魔力の少ない魔法使い

「……一体、彼は何者なの」
 隼人と八雲が死闘を繰り広げているグラウンドから少し離れた暗がり。その戦いの行く末を静かに見つめていた一ノ瀬の口から、ポツリと疑問が漏れ出た。
風が吹き抜け、彼女の艶やかな黒髪が揺れる。だが、その整った顔立ちに普段の冷静さはなく、僅かな焦燥が張り付いていた。
途中までは間違いなく、八雲が圧倒的に優勢だった。だが、隼人の様子が急変したあの瞬間から戦況は一転し、今やあの規格外の強さを誇る八雲が、ただ一方的に蹂躙されている。
 その信じがたい光景に、現状で何が起きているのかを正確に把握することはできなかった。
 そして今、一ノ瀬の目に映っているのは、八雲が起死回生で放ったゼロ距離の最上級魔法をモロに受けてなお、全くの無傷で土煙の中から現れた隼人の姿だ。
 その眼窩には、本来の彼にはないはずの、黄金色に禍々しく輝く瞳が宿っている。
(……あれは、桐宮君じゃない。彼と同じ顔をした、全く別の『何か』だわ)
 一ノ瀬の脳裏に、ぞっとするような推論がよぎる。
 あれが得体の知れない化け物なのだとしたら、いくら八雲でも危ない。彼女がそう思考を巡らせている間にも、目の前で繰り広げられる戦いは、ますます一方的なものになっていた。
(このままじゃ、八雲がやられる……!)
 そう直感した一ノ瀬は、武器を顕現させ、助太刀に入るべく、一歩を踏み出した。
「おや? 行かれるのですか?」
 ――ビクッ。
 その瞬間、背後の全くの死角から、唐突に男の滑らかな声が鼓膜を打った。
「!?」
 一ノ瀬は心臓を鷲掴みにされたような驚きを覚えながらも、すぐさま鋭く後方へと跳躍して距離を取り、構える。
「あ、私は闘うつもりはありませんよ? どうか落ち着いてください」
 一ノ瀬の背後に音もなく現れた男子生徒は、降参を示すように両手を軽く胸の高さまで上げ、敵意がないことをアピールした。
水色の長い髪が、風にサラリと靡く。
「……あなた、確かエスクード君だったわね?」
「ええ、そうですよ」
 一ノ瀬の冷たい確認に、ルイ・エスクードは悪びれる様子もなく、にこやかに肯定した。
「背後を取られたのですから、警戒するのも無理はありませんが……もし私が貴女と闘うつもりなら、わざわざ声をかけたりしませんよ。不意打ちすれば済む話ですからね」
「……分かったわ」
 ルイの全く隙のない立ち姿と、その言葉にも一理あると判断した一ノ瀬は、警戒を解ききらないまま武器をスッと消散させた。
「なら、何故わざわざ声をかけたの?」
「ああ、それはですね。貴女があの戦いに加勢しようとしていたように見えたので」
「私が味方に加勢するのに、何か問題でもあるのかしら?」
 自分の行動を監視していたかのような物言いに、一ノ瀬は苛立ちを隠さずルイを鋭く睨みつける。
「問題はありませんが……貴女が加勢した所で、『アレ』に勝てるとは到底思えませんので。一応確認してみたのですよ」
 露骨に不機嫌な態度を見せる一ノ瀬に対し、ルイは相変わらずの胡散臭い笑顔を崩さず、淡々と残酷な事実を突きつけた。
「…………」
 一ノ瀬は無言のまま、氷のような視線でルイを睨みつける。
「おや、機嫌を悪くされたなら謝ります。……ですが、これは事実です。今、誰がどう加勢しようとも、結果が変わることはないと思いますよ」
 ルイは一ノ瀬から視線を外し、遠くで一方的な蹂躙劇が続く戦場を眺めながら、確信めいた声でそう言い切った。
「……それは、そうね」
 一ノ瀬は悔しげに目を伏せ、ルイの言葉を肯定せざるを得なかった。あの金眼のバケモノから放たれる凄まじい魔力は、離れたこの場所にいても肌がひりつくほどだった。
「……一つ、質問しても良いかしら?」
「ええ、いいですよ。何でしょう」
「『彼』は何者なの? ……少なくとも、いつもの桐宮君じゃないわよね?」
 一ノ瀬は、先ほどからまるで全てを悟っているかのようなルイの態度を見て、彼ならばあの異常事態の正体を知っているはずだと判断して問い詰めた。
「さあ? 私には何のことやら。何も知りませんよ?」
 しかしルイは、初めからその質問が飛んでくることが分かっていたかのように、肩をすくめて即答した。
「……教えてくれないのね」
「本当に、何も知らないんですよ」
 困ったように笑みを浮かべ、わざとらしく首を横に振るルイ。その態度は、明らかに何かを隠している者のそれだった。
「分かったわ。だったら質問を変える。……あなた自身は、一体何者なの?」
 一ノ瀬は、あの金眼の正体についてこれ以上問答しても、この男は絶対に口を割らないと判断し、矛先をルイ自身へと向けた。
 気配を完全に殺し、自分の背後を取った技量。この異常な状況下でも一切乱れない飄々とした態度。一ノ瀬は、目の前の水色の髪の少年が『ただの学生』であるはずがないと確信していた。
「何者、と言われましても。ご覧の通り、しがないただの学生ですが?」
「…………」
「…………」
 人を食ったようなルイの返答に、一ノ瀬が無言で射殺すような視線を送ると、ルイもまた貼り付けたような笑顔のまま、無言でそれを受け止めた。
 火花が散るような、重く息苦しい沈黙が二人の間に降りる。
「……はぁ。分かったわ。あなたにはもう何も聞かない」
 これ以上何を追及しても暖簾に腕押しで、まともな答えは返ってこないだろう。一ノ瀬は小さくため息を吐き、足掻くことを諦めた。
「……行かれないのですか?」
 追及をやめ、再び二人が闘っている方向へ向き直ったまま立ち尽くす一ノ瀬の横顔に、ルイが問いかける。
「ええ、行かないわ。……勘違いしないでね。あなたに止められたからじゃないわよ。私は信じているから。あの八雲焔が、あんな所で無様に負けるはずがないって」
 凄惨な戦場を見つめながら、一ノ瀬は自分自身に言い聞かせるように、力強くそう断言した。
「なるほど」
 その揺るぎない言葉に、ルイは短く感心したように頷く。
「あなたこそ、桐宮君……いえ、あのバケモノに加勢する気はないのかしら?」
 一ノ瀬は視線を前に向けたまま、チクリと棘を含ませて問い返す。
「ええ、加勢は不要です。私も信じていますから……『彼』なら、必ず勝つと」
 その時、ルイの顔からいつもの胡散臭い笑みがスッと消えた。
 真剣な、それでいてどこか冷酷な光を宿した瞳で、ルイは戦場の中央で暴れ回る金眼の存在をじっと見つめていた。
「…………」
 一ノ瀬は、これまで見せたことのないルイの底知れない表情と、その言葉の真意を測りかねて沈黙する。
 もはや誰にも止められない死闘の行く末を、二人はそれぞれの想いを抱えながら、ただ静かに見守り続けていた。