魔力の少ない魔法使い

「……【ファイア・ボール】」
 ティオナが低く、だが通りを良い声で呟くと同時に、彼女の手の先から三つの火球が連続して放たれた。
 空気を焼く焦げ臭い匂いが広がる。二つの火球は男子生徒の正面を正確に捉えるように真っ直ぐ突き進み、残る一つは、まるで手元が狂ったかのように大きく左方向へと外れて飛んでいった。
「ハッ!」
 男子生徒は鼻で笑い、正面から迫る二つの火球を、手に持った幅広の剣の腹で軽々と叩き落とした。金属と炎がぶつかり合い、バチィッという音と共に火花が散り、熱波が周囲に霧散していく。
「……っと、どこに撃ってんだ? 随分と余裕がねぇみたいだな」
 男子生徒は剣を肩に担ぎ直し、背後へ向かって空しく飛んでいった最後の一つの火球を、肩越しに振り返ってそう言った。魔法使いとしてあまりに単純なミスだった。
「……」
ティオナは挑発に返答せず、ただ静かに視線を前へ戻した。​​​​​​​​​​​​​​​​その冷静すぎる態度に、男子生徒の眉がピクリと動く。
「……まさか」
 不審に思った男子生徒が、さらに深く後ろを振り返る。そこではちょうど、男子生徒の仲間が五十嵐へ向けてトドメの一撃を振り下ろそうとしていた――その直前だった。
 ティオナが放った「外れの火球」は、正確無比な軌道を描いてその一撃を妨害し、五十嵐を窮地から救い出していたのだ。その瞬間、ティオナは視線を前に向けたまま、左手で小さく親指を立ててみせた。
「なるほど、仲間の援護か」
 相変わらず、ティオナは無言を貫いている。だが、その瞳には戦況全体を冷徹に見据える光が宿っていた。
「……ま、いいけどよ! 今度は自分の心配をしろ!」
 男子生徒がアスファルトを強く蹴り、一気に距離を詰めてティオナに攻撃を仕掛ける。大上段から放たれた剣が鋭く空気を切り裂く。ティオナはそれを手にした杖――ケルキオンで、最小限の動きで弾き、受け流す。
 間髪入れずティオナが呪文を紡ぎ、反撃の魔法を放とうとするが、男子生徒の野性的な勘がそれを許さない。
「させるかよ!」
 呪文の完成よりも早く、至近距離からの荒々しい連撃がティオナを襲う。右から、左から、休む間もなく叩き込まれる重い剣撃。ティオナは防御に集中せざるを得ず、思うように魔法を構築するための隙が作れない。
「……逃がさねえぞ! 距離を取らせるわけねぇだろ!」
 魔法使いにとって最大の生命線である「間合い」を、男子生徒は圧倒的な手数と力技で奪い去っていた。少しでも後退して距離を稼ごうとするティオナの足元や退路に、容赦なく鋭い剣先が突き立てられる。
「……っ」
 絶え間ない防戦の中、わずかにティオナの表情が苦しげに歪んだ。
「やっと顔が変わったな~! 余裕ぶるのもそこまでだ!」
 男子生徒は、自身が完全にペースを握ったと確信したように笑い声を上げる。
「接近戦じゃ、俺に勝てるわけねぇんだよ!」
 ティオナは杖の先から細かな魔力波を放ち懸命に反撃を試みるが、近接戦を本職とする男子生徒にはすべて見切られ、すぐにまた強烈な追い打ちが返ってくる。
「オラッ!」
 男子生徒が、それまでで一番の渾身の力を込めて上段から剣を振り下ろした。
「……」
 ティオナはそれをケルキオンを両手で構えて受け止めるが、伝わってくる圧力に足元が沈み込む。
「さあ、いつまでもつんだ?」
 男子生徒がさらに体重を乗せ、力を込める。ケルキオンを押し込む力が強まっていき、徐々にティオナは力負けして膝が折れ始めた。
「お前お得意の魔法は、もう使わせねぇぞ!」
「……っ!」
「ほらよ!」
 力比べで意識を上へ向けさせた直後、男子生徒の鋭い蹴りが、防御を固めてがら空きだったティオナの腹部を正確に捉えた。
「……あ、っ!」
 肺から空気が押し出され、ティオナの身体が大きく宙を舞う。そのまま数メートル後方のビルへと激しく叩きつけられた。
 ドォォン! と大きな衝撃音が周囲に響き渡り、土煙が舞い上がる。衝突したビルの外壁は大きくえぐれ、砕けたコンクリート片が地面に散らばった。
「へぇ~、意外と壊れねぇもんだな」
男子生徒は壁を一瞥し、少し感心したようにそう言った。勝負は決したと油断した証拠だった。
「……燃えろ。……【爆炎龍(ばくえんりゅう)】」
 土煙の中から、低く、だが確かな意志を持った声が響く。
 ティオナは衝撃に耐え、即座に立ち上がって巨大な魔法を解き放っていた。業火で形作られた巨大な火の龍が唸りを上げながら、周囲の空気を焼き尽くすような紅蓮の熱風を巻き起こして男子生徒へ迫る。
「上級魔法か……! だけど、そんな大技、当たんねぇよ!」
 男子生徒はその巨体を持ち前のスピードで軽やかにかわし、得意げな笑みを浮かべる。だが、ティオナの真の狙いはその後の波状攻撃だった。
「……【アクア・ランス】、【鎌鼬(かまいたち)】、……【ライトニング】」
 男子生徒が避ける方向、タイミング、その全てをあらかじめ計算していたかのように、ティオナは次々と異なる属性の魔法を連続で放った。鋭い水の槍が頭部を狙い、不可視の風の刃が足元を切り裂き、さらに頭上から稲妻が落ちる。
「クッ……! こいつ……!」
 あまりの物量と、予測を上回る魔法展開の速度に、男子生徒のステップが遅れる。全てを避けきることができず、最後の電撃が彼の肩を鋭く掠め、衣服を焦がした。
「【アクア・ブレット】」
 ティオナは追撃の手を一切緩めず、高圧の水弾を弾幕のように浴びせる。
「いい気になるんじゃねぇ!」
 苛立ちを募らせた男子生徒は、肩の痛みを無視してさらにスピードを上げた。飛来する水弾を紙一重で避け、時には剣で弾き落としながら、強引にティオナの懐へ再び飛び込んだ。
「……っ」
 男子生徒の渾身の横薙ぎが、ティオナを捉える。ケルキオンを盾にして致命傷は防いだものの、剣の質量からくる衝撃までは殺しきれず、彼女は再び後方へと吹き飛ばされてアスファルトを滑った。
「……まだまだ、終わらねぇぞ!」
 男子生徒は休む間を与えず、尚も猛攻撃を仕掛ける。
 ティオナは完全に防戦一方となり、ケルキオンを振るう腕にも明らかな疲れが見え始めていた。
「……もう、これで終わりにしてやる」
 男子生徒が剣を高く掲げ、トドメの一撃を繰り出そうとした、その瞬間。
 ティオナの姿が、かき消えるように男子生徒の視界からフッと消えた。
「っ……!? どこへ!」
 男子生徒が驚愕して背後を振り返る。そこには、いつの間にか背後に回り込んでいたティオナが、至近距離から杖を構えていた。
「てめぇ! どうやって……!」
「……属性付加――【雷】」
 バチバチィッ! と、ティオナの全身を青白い強烈な電撃が駆け巡っていた。属性付加による爆発的な身体能力の向上。彼女の細い手足を包む雷光が、その移動速度を常人の限界を優に超える領域へと押し上げていたのだ。
「なるほど、属性付加か……! 」
「……まだまだ、これから」
 ティオナが静かにそう呟くと同時に、雷光が閃く。彼女は一瞬で男子生徒の目の前へ移動し、杖の先端を突き出す。
「……【アイス・ニードル】」
 文字通り、ゼロ距離からの氷の針が男子生徒の顔面を襲う。
「……っ! ……いい気になんなよ!」
 男子生徒は間一髪で首を逸らし、直ぐに態勢を立て直すと、再び剣を力任せに振るってティオナに肉薄した。
 ティオナはそれをまたケルキオンで防ぎ止める。
「防いでも無駄だぜ! さっき言っただろ、パワーじゃ俺が勝ってるんだよ!」
 属性付加で圧倒的な速度を得たティオナだったが、純粋な腕力による武器同士の押し合いでは、やはり男子生徒が優勢だった。ギリ、ギリと、徐々にティオナの細い腕が押し戻され始める。
「っ……属性付加――【火】」
 その瞬間、ボォッ! と熱い音が響き、ティオナの周囲を纏っていた青白い電撃が、激しく燃え盛る紅蓮の炎へと入れ替わった。
 瞬時に筋肉への出力が限界を超えて跳ね上がる。先ほどまで押し負けていたはずの剣の重さを、ティオナは徐々に、だが確実に押し返し始めた。
「な、今度は火だと……!?」
 パワーで負けるはずがないと思っていた男子生徒が、驚愕に目を見開く。その一瞬の動揺という最大の隙を、ティオナは決して逃さなかった。属性付加によって爆発的に強化された脚力を使い、彼の腹部へ鋭い前蹴りを叩き込んだ。
「――が、はっ!?」
 男子生徒の身体が、まるで弾丸で撃ち抜かれたかのような勢いで後方へと蹴り飛ばされ、地面を無様に転がった。
「……あなたじゃ、私には勝てない」