魔力の少ない魔法使い

「サラちゃん、どこに向かってるの?」
 不気味なほど静まり返った校舎の一階廊下。窓から差し込む陽光が床の埃を照らし出す中、橘は前を鼻歌交じりに歩いているサラの背中に問いかけた。
「んー、適当に歩いてたらそのうち敵と遭遇するかな~って」
 サラは特に何も考えず、気の向くままに進んでいたらしい。索敵というよりは、まるで放課後の校内散歩のような軽い足取りだ。ピンと張った戦場の空気の中で、彼女のマイペースさは良くも悪くも浮いていた。
「……ふふっ、サラちゃんらしいね」
 橘は張り詰めていた肩の力を少し抜き、口元に手を当てて笑いながら言う。
「なーんか馬鹿にしてない?」
 サラが少し唇を尖らせて振り向くと、橘はまた誤魔化すようにフフッと笑った。
「むー、まあいいか。……それにしても、敵にそう簡単に会わないね。他はどうなってるんだろ」
 サラは特に気にすることもなく、視線を前へと戻す。
「……サラちゃん、止まって」
「……??」
 突然、橘の声からふっと笑みと温度が消え去った。
 ただ事ではない気配を感じ取り、サラが不思議そうに首を傾げて足を止める。橘は廊下の先――重厚な木製の二枚扉が閉ざされた部屋を静かに指差した。
「……そこにいるみたい」
「図書室……って、瑞希、魔力探知できたの!?」
「うん。壁越しだからほんの少し、微かな魔力の揺らぎを感じるくらいだけどね。でも、中に二つ、明らかに異質な魔力溜まりがある」
「さっすが瑞稀! っと、あまり声出してちゃバレちゃうかもね」
 サラは慌てて自分の口を両手で塞ぎ、声を潜めた。
「それで、どうするサラちゃん?」
「うーん、ドアを開けた瞬間にいきなり強力な魔法で攻撃されるってパターンもあるしな~」
 二人は相手が中にいることは分かったものの、どうやって突入するかで頭を悩ませた。窓から回り込むには足場がなく、壁を破壊して突入するにはリスクが高すぎる。
「……やっぱり、ドアから入るしかなさそうだよね」
「私もそれでいいよ。いつでも援護できるように、準備はしておくから」
 考えても奇策は浮かばず、二人は正面突破を選択した。
「私が先に入るから、瑞希は後から入ってきてね」
「うん、気を付けて」
 サラはごくりと息を呑み、全身に魔力を練り巡らせて臨戦態勢をとる。そして恐る恐る図書室の冷たいドアノブに手をかけ、一気に開け放った。
「やっほ~」
「!?」
 重い扉が開いた先に広がっていたのは、殺伐とした戦場の光景――ではなく。
 すぐ目の前の貸し出し用カウンターテーブルにちょこんと腰掛けた女子生徒が、満面の笑みでこちらへ手を振っていた。
「あ、そんな身構えないで。大丈夫だって、いきなり攻撃とかしないからさ」
 拍子抜けするほど軽い声で、女子生徒はヒラヒラと手を振る。
「さ、入って入って。本ばかりで何もないけど、気にしないでね」
 なぜか自分の家に客を招き入れるような態度で、女子生徒はサラ達を図書室の奥へと促した。古い紙とインクの独特な匂いが漂う室内には、天井近くまである巨大な本棚が整然と並んでおり、静謐な空気が満ちている。
「え、えーと……」
 完全に意表を突かれ、サラと橘は顔を見合わせて困惑した。武器を構えるタイミングを完全に失ってしまったのだ。
「おい、ここはお前の家じゃねえだろ」
 不意に、部屋の奥に置かれた長机から低い声が響いた。机の上に積まれた分厚い本の山を枕にして寝ていたらしい男子生徒が、面倒そうに首を鳴らしながら身を起こす。
「あれ? 起きたんだ。……私の家と言っても過言じゃないよ、ここが一番落ち着くし」
「ここは俺の家だろうが。毎日ここで昼寝してんだからな」
(いや、どっちの家でもないと思うけど……)
 サラは心の中で的確なツッコミを入れた。
「まあいい。それより、入り口で突っ立ってるその二人が相手か?」
「それ以外ないでしょ、バカなの? ここが戦場だってこと忘れてた?」
「ああ?」
 男子生徒は不機嫌そうに女子生徒を睨みつける。
「……ねえ瑞希、今の内に攻撃とか、なしかな?」
「……サラちゃん、それ一回戦でも言ってたよ」
 二人は、緊迫感の欠片もなく言い合いをしている敵ペアを半ば呆れた目で見つめた。
「なんで私達の相手って、いっつも喧嘩するのかなぁ」
 サラは深いため息をついた。
「さ、さあ……類は友を呼ぶ、とか?」
「……えーと、喧嘩は後にして欲しいな~」
 サラが痺れを切らして声をかけると、二人はハッとしてこちらを見た。
「ん? ああ、悪いな。……おい、敵が待ってるから、続きは後でやるぞ」
「むー……後でボッコボコにしてやるんだから」
 女子生徒は渋々といった様子でカウンターから飛び降りる。
「それで、どうする? お前ら、どっちと闘いたい?」
 男子生徒が首の骨を鳴らしながら尋ねる。
「私は、あっちのピンクの髪の毛の子がいい!」
 女子生徒がビシッとサラを指差した。
「いや、お前には聞いてないから。……ってこいつは言ってるけど、いいか?」
 男子生徒は呆れ顔でサラに確認をとる。
「私はいいよ」
 サラはそう言うと、橘の方を見た。
「私も大丈夫だよ」
「じゃあ、よろしくな」
 男子生徒は、残った橘の方を見て気怠げに言った。
「よし、交渉成立! じゃあ早速!」
 女子生徒がそう叫んだ瞬間、彼女の手に魔力の光が集束し、片手剣が顕現した。先ほどまでの緩い空気を完全に置き去りにし、獣のような低い姿勢から恐ろしい速度でサラへと駆け出す。
「!?」
 サラは咄嗟に体を捻り、首筋を狙った鋭い一撃を間一髪で躱した。数本、ピンク色の髪の毛がふわりと宙に舞い、鋭い風切り音が耳を打つ。
「ちょっと、いきなり攻撃なんて!」
「やるね! 今の避けるなんて、面白くなりそう!」
 女子生徒は好戦的な笑みを浮かべ、獲物を見つけた肉食獣のように双剣を構え直した。
「あちゃー……あいつ、また一人で突っ走って」
 はぁ、と深いため息をつきながら、男子生徒は頭を掻いた。
「俺らもやるか」
 男子生徒が魔力を解放すると、その右手に反りの美しい刀が握られた。波打つような刃紋が、図書室の僅かな光を反射して妖しく光る。
 橘もそれに呼応し、静かに自身の弓を顕現させた。手元に光の粒子が集まり、しなやかな弦が張られる。
「しかし、女が相手ってのは嫌なもんだな」
 男子生徒は、刀を肩に担ぎながら本当に困ったような顔をして言った。
「……なんでですか」
 橘は、あからさまに舐められていると感じ、少し声を低くして尋ねた。
「女相手に本気だすのって、なんか申し訳ないだろ? 痛い思いさせるのも忍びないっていうかさ。適当に手加減するから、早めに降参してくれよ」
「……」
 男子生徒の言葉に、橘はスッと目を細め、沈黙した。
「……まあ、やるしかないわけで……って、危なッ!?」
 ヒュッ!!
 男子生徒の言葉が途切れるよりも早く、橘はすでに矢をつがえ、一切の躊躇なく弦を弾いていた。
 空気を裂いて顔面へ迫る魔力の矢を、男子生徒は慌てて刀を振り上げて弾き落とす。ガキンッという甲高い金属音が、本棚の立ち並ぶ図書室に響き渡った。
 静かに弓を構え直した橘の瞳には、一切の容赦のない冷たい怒りが宿っていた。静かに弓を構え直した橘の瞳には、一切の容赦のない冷たい怒りが宿っていた。握られた弓へ、静かに魔力が集まっていく。
「女だからって、なめないで下さい」
「……分かったよ。女の頼みは、聞いてやらないとな」
 男子生徒は目を丸くした後、肩の力を抜き、大きく息を吐いた。先ほどまでの余裕ぶった態度が消え、油断なく刀の切っ先を橘へと真っ直ぐに向ける。