魔力の少ない魔法使い

――キンッ!!
 静まり返った校舎の廊下に、金属音が反響する。
 五十嵐は、女子生徒が繰り出す片手剣の鋭い刺突を、両腕に装備した鉤爪の側面で辛うじて弾き飛ばした。剣先が爪の表面を滑るたびに、耳を劈くような摩擦音と共に火花が散り、鼻腔を熱持った鉄の匂いが突く。
「ハァ……ハァ……ッ」
 一歩下がり、間合いを取り直す五十嵐の額からは、滝のような汗が流れ落ちる。それを拭う一瞬の余裕すら、目の前の少女は与えてくれない。
「ハァ……五十嵐さん、やっぱり強いね。私の剣、まともに通らせてくれないんだもん」
 対する女子生徒も、五十嵐と同じく肩を大きく上下させていた。激戦を物語るように、互いの制服は汚れ、所々が刃や魔法によって引き裂かれている。
(この子、本当に強い……。あの八雲って人だけが規格外だと思ってたけど、他の生徒も強い)
 五十嵐は、指先に残る痺れを誤魔化すように〈猫又〉を強く握り直した。相手の剣筋は重く、それでいて魔法を乗せた一撃一撃が鋭い。受け流すたびに、腕の芯を通り越して骨にまで不快な振動が響く。
「でも、負けないよッ!」
 女子生徒が片手剣を正眼に構え直し、鋭い踏み込みと共に自由な左手を突き出した。その指先から、高密度に圧縮された青白い魔力の弾丸が、散弾のように連射される。
「私もよ!」
 五十嵐は瞬時に魔力を練り上げ、展開した魔法陣から火球を放った。空中で二つの魔力が真っ正面から激突する。膨れ上がった炎と魔力弾が互いを食らい合い、二つの魔法がぶつかって弾け、巻き上がった煙が廊下の視界を遮った。
 視界が完全に遮断されたその瞬間。
 五十嵐は本能的に防御の姿勢を取ったが、その予測を遥かに上回る速度で、煙の壁を物理的に切り裂いて女子生徒が突っ込んできた。
「……!?」
 魔法を放った直後、その爆発の余波を逆利用して間髪入れず飛び込んでくるその胆力。五十嵐の反応が、コンマ数秒だけ遅れた。
 女子生徒の片手剣が、上段から猛烈な旋回を伴って振り下ろされる。五十嵐は咄嗟に〈猫又〉を交差させて頭上で受け止めたが、剣に込められた魔力の質量までは殺しきれない。
「くぅッ……!」
受け止めた両腕に重い衝撃が走り、五十嵐の身体が大きく後方へ押し飛ばされた。
 背後の壁が迫る視界。だが、五十嵐の思考は極限まで研ぎ澄まされていた。女子生徒は追撃の手を緩めず、地面を蹴って空中の五十嵐へ一直線に剣を突き出す。
「……負けるわけにはいかない!」
 五十嵐はバク転するように身を翻す。さらに背後の壁を両足で力強く蹴りつけ、逆に女子生徒目掛けて勢いよく反転し、そのまま急降下を仕掛けた。
(空中で軌道を……反撃に来るの!?)
 女子生徒の瞳に、初めて明らかな驚愕の色が浮かんだ。
「やられっぱなしは嫌なのよ!」
 重力を味方につけた五十嵐の鉤爪が、女子生徒の剣撃と真っ向からぶつかり合う。火花が雨のように降り注ぎ、二人の魔力が弾け飛ぶ。弾かれた拍子に生じた一瞬の、しかし決定的な隙。五十嵐はそれを逃さなかった。
 絡み合った剣と爪。その逃げ場のないゼロ距離の至近から、五十嵐は魔力を一点に凝縮した火炎魔法を解き放つ。
「爆ぜなさいッ!」
「きゃあッ!?」
 至近距離での魔力爆発を受け、女子生徒の身体は今度は逆に瓦礫の山へと叩きつけられた。
「ハァ……ハァ……どう? 今のは効いたでしょ?」
「……ッ、ゴホッ……ケホッ……」
 女子生徒は煙の中から這い出し、傷だらけの片手剣を支えに、震える膝を叩いて立ち上がる。満身創痍になってなお、彼女の口元には不屈の笑みが浮かんでいた。
「……効いたよ、今の。でも……まだ、心は折れてない。終わりじゃないよ!」
 女子生徒は剣を閃かせ、地面を這うような鋭い斬撃波を放つ。五十嵐はそれを横跳びに回避するが、女子生徒は回避行動を読み切っていたかのように、剣を投擲。その背後から自身も肉薄するという波状攻撃を仕掛けてきた。
(!?……避けきれないッ)
 投擲された剣を〈猫又〉で弾いた瞬間、視界を塞ぐように迫る女子生徒の拳。五十嵐は虚を突かれ、防御を固めるのが精一杯だった。
「……くぅ、重いわね……!」
 魔力強化された打撃が防御越しに胸元へ響く。衝撃で腕の感覚が麻痺し、意識が飛びかけるほどのダメージだった。
(まさか、あのボロボロの状態から、あんな精度の高い捨て身の攻撃を重ねてくるなんて……)
「まだ……負けてないよ!」
 女子生徒はふらつく足取りながらも、再び片手剣を拾い上げ、正対する。その顔には、極限の戦いを楽しんでいるような、清々しい笑みが浮かんでいた。
「はぁ、はぁ……私も負けるわけにはいかないの!」
 対する五十嵐も、いつしか同じように笑っていた。戦いの中で、互いの全力を認め合う者同士にしか分からない高揚感が、二人の間に生まれていた。
 五十嵐は地を強く蹴り、残された全魔力を体外へ解放した。
(これで決める。……出し惜しみはなしよ! 属性付加!)
 五十嵐の全身を、五十嵐の全身を紅蓮の炎が包み込む。揺らめく炎に熱せられ、周囲の空気が僅かに歪んだ。
 主の意思に呼応するように、腕の〈猫又〉が猛獣の鼓動のような脈動を始め、その形状を変質させていく。刃はさらに大きく、鋭く形を変えていく。炎の鬣を纏ったかのような上位形態――〈獅子王(ししおう)〉への進化。
「ッ……!」
 女子生徒も剣を構え直し、最後の魔力を盾に変換しようとするが、だが、五十嵐は盾が完成するより先に間合いへ踏み込んでいた。
「これで、終わりよ! 逃がさないわ!」
 炎を纏った五十嵐が、低い姿勢から一気に間合いを詰める。
「【楼炎百華(ろうえんひゃっか)】ッ!!」
 炎を纏った〈獅子王〉から、息もつかせぬ連続斬撃が繰り出される。
右、左、斜め下。次々と振るわれる爪の軌跡に炎が残り、幾重もの火の華を描いていく。
女子生徒も片手剣で必死に防ぐが、連撃を捌き切れない。やがて剣を大きく弾かれ、最後の一撃が腕時計を正確に捉えた。
 片手剣で必死に防壁を張ろうとした女子生徒だったが、〈獅子王〉の圧倒的な質量と、全てを焼き尽くす熱量の前に、その防御は紙細工のように容易く打ち破られ、剣を弾き飛ばす。そして、最後の一撃が、彼女の腕の時計を正確に捉えた。
 ――パキィッ!!
 静寂が戻った戦場に、硬質な音が無情に響く。女子生徒の腕にあった時計が、砕け散る。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
 五十嵐は武装を霧散させ、肩で大きく息をしながらその場に立ち尽くす。全身の筋肉が断裂したような痛みを上げ、視界の端が明滅していた。
「……あはは、完敗、かなぁ。……届かなかったか」
 女子生徒がそっと呟き、力なくその場に座り込んだ。
「……とても強かったわ。それに、その最後まで諦めない負けず嫌いなところ……私、そういう子嫌いじゃないよ。……むしろ、尊敬するわ」
 五十嵐は、心からの敬意と賞賛を込めた笑顔を、かつての敵に向けた。
「ほんと? 嬉しいな……。また勝負してね、五十嵐さん。次は、もっと鍛錬して……絶対に負けないから」
 女子生徒の身体が淡い光の粒子に包まれ、ゆっくりと、穏やかに戦場から消えていった。
 誰もいなくなった瓦礫の山で、五十嵐はガクリと膝をついた。魔力も、体力も、もはや指先一つ動かす分すら残っていない。
「……流石に、私も限界かもね」
今の自分ではこれ以上、仲間たちの助けにはなれない。足手まといになる前に、退くのが自分の役目だと彼女は理解していた。
「……あとは、任せたわよ。みんな……」
 五十嵐はやり切ったような晴れやかな顔で笑うと、残された最後の力を振り絞り、自らの拳を、自身の腕にある時計へと叩きつけた。
 砕ける音と共に、彼女の意識もまた、穏やかな白い光の中に呑まれていった。