魔力の少ない魔法使い

「……一瞬て言ったくせに、なかなか時間かかるんだね」
「……うっせぇ」
 紘弥は軽く首を回して肩を鳴らしながら、不敵に笑って見せた。
 だが、その余裕めいた表情の裏で、彼は相手の規格外の粘りに確かな驚きと焦りを覚えていた。
(……クソ。本気出せばパパッと終わると思ってたんだが、案外食い下がりやがるな)
紘弥の全身には青白い雷光がバチバチと音を立てて這い回っている。
 雷の属性付加を纏ってからの自分は、どう甘く見積もっても目の前の女子生徒より速い。
 それでも、彼女は倒れない。
 女子生徒は肩で大きく、荒い呼吸をしながら、それでも必死に銀色の長剣を振るい続けている。
 疲労からか、彼女の攻撃の精度は少しずつ落ちていた。剣先がわずかにブレ始め、踏み込みも浅くなっている。だが、それでも絶対に退かないという前へ出る気迫だけは、いささかも衰えていなかった。
(このタイプは一番厄介だ。完全に力尽きるまで、絶対に止まらねぇ……)
 剣を握る腕は鉛のように重いはずなのに、足の運びも止まらない。その泥臭いまでのしつこさが、紘弥が決着の一撃を叩き込むタイミングをわずかに遅らせていた。
 実際、何度か“終わらせられるタイミング”はあったのだ。だがその度に、彼女は動物的な勘で無理やり体勢を立て直し、致命のラインから半歩だけ身を捩って躱してくる。
(ただ無理やり踏ん張ってるだけじゃねぇな……速さの暴力に振り回されながらも、ちゃんと俺の癖を見てやがる)
 単なる根性論ではない。疲労の極限状態の中で、彼女の観察力と判断力がギリギリで機能しているのだ。だからこそ、倒れない。
「それに、そんなに避けてばっかじゃ勝てないよ!」
「……」
(疲れるのを待ってちゃ、時間がかかりそうだな)
 紘弥はチッと小さく舌打ちし、一度だけ視線を伏せた。
 女子生徒の息は明らかに乱れている。だが、それでもまだ十分に戦える魔力と闘志が残っている。ここで中途半端に手加減して動きを止めれば、彼女は何度でも立ち上がって向かってくるだろう。
 雷を纏った今の自分なら、力で押し切れる。
 だが、女の子を必要以上に痛めつけるつもりは毛頭ない。だからこそ、無駄に長引かせて体力を奪い続けるわけにもいかなかった。
(……なら、ちまちまと小細工するのは終わりだ。精度より『圧』で崩す)
 丁寧に隙を突いて時計だけを狙うやり方は、ここで捨てる。相手の思考と処理能力そのものを、スピードと手数で完全に飽和させるのだ。
「……さっきから攻撃してこないけど、どういうつもりなの?」
 紘弥の雰囲気が変わったのを察知したのか、女子生徒が剣を正眼に構えたまま、訝しげに問う。
「隙を窺ってんだよ」
「……え?」
 あまりにも正直すぎる返答に、女子生徒は毒気を抜かれたように目を丸くした。
「……ねぇ、それ私に言ったら駄目でしょ」
「ん? 何が?」
「え? いや、普通は敵に『隙を窺ってる』なんて言わないでしょ」
「……そうか?」
 紘弥は本気で首をかしげた。
「それ聞いたら、絶対隙を見せないようにするよ」
「んー、確かにそうかもしれないな」
 紘弥は面倒くさそうに頭を掻いた。
 死合いの最中だというのに、彼の声には妙な余裕と、どこか抜けた響きがある。
「やっぱり、馬鹿だよね?」
「馬鹿は失礼だな……」
 紘弥は苦笑を漏らした。
「まあ、隙なんて見せないようにしてても、見せちまうもんだよ」
「?? ……よく分からないけど、私は見せる気ないよ」
 女子生徒はそう言うと、剣をスッと引き寄せ、構え直した。
 その滑らかな動きに、先ほどまでの荒さはない。無駄な力みがふっと消え、重心がどっしりと落ちる。
「確かに隙のない構えだな」
「でしょ」
「……でも、実力差があったら意味ないんだよ」
 その言葉が終わるか終わらないかの瞬間――紘弥の姿が掻き消えた。
「!」
 空気が爆ぜる音よりも早く、紘弥は一瞬で女子生徒の背後へと回り込んでいた。同時に、双銃の片方から牽制の魔力弾が容赦なく放たれる。
「甘いよ! それくらい見えてる!」
 女子生徒は鋭い反射神経で振り返り、それを長剣の腹で弾く。
 キンッ! と甲高い金属音が弾け、火花が夜闇に散った。
 だが、彼女が剣で弾いた瞬間にはもう、紘弥の姿はそこにはない。
 右。
 上。
 背後。
 視界の端々で、青白い雷の残光だけが幾何学模様を描くように走る。
(速い……! でも、まだ追える……!)
 女子生徒は必死に目を凝らし、残像を追う。
 だが、脳の認識速度と身体の動作の間に、致命的なズレが生じ始めていた。
「いくら見えてても、このスピードには追いつけないだろ?」
 声が四方八方から木霊する。
 紘弥は彼女の周囲を竜巻のように回り込みながら、全方位から怒涛の銃撃を浴びせた。彼が地面を蹴るたび、青白い雷が鋭い尾を引いて大気を焦がす。銃口から放たれる閃光が、まるで一本の雷の檻のように連なって彼女を包み込んでいく。
女子生徒は唇を噛み締める。一歩でも下がれば、その瞬間に押し潰される。彼女の戦士としての直感がそう告げていた。
 紘弥の攻撃は、もはや彼女の左腕の腕時計だけを狙うような甘い戦い方ではない。分厚いガードを正面からこじ開け、有無を言わさぬ力で屈服させるための苛烈な連撃だった。
(……こうなったら、無理にでも押し切る)
 紘弥は心の中で深く腹を括る。
 ここまで意地を見せて粘る相手に対して、中途半端な終わらせ方は逆に失礼だ。ならば――圧倒的な力の差を見せつける。
「ッ……!」
 女子生徒は必死に剣を振り回し、防ぐ。
 だが、あまりにも速すぎる。一撃一撃の軌道は見えていても、それが嵐のように連続すると物理的に捌き切れない。
 銃弾を剣で受け止めるたびに、ズシンと重い衝撃が腕の骨を軋ませる。
(まだ……いける……!)
 彼女がそう念じた瞬間、疲労の限界を迎えた足の踏み込みが、ほんの数センチだけ遅れた。
「ほら、もう遅ぇ」
 紘弥の超反応は、そのわずかなズレを絶対に見逃さない。
 さらに一歩、深く踏み込む。
 さらに速く、限界を超えて加速する。
「これで終わりだ」
 女子生徒の真上に、ふわりと現れた紘弥は、〈麒麟〉にありったけの魔力を一気に込めた。
 銃身の周囲に、凄まじい密度の雷がとぐろを巻くように収束していく。
「【八方雷墜(はっぽうらいつい)】」
――ドゴォンッ!!!
撃ち出された極太の雷撃が地面を爆砕し、容赦なく女子生徒の身体を叩きつけた。
「きゃあっ……!」
 彼女の小柄な身体が、木の葉のように弾き飛ばされる。
 ……だが。
 吹き飛ばされる最後の最後、彼女は空中で無理やり身を捻り、長剣を地面に深く突き立ててブレーキをかけ、雷の直撃ラインだけは執念で逸らしていた。
「……っ、は、ぁ……」
 呼吸が完全に崩れている。視界は激しく揺れ、立っているのもやっとの状態だろう。
 それでも、彼女は完全には膝をつかなかった。
 着地した紘弥はそれを見て、ほんのわずかに目を細めた。
「…大した意地だな」
 だが次の瞬間。
 パキィン……ッ!
 限界を迎えていた彼女の左腕の腕時計が、乾いた音を立てて無残に砕け散った。
 勝負は、完全に決着した。
「……大丈夫か」
 紘弥は雷の属性付加を解くと、ゆっくりと歩み寄り、手を差し出した。
「……大丈夫だと思う?」
「ハハハ……悪りぃな」
 紘弥はバツが悪そうに頭を掻く。その顔は、先ほどまでの冷徹な戦士の顔から、ただの気まずそうな少年の顔に戻っていた。
「……歩けるか?」
「まあ、なんとか……ッ」
 女子生徒は全身の痛みに顔をしかめながらも、差し出された紘弥の手を借りて、ふらつきながら立ち上がった。
「ここまでする気は無かったんだけどな……」
「ほーんと、ひっどいね~。女の子にこんな怪我させるなんて」
「!! それは本当に悪かったって!」
 紘弥は慌てて身を引き、今度こそ土下座でもしそうな勢いで深く頭を下げた。圧倒的な強者の威厳は、もはや見る影もない。
「プッ……アハハッ、冗談だって」
「そ、そうなのか?」
「当たり前じゃん。私が『本気でやって』ってお願いしたんだし。恨みっこなしだよ」
「……そりゃそうだけど」
「フフッ、優しいんだね。九条君って」
「え? そうか?」
「うん!」
 女子生徒は、煤で汚れた顔をほころばせ、心底楽しそうに笑った。
 そのあどけない笑い方は、剣を交えていた時の鋭い表情とはまるで違う、年相応の可愛らしいものだった。
 紘弥はその裏表のない表情に、張り詰めていた心が少しだけ救われた気がした。
「そう言われると……ありがたいな」
 紘弥は照れ隠しのように視線をそらし、鼻の頭を擦る。
「……あ、どうやら時間みたいだね」
 ふわり、と。
 女子生徒の身体が、足元から淡い光の粒子に包まれ始めた。腕時計の破損による、強制転移魔法の発動だ。
 彼女は自分を見下ろす紘弥を見上げ、最後に一番眩しい笑顔を向けた。
「じゃあ、またね! 九条君!」
 弾むようなその声を残し、女子生徒は光と共に紘弥の前から掻き消えた。

「……ふぅ」
 静寂が戻った途端、紘弥は全身の力をふっと抜いた。
 属性付加を解除すると、無理やり限界まで引き上げていた神経の加速がゆっくりと収まり、心地よくも重い倦怠感が後から追いかけてくる。
「……やっぱ、こいつは燃費が悪いな」
 本気で押し切って勝つことはできた。だが、予想以上に彼女に粘られた分、想定していたよりも魔力の消費が嵩んでしまっている。
「一瞬で終わらせるつもりが、案外時間食っちまったな……」
 崩れ落ちるほどではないが、この速度を維持したまま連戦するには、今の魔力残量では少し心もとない。
「……少し、休んでから行くか」
 紘弥はそう独り言ちると、近くの壁に背を預けた。
 暗くなり始めた空を見上げ、深く、重い吐息を一つ。
 九条の名を背負って戦うことの面倒臭さと、それでも全力で応えた後の奇妙な高揚感を噛みしめるように、彼はしばらくの間、その場に立ち止まっていた。