魔力の少ない魔法使い

「……みんな、本当に大丈夫だよね」
 学園の廊下を全力で駆け抜けながら、サラが不安を押し殺すような声でポツリとこぼした。
「分かんねえけど、今は帝たちを信じるしかねえだろ」
「ええ。それに、まともに勝つつもりで戦う気はないはずよ。助けが来るまで時間を稼ぐつもりなら、十分に戦い様はあるわ」
 紘弥が前を向きながら答え、玲奈が冷静に状況を分析してサラを落ち着かせる。
「今はとにかく、私たちが隼人のいる場所へ急ぐわよ」
「でも、玲奈ちゃん。隼人君がどこにいるか分かるの?」
「確かにそうだぜ? 俺たち、執務室から先はついて行けなかったから、あいつがどこに向かったか全く知らねえぞ」
 走りながら紘弥が疑問を口にする。
「確証はないけど、大方の予想はついてるわ。……恐らく、学園長室よ」
「学園長室か……。まあ、烏迴先生が隼人を連れて歩いて行った方角にはあるし、可能性としては一番高いか」
「ええ。だから私たちは、一番可能性が高い学園長室に真っ直ぐ向かうわ」
 三人は学園長室がある中央棟の校舎に入り、階段を一気に駆け上がる。
 そして、学園長室がある最上階のフロアに到着し、廊下の曲がり角を曲がろうとしたその時――先頭を走っていた玲奈が、ビクッと肩を震わせて急停止した。
「!? ……おい! 急に止まん――」
「静かに」
 突然立ち止まった玲奈の背中にぶつかりそうになり、紘弥が文句を言おうとしたが、玲奈は鋭い声でそれを制し、口元に人差し指を当てた。
「敵よ」
 玲奈は壁に身を隠しながら、曲がり角の先をそっと覗き込んで呟いた。
「マジかよ……。数は?」
「一人ね。以前、結界を破って襲ってきた三人組のうちの一人……。確か、『ヴァリ』と呼ばれていた奴かしら」
「ルイ君と闘ってた、あのガラの悪い男の人だよね……」
 サラが息を呑む。
「あいつか……。どうする? 正直、俺たちがまともにやり合って勝てる相手じゃねえだろ」
「……そうね。見つかる前に、遠回りして別のルートを探した方がいいわね」
 三人とも、自分たちと相手の絶望的な力量差は痛いほど理解していた。ここで見つかり戦闘になれば、確実に足止めを食らい、最悪の場合は全滅する。
 無駄な戦闘を避けるため、多少時間はかかるが別ルートで学園長室を目指そうと、三人が静かに踵を返そうとした瞬間だった。
「――おい。さっきからそこでコソコソしてるネズミ共、さっさと出てこいよ」
 鼓膜を直接震わせるような野太い声が、廊下に響き渡った。
「「「!?」」」
 ヴァリの言葉に、三人の身体が硬直する。
(バレてる……!? だとすればどうする? このまま背を向けて逃げる? ……いえ、あんな奴が大人しく逃がしてくれるはずがないわ。だったら――)
 玲奈はギュッと目を瞑り、一瞬で覚悟を決めると、後ろの二人に鋭い視線を送った。
 『やるわよ』という玲奈の無言の合図に、紘弥とサラも即座に意図を汲み取り、それぞれ武器に手をかけて深く頷いた。
「チッ……ビビって出てこれねえのか。めんどくせえな」
 コツン、コツンと、無造作な足音が段々と角の方へと近づいてくる。
(勝負は一瞬……! 最初の一撃で決める!)
 足音が角に差し掛かったその瞬間、三人は一斉に飛び出した。
「【アイス・ブラスト】!!」
「【雷砲】!!」
「【月下天斬】!!」
 玲奈が先陣を切って極寒の氷塊を放ち、すぐさま紘弥が轟音と共に雷の砲撃を撃ち込む。さらにサラが踏み込み、鋭い斬撃の波を放った。
 三人の渾身の連携攻撃がヴァラを呑み込み、廊下の窓ガラスが粉々に吹き飛び、壁が大きく抉れて濛々たる粉塵が立ち込める。
「……後で学園長に弁償とか言われねえよな」
「流石に、この状況なら大丈夫じゃないかな……」
 紘弥が引きつった顔で軽口を叩き、サラが苦笑する。
(今ので、少しでもダメージが入ってくれていればいいけど……)
 玲奈が剣を構えたまま煙の奥を睨みつける。やがて、もうもうと立ち込めていた煙が風に流されて晴れていき――。
「……不意打ちとは、中々良い攻撃じゃねえか」
 そこには、服の汚れすらない、完全に無傷のヴァリが立っていた。
「そう暗い顔すんな。さっきのは本当に危なかったぜ? 俺の反応が少しでも遅れてたら、それなりに痛てぇダメージを負ってたろうからな」
 絶望する三人の様子をニヤニヤと見下ろしながら、ヴァリは肩についた埃を払う。
「良い攻撃だろうと、効いてなければ何の意味もないわ」
「ハハッ、そりゃあそうだ」
「……二人とも」
「分かってる。腹括って、やるしかねえよな」
 三人は再び闘志を燃やし、武器を強く握り直した。
「おいおい、本当に俺とやるってのか?」
「当然よ」
「はぁ……。見逃してやっても良かったんだが……まあ、丁度退屈してたところだし、ちょっとだけ遊んでやるか」
 ヴァリはわざとらしく大きなため息をついた後、「来いよ」と挑発するように手招きした。
「【氷塊】!」
 玲奈が距離を取りながら魔法を放つ。それに合わせ、紘弥とサラも魔法や中距離からの斬撃を絶え間なく浴びせていく。
「言ったろ? 不意打ちじゃねえ攻撃なんか、俺には当たらねえし効かねえよ」
 ヴァリは飛んでくる氷や雷、斬撃を、まるで虫でも払うかのように片手でいとも簡単に弾き落としていく。
 しかし、三人は決して攻撃の手を緩めない。
「なるほど……。接近戦だと秒で殺されるのが分かってるから、離れてチマチマと勝負するつもりか?」
 玲奈たちの意図を正確に看破したヴァリは、心底つまらなそうに鼻を鳴らした。
「だがな――この程度の距離、俺にとっちゃ『一瞬』なんだよ」
 ヴァリが一気に間合いを詰める。
「!?」
 玲奈が反応した時には、すでにその巨体が目前まで迫っていた。
 そして、回避する暇も与えず、玲奈の腹部目掛けて無慈悲な前蹴りを放つ。
「あぶねぇッ!」
 咄嗟に反応した紘弥が玲奈の肩を思い切り突き飛ばし、彼女の代わりにヴァリの蹴りをその身に受けた。
「ガハッ……!?」
 強烈な衝撃に、紘弥はなす術なく吹き飛び、廊下を何度も転がった。
「紘弥君!!」
「ハッ! よそ見してる場合かよ!」
 紘弥に気を取られ、一瞬だけサラの視線が外れた。その致命的な隙を見逃すヴァリではない。
 ヴァリの丸太のような拳が、サラの顔面を捉える。サラはギリギリで両腕を交差させてガードしたものの、その圧倒的な膂力に弾き飛ばされ、紘弥と同様に廊下を転がっていった。
「さて、お次は……っぶね!」
 体勢を立て直した玲奈が、ヴァリの隙を突いて鋭い踏み込みから斬りかかるが、紙一重で躱される。
「まだよ!」
 玲奈は攻撃の手を休めず、怒涛の連続攻撃を仕掛ける。
「中々キレのある剣術だが……俺を殺すには、まだ全然足んねえな!!」
 ヴァリは玲奈の連撃を嘲笑いながらすべて躱し切り、そのカウンターとして、玲奈のこめかみ目掛けて鋭い回し蹴りを繰り出した。
 玲奈はそれを防御しきれず、蹴りの衝撃で横に吹き飛び、壁に激しく叩きつけられた。
「あぐッ……」
 激痛に顔を歪め、地面に倒れ込んだ玲奈。その胸ぐら、いや、細い首を、ヴァリの巨大な手が鷲掴みにし、そのまま乱暴に宙へと持ち上げた。
「がっ、ぐ……!」
 玲奈は両手でヴァリの腕を掴み、必死に抵抗するが、万力のような力は微塵も緩まない。意識が遠のき始める。
「じゃあな。ほんの数秒だったが、ちょっとは楽しめ……!?」
 トドメを刺そうとしたヴァリの顔が、突如として驚愕に染まった。
 次の瞬間、ヴァリは自ら玲奈の首から手を離し、大きく後方へと飛び退いた。
「……危ねえなぁ。あのまま掴んでたら、今頃右腕が手首から綺麗に切断されてたぜ」
 ヴァリは、先程まで自分が立っていた空間を切り裂いた『何者か』を鋭く睨みつけた。
「本当は腕ごと切り落とすつもりだったんだが……流石に良い反応をするな。――大丈夫か、玲奈」
 玲奈の目の前に悠然と立っていたのは、美しい刀を構えた生徒会長であり、玲奈の兄――西園寺優斗だった。
「げほっ、ごほっ……兄、さん……?」
 床に崩れ落ちて咽せながら、玲奈は信じられないものを見るような目で顔を上げた。
「さて、お前たちが何でこんな危険なところをうろついているかは、大体予想がつく。……隼人の所に行きたいんだろ?」
「……は、はい」
「君たちも、無事か?」
 優斗は、立ち上がろうとしている紘弥とサラの方を一瞥して問いかける。二人は痛みを堪えながら強く頷いた。
「そうか、分かった。……なら、君たちは先に行くといい。ここは俺が相手をする」
「で、でも兄さん! あいつは桁違いに強くて、一人じゃ……!」
「心配するな。あとは頼りになるお兄ちゃんに任せとけ」
 悲壮な顔で引き留めようとする玲奈に対し、優斗は優しく微笑むと、ポンポンと妹の頭を撫でた。
「えっ……ちょ、ちょっと……」
 こんな非常事態に、しかも他人の前で子ども扱いされて頭を撫でられ、玲奈は恥ずかしさで顔を真っ赤にしてしまう。
「俺が奴の隙を作る。その間に、三人は全力で走り抜けろ」
 優斗の力強い言葉に、三人は覚悟を決めて頷いた。
「……ここを通りたいんだったら、好きに行けよ」
 そのやり取りを聞いていたヴァリが、突如として自身の背後にある廊下の奥を親指で指し示した。
「……どういうつもりだ?」
 優斗が訝しげに眉をひそめる。
「どういうつもりも何もねえよ。せっかく待ちに待った『4番』とじっくり闘えるんだ。余計な邪魔者はさっさと消えてくれた方が、俺も好都合ってだけだ」
「……そうか。分かった、みんな行って大丈夫だ。もし後ろから何か仕掛けてくれば、俺が必ず斬り捨てる」
 ヴァリの言葉の裏にある闘争心を読み取った優斗は、三人にそう指示を出した。
 三人は一瞬だけ戸惑ったが、優斗がそう言うなら間違いないと信じ、ヴァリの横を警戒しながら駆け抜け、廊下の奥へと走り去っていった。
 その間、ヴァリは宣言通りピクリとも動かず、三人が完全に視界から消えるのをただ楽しそうに見送っていた。
「さて、これでうざったい邪魔者はいなくなった。好きなだけやり合えるぜ」
 ヴァリは、最高のおもちゃを見つけた子どものように嬉々として優斗に向き直った。
「……一つ聞きたいんだが、さっきお前が口にした『4番』ってのはどういう意味だ?」
 優斗が静かに問いかける。
「簡単なことだ。俺がこの学園で『闘いたい奴の順番』だよ。1番は当然、あの封印された化け物。2番目は少し迷ったが、ここの『学園長』って女だな。3番が烏迴辰巳。……んで、4番目がお前だ、西園寺優斗」
 ヴァリは楽しげに指を折りながら語り、最後にビシッと優斗を指差した。
「なるほどな」
「ちなみに5番が『ヴァニタス』……ここじゃルイ・エスクードって名乗ってたか? で、最後に6番が桐宮楓」
「それで、全員か?」
「あ?」
「いや、なんでもない」
「なんだよ、自分が4番って言われてプライドでも傷ついたか?」
「いや……ただ、俺はお前に『三つほど』腹を立てていることがあってね」
 優斗は刀を正眼に構え、その端正な顔に、今まで見せたことのない冷酷な怒りの色を滲ませた。
「一つは、俺の守るべき大切な生徒たちを傷つけたこと。……そして、二つ目は――俺の可愛い妹を、傷つけたことだ」
 言葉が終わるより早く、優斗は鋭く踏み込み、一気にヴァリとの間合いを詰めた。その手にはすでにもう一振りの刀が握られており、双剣による十字斬りがヴァリの首元へと迫る。
 ――ガキンッ!!
「ハハハッ!! 良いねえ、速えじゃねえか! これでこそ殺し甲斐があるってもんだ!!」
 ヴァリは瞬時に剣を出し、優斗の必殺の斬撃を力任せに受け止めていた。
 静かな怒りに燃える優斗とは正反対に、ヴァリの顔には、この上ない悦びと狂気の笑みが浮かんでいた。