魔力の少ない魔法使い

「――で、覚悟は決まったってことでいいんだな?」
 放課後の廊下で、烏廻さんが壁に寄りかかりながら、値踏みするような視線を俺に投げかけてきた。
「はい」
 俺は一歩前に出ると、真っ直ぐにその目を見据えて、迷いなく答えた。
 昨日、食堂でみんなと話し、最悪の恐怖を乗り越えて覚悟を決めた。だからこそ、俺は今ここにいる。
 ただ、この場所に足を運んだのは、俺一人だけではなかった。俺のすぐ後ろには、まるで俺の背中を支えるかのように、クラスの代表メンバーたちが全員揃って控えていた。
「よし……分かった。なら、ついて来い」
 烏廻さんは立ち上がると、俺たちを促す。だが、すぐに足を止め、俺の後ろの連中を睨みつけた。
「――お前らはここまでだ。ここから先は立ち入らせるわけにはいかねえ」
 その言葉に、紘弥を筆頭にみんなが不満げな表情を浮かべる。「そんなの、俺たちだって――」と紘弥が言いかけそうになったところで、俺は振り返ってみんなに笑いかけた。
「俺なら大丈夫だから」
 俺の覚悟が伝わったのだろう。紘弥は少しだけ悔しそうに頭を掻くと、いつもの不敵な笑みを浮かべてみせた。
「……まあ、しゃあねえか。隼人、また明日な」
「うん、また明日!」
 紘弥の言葉に続くように、サラや玲奈、他のみんなも口々に「また明日」と声をかけてくれる。
「ああ、また明日な」
 俺もみんなに力強く答え、執務室を後にする烏廻さんの背中を追いかけた。
 廊下に出ると、前を歩く烏廻さんが、前を向いたままポツリと呟いた。
「良いダチを持ったな、桐宮」
「……はい!」
 俺は少し照れくささを覚えながらも、誇らしい気持ちで満面の笑顔を返した。
「そういえば、烏廻さん。俺たちは今、どこへ向かってるんですか?」
「学園長室だ」
 学園長室。つまり、この学園のトップであり、俺の母親がいる場所だ。
 数分ほど無言で廊下を進み、俺たちは重厚な装飾が施された学園長室の扉の前に到着した。
 トントン、と遠慮のない強さで烏廻先生がノックをする。
「烏廻です」
 名乗ると同時に、中からの返事を待つこともなく、烏廻さんは乱暴にドアを開け放った。
 こういうのって普通、中からの許可を得てから入るもんじゃないのか? 相変わらずこの人に常識やマナーを求めても通用しないんだろうけど、ノックをしただけまだマシか、と心の中で苦笑する。
「失礼します」
 烏廻さんの後ろから、一応俺は社会通念に則った挨拶をして部屋へ足を踏み入れた。
 広い部屋の中を見渡すと、デスクに座る母さんは当然として、ソファには姉ちゃんと優斗さんの姿まであった。二人とも、これから何が行われるのかをすべて知っている顔をしていた。
「――準備は、できています」
 母さんは俺の顔を見ると静かにそう告げ、椅子から立ち上がった。そして、部屋の隅にある、装飾も何もないただの白い壁へと歩き出す。
 何をするんだ? あんな壁に何かあるのか?
 俺が不思議そうに見つめる中、母さんがその壁にそっと掌を触れさせた。
 瞬間、淡い光の波紋が広がり、そこにあったはずの強固な壁が、まるで幻影だったかのように煙のように消え去った。
 なるほど、隠し扉、秘密の部屋ってやつか。そんな大がかりなギミックがあるなんて、流石は学園長室だ。案外、この学園には他にもこういう隠し部屋があったりするんだろうか。
「ついてきてください」
 母さんは凛とした声で言い、現れた暗い通路の奥へと入っていった。
 その後に優斗さん、姉ちゃん、烏廻さんが続き、最後に俺が潜り込む。
 通路の奥にあったのは、ワンルームの部屋よりも一回りほど広い、石造りの密室だった。
 そしてその部屋の床には、複雑で緻密な、不気味なほど美しい魔法陣が赤黒い光を放ちながら描き出されていた。
「よし、桐宮。そこの中心に座れ」
 烏廻さんが顎で魔法陣の中央を指し示す。
 俺はその指示に従い、ゆっくりと歩みを進めて魔法陣の真ん中へと行き、あぐらをかいて腰を下ろした。
「ええと……この魔法陣は、一体何なんですか?」
「お前の意識を強制的に切り離し、精神世界へとダイブさせるための術式だ」
 なるほど、これを経由して、俺は奴のいる深層意識へと向かうわけか。
「……ここまできて聞くのも野暮だが。本当に、大丈夫だな?」
 烏廻さんの目が、射抜くような鋭さを帯びる。最後の最後、俺の覚悟をもう一度確認するための問いだ。
 俺はそれに対し、一切の気後れなく、力強く頷いてみせた。
「隼人」
 不意に優斗さんに名前を呼ばれ、俺は振り向く。
「俺は、お前を信じてるからな」
「私もよ、隼人」
 優斗さんの言葉に続き、姉ちゃんもエールをくれた。
「……二人とも、ありがとう」
「隼人。私も、この二人と同じ気持ちよ」
 今度は母さんが、学園長としての顔を崩し、一人の母親としての優しい微笑みをこちらに向けてくれた。
「あなたなら大丈夫。だって、あなたは私と、あの人の息子なのだから」
 偉大な両親の血。その言葉が、俺の胸に確かな自信を灯してくれる。
「――おい桐宮。大事なことを忘れてた」
 しんみりとした空気をぶち壊すように、烏廻さんが意地の悪い笑みを浮かべて口を開いた。
「もうすぐ学園の定期テストがあるからな」
「……は?」
 この状況、このタイミングで、まさかのテストの話!? この人、本当に空気読まないな!
「ちゃんと生きて帰ってきてテスト受けねえと、容赦なく0点にするからな。赤点取ったら、地獄の補習が待ってるぞ~」
「っ……!」
 本当にこの人は相変わらずだ。思わず緊張が抜けて脱力してしまった。だけど、そのおかげで肩の余計な力がすっと抜けていくのが分かる。クソ、意図してやってるなら本当に憎たらしいな。でも、ありがたかった。
「んじゃ、目を瞑れ。――今からお前を、精神世界に放り込む」
 烏廻さんが短く呪文を唱え始めると同時に、床の魔法陣が爆発的な輝きを放ち始めた。俺は言われた通り、静かに両目を瞑る。
「……死ぬなよ、桐宮」
 最後に耳に届いたのは、いつもより低く、そしてどこか祈るような烏廻さんの声だった。
 そこから、周囲の音が完全に消失した。
(分かってますよ。ちゃんと生きて、みんなのところに帰ります)
 俺は心の中で、その言葉への返事を返した。
 ……それにしても、いつまで目を瞑っていればいいんだ?
 もう開けてもいいのか? 周りは静かだし、もう大丈夫だよな?
 おそるおそる閉じていた目を開けると、そこには以前にも訪れたことのある、あの果てしなく広がる草原、俺の内面世界の景色が広がっていた。
「さて……あいつはどこにいるんだ?」
 静寂が支配する空間を見渡すが、人影は見当たらない。
「――後ろだ」
 鼓膜を揺らす冷徹な声。
 俺の背後から突然響いたその声に、俺は心臓を跳ね上がらせながら勢いよく振り向いた。
 前もそうだったけど、なんで一々後ろに立つんだよ! 心臓に悪いから本当にやめてほしい。
「それで? わざわざ自分の自我を消されに、のこのこと何をしに来たんだ」
 そこにいたのは、俺と同じ姿をしながら、禍々しいオーラを放つ化け物――『アース』だった。
 というか、こいつ、俺がここに来た目的を絶対に分かっていて、楽しむように聞いてきている。
「そんなの、決まってんだろ」
 俺は怯えを押し殺し、奴を真っ直ぐに睨みつけた。
「お前に勝つために来たんだよ」
「……ほう」
 アースは端正な顔を歪め、不敵で、どこか小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。
「随分と、面白い冗談を言うようになったな」
「冗談なんかじゃない。本気だ」
「お前がオレに勝つ? フハッ、そんなこと天地がひっくり返ってもあり得ない。お前自身が、自分の無力さを一番よく分かっているはずだ」
「……そんなの、実際にやってみねえと分かんねえだろ!」
 こいつの、圧倒的な強さは、これまでの戦いで嫌というほど知っている。だけど、それが俺がここで諦めて、無抵抗に負ける理由にはならない。
「無駄な血を流すより、オレに身体を明け渡す話し合いでもした方が、お前にとってはまだ有意義だと思うがな」
「……お前、今さら話し合いに応じる気なんてあんのかよ?」
「あると思うか?」
 薄笑いを浮かべながらそう返すアース。だろうなとは思ったけど、だったらわざわざ煽るようなことを言うな。
「さて……それじゃあ、そろそろ始めようか。お前の絶望の時間をな」
「……本当に、俺が勝ったら、大人しく俺の力として契約するんだな?」
「安心しろ、オレは嘘はつかない。お前がオレに勝てば、の話だが……その時は、格下のお前とでも喜んで契約を結んでやろう」
 アースは腕を組み、どこまでも余裕の笑みを浮かべて俺を見下ろしている。武器を構える素振りすら見せない。
 ――ふぅ、と深く息を吐き出す。
 これで、俺の運命が決まる。いや、俺だけじゃない、みんなとの未来が決まるんだ。
 大丈夫だ。今の俺には、背中を押してくれた仲間たちがいる。信じてくれる家族がいる。俺のすべてを、ここに出し尽くす。
「灰燼と化せ――〈レーヴァテイン〉!!」
 俺が叫ぶと同時に、深紅の炎が手の平に集い、俺の愛刀がその姿を現した。刃が放つ熱い輝きを宿しながら、俺はアースをしっかりと見据える。
「……お前、武器は構えないのか?」
「必要ねぇよ。お前相手にな」
「……そうか。なら、後悔するなよ」
 こいつが俺を侮り、油断している最初の瞬間こそが、最大のチャンスだ。
「行くぞ、アース――ッ!!」
 俺は魂の底から叫ぶと同時に、精神世界の地面を力強く蹴り、アースへと駆け出した。