魔力の少ない魔法使い

「あらあら。残りは坊や一人だけになっちゃったようね」
 荒れ果てた中庭に、場違いなほど甘ったるい声が響き渡る。瓦礫が散乱する中、ルクスが妖艶な笑みを浮かべながら悠然と見下ろしていた。
 その視線の先――辛うじて立ち上がっているのは、満身創痍の帝ただ一人になっていた。

彼と共に残った黒崎、五十嵐、ティオナ、そして橘の四人は、意識こそあるものの、今はもう満足に立ち上がって闘える状態ではない。 膝をつき、肩を上下させながら、蓄積したダメージに耐えているのが精一杯だった。
 唯一立っている帝自身も、決して無事ではない。制服は引き裂かれ、肩で息をしている。
「さあて、坊やはいつまで保つかしら?」
 ルクスは楽しげに目を細めると、まるで玩具を痛めつけるかのように、再び容赦のない攻撃を仕掛けてきた。
(……本当に、厄介で妙な闘い方だ!)
 帝は奥歯を強く噛み締めながら、四方八方から迫り来る黒い軌跡を、手にした剣で必死に弾き落とす。
 ルクスが操る主な武器は、他でもない自身の『髪の毛』だった。鋼のように硬く強靭でありながら、鞭のようにしなる髪を自由自在に伸縮させ、あらゆる死角から四肢を狙って執拗に絡みついてくるのだ。
 刃物や鈍器とは全く異なるその常識外れの闘い方に完全に虚を突かれた帝たちは、圧倒的な基礎魔力と身体能力の差も相まって、早々に劣勢に立たされてしまっていた。
「中々頑張るわね。……だったら、これでどう?」
 不意に、ルクスの冷酷な視線が、標的である帝から外れる。彼女は地面に倒れて身動きの取れない橘へと狙いを定め、無慈悲に魔法を放った。
「……くっ!」
狙いを変えられたことに気づいた帝は、迷うことなく泥に塗れた地面を力強く蹴る。橘の盾となるように彼女の目の前へと素早く立ち塞がると、飛来した魔法の爆発に対し、手にした刀と残った魔力を振り絞って咄嗟に防御の体勢をとった。
 ドガァッ!と重い爆発音が響き、土煙が上がる。
「み、帝君……ッ!」
「ハァッ……ハァッ……」
 煙が晴れた後、そこには橘を庇い、片膝をつく帝の姿があった。激しい痛みに顔を歪める彼を見て、橘が悲痛な声を上げる。
「ふふっ、本当に涙ぐましい、良い友情じゃない」
 傷つく若者たちの姿を特等席から見下ろし、ルクスが下劣に嘲笑う。
「ご、ごめんなさい……私のせいで……」
「……気に、しなくていい……」
「帝君だけでも逃げて……! お願い……!」
 橘が懇願する。彼女だけでなく、その場にいる仲間全員が、動ける帝だけでもこの場から逃げて欲しいと願っていた。
「……何を馬鹿なことを言っている。敵を目の前にして、動けない君たちを置いていく? ……そんなこと、この僕がするとでも思っているのかい?」
 痛みに顔をしかめながらも、帝は口の端から流れる血を手の甲で拭い、毅然とした態度で不敵に笑いかけた。
 昔の帝だったら、他人のことなど気にも留めず、戦力差を測った上での合理的な判断として一人で逃げていたかもしれない。いや、そもそも自身が傷つくリスクを負ってまで、こんな勝ち目のない闘いなど最初からしていなかっただろう。
 だが、今の彼は違う。あの日、隼人に決定的な敗北を喫し、仲間というものの本当の意味を知ってから、帝の心は人間として大きく成長していたのだ。
「あーあ、本当に素晴らしい友情ね。……でも、そんな下らない茶番はこれでお終いにしてあげるわ」
 ルクスがつまらなそうにため息をつく。途端に、空気が凍りつくような濃密な殺気が膨れ上がった。
 次の瞬間、うねっていた彼女の髪の毛が一つにまとまって巨大な束となり、今までの牽制攻撃とは比べ物にならない異常な速度で射出された。それは死神の持つ槍のように鋭く、帝へ一直線に貫く軌道で伸びてきた。
「!?」
 今の帝には、その文字通りの必殺の一撃を避ける体力はもう残されていなかった。防御のために剣を掲げることすら間に合わず、覚悟したその時――。
 突風が吹き荒れ、帝を貫くはずだった黒髪の槍は、彼の鼻先わずか数センチのところでピタリと静止していた。
「ふぅ~! ギリギリセーフってところかな!」
 いつの間にか帝とルクスの死線の間に割り込むように立っていたのは、隼人の姉・桐宮楓だった。彼女は、鋼の硬度を持つ凶器と化したルクスの髪の毛を、なんと素手でガッチリと握りしめていた。
「よっと!」
 楓は軽快な掛け声を上げながらも一切の躊躇なく、掴んだ髪の毛を自分の方へ向かって思い切り力任せに引っ張った。
「なッ!?」
 ルクスは綱引きの如く引き寄せられるその常識外れの力に抗いきれず、悲鳴を上げる間もなく、空を引きずられるような体勢で一直線に楓の方へと飛んでいく。
「……ぶっ飛べ!!」
 そして楓は、自ら引き寄せたルクスの顔面を的確に捉え、渾身の右ストレートを真っ向から叩き込んだ。
「ごはッ!?」
 鈍い衝撃音と共にルクスの身体が大きく吹き飛び、そのまま中庭の奥にある校舎の外壁を突き破った。
「ごはッ!?」
 ドゴォォン!という骨も砕け散るかのような鈍い衝撃音と共に、ルクスは文字通りゴム毬のように軽々と宙を吹っ飛び、そのまま中庭の奥にそびえる校舎の強固な外壁を盛大に突き破って激突した。
「ごめんね、遅くなって。……みんな、急いでこの子たちを連れて避難所へ向かって」
 楓は振り返り、自身の後ろについてきていた同学年の上級生たちに向けて素早く的確な指示を出す。
「分かった……! けど、楓、本当に一人で大丈夫なのか?」
「大丈夫!」
 後続の上級生の一人が強敵を前に心配そうに聞くが、楓は屈託のない自信満々の笑顔を浮かべ、頼もしく親指を立ててみせた。その姿に安心した上級生たちは力強く頷き、素早く倒れている橘や黒崎たちを抱え上げて後退し始める。
「ほら、帝君もみんなと一緒に」
「……」
 楓に避難を促されるが、帝は中々納得がいかないのか、唇を強く結んだままその場から動こうとしなかった。強さを自負していた自分が何もできず、最終的にただ守られる側になってしまったという拭いきれない無力感が、彼の高いプライドをひどく苛んでいたのだ。
「……君の悔しい気持ちは分かるよ。でも、今のままじゃ『邪魔』なの」
 彼の抱える葛藤を察した上で、楓はあえて甘い言葉をかけず、帝の心に深く刺さるような厳しい言葉をストレートに投げかけた。
 その直球の言葉に、帝はギリッと血が滲むほどに唇を噛み締め、やり場のない悔しさをぶつけるように強く両手の拳を握りしめる。
「大丈夫。君は、もっと強くなる」
 強ばる帝に対し、楓は先ほどの厳しさから一転して少しだけ表情を和らげると、帝の瞳を真っ直ぐに見て信じ切ったような優しく微笑んだ。
 その温かい一言で、帝の肩からスッと余計な力みが抜けた。彼女が決して自分を下に見ているのではなく、自分の未来の可能性を誰よりも信じてくれているのだと、深く理解できたからだ。
「……ご武運を」
 帝は静かに、しかし敬意を込めて深く一礼すると、素直に踵を返し、上級生たちに支えられる仲間たちと共に避難所へと向かって駆け出していった。
 彼らの背中が安全な距離まで遠ざかるのを見送った後、楓はゆっくりと首を巡らせ、先ほど自分がルクスを殴り飛ばして空けた校舎の大穴の方へと向き直る。
「……よくも、私の顔を殴ってくれたわね」
 崩れた瓦礫と土煙の中から姿を現したルクスの顔には、先程まで張り付いていた余裕のある妖艶な笑みなど微塵も残っていなかった。絶対的な自信とプライドを泥で汚され傷つけられたことへの、ひどく醜く激しい怒りだけがドロドロと渦巻いていた。
「まだまだ殴り足りないわよ。……私の大切な弟や、可愛い後輩たちをあんなに傷つけて。絶対に許さないわよ」
 対する楓の瞳の奥にも、静かではあるが、ルクスのどす黒い殺気に決して負けないほどの強烈な怒りの炎が煌々と灯っていた。
「――森羅を灼け〈カグツチ〉!!」
 楓が気合と共に武具召喚の言霊を唱える。空間が震え、眩い光が彼女の拳を包み込むと同時に、楓の両手は、黒地に金の装飾が緻密で美しく施された、見るからに重厚なグローブへと包み込まれた。
「行くわよ、おばさん」
 楓は相手の怒りをさらに煽るように挑発的に笑うと、力強く地面を蹴り、ルクスへと一直線に駆け出した。
「……年上に向かって生意気な小娘ね……。いいわ、塵一つ残さず、全力で潰してあげる!!」