魔力の少ない魔法使い

――キィィンッ!
 夕闇に包まれ始めた無機質なビル群の合間に、鼓膜を震わせるほど高く鋭い金属音が反響する。
 男子生徒が顔を真っ赤にし、血管を浮かび上がらせて振り下ろす重量級の長剣。それは一撃でコンクリートの壁を粉砕し、街路樹をなぎ倒すほどの破壊力を秘めている。だが、帝はその凶刃を、まるで舞い落ちる木の葉を払うかのような軽やかな手つきで、一振りの刀によっていなしていた。
「……貴族が聞いて呆れるぜ! この程度かよ! 守ってばっかりじゃねぇか!」
 男子生徒は苛立ちを隠そうともせず、地を強く蹴って吠える。彼の足元の石畳は、強化された脚力によって無残にひび割れていた。対照的に、帝の涼しげな表情には汗一つ浮かんでいない。
「君はよく喋るね。……それと、そういう威勢のいいセリフは、勝って初めて口にするものだよ」
 帝は冷徹に言い放つと、刀の腹を滑らせるようにして長剣の軌道を逸らした。火花が夜の帳を裂く。力で対抗するのではなく、最小限の動きで相手の力を霧散させる。それは、魔法学校で叩き込まれる基本を、極限まで研ぎ澄ませた芸術的な剣術だった。
「……くそッ! ちょこまかと!」
 男子生徒は大きく距離を取ると、長剣にありったけの魔力を注ぎ込んだ。剣身がギラギラと赤黒い光を放ち、周囲の空気が高密度の魔力によってビリビリと震え始める。
「……そろそろ限界なんじゃないのかい? 呼吸が乱れているし、魔力の練り方も雑になっている。その出力では、剣が保たないよ」
 肩を大きく上下させ始めた男子生徒を見て、帝は静かに、しかし残酷なまでに冷静に忠告した。
「くッ……んなわけねぇだろ! まだまだこれからだ! これでも喰らいな!」
 男子生徒は自らを鼓舞するように叫ぶと、再び帝へ肉薄した。今度はただの剣戟ではない。魔力によって重量を数倍に引き上げ、衝撃波を纏わせた捨て身の十連撃。一撃ごとにアスファルトがクレーターのようにすり鉢状に砕け散り、強烈な圧力が周囲のビルの窓ガラスを激しく揺らす。荒々しい剣風が、帝の服を千切れんばかりに煽った。
「……なるほど。確かに、馬力だけなら合格点だ」
(まだこれほど暴れられる魔力が残っているのか。……長引くと僕の魔力も相当削られる。早めに幕を引くとしよう)
 帝は涼しい顔を保ちつつも、内心では相手の泥臭い執念にわずかな驚きを感じていた。
 鋭い突きを半身で躱し、直撃の軌道から数ミリだけ身体をずらす。帝が先ほどまで立っていた場所を長剣が抉り、コンクリートの礫が散弾となって背後のビルを叩いた。
(しかし、これだけ闇雲に、かつ全力で剣を振るわれると、下手に反撃に転じるのもリスクが高い。……向こうから『最大の間違い』を犯すように仕向けるしかないか)
「逃がさねぇ! お前に反撃の隙なんて、一瞬たりとも与えねぇぞ!」
 男子生徒はさらにギアを上げた。剣閃が網の目のように帝の視界を覆い、じりじりと退路を奪っていく。背後のビルの壁が、逃げ場のない行き止まりを告げていた。
「……」
「オラァッ! これで粉々になれぇっ!」
 男子生徒は勝利を確信し、剣を大きく上段に構え、渾身の力を込めて地面へ向かって叩きつけた。
 轟音。長剣から放たれた赤黒い魔力の波動が、地を這う津波となって放射状に広がり、帝へと迫る。左右への回避を許さない、広範囲の殲滅攻撃。逃げ場を失った帝に、回避の選択肢は残されていないはずだった。
(……ふむ。受動的に待っていても、決定的な隙は見つかりそうにない。さて、どうするか)
 押し寄せる破壊の波を前にしても、帝の瞳に焦りの色は一切なかった。
 スマートに勝利を収めるためには、相手の常識の外側――想像力の限界を超えた答えを示す必要がある。
 帝はあえて力負けして逃げるふりをして、大きく後ろへ跳躍した。迫り来る赤黒い波動をやり過ごすように、背後のビルの壁を爪先で一蹴し、そのまま夕闇の空へと高く舞い上がる。
「ハッ! 愚かだな! 上に逃げるなんて、空中じゃあ身動きがとれねぇだろ! そのまま叩き落としてやるよ!」
男子生徒は獲物を仕留める猛禽のような形相で、帝の着地点を狙ってトドメの跳躍を構えた。
――だが。
「……フッ」
 空中で、帝の口元がわずかに緩んだ。
「なに笑って――……ッ!?」
次の瞬間、男子生徒の身体が痙攣したように止まる。
帝が――落ちてこない。
重力という絶対の法則を嘲笑うかのように、帝は地上数メートルの虚空に、平然と静止していた。
「……は?」
 理解が追いつかない。脳が目の前の光景をバグとして処理する。帝はまるで見えない透明なガラスの床でも踏みしめているかのように、優雅に宙に立っていた。
「知らないのかい?」
 帝は風に髪をなびかせながら、静かに地上を見下ろす。その瞳には、深い知性と、わずかな哀れみがあった。
「風の属性付加の応用だよ」
「……は? 属性付加は、そんなものじゃ……!」
「風を纏うだけで、速度が上がると満足して思考を止めてしまったのかい?」
 帝の足元で、空気が陽炎のようにわずかに歪んだ。
「魔力で生み出した風を、ただ身体に巡らせるのではなく『外部へ操作』するんだ。自分を支えるように、下から高密度の気流を押し上げる。……あるいは、空気の層を幾重にも重ねて、一時的な足場を形成する」
 言葉は穏やかだが、語られている内容は、一朝一夕の鍛錬では到達し得ない緻密な魔力制御を示していた。 
「そんな使い方……俺は知らねぇ……!」
「考えなかっただけだろう? 与えられた知識だけで満足しているから、君の剣は僕に届かない」
 静かな断言。男子生徒はその言葉の重みに、剣を握る手が屈辱で震えた。
「……魔法は、単なる武器じゃない。……理解し、応用し、研ぎ澄ますものだ」
 帝が魔力を解くと、音もなく地上へと降り立った。
「さて。ようやく、その喧しい攻撃が止まったね。隙だらけだ」
「しまっ……!?」
 男子生徒がハッとして我に返り、剣を構え直そうとした時には、もう勝負を左右する時間は一秒も残されていなかった。

「もう遅いよ」
 視界から帝の姿がブレて消える。
 風そのものになったかのような神速の歩法。男子生徒が首を巡らすよりも早く、帝はすでにその背後に滑り込んでいた。
「な……」
「――虚空(こくう)の風切」
 静かな呟き。直後、大気が悲鳴を上げるような、鋭く細い風の音が戦場を駆け抜けた。
 それは光ですらなかった。ただ、目に見えぬ透明な断絶が、一瞬にして男子生徒を通り過ぎたのだ。
 帝が流れるような所作で、刀を収める。その動作には一分の乱れもなかった。
――パキィンッ!
 一拍置いて。男子生徒の腕に装着されていた、腕時計が、目に見えぬ一陣の風に毟り取られたかのように、滑らかな断面を見せて真っ二つに砕け散った。
「……」
 致命傷判定。男子生徒は呆然と立ち尽くし、声すら出すことができない。自分がいつ、どうやって斬られたのか。風が頬をなでた感覚以外、その太刀筋すら認識できなかったのだ。
「ふぅ」
 帝は小さく息を吐くと、乱れた襟元を指先で整えた。
「……負けたのか」
 男子生徒が、膝をつきながらようやく絞り出すように呟いた。
「くそッ! クソォッ!」
 無念そうに地面を叩く相手を、帝は一瞥もせず、背を向けて歩き出した。
「……強かったよ。だが、君はまだまだ、魔法に対する鍛錬と想像力が足りない」
 数歩進んだところで帝は足を止め、肩越しに冷淡な、しかしどこか教育的な響きを含んだ声をかけた。
「これを機に、もっと魔法の本質と向き合って鍛錬を積むことだね。……次に会う時は、もう少し楽しませてくれ」
「!? ……次は、次は絶対に負けねぇからな!」
「フッ……いつでも来たまえ。退屈しのぎにくらいは、相手をしてあげるよ」
 直後、男子生徒の身体が粒子のような淡い光に包まれ、その場から掻き消えた。腕時計の破損による、試合脱落の強制転移魔法だ。
 誰もいなくなった空間で、通り沿いの魔力灯がポツリ、ポツリと温かな光を灯し始める。
 静寂が戻ったビル群の中で、帝は重い溜息をつき、ようやく肩の力を抜いた。
「……少し、見栄を張って魔力を使いすぎたかな。属性付加はまだ燃費が悪い」
 わずかに震える指先を隠すように袂に収め、帝は独り言ちる。涼しい顔を保っていたが、見えない足場を空中に維持し、さらに神速の居合を放つのは、今の彼にとっても相当な無理をした結果だった。
「……少し休んで行くとしよう」
夕闇に染まり始めた街の中へ、帝は静かに歩みを進め、消えていった。