魔力の少ない魔法使い

「フフフッ……あ~ほんとに楽しいね!」
 金属同士が激しく打ち合い、火花が夜の闇を裂くような音の中で、男子生徒は唐突に歓喜の笑い声を上げた。喉の奥を震わせるその笑いには、狂気にも似た高揚と、純粋すぎる闘争への興奮がドロリと混じっている。
「……」
 対する黒崎は、一切の反応を示さない。ただ冷徹な視線で相手の喉元を射抜き、無言のまま重厚な銃床を振るう。その瞳には、状況を測り、最適解を導き出そうとする、冷たさだけが宿っていた。
「君は思わない? これだけ互いの命を削り合えるなんて、最高だよね!」
「……闘うことがか?」
 黒崎が問いを問いで返すと、男子生徒は指の間に挟んだ数本のナイフを雨のように降らせながら、弾むような声で頷いた。
「そー!」
「……戦闘狂だな」
「えー、そういう呼ばれ方はなんか嫌だな~。僕はただ、強い奴と闘う事が好きなだけだよ」
「……どちらにせよ、戦闘狂だろう」
「……ふふっ、まあそれでいいよ。ふぅ……よし、続きを始めようか!」
 男子生徒が地面を蹴る。その瞬間、爆ぜるような音と共に彼の姿が視界から消えた。変幻自在の刺突が、黒崎の死角を突くように四方八方から襲いかかる。
 だが、今の黒崎は属性付加【風】を全身に纏っていた。可視化された薄緑色のオーラが黒崎の運動神経を限界まで引き上げ、大気を味方につける。男子生徒の放つ銀閃を、黒崎は踊るような、それでいて精密な回避行動でいとも容易く防ぎ、あるいは最小限の動きで受け流していく。
(やっぱり属性付加してると速いね~……。接近戦のままなら、スピードで押し切れると思ってたんだけど。そう甘くないか)
 男子生徒は自身のナイフが届かなくなったことを悟ると、一度大きくバックステップを踏み、物理的な距離を取った。
「……」
 黒崎は深追いはせず、静かにライフルの銃口を下げ、構え直す。
(さーて、どうしようかな~。……属性付加が終わるのを待つのも賢いんだろうけど、それじゃあ楽しくないし)
「……うん、闘おう。僕の全部でさ」
「……いや、先ほどから闘っているが」
「うん、そういう意味で言ったんじゃないよ。真っ向から、君の得意分野で勝負するってこと」
「……そうか。それは、済まないな」
「いや、いいよ大丈夫」
 男子生徒は苦笑しつつ、両手に握ったナイフを牽制として放った。黒崎はそれをライフルのバレルで軽く弾き落とす。乾いた金属音が瓦礫の街に響いた。
「いつまで避けきれるかな~!」
 男子生徒は距離を保ったまま、次々と袖口からナイフを現出させ、投げ続ける。
 飛び交う銀閃の中、黒崎の目が鋭く細められた。コンマ数秒の間隔で飛来する刃の、わずかな「隙」を彼は逃さない。
(この距離なら……覗けるか)
 黒崎はナイフを紙一重でかわしながら、重厚なスナイパーライフルを素早く、しかし機械のような正確さで水平に構えた。
 ――ズドンッ!!
 これまで鈍器として振るわれていた銃から、初めて本物の、腹の底に響くような銃声が轟いた。
「!?……ッ」
 男子生徒が反応するより早く、超音速で放たれた弾丸が彼の左肩を掠めた。布ごと薄く皮膚を削り取り、血が噴き出す。
(嘘でしょ!? 今、一瞬しかスコープ覗いてないじゃん!)
 男子生徒は目を見開き、驚きを隠せない。
(この距離でも撃てるのか……。いや、でも、たまたま当たった可能性も……)
 男子生徒は黒崎の攻撃が偶然か否かを見極めるため、先ほどよりも鋭い軌道、より不規則なリズムでナイフを投げ放った。
(さあ、次も当てられる?)
 黒崎は先ほどと全く同じ動作を見せた。飛来するナイフを首を僅かに傾けて躱した直後の一瞬、ほんの瞬きほどの時間だけスコープに視線を落とし、迷わず引き金を引く。
 ――ズドンッ!
(きた!)
 今度は弾丸が男子生徒の右腕を掠めた。
(ッ……! 時計を狙われた。今のは先に殺気を感じて動いたから致命傷を避けることができたけど……これでハッキリした。あいつは完全に狙って、この異常な射撃を行っている)
 男子生徒の背筋に、これまでにない冷たい汗が伝う。
(どうする? 接近戦に持ち込んでもスピードで負けてるし……距離を取ればあの精密射撃の餌食になる!?)
 男子生徒が思考を巡らせている間にも、黒崎は容赦なく銃口を向けてくる。ライフルの先端から漂う硝煙が、死の予感となって鼻を突く。
(あー、考え事してるってのに! まあ、普通は撃ってくるか……なら、あいつに覗く暇を与えなきゃいい!)
「これなら反撃できないでしょ!」
 男子生徒は手持ちのナイフを限界まで引き出し、風の魔法を乗せて一斉に投擲した。それはもはや投擲というより、鋼の散弾だ。先ほどとは比べ物にならない密度と速度の弾幕が、黒崎の逃げ場を塞ぐ。
 黒崎はそれを避けて撃とうとするが、ナイフの量が多すぎてスコープを覗くための「一瞬の静止」すら許されない。
(覗く隙はないか……。なら、物理的に潰すまでだ)
 黒崎は銃撃を諦め、爆発的な風の推進力を利用して一気に男子生徒へと駆け出した。
「近づかせないよ!」
 男子生徒は迎撃のナイフを投げ続けるが、黒崎は弾幕の隙間を縫うように、最短距離で突進してくる。
「くッ……!」
 懐に潜り込んだ黒崎が、渾身の力を込めて銃床を叩きつける。
 ドゴッ!
 黒崎が振り抜いた銃床が、男子生徒の脇腹へ迫る。だが、寸前でナイフの腹が割り込み、かろうじて直撃を防いだ。
 そこからは、言葉を介さない死闘。
 斬撃、打撃、投擲。すべてが混ざり合い、火花と風の音が鼓膜を叩き続ける。
「ッ……!」
 次の瞬間、予想だにしない感触が黒崎の腹部に伝わった。
 ドゴッ!
 男子生徒の鋭い蹴りが、黒崎の腹部に食い込む。
「え……?」
 当てたはずの男子生徒が、信じられないものを見たという風に声を漏らす。
(当たった……?)
 確かな手応え。しかし、それは異常なことだった。
(……風が、消えてる?)
 黒崎の周囲を舞っていたあの鋭利な風の衣が、霧が晴れるように消失していた。
(魔力切れか!)
 男子生徒の瞳に、勝利の確信が宿る。
「ふぅ……不本意だけど仕方ないよね。魔力がない狙撃手なんて、ただの置物だよ」
 男子生徒は息を整え、トドメのナイフを握り直す。
「今度は最初から全力でやろうね。……バイバイ、スナイパー」
 男子生徒が踏み込む。狙いは、黒崎の左腕にある腕時計。
 この一撃で終わる――。
 そう確信し、ナイフを振り下ろそうとした、その瞬間だった。
 ――パンッ。
 耳を疑うような軽い音が、ほんの僅かに遅れて届いた。
 直後、静寂を切り裂くような音が、男子生徒の腕から響く。
 ――パキッ。
「……へ?」
 何かが壊れた、乾いた音。
 男子生徒の思考が一瞬、白く停止する。
「う、うそ……なんで……」
 視線を落とせば、そこには粉々に砕け散った腕時計の残骸があった。
 黒崎の手元を見る。彼はスコープを覗くどころか、ライフルを肩に当てることすらしていない。ただ、腰の位置に保持された銃口が、男子生徒の腕を正確に捉えていた。
「まさか……撃ったの?」
「……そうだ」
「覗いてないよね……? 至近距離で、あんな動きの中で……」
「ああ」
「それで当てたの……?」
 もはや驚愕を通り越し、呆然とした声が漏れる。
「……運が良かった。ただそれだけだ」
「初めて……やったの?」
「ああ。練習したこともない……二度と成功しないだろうな」
 男子生徒は数秒、石像のように沈黙した後――。
「……ははっ。はははははっ!」
 腹を抱えて笑い出した。
「……いいね。やっぱり最高だよ、あんな勝ち方、反則だよ」
「……」
「次は勝つ。次は、君の『運』が届かないところで叩き潰してあげる」
「……ああ。覚えておこう」
 男子生徒の身体が、淡い光に包まれていく。敗北者の転送が始まった。
「……それ、僕の台詞だよ。じゃあね、無口な死神さん」
 最後に、今日一番の屈託のない笑みを残し、男子生徒の姿は完全に消え去った。
 静寂。
 さっきまでの激突が嘘のように、建物と瓦礫だけの冷たい空間に戻る。
「ふぅ……」
 黒崎は耐えかねたように、近くのフェンスに背中を預け、ずるずると崩れ落ちた。
 銃を握っていた腕が、自分の意思とは無関係に激しく震えている。
 呼吸は浅く、肺が焼けるように熱い。
「……魔力があまり残っていないな、これでは、足手まといか」
 自嘲気味に、誰に聞かせるでもなく呟く。