魔力の少ない魔法使い

「それにしても、この学校って広いよね~」
 人気のない校舎の一階廊下に、五十嵐の間延びした声が虚しく響いた。
 窓から差し込む午後の陽光が、床に長い影を落としている。ロッカーの配置から掲示板のポスターに至るまで完璧に再現された校舎内だが、不気味なほどの静寂がここが戦場であることを物語っていた。
「……」
 隣を歩くティオナは、五十嵐の言葉に答えることなく、艶やかな赤髪を揺らして静かに周囲を見渡している。その生真面目で冷静沈着な佇まいは、いつ敵が飛び出してきても即座に対応できるだけの隙のなさを保っていた。
「絶対、校舎のどこかにいると思うんだけど……」
 五十嵐もまた、普段の飄々とした態度とは裏腹に、鋭い視線で廊下の角や空き教室の暗がりをキョロキョロと探っている。
「……一階にはいないのかな……!?」
 五十嵐がふと気を抜いて呟いた直後だった。
 死角となっていた階段の陰から、圧縮された魔力の弾丸が音もなく射出された。
 標的は五十嵐。しかし、それが彼女に到達するより早く、ティオナがスッと前に出た。無言のまま片手をかざし、極めて精密な魔力操作によって放たれた相殺魔法が、敵の奇襲を空中で見事に打ち消した。
 バチッ! という短い破裂音とともに、魔力の残滓が火花のように散る。
「あっぶな~……! ティオナ、ありがと」
「……」
 冷や汗をかきながら礼を言う五十嵐に、ティオナは表情一つ変えずに無言で頷いた。
「不意打ちなんて、随分といい度胸してるじゃない」
 五十嵐は、魔法が飛んできた階段の暗がりへ向かって、少し凄みのある声で言い放った。
「……あ、一回戦は私達もしたっけ」
 直後、自分達も一回戦で似たような戦術をとっていたことを思い出し、五十嵐は少しだけバツが悪そうに呟く。
「ま、まあいいわ。隠れてないで出てきなさい!」
「あちゃー、当たらなかったかー」
「だから、もうちょっとタイミングを待てって言っただろ?」
「だって、絶対当たると思ったんだもん!」
 言い合いをしながら姿を現したのは、一人の女子生徒と男子生徒のペアだった。緊迫した戦場には似合わない、気の抜けた空気を纏っている。
「ちょっと。敵の前で悠長に喧嘩してる余裕あるの?」
 呆れたように五十嵐がツッコミを入れる。
「あ! ごめんなさい、五十嵐さん!」
 敵の女子生徒が、なぜかペコペコと頭を下げた。
「謝らなくていいけど……なんで私の名前知ってるの?」
 五十嵐は首を傾げた。一回戦で何か特別に目立つような大技を見せたわけでもない。なぜ敵から名指しされるのか、純粋に不思議だった。
「え? それは五十嵐さん、女の子からの人気高いよ~」
「……なんで?」
 五十嵐は自分のどこに同性から人気を集める要素があるのか、全く心当たりがない。
「だって五十嵐さん、女の子の中じゃ身長は高いし、男っぽいとこあるし」
「うっ……」
「むしろ、下手な男より男って感じはするし!」
「うっ……」
「だから、女の子から『かっこいい』って評判なんだよ!」
「うっ……!」
 五十嵐は、自分が密かに気にしていたコンプレックスの数々を、無邪気な笑顔で次々と抉られていた。
「……お前、それわざと言ってるだろ?」
 男子生徒がジト目でパートナーを睨む。
「何をわざと言うの? 私、すっごく褒めてるんだよ?」
「……すっげぇ質悪いな」
 五十嵐は完全に言葉を失い、五十嵐は完全に言葉を失い、その場に両手と膝をついて、どんよりと項垂れた。、どんよりと落ち込んでいた。
 そんな彼女の肩を、ティオナがそっと叩く。
「……?」
「……どんまい」
 それは、口数の少ないティオナなりの、精一杯の励ましの言葉だった。
「ま、まあ気にすんなよ。な? ほら、さっさと闘おうぜ?」
 不憫に思ったのか、敵の男子生徒が気まずそうにフォローを入れてくる。
「……う、うん。ありがとう」
「あれ? さっきまで不意打ちしようとしてたのに、どうしたの?」
「……お前のせいで、すげえ可哀想に見えたんだよ」
「な、なんで私のせいなの!?」
「お前ももう気にすんな。めんどくさくなるから」
「どういう意味! それ!」
 女子生徒が再び男子生徒の言葉に食いつき、またしても身内での言い合いが始まる。
「また始まっちゃった……ティオナ、どうしよう?」
 五十嵐が助けを求めるように視線を向けると、ティオナは短く息を吐き、軽く頷いて右手を前にかざした。
「【ファイア】」
 ティオナの掌から放たれた炎の球が、言い争う二人の間の床に着弾し、派手な爆発音と熱風を巻き起こした。もちろん意図的に外した威嚇射撃だ。
「「「!?」」」
 敵の二人はもちろん、味方であるはずの五十嵐までもが、ティオナの強引すぎる制圧行動に肩をビクッと跳ねさせた。
「……早く」
 ティオナの冷ややかな一言が、場をピリッと引き締める。
「……わ、わかったからその手は下ろせ。不意打ちとかよくねぇぞ」
「そ、それ、私達が言ったらダメなやつだと思うけど……」
 男子生徒の苦しい言い訳に、女子生徒が的確なツッコミを入れた。
「……それで、どっちがどっちと闘うんだ?」
 気を取り直して、男子生徒が尋ねる。
「それじゃあ、私は五十嵐さんと闘う!」
 女子生徒が元気よく手を挙げた。
「……いいのか?」
「うん!」
「お前じゃなくて、向こうに聞いてんだよ」
 男子生徒が五十嵐に視線を向ける。
「私も良いわよ、それで。言われっぱなしで終わるのも癪だし」
「だったら、俺はそっちの無口な女子だな」
「ティオナ、大丈夫?」
「……」
 五十嵐の問いかけに、ティオナは一切の動揺を見せることなく、静かにコクリと頷いた。
「そうと決まりゃあ、場所変えるか。互いの闘いの邪魔になると悪いしな」
 男子生徒はそう言うと、廊下の奥へと歩き始めた。ティオナも無言のまま、一定の距離を保ってその後についていく。
「ふぅ……行くわよ、〈猫又(ねこまた)〉」
 五十嵐はティオナ達が見えなくなったのを確認すると、魔力を練り上げ、自身の専用武装を召喚した。
「それが、五十嵐さんの武器?」
 対峙する女子生徒は、怯えるどころか目をキラキラと輝かせている。
「そ、そうだけど……」
(やりにくいな~、この子)
「カッコイイ武器だよね、ほんと!」
「……ありがと」
 先ほどのやり取りのせいで、『カッコイイ』という言葉に過剰に反応してしまう五十嵐だった。
「……さあ、早くそっちも武装を召喚しなさい」
「うん!」
 五十嵐に促され、女子生徒も魔力を解放する。彼女の手に握られたのは、オーソドックスな片手剣だった。
「片手剣か」
「私も鉤爪が良かったな~。でも……あなたの武器も、すっごくカッコイイと思うわよ?」
「え、ほんと!? やった!」
(……やっぱりやりにくいな、この子)
「五十嵐さんに褒められた~」
 女子生徒は剣を振り回しながら、かなり上機嫌に喜んでいる。
(褒めたつもりはないんだけどなぁ……この子、天然っていうか、なんというか)
「上機嫌なところ悪いけど……もう始めるわよ?」
 五十嵐が重心を落とし、〈猫又〉の爪を構えた。
「うん! いいよ~……早くやろっか」
 女子生徒がそう応えた瞬間、空気が凍りついた。
 先ほどまでの緩みきった彼女の表情から一切の感情が消え去り、瞳の色がスッと冷酷な「戦士」のものへと変貌したのだ。
「!?」
 ドンッ! と床を蹴る爆発音。
 女子生徒は一瞬で五十嵐の懐まで距離を詰め、下段から強烈な剣撃をカチ上げた。
 ガギィィンッ!!
「くっ……!」
 五十嵐は間一髪で両手の鉤爪を交差させ、その重い一撃を防ぎ切った。しかし、衝撃で腕が痺れ、後方へと数歩押し込まれる。
「油断しちゃ、ダメだよ?」
(なんなの、この子! さっきまでと全然雰囲気が違うし!?)
「ごめんね、ちゃんと油断せずにやるから!」
 五十嵐は気合を入れ直し、今度は自ら踏み込んで、反撃の連撃を仕掛けた。
 ***
「……どこまで行くの」
 一方、男子生徒の後をついて廊下を進んでいたティオナが、立ち止まる気配のない彼の背中へ淡々と問いかけた。
「……この辺りでいいか」
 ティオナに指摘され、男子生徒は広々としたエントランスホールの中心で足を止めた。
「悪いな。あいつ、闘いになるとスイッチが入ってめんどくさいから、少し離れたかったんだよ」
「別にここに罠とか仕掛けてるわけじゃないから、気にしないでくれよ」
 言い訳がましく両手を挙げる男子生徒に対し、ティオナはただ無言で頷くのみ。
「……ここまで無口だと、俺が一人で喋ってるみたいで嫌だな」
 男子生徒は苦笑いを浮かべながら、首の骨をポキポキと鳴らした。
「……ま、さっさと始めるか」
 彼が魔力を込めると、手の中に長柄の槍が顕現した。切っ先が鋭く光を反射する、中距離での立ち回りに優れた武器だ。
「……そっちも早く武器を出せよ」
 男子生徒は槍の穂先をティオナに向け、挑発的に笑う。
「……〈ケルキオン〉」
 ティオナが静かに紡いだ言葉と共に、彼女の手に美しい装飾が施された一本の杖が握られた。魔力と魔法の威力を底上げする、高度な魔術師専用の武装だ。
「杖か……魔法主体ってわけだ。こっちとしては、接近戦に持ち込まねえと不利になりそうだな」
 男子生徒はティオナの武器を見て、呟く。
「よし、行くぞ!」
 彼は言葉と同時に床を蹴り、槍の間合いに持ち込むべく直線的にティオナへと肉薄する。
「……【ライトニング】」
 しかし、ティオナは焦る素振りも一切見せず、杖の先から正確無比な雷撃を放った。一切の無駄な動作を省いた、洗練された魔法行使。
「おわっ……と! そりゃ、そう簡単には近づかせてもらえねえよな!」
 男子生徒は急ブレーキをかけ、体を捻ってその雷撃を間一髪で回避する。
「……【アクア・ブレット】」
 だが、回避して体勢が崩れた先には、すでにティオナの追撃の魔法が待ち構えていた。水属性の魔力弾が、鋭い風切り音とともに射出される。
「あっぶねっ……!」
 男子生徒は槍の柄を使って強引に水弾を弾き落としたが、その衝撃で手がジリッと痺れた。
「こいつは……最初から本気でやらねえと、まずいな」
 男子生徒は額に滲んだ汗を拭い、目の前の全く隙を見せない少女を、改めて明確な「脅威」として睨みつけた。