魔力の少ない魔法使い

「京子、どきなさい!【ウォーター・レイ】!」
 涼子が叫ぶと同時、玲奈の死角――彼女の真後ろの空間から、高圧の水流レーザーが放たれた。属性付加を発動し、隙だらけに見えた玲奈の背中を正確に狙った一撃。
 だが、玲奈は振り返ることすらしない。
「……【アイス・レイ】」
 玲奈の背中から放たれた極低温の光線が、涼子の水流と真っ向から衝突する。
 パキパキパキッ!
 涼子の放った魔法は、玲奈の冷気に触れた端からみるみるうちに凍りつき、無害な氷柱となって地面に砕け散った。
「そ、そんな……私の魔法が、一瞬で……!」
「驚いている暇はないわよ」
 凍りつくような玲奈の声は、涼子の『背後』から聞こえた。
「!?」
 属性付加【氷】によって身体能力を爆発的に引き上げた玲奈は、涼子が瞬きをする間に間合いを詰め、すでにニヴルヘイムを振り上げていた。
「させないッ!」
 間一髪、京子が二人の間に割り込み、スキュラの刃で玲奈の剣戟を受け止める。
 凄まじい衝撃に京子の腕が軋むが、涼子はその隙に大きく後方へ跳躍し、難を逃れた。
「……助かりましたわ、京子」
「あんまり油断しちゃ駄目よ、今の玲奈は、速すぎるわ!」
「分かっていますわ! 【ウォーター・アロー】!」
 涼子が杖を振るうと、玲奈の前後左右、あらゆる空間から無数の水の矢が実体化し、一斉に襲い掛かる。
 だが、玲奈は氷のオーラを引いて舞うように駆け抜け、そのすべてを最小限の動きで躱していく。
(……あの子の矢に比べれば、止まって見えるわね)
 玲奈の脳裏に、かつて見た橘の矢がよぎる。それに比べれば、涼子の魔法の弾速は決して脅威ではない。
(ただ、視界の外から急に出現するのは鬱陶しいわね)
 玲奈は背後から迫る矢をニヴルヘイムで弾き落としながら、涼子へ向かって一直線に踏み込む。
「やらせないわよ!」
 再び京子が立ち塞がる。
 ――キンッ! ガァンッ!
 玲奈と京子の剣が激しく交わる。
 力と速度は完全に玲奈が圧倒しているが、京子を仕留めようとする決定的な瞬間に限って、遠くから涼子の不可視の魔法が玲奈の死角を突いてくる。
(……先にあっちを倒さないと駄目ね)
 玲奈は鋭い視線で涼子を射抜く。
(そのためには、京子を引き剥がさないといけない)
「流石は玲奈ですわね。でも、その属性付加……魔力もそう長くはもたないでしょ!」
「……さあ、どうかしらね」
 涼子の指摘に冷たく返しつつも、玲奈は内心で焦りを感じていた。
(……言われた通り、魔力が限界に近づいているわね。なんとか京子の隙を作らないと)
「……行きますわよ! 【濁流】!」
「!?」
 突如、玲奈の足元の空間が歪み、轟音と共に大量の水が鉄砲水のように噴き出した。玲奈を飲み込み、その機動力を完全に奪おうとする涼子の大技だ。
「これで逃げ場はないですわよ!」
(逃げ場がない? ……だったら)
「……【ダイヤモンド・ダスト】」
 玲奈が小さく囁いた瞬間。
 彼女の周囲に広がる空気中の水分、そして迫り来る巨大な濁流が、眩い光を放ちながら一瞬にして完全凍結した。
「「なっ!?」」
 巨大な氷のオブジェと化した自らの魔法を見て、涼子と京子が同時に驚愕の声を上げる。
 玲奈はその一瞬の動揺を見逃さなかった。
 凍りついた濁流を足場にして高く跳躍すると、京子の頭上を飛び越え、一気に涼子の眼前に舞い降りる。
「っ!……しまった!」
 京子が慌てて振り返るが、もう遅い。
「……終わりよ、涼子」
 玲奈は、涼子の左腕にある腕時計めがけて、容赦なくニヴルヘイムを振り抜いた。
 ――パキッ!
 涼子は反応することすらできず、乾いた音と共に液晶が砕け散る。
「……よくもッ!」
 怒りに顔を歪めた京子が、背後からスキュラを振りかざして襲い掛かる。
 ――カキンッ!
 玲奈は涼しい顔で振り向きざまにその一撃を受け止めた。光に包まれて消えゆく涼子を背に、玲奈が冷たく言い放つ。
「これで、二人きりね」
「チッ……!」
 京子は舌打ちをし、一度玲奈から大きく距離を取った。余裕を崩さない玲奈の態度が、京子の神経を逆撫でする。
「いい気になんないでよ! 負ける気なんてないわよ!」
(……でも、私が玲奈に実力で劣っているのは事実。涼子と二人でやっといい勝負してたんだから……あー! 腹立つわね!)
 京子は打開策を考えようとするが、頭に血が上り、ただただ玲奈への苛立ちばかりが募っていく。
(って、違う違う! 冷静になりなさい私!……あれだけ大掛かりな魔法やら属性付加やら使ってるんだから、魔力切れが起きてもおかしくない……って、そんな都合よく起こるわけないか)
「……何か考えているみたいだけど、無駄よ。私が勝つ!」
 玲奈がニヴルヘイムを構え直し、トドメを刺そうと踏み込んだ――その時。
「!?」
 ピキ……、パリンッ!
 玲奈の身体を包んでいた冷気のオーラが、ガラスが割れるような音を立てて唐突に霧散した。
「う……そ……。こんな時に……ッ」
 玲奈の足がもつれ、剣の切っ先が力なく下がる。
(なんで、こんな時に魔力が……ッ!)
 激しい息切れが玲奈を襲う。視界が不規則に揺れ、立っているのがやっとの状態だ。肺が酸素を求め、心臓が警鐘を鳴らすように早鐘を打っている。
(……え? 玲奈の様子がおかしい。……あれは、まさか魔力切れ?)
 京子は目を丸くした後、ニヤリと好戦的な笑みを浮かべた。
「……その様子、もしかして属性付加を維持できるほどの魔力が残っていないんじゃない?」
「……さあ、どうかしらね。まあ、あなたくらい、属性付加がなくても勝てるわよ」
 玲奈は必死に虚勢を張るが、その肩は激しく上下している。
「……いいわ。だったら、覚悟しなさい!」
 京子は地面を蹴り、猛然と玲奈へと斬りかかった。
「くッ……!」
「やっぱりね! さっきまでの勢いはどうしたの!」
 玲奈と京子の激しい攻防が再び繰り広げられる。だが、魔力による身体強化を失った玲奈は、京子の重い剣戟を捌ききれず、明らかに押され始めていた。
 海獣の牙を模した反り返る刃が、玲奈のニヴルヘイムを容赦なく叩き据える。
 ガァンッ! ガキンッ!
 打ち合うたびに、玲奈の華奢な手首に痺れが走り、握力が奪われていく。制服の袖が裂け、白い肌に浅い切り傷がいくつも刻まれた。
(重い……! 防ぐだけで、精一杯……っ)
 防戦一方になりながらも、玲奈はなんとか後ろへ跳び退き、間合いを空けた。
「ハァ……ハァ……」
(いける! 涼子のおかげで玲奈の魔力はもう残っていない。これなら!)
「私たちの勝ちよ、玲奈!」
 京子はスキュラを上段に振りかぶり、玲奈を力任せに叩き割るべく一直線に突進した。
(……こんな所で、負けられない。……負けるわけにはいかない!)
 玲奈は震える手で、重く感じるニヴルヘイムの柄を力強く握り直した。
 頭をよぎるのは、いつも隣にいる幼馴染の顔だ。
(あいつは……隼人は、生まれつき魔力が少ないのに、誰よりも足掻いて、強くなろうとしてる……。それに比べて、これくらいで諦めるなんて、許されるわけがない……!)
 身体の奥底に辛うじて残っている、本当に最後の一滴の魔力。玲奈はそれをかき集め、構えた剣の刃へと一気に収束させていく。周囲の空気が凍てつき、刃の周囲にのみ、白く輝く極低温の冷気が高密度で圧縮されていく。
「玲奈、終わりよッ!」
 京子が渾身の力で剣を振り下ろす。
 その凶刃が玲奈の頭上を捉える、ほんのコンマ数秒前。玲奈は逃げるのではなく、自ら前へと踏み込んだ。
「私は、負けられないのよ……! 【砕氷乱華(さいひょうらんか)】!!」
 玲奈は下段から跳ね上げるように、ニヴルヘイムを振り抜いた。
 極限まで圧縮した冷気を刃に乗せた、捨て身のカウンターの斬撃だ。
 京子のスキュラを滑るように逸らしながら、玲奈の刃が京子の左腕を正確に薙ぎ払う。
 交差した二人の軌跡に、凝縮された冷気が爆発的に弾け、美しい氷の華が空中に咲き乱れて――そして砕け散った。
「な……んで……」
 ――パキッ。
 京子の左腕で、腕時計が真っ二つに割れる音が響いた。
 遅れて剣を取り落とし、そのまま力が抜けた京子は、ゆっくりと地面に崩れ落ちる。
「ハァ……ハァ……。私が負けたら、あいつに会わせる顔が、ないじゃない……」
 玲奈は限界を迎えた身体で、静かにニヴルヘイムを消滅させた。
 魔力だけでなく、体力も完全に底を突いている。ぼやける視界の先、遠く離れた演習場の空を見上げる。
「……勝ちなさいよ、隼人」
 その言葉を最後に、玲奈の意識はふっと途切れ、冷たいアスファルトの上へと倒れ伏した。