だけを前に翳している。
「……僕の魔法を防ぐなんて、結構やるね~!」
少年が声を弾ませた。
男は――烏廻辰巳は、少年を一瞥もせず、背後を振り返った。
「大丈夫ですか」
「う、烏廻先生……ありがとうございます」
「いえ。……とりあえずこの場は俺に任せて、早く避難してください」
「わ、分かりました」
教師は痛みを堪えて立ち上がり、それでも去り際に一度だけ足を止めた。
「気をつけてください。あいつ、見た目は子供でも……とてつもなく強い」
「了解です」
烏廻の返事は、いつも通り気の抜けた調子だった。
教師が背を向け、覚束ない足取りで走り出す。
その背中へ、少年の掌が向いた。
――音もなく、烏廻の姿が消えた。
次の瞬間には教師の隣に立っており、飛来した魔法を片手で受け止め、握り潰すように掻き消していた。
「んー、まあ、当たらないか~」
少年はケラケラと笑っている。悪びれる様子は微塵もない。
教師は目を見開いて烏廻を見上げ、もう一度深く頭を下げると、今度こそ校舎の方へ走り去っていった。その背が完全に見えなくなるまで、烏廻はその場を動かなかった。
「あんた、知ってるよー」
少年が、両手を後ろで組みながら首を傾げる。
「烏廻辰巳でしょ? 当たりを引いちゃったな」
「当たり?」
「そ! あんたは強いって聞いたし、大当たりでしょ」
少年は指を一本立て、心底楽しそうに続けた。
「ヴァリの悔しがる姿が目に浮かぶから、それもまた良いね」
烏廻は、ようやく少年の方へ向き直った。
「当たりか……」
気だるげに首を鳴らす。
「まあいい。さっさと始めるか」
言い終わるより早く、少年の魔法が飛んだ。
烏廻は横へ跳ぶ。だが、その着地点にはすでに二発目が置かれていた。
(――先読みか)
飛び退いた先へ先回りする配置。牽制と本命を同時に撃つ手口。子供の顔で笑いながら、やっていることは老練な魔導師のそれだ。
烏廻は空中で右手を返し、自分の魔法を叩きつけて相殺した。爆風が二人の間で弾ける。
「やっぱ、さっきの奴とは比べ物にならないくらい強いんだね」
少年の口調は変わらない。だが、その目の奥に、初めて光が灯った。
「けど、どこまでついてこれるかな~」
魔力が膨れ上がる。放たれる魔法はさらに数を増し、一発一発の威力まで明らかに跳ね上がっていた。 無数の光弾がグラウンドを埋め尽くすように飛び交う。
烏廻もまた、片手を上げただけで同等の数を展開した。撃ち合いは拮抗し、爆音が絶え間なく空気を叩く。
「……なかなかやるね。だったら、これはどうかな!」
少年の頭上に、複雑な魔法陣が幾重にも折り重なった。
これまでとは桁が違う。大気が唸りを上げ、足元の土が魔力に押されて震え出す。
「最上級魔法か……」
烏廻の呟きは、あくまで平坦だった。
巨大な奔流が、地面を舐めるようにして烏廻へ迫る。
烏廻は右手を前に出した。その掌に灯ったのは、迫り来るそれとは比較にならないほど小さな光の粒だった。
少年の笑みが、僅かに強張る。
放たれた光の粒は、大質量の奔流に呑まれ――そのまま、内側から食い破った。
最上級魔法が霧散する。相殺されたのではない。真正面から、その威力ごと押し潰されたのだ。
そして光の粒は、勢いを一切落とすことなく、少年へ向かって直進した。
「!?」
少年は反射的に横へ跳んだ。頬のすぐ横を光が通り過ぎ、癖っ毛が数本、焼けて散る。
着地した少年は、自分の頬に指を当て、それからゆっくりと烏廻を見た。
「驚いたなぁ。まさか打ち消されるとは思ってなかった」
「こんなので驚いててどうするんだ」
烏廻はポケットに手を戻し、大あくびでもしそうな顔で言った。
「まだ、準備運動にもならねえよ」
空気が、変わった。
「……ハハハッ!」
少年が笑う。だが、その笑い声には先ほどまでの余裕がない。
「ちょっと魔法を返せたくらいで、何いい気になってんの? あれくらい序の口でしょ!」
言葉の端が、明らかに荒れていた。
「それに僕は、こっちの方が得意なんだよ!」
両手に、短剣が二振り顕現する。
少年は地面を蹴った。 少年は地面を蹴った。小柄な体躯を低く沈め、一気に烏廻の懐へ滑り込む。
「切り刻んであげるよ!」
逆手の刃が、喉、脇腹、腿、目と、急所だけを正確に狙って連続で走る。並の魔導師なら三合と保たない連撃だ。
烏廻は、最小限の体捌きでそのすべてを避けていた。
半歩下がり、上体を捻り、顎を引く。それだけで刃は空を切り続ける。ポケットからは、まだ片手を出してすらいない。
「避けるだけで精一杯なの? さっきの威勢は――」
少年の刃が、大きく振り抜かれた。
その瞬間だった。
ゴッ、と鈍い音が響き、少年の身体がグラウンドを転がった。
「悪いな。隙だらけだったもんだから、ついな」
烏廻は、握った拳をゆるゆると開きながら言った。
「……それに、俺もこっちの方が得意なんだわ」
その手に魔力が集う。
「天を満たし、地を滅せよ――〈インドラ〉、〈ヴリトラ〉」
右手に純白の剣が、左手に漆黒の剣が。二振りの刃が、静かに烏廻の手に収まった。
少年は口の中に溜まった血を吐き捨て、ゆらりと立ち上がる。もう笑ってはいなかった。
「もう、あったまにきた」
藍色の前髪の下で、目が据わっている。
「アンタには地獄を見せてやる」
「こいよ」
烏廻は二本の剣をだらりと下げたまま、いつもの気だるげな声で応じた。
「俺はこう見えて教師だからな。お前みたいなクソガキは、教育し直してやるよ」
二人は同時に、地面を蹴った。
