魔力の少ない魔法使い

「ハァ……ッ、ハァ……ッ!」
 グラウンドに八雲の荒い呼吸だけが響いていた。あれほど獰猛だった男が、今は如意棒を地面に突き立て、それを辛うじて支えにすることで片膝をついている。全身の筋肉が悲鳴を上げ、視界が激しく明滅していた。
「もう限界か? 口ほどにもないな」
 その目の前には、傷一つない姿で傲慢な笑みを浮かべている金眼の男が立っている。
 八雲はもう、八雲はもう、激しい息切れでまともに言葉も出ない。ただ、血と土に汚れた顔で、目の前の怪物を鋭く睨みつけるのが精一杯だった。
「ま、人間にしてはそれなりに楽しめた。そろそろ終わりに……」
 金眼の男は冷酷に手をかざしかけた――が、突如として言葉を途中で切り、ピキリと動きを止めた。先程までの凶悪な笑みがスッと消え、不愉快そうに眉間に深いシワを寄せる。
(チッ……もうお目覚めかよ。久しぶりの外だからって、ちょっとはしゃぎ過ぎたな)
 急に黙り込んで自分の胸元を睨み始めた様子に、八雲は息を切らしながらも不可解そうな表情を浮かべた。
(だが、お膳立ては十分にやってやった。この状況なら、あとはどうとでもなるだろ)
 男は不敵に口元を歪めると、隼人の武具召喚を強制的に発動させた。さらに、サラマンダーまで呼び出す。
「オマケまで召喚してやったんだ……。あとは泥臭く頑張れよ、桐宮隼人」
 男は自分にしか聞こえない極小の声でそう呟くと、フッと糸が切れたようにその場に俯いた。金の輝きが瞳から消え去り、元の深みのある黒い瞳へと戻っていく。
「……ん?あれ?」
 脳を強打されたような強烈な眩暈。
 俺は何をしていたっけ? そう思いながら、俺は俯いていた顔をゆっくりと上げ、混乱する頭で辺りを見渡そうとした。
「おい、無事だったか隼人! それにしても、こんな短時間で、もう一度俺を呼び出せるとはな!」
 すると突然、すぐ横からよく知る太い声で話しかけられた。
「へ? サラマンダー……!? なんで、お前がここに……?」
「はあ? 何寝ぼけたことを言っているんだ。馬鹿なことを言ってないで、いつものアレをやるんだろ!」
 サラマンダーは呆れたようにそう告げると、凄まじい熱量を放ちながら光輝く炎の剣へと姿を変えた。訳が分からない。分からないが、俺の身体は本能的に、空いていた左手でその柄をしっかりと掴んでいた。
 確か、俺は八雲と闘っていて……そうだ、あいつの変幻自在の如意棒に追い詰められて、鳩尾に一撃を喰らって。そこから急に意識が遠のく感じがして――そっから、どうなったんだ?
 今度こそ明確に周りを見渡すと、数メートル先で、満身創痍の八雲が膝をついてこちらを鋭く睨みつけていた。
 ……なんで、八雲が膝をついてるんだ?
 あんなに圧倒的だったあいつが、肩を激しく上下させて、息も絶え絶えでボロボロになっている。まさか、俺がやったのか……?
「……あ? チッ、元に戻ったのかよ」
 八雲は忌々しげにそう呟くと、如意棒をきしらせながら、ゆっくりと、執念だけでその場に立ち上がった。
「元に戻ったって、どういう意味だ? てか、なんでお前がそんなにボロボロなんだよ!?」
 俺は八雲の言葉の意味が1ミリも理解できなかったので、素直に問いかけた。気絶していた間に何が起きたんだ。
「……別に、テメェには関係ねえよ」
 八雲はひどく不機嫌そうな顔で、ツンと視線を逸らして返してきた。
 いや、関係ないことはないだろ、俺たちは今まさにタイマンで戦っていた真っ最中なんだぞ。何がどうなってこうなったのか、全く状況がつかめない。
「……んなことより、桐宮。構えなくていいのかよ?」
「――っ!?」
 八雲の眼光が鋭さを増す。反射的に「攻撃が来る」と身構えた俺は、我に返って慌てて双剣を構えた。
 だが――八雲は一向に動く気配を見せなかった。ただ、じっと俺の目を見つめている。
「……お前は、何のために闘ってるんだ」
 重い口を開いたかと思うと、八雲は戦いの最中とは思えない、妙に真面目な問いかけを俺に投げかけてきた。
「急に、なんだよ」
「いいから答えろ」
 有無を言わさない迫力に押され、俺は少し気恥ずかしさを覚えながらも、胸の奥にある本音を言葉にした。
「……あいつに、玲奈に『絶対に勝つ』って約束したからな」
 脳裏に、あの勝気で綺麗な金髪の幼なじみの顔が浮かぶ。
「それに……俺はみんなの思いを背負って、頼りないながらもリーダーをやってるんだ。こんなところで、無様に負けるわけにはいかねえ。だから、俺は闘う」
「…………」
 八雲は俺の真っ直ぐな答えを聞いても何も言わず、ただ腕を組んで無言でそれを受け止めていた。
「……そういうお前こそ、なんでそこまでして闘うんだよ?」
 沈黙に耐えかねて、今度は俺から問い返してみる。まあ、こいつのことだ、大体の答えは予想がついているけれど。
「闘うのが好きだからに決まってんだろ。特に、テメェみたいな骨のある強え奴とな」
 ニヤリと、いつもの野性味溢れる凶悪な笑みを浮かべて八雲が答えた。うん、知ってた。知ってたよ。本当にこいつらしい。
「……それと、な。俺の勝利を、馬鹿みたいに信じてくれてる奴が、あそこにいるみてぇだからな」
 今度は一転して、驚くほど真剣な顔つきになり、八雲はチラリとグラウンドの端の暗がりに視線を向けた。
 釣られて俺もそっちを見てみると、そこには心配そうにこちらを見守る一ノ瀬と――なぜか、その隣で飄々と佇んでいるルイの姿があった。
 あいつ、なんでここにいるんだ? まあ、ルイのことは後だ。今は目の前の男に集中する。
「意外だな。お前がそんな、仲間を意識するようなこと言うなんてさ」
「あ? 勘違いすんな、別にただのおまけだ、おまけ」
 俺が少しからかうように言うと、八雲は図星を突かれた子供のように、途端に不機嫌な顔になった。
 おまけ、ね。……案外、あいつにとっては闘いを楽しむ方が「おまけ」で、一ノ瀬たちの信頼に応えることこそが本命なのかもしれないな。
 ま、どちらにせよ、お互いに背負っているものがあるなら。
「負けられねえな、八雲」
「ああ、そうだな、桐宮」
 ほんの数十秒の会話だったが、言葉を交わしたことで俺の呼吸も少しだけ落ち着いた。とは言ってもそれは八雲も同じで、奴の激しかった呼吸も、先ほどよりはいくらか落ち着いている。お互い、次の激突が本当に最後になる。
「これで最後だ……行くぞ、桐宮ァ!!」
 八雲が激しく地面を蹴り、残された力を振り絞るように突進してくる!
「来い、八雲っ!!」
 対する俺は、敢えて動かずにその場に踏みとどまり、八雲の全力を迎え撃つことにした。……いや、正直なところ、さっきのダメージが残っていて体がまともに動かないから、受けるしかないってのが本音だけどな!
 八雲は跳躍し、頭上から親の仇と言わんばかりの猛烈な勢いで如意棒を振り下ろしてきた。
「――くっ、そぉッ!!」
 俺は『レーヴァテイン』と『サラマンダー』の双剣を頭上でクロスさせ、その一撃を必死に受け止める。
 キィィィィィンッ!と鼓膜を劈くような金属音が響き、凄まじい衝撃が両腕を伝って地面へと抜けていく。
 重い。だが、それだけじゃない。
 押し合っている最中だというのに、八雲の如意棒からかかる圧力が、じわじわと、しかし確実に増大していくのだ。メキメキと俺の膝が強制的に折られ始める。
 どうなってんだ……!? あいつ、腕力だけで俺を押し潰す気か!?
「……まさか、これ、重さが変わってんのか……!?」
「ハッ、大正解だ! 言っただろ、こいつは自由自在だってな……長さも太さも、そして『重量』もなァ!!」
 如意棒そのものの重さを変化させているのか!
 まるで巨大な鉄塊を上から押し付けられているような重さだ。このままじゃ、武器ごと地面に叩き潰される。
「もう限界だろ、桐宮! 俺の勝ちだァッ!!」
 さらに如意棒が重くなっていく。腕の骨がミシミシと悲鳴を上げ、視界が屈辱で赤く染まりかける。
 ――いや、負けるわけにはいかねえ。俺は、玲奈と約束したんだ。みんなの期待を背負って、ここに立ってるんだ!
「俺は……絶対に、負けらんねえんだよぉぉぉッ!!」
体内に残された最後の魔力を、根性ごと絞り出すように一気に解放する!
 先程まで一方的に押し込まれていた双剣に、爆発的な力が宿る。
「なんだと……っ!?」
 まだだ、まだ出し切ってねえ! 最後に立っているのは、俺だッ!!
「てめぇのどこに、こんな力が残ってやがる……っ!?」
 驚愕に目を見開く八雲を、俺の双剣が徐々に、しかし確実に上方へと押し返していく。
「俺が、絶対に勝つッ!!」
 雄叫びと共に、俺は全身の力を込めて双剣を振り上げた。
 ガギィィィンッ!!!
 超重量の如意棒が強引に弾き返され、大きく体勢を崩した八雲の身体が、無防備に後ろへと仰反る。胸元が完全にガラ空きになった。
(ここだ……ここしかないっ!!)
 俺は全ての魔剣の輝きを刀身に集束させ、最後の特攻へと移る。
「チッ……てめぇの勝ちだ、桐宮」
 肉薄する俺の刃を前に、八雲は悔しげに舌打ちをした後――どこか、妙にスッキリとした、満足そうな表情を浮かべてそう微笑んだ。
「双炎剣参ノ型――【灼炎閃(しゃくえんせん)】ッ!!」
 右下から左上、そして左下から右上へと、十字を描くように双剣を斜めに激しく振り上げる。
 紅蓮の炎を纏ったクロス斬撃が、無防備な八雲の胸元へと完璧に直撃した。
 ――パキッ。
 舞い散る炎の中、八雲の腕につけられた腕時計型デバイスから、小さな破砕音が響いた。
 それと同時に、俺の中で張り詰めていた糸も完全に切れた。
 両手の剣が光の粒子となって消え去り、俺はその場に大の字になって、仰向けでバタンと倒れ込んだ。
「ハァ……ハァ……。勝った、んだよな……っ」
 動かない身体に鞭を打ち、首だけを横に傾けて八雲の方を見る。
 あいつも同じように地面にへたり込み、座り込みながらこちらを見ていた。バチッと視線が交差する。
「……ククッ、こんな満身創痍のボロボロの奴に、最後に力負けしてやられるとはな……」
「確かに……。八雲の言う通り、俺の方がよっぽど見た目はボロボロだよな……」
 全身の痛みに耐えかねて顔を歪めながらも、俺は八雲に向かって小さく笑いかけた。
「どっちが勝ったか、これじゃ客観的には分かんねえな……」
 俺の冗談に、数秒の間、無言だった八雲が真剣な面持ちで口を開いた。
「……桐宮。お前、途中で――」
『E組リーダーの腕時計が破壊された為、勝者はC組です』
 八雲が何かを言いかけたその瞬間、無情にもグラウンド全体に響き渡る機械的なアナウンスが流れ、その言葉は掻き消されて邪魔をされた。
「ん? 今、なんて言いかけたんだ?」
「……いや、なんでもねえよ。気にするな」
 八雲は立ち上がろうとしながら、首を振ってそれ以上言おうとしなかった。
 直後、俺たちの足元の地面から淡い光を放つ魔法陣が出現し、優しく身体を包み込んでいく。終了に伴う転送魔法だ。
 ゆっくりと光が強くなり、俺たちの周りのグラウンドの風景が、粒子となって書き換わっていった。