魔力の少ない魔法使い

――カキィィンッ!!
 火花が夜の闇を散らした。女子生徒が獣のように低い姿勢から跳躍し、渾身の力で振り下ろした短刀。それを、黒崎は手にした大型スナイパーライフルの強靭な銃身で、寸分の狂いもなく受け止めていた。
「あなた、長距離狙撃手(スナイパー)のくせに……こんな至近距離の接近戦で動けるなんてね。それなら最初から、剣とか小回りの利く武器の方が合ってるんじゃない?」
 自分が最も得意とする間合いへ持ち込んだと確信していた女子生徒は、予想外の強固な抵抗に目を丸くしながら言い放った。接近戦に持ち込めば、長くて重い銃などただの邪魔な棒切れになるはずだったのだ。
「……」
 対する黒崎は、相変わらず感情の読めない対する黒崎は、相変わらず感情を表に出さず、無言を貫く。を貫く。
 彼は腕力で押し返すのではなく、ライフルのストックを巧みに滑らせて短刀の刃をいなすと、その反動を全身のバネに伝え、空気を裂くような鋭い回し蹴りを繰り出した。
 鋭い回し蹴り。しかし、女子生徒もまた接近戦を得意としていた。しかし、女子生徒もまた接近戦のスペシャリストだった。すぐさま俊敏なバックステップを踏み、間一髪でこれを回避する。
「……」
 黒崎は無言のまま女子生徒を静かに見据えると、不意に構えを解いた。そして、自身の武器をしまう。
「……それは、どういうつもりかしら?」
 女子生徒は目を細め、油断なく短刀を構え直しながら黒崎を睨みつけた。自らリーチの長い武器であり、盾でもある銃を手放すという行為が、彼女には「完全な舐めプ」にしか見えなかったのだ。
「使わない方が、闘いやすい」
 黒崎は短くそう呟くと、すり足で静かに前へ出た。
 左腕を折り曲げて顔の前に出し、右腕はしっかりと脇を締めて拳を握る。そして右足をわずかに後ろに引き、重心をスッと落とした。彼の着ている純白のシャツと、きっちりと結ばれた赤いネクタイが夜風に揺れる。
 それは無駄の一切を削ぎ落とした、洗練された徒手空拳の構えだった。
「ふーん、なるほどねっ! 武器を捨てて、肉弾戦で私に勝とうってわけね。いい度胸じゃない!」
 女子生徒は好戦的な笑みを浮かべ、女子生徒は好戦的な笑みを浮かべ、勢いよく地面を蹴って黒崎へ斬りかかった。右手で逆手に握った短刀を、袈裟懸けに鋭く振り下ろす。
 黒崎は全く動じない。迫る凶刃を左手の手刀で円を描くように柔らかくいなすと、ガラ空きになった女子生徒の顎をめがけ、鋭い踏み込みと共に右の正拳突きを突き出した。
「っと、危ないっ!」
 女子生徒は首を僅かに傾け、頬を掠める拳を紙一重で躱す。そのままの体勢で踏み止まり、空いている左手を黒崎の腹部へと向けた。
「【ストーン・ブレット】ッ!」
 至近距離から無詠唱で放たれた、散弾のような無数の石の弾丸。
 黒崎は即座に右足で地面を強く蹴り、真横へと大きく跳躍してその魔法の直撃を避けた。しかし完全には避けきれず、彼の白いシャツの袖が数発の石弾に掠められ、微かに布地が破れて血が滲む。
「さっきの打撃のいなし方も、今の無駄のない構えもそうだけど……あなた、空手でも習っていたのかしら?」
 無音で着地し、小さく息を吐く黒崎に対し、女子生徒が探るように尋ねる。
「……少しな」
「やっぱりね。素人の動きじゃないと思ったわ」
 黒崎はすぐさま体勢を立て直し、先程と同じく静かで岩のような構えをとった。
「でもまあ、あたしには武器があるし、魔法も使える。手数の面でも圧倒的に有利よね。攻撃あるのみよ!」
 女子生徒は地面を蹴り、再び黒崎へ斬りかかる。
 短刀の鋭い連撃と、それを素手で捌き、的確な反撃の打撃を叩き込む黒崎。幾度となく二人の激しい攻防が中庭で交錯する。打撃音と金属音、そして互いの荒い呼吸だけが響き渡る、息詰まるような互角の闘い。
「ちょっと、こっちは接近戦が『得意分野』だってのに……頭にくるわね!」
 幾ら手数を増やし、フェイントを織り交ぜても決定打を与えられない。本来、遠距離からの狙撃が専門であるはずの黒崎と、自分の最も得意とする間合いで互角であることが心底気に入らず、女子生徒は苛立ちの声を上げた。
「……俺も、苦手ではない」
 黒崎は表情一つ変えず、飛んでくる斬撃を最小限の動きで避けながら、淡々と一言だけ返す。
 永遠に続くかと思われた二人の凄絶な攻防の結末は、唐突に訪れた。
「……お前の攻撃の軌道、癖、踏み込みの深さ。全て見切った。もう当たることはない」
「だからなんだっての! あんたの攻撃だって、あたしには一発もクリーンヒットしてないじゃない!」
 黒崎の冷徹な宣言に、女子生徒は負けじと言い返す。確かに、黒崎の打撃も彼女の決定的な急所は捉えきれておらず、決定打には欠けていた。
「……」
 黒崎は再び沈黙し、怒りに任せて大振りになった女子生徒の短刀の刺突を、最小限の動きでいなした。
 だが、今回は今までのように「打撃」による反撃には出なかった。
 彼は刃を外側へ逸らした瞬間、相手の強い踏み込みをそのまま利用して、一気に懐深くまで潜り込んだ。右手で女子生徒の紺色のブレザーの胸ぐらをガッチリと掴み、左手で短刀を持つ彼女の右腕を深く、逃げ場のないように抱え込む。
「えっ……!?」
 打撃が来ると予想していた女子生徒が驚く間も与えず、黒崎は自身の背中に女子生徒の身体を密着させ、腰を限界まで深く落とした。そして、全身のバネと相手の突進の勢い、そのベクトルを完全にコントロールして、前方へ円を描くように大きく投げ飛ばす。
 一切の淀みない、完璧なタイミングでの『背負い投げ』。
「……ッ!!」
 天地が激しく逆転し、女子生徒の身体は中庭の硬い石畳へと容赦なく叩きつけられた。
 ドゴォォォンッ!という重い衝撃音が響き、肺から空気が強制的に押し出される。一瞬、彼女の意識が白く飛び、手から短刀がカランと音を立てて転がり落ちた。
 ――パキィッ!
 女子生徒が痛みに顔を歪め、反撃に移ろうとするより早く、黒崎は地に伏した彼女の腕にある腕時計型デバイスを、踵で無情に踏み砕いた。
「……」
 勝負あり。中庭に、再び夜の冷たい静寂が戻った。
 女子生徒は何が起きたのかすぐには脳が理解できず、仰向けのまま数秒間、冷たい石畳の上で固まっていた。
「……あーあ。あたし、負けたのね」
 ようやく状況を飲み込み、痛む背中を庇いながら額に手を当てて、深くため息をつくように呟いた。
「てか、あんた。空手以外にも、柔道もやってたのね。あの手際の良さと重心移動、反則でしょ」
「……少しな」
「……絶対、他にも何かやってるでしょ。その言い方」
 空手の時と全く同じテンションの答え方に、女子生徒は胡乱な目を向けて黒崎をジロリと睨んだ。
「……それは秘密だ」
 黒崎は数秒の沈黙の後、冗談なのか本気なのか分からない、大真面目な顔のままそう答えた。
「やってんのね……。まあ、何やってるかはもう聞かないけど。なんだか悔しいし、あたしも剣術以外に何か体術習おうかな」
 女子生徒の身体が、淡い光の粒子に包まれ始めた。転送の合図だ。
「今度会った時、おすすめの武道教えなさいよ!」
 女子生徒は負け惜しみのような、しかしどこか憑き物が落ちたようなスッキリとした笑顔を黒崎に向け、そのまま光の中に溶けて消えていった。
 黒崎は彼女が消えた空間を少しだけ見つめ、乱れたネクタイと襟元を正して小さく息を吐き出した。
(……エスクードなら心配はないだろうが。加勢に来なかったということは、向こうはまだ終わってないのか)
 黒崎は周囲の気配を鋭く探る。
「……とりあえず、合流しに行くか」
 黒崎は白シャツの袖についた埃を軽く払い落とすと、ルイが向かったはずの方角へと静かに歩き出した。