魔力の少ない魔法使い

――ドゴォォォォンッ!!
 鼓膜を揺らす轟音と共に、廃校舎の廊下に雷光が炸裂した。
「……くそ、なかなか近づけねぇな!」
 男子生徒は、焦げた匂いが立ち込める爆煙の中から後方へと飛び退いた。
 前方には、感情を一切表に出さず、ただ淡々と杖を構えるティオナが立っている。彼女が指先を僅かに動かすたび、高速の魔力弾や鋭い雷の矢が、絶え間なく放たれていた。
「それにしてもこいつ、どれだけ魔力があるんだよ……さっきから手当たり次第に魔法をぶっ放してやがるってのに。それも全部、無詠唱だと?」
 男子生徒は、額から流れる汗を手の甲で拭い、歯噛みした。
 普通、高等魔法を使えば魔力の充填に時間がかかるか、呼吸が乱れるものだ。しかしティオナは、まるで呼吸をするかのように平然と魔法の嵐を形成している。
 ティオナが静かに、だが重みのある声を紡いだ。
「……天に轟く雷鳴よ。怒り狂いて雷神の裁きを与えん。――【雷神の怒り】」
 初めての長い詠唱。
 直後、ティオナの頭上に魔法陣が展開され、そこから眩い雷撃が放たれた。
男子生徒は咄嗟に壁を蹴り、横へ跳ぶ。直後、先ほどまで立っていた場所へ雷撃が直撃し、床石が大きく抉られた。
「っぶねぇ……! まともに食らったら、一発で時計を壊されてたな……これはちょっと相手が悪いか」
 男子生徒は、破壊された廊下の惨状を見て苦笑いを浮かべた。
「でもまあ、ここで諦めるわけにはいかねぇよな。仲間に顔向けできねぇしよ!」
 男子生徒は重心を低く構え、槍を強く握りしめると、ティオナに向かって一気に走り出した。
 ティオナは動じない。彼女は近づいてくる標的を冷徹に見据えたまま、さらに魔法の密度を上げた。火炎弾、風の刃、雷弾。属性の異なる魔法が次々と男子生徒へ放たれる。
 男子生徒は、最低限の動きでそれを避けていく。頬を掠め、肩の布を焼かれながらも、一歩、また一歩と距離を詰めていく。だが、ティオナの放つ魔法の回転速度がさらに上がった。
「……チッ、仕方ねぇ! 何発かは覚悟の上だ!」
 これ以上すべてを避けるのは無理だと判断し、男子生徒は急所だけを庇った。多少の被弾は覚悟の上で、足を止めずに突き進む。
「……」
 ティオナの、感情の抜け落ちた人形のような表情が、僅かに曇る。
 死を恐れぬような、その捨て身の突撃。
「ッ……ぐぁぁ! なんとか、近づくことができたぜ!」
 雷の残撃が全身を焼く激痛に耐え抜き、男子生徒はついにティオナの目前まで肉薄した。彼は渾身の力を込め、手にした槍を大きく横へと振り抜く。
 鋭い穂先がティオナの喉元を狙う。
 ティオナは反射的に身を引くが、男子生徒の執念が僅かに上回った。槍の先端がティオナの制服の腹部を鋭くかすめ、鋭利な金属が布地を切り裂く。
「これで終わりだと思うなよ!」
 やっとの思いで手繰り寄せた千載一遇のチャンス。男子生徒はここで勝負を決めようと、槍による怒涛の連続突きを繰り出した。
 シュッ、シュッ! と空気を切り裂く音。
「……ッ」
 魔法使いであるティオナにとって、至近距離での槍の連撃は死線そのものだった。彼女はその攻撃を完全には凌ぎきれず、身体を掠める槍先によって服の各所が破れ、白い肌に赤い線が刻まれていく。
「……属性付加【雷】」
 ティオナが小さく呟いた。
 その瞬間、ティオナの身体を黄金の稲妻が包む。強化された脚力で床を蹴り、槍の間合いから素早く離れた。
「……やっぱり属性付加も使えるか」
 一瞬の驚きを見せた男子生徒だったが、すぐに表情を引き締めた。あれほどの魔法を使いこなす彼女だ。身体能力を強化する魔導も習得していて当然だ、と納得したのだろう。
「でも、使えるのはお前だけじゃないぜ」
 男子生徒の槍と脚にも黄金の稲妻が纏わりつく。彼もまた雷の属性付加を使い、逃れようとするティオナへ食らいついた。
 これが意味するのは、二人の間の機動力の差が再びゼロに戻ったということだ。どれほどティオナが雷の速さで離れようとしても、同じ雷の速さで男子生徒が食らいついていく。
 一度でも懐に入られれば、詠唱の時間も、広域魔法の展開も間に合わない。
「……」
 それでも、ティオナは表情を崩さない。
「その無表情、いつまでもつかな!」
 男子生徒が再び地面を蹴る。稲妻を纏った槍が、一瞬でティオナの胸元へ迫る。
 しかし、ティオナは冷静に、盾代わりの魔法障壁を展開してそれを阻んだ。
 ガギィィンッ! と、槍と魔法障壁が激突し、甲高い音が廊下に響いた。
「やっぱ、そう易々と近づかせてはくれないか……」
 男子生徒は魔法を避けながら、次の一手を探る。ティオナの隙を伺うが、彼女の防御と魔法攻撃の切り替えは完璧だった。
(相手の魔力切れを待つか? ……いや、無理だな。さっきからあれだけの大技を撃ち続けながら、魔力が枯渇する気配が微塵もねぇ)
 男子生徒は焦りを感じ始めていた。属性付加は魔力の消費が激しい。このままじり貧になれば、確実に自分の方が先に力尽きる。
「しゃあねえ、このままいっても埒があかねぇからな……さっきと同じ、こっちから無理やり近づいてやる!」
 男子生徒は、降り注ぐ魔法の嵐の中へ再び飛び込んだ。
「さっきも近づけたんだ。今回もいけるだろッ!」
 ティオナが放つ炎や雷を槍で叩き落とし、身を捩って回避しながら、徐々に距離を詰める。
 そして、ついにあと一歩で槍が届く――というその瞬間。
 ティオナが、突然、魔法を撃つのを止めた。
「なっ……!?」
 男子生徒は、その予想外の行動に一瞬虚を突かれた。しかし、もう止まることはできない。彼はそのまま槍を突き出すべく踏み込んだ。
 すると同時に、ティオナ自身も男子生徒へ向かって駆け出したのだ。
「何企んでるのか知らねぇが、これで終わりにしてやる!」
 男子生徒は、近づいてきたティオナを逃さぬよう、槍を地面と水平に、凪ぐように振り抜いた。必殺の払い。
 しかし――ティオナの身体は、物理法則を無視したかのように真上へと跳ね上がった。
(後ろに回る気か!? だったら、着地の瞬間を狙う!)
 男子生徒は瞬時に後ろを振り向き、槍を構え直して迎撃体制に入った。
 だが、次の瞬間、彼は驚愕のあまり目を見開いた。
 自分の背後。そこには誰もいない。槍の先端は何の抵抗もなく空を切った。
「消えた!? どこに……ッ!」
「こっち」
 無機質な声が、真上から降ってきた。
 男子生徒が慌てて頭上を仰ぎ見ると、そこには信じられない光景があった。
「……浮いてる、のか?」
 ティオナは、何も無い空間で空を椅子にしているかのように、静止して浮いていた。
「終わり。――〖エル・ライトニング〗」
 ティオナが杖を振り下ろす。
 白い雷撃が真下へ迸り、男子生徒を捉えた。
「ぐぁっ……!」
 直後、雷撃が床へと突き抜ける。
 轟音とともに足元の床が崩れ、男子生徒の身体は瓦礫とともに階下へ落下していった。
 ティオナが静かに穴を覗き込む。
 階下では、男子生徒が仰向けに倒れていた。その腕に巻かれていた時計型デバイスは、すでに砕け散っている。
「……あー、痛ってぇ。あんなもん、ぶち込んでくるなよ。マジで、死ぬかと思ったぜ」
 男子生徒は、全身を襲う痛みと痺れに顔を歪めながらも、どこかやり切ったような表情でティオナを見上げた。
「仕方がない。……勝負だから」
 ティオナは相変わらずの無表情で答えたが、その瞳には僅かな揺らぎがあった。彼女自身、最後に放った魔法は少しやり過ぎたかもしれない、と密かに反省していた。
「……なあ。最後の、なんで浮いてたんだ? あんな風に空中に留まる魔法なんてあるのかよ」
「風の属性付加」
 短く答えた彼女に、男子生徒は目を見開いた。
「……風も、使えるのかよ。さっきは雷だったのに」
 二つの属性付加を使い分ける。それがどれほど高等で、かつ身体に負担のかかる技術か、彼は身をもって知っていた。
「……闇と光以外なら、全部使える」
「……」
 ティオナの返答に、男子生徒は言葉を失った。
「なんだよそれ……」
「頑張れば、できる」
「そう言うもんなのかねぇ、普通は」
 男子生徒は呆れたように笑い、仰向けになったまま空を仰いだ。
「もう時間だな」
 そう言い残すと、男子生徒の身体は光の粒子に包まれ、ゆっくりと空間から消えていった。
 誰もいなくなった教室で、ティオナは深く、重いため息をついた。
「疲れた」
 彼女はそうぼそりと呟くと、杖を壁に立てかけ、そのまま崩れ落ちるように壁にもたれ座り込んだ。
 無尽蔵に見えた彼女の体力も魔力も、実際には限界ギリギリの綱渡りだったのだ。
 静かな廃校舎に、彼女の荒い呼吸の音だけが響いていた。