魔力の少ない魔法使い

「ほら! どうした、あたんねぇぞそんな攻撃!」
「くっ……!」
 無人の市街地フィールドに、鋭く乾いた金属音が幾度も響き渡る。
 五十嵐は肩を激しく上下させ、荒い呼吸を整える暇もなく両手の鉤爪を振るい続けた。必死の連撃。だが、対峙する男子生徒はその鋭い軌道を最低限の動きで見切り、まるで舞うかのような足捌きで、その全てを紙一重でかわし続けている。
「もう終わりかー? さっきまでの威勢はどうしたんだよ!」
 男子生徒が不敵に笑い、狙い澄ましたカウンターを叩き込む。
 五十嵐は咄嗟に腕を交差させて防いだが、ずしりと重い衝撃が骨を伝わって両腕を痺れさせた。アスファルトの上を数メートル後退し、彼女は強烈な痺れに眉をひそめる。
(どうしよ……攻撃が全部、先読みされてるみたいに避けられちゃう。一撃一撃が重いし、このままじゃ……)
 じりじりと後退を余儀なくされる五十嵐。実力の差は、目に見える形で戦況を支配し始めていた。男子生徒の武器は『虎』と『豹』の二つをモチーフにしているのか、しなやかさと爆発的な瞬発力を兼ね備えている。一方の五十嵐は、防戦に回ることで精一杯だった。
「今度は俺からいかせてもらうぞ! 振り落とされるなよ!」
 男子生徒が地を強く蹴った。アスファルトに鋭い亀裂が走り、彼の姿が陽炎のようにブレる。
「オラァッ!」
(はやっ……!?)
 瞬きする間もない鋭い踏み込み。五十嵐の視界に、凶悪な鉤爪の閃光が迫る。彼女は必死に身を捩り、致命的な一撃だけは避けるが、代わりに制服の袖が鮮やかに裂け、白い肌に薄い切り傷が走った。じわりと、熱い痛みが走る。
「もっと早くよけねぇと、深くいっちまうぞ?」
「……ッ!」
(避けるので精一杯……でも、あと少し。あと数合、耐えきれば……!)
 痛みと焦燥に支配されそうな意識の隅で、五十嵐は自身の武器から伝わってくるわずかな「振動」を逃さず感じ取っていた。
 彼女が装備する『猫又』は、戦闘が長引くほどに、そして主人が窮地に立つほどにその真価を発揮する特異な武器だ。だが、その準備が整うまでは、この圧倒的な攻勢を文字通り「死に物狂い」で凌ぎ続けなければならない。
「もっと楽しませろよ! 守ってばっかりじゃ退屈なんだよ!」
 嘲笑と共に放たれたのは、重厚な回し蹴りだった。
 防御を固めていた五十嵐だったが、その衝撃を殺しきれず、小柄な身体が地面を滑るように数メートル吹き飛ばされる。
 背中を地面に打ち付け、五十嵐は顔を歪めた。全身の筋肉が悲鳴を上げ、視界が火花を散らす。
「……女の子にこんなことして、酷いね」
「ハッ、これは闘いだ。痛いのが嫌なら、さっさと降参しな!」
 見下ろす男子生徒の瞳には、勝利を確信した余裕の色が混じっていた。彼は両手の鉤爪をチャキ、チャキと打ち鳴らし、獲物を追い詰めるようにじりじりと距離を詰めてくる。その一歩一歩が、五十嵐へのプレッシャーとなってのしかかる。
「……そろそろおしまいだな。引導を渡してやるよ!」
 男子生徒が再び地面を爆ぜさせ、一気に加速した。五十嵐を仕留めるべく、全力の突撃が敢行される。
「……ッ!」
 五十嵐は踏ん張ろうとするが、先ほどの蹴りのダメージが膝を震わせ、反応が一瞬遅れる。
 真正面から衝突する激しいプレッシャー。まともに受け止める力はなく、彼女は再び大きく後方へと吹き飛ばされた。背中が壁に激突し、激しい衝撃が全身を貫く。
「……これで終わりだ」
「……【ファイア・ランス】!」
「おっと……あっぶねぇな」
「……クッ」
 転がりながら放った不意打ちの炎槍(ファイア・ランス)も、男子生徒は首をわずかに傾けるだけであっさりと躱してしまう。炎の槍は空しく空を切り、彼方の瓦礫を焦がしただけだった。
「よく粘ったが、もうこれでおしまいだ。たっぷり楽しませてもらったぜ」
 男子生徒は勝利を確信し、宙に高く舞い上がった。全体重と重い威力を込めた両手の鉤爪が、倒れたままの五十嵐へ向けて無慈悲に振り下ろされる。
 絶体絶命――その言葉が脳裏をよぎる。
 しかし、その決定的な一撃が届く直前、予想だにしない方向から状況が動いた。
「……え?」
「……くそ! 何だ今のは!」
 轟音と共に、男子生徒の真横から強力な魔法の閃光が突き刺さった。咄嗟に反応した男子生徒が、反射的に後方へと大きく跳躍して回避行動をとる。
 五十嵐は呆然としながら、閃光が放たれた主へと視線を向けた。
 そこでは、激戦を繰り広げているティオナの姿があった。彼女はこちらを振り向きもせず、ただ左手で小さく親指を立て、無言の激励を送りながら自身の敵と戦い続けている。
「チッ、あっちの戦闘の流れ弾か……? 邪魔な野郎だ」
 男子生徒はティオナの方を忌々しそうに睨みつけ、ぺっと舌打ちした。
(ありがと、ティオナ……! 繋がった……!)
 ティオナのアシストが稼いだ、わずか数秒。しかし、それは五十嵐にとって千金に値する時間だった。
 五十嵐の中で、武器との同調率が臨界点を超え、内側から爆発的な力が溢れ出す。
「……まあいい。運命は変わらねぇよ。本当に、これで終わりだ!」
 男子生徒が再び距離を詰め、渾身の力で鉤爪を振り下ろす。
 だが――ガキンッ!!
 大気を震わせ、周囲の空気が爆ぜるほどの重厚な金属音がフィールドに鳴り響いた。
「な!? 止めた……だと!?」
 五十嵐が、先ほどまで一方的に弾かれていたはずの一撃を、下からのクロスガードで完璧に防ぎ止めていた。ぴくりとも動かないそのガードに、男子生徒は目を見開く。
「……ふふっ、ギリギリ……本当にギリギリ、間に合ったわ」
「いったい何をした……! さっきまでと腕の力が違いすぎるぞ!」
 押し返されるほどの強力な手応え、そして武器越しに伝わってくる桁違いのプレッシャーに、男子生徒は初めて驚愕の表情を浮かべた。
「攻撃を跳ね返しただけだけど?」
 五十嵐は傷だらけの顔に不敵な笑みを浮かべ、ゆっくりと、だが力強く立ち上がった。その瞳には、先ほどまでの弱気な色は一切ない。
「そういう意味じゃねぇ……! なんで俺の重い攻撃を跳ね返せるほど、急に出力が上がったかって聞いてんだよ!」
「……あなたが、攻め続けてくれたからよ。この子が準備を終えるまで、必死に凌ぐのは本当に大変だったんだから」
「何……?」
「……そうだね。基礎の実力だけなら、私はあなたに力負けする。それは認めちゃうわ。でもね――」
 五十嵐は首を縦に振り、あっさりとそれまでの劣勢を肯定した。そして、静かに、だが確かな誇りを持って言葉を続ける。
「……これのおかげよ。見て、綺麗に化けたでしょ?」
 五十嵐は、自身の武器である両手の鉤爪をスッと前に突き出した。
 そこには、先ほどまでの華奢で頼りなかった爪はない。より分厚く、禍々しくも黄金の輝きを放つ、王の風格を湛えた巨大な刃へと変貌していた。その装飾は精緻を極め、あたかも生きているかのような拍動を伝えてくる。
「……それがどうしたってんだ」
「……この武器、『猫又』はね。主人が攻撃を凌ぎ続け、一定の時間を過ぎた時――“化ける”のよ」
「……化ける、だと?」
 男子生徒は、目の前の少女から放たれる圧倒的な気配の変化、そして空気が重くなったような威圧感に、無意識のうちに息を呑んだ。
「そう。化け猫がさらに格上の獣に化ける――これが猫又の真の能力。進化したこの武器の名前は〈獅子王(ししおう)〉。……ただの野良猫だと思ってなめてたなら、残念だったわね。今は、百獣の王なんだから」
 五十嵐は、反撃の牙を剥く猛獣そのものの瞳で、静かに宣言した。
「……ライオン、か」
「ここからが本番よ。……準備はいい?」
「プッ……ハハハハハ! 面白い! 最高の『化け方』じゃねぇか! 俺の武器は『虎』と『豹』……! お前の獅子と、どっちが真の王者か……今ここで教えてやるよ!」
 男子生徒は一瞬の戸惑いを闘志へと塗り替え、剥き出しの牙を見せて笑った。その顔には、好敵手を見つけた時の喜びが溢れている。
「楽しそうね。私も、ワクワクしてきたわ」
「当たり前だ! 勝負はこうじゃねぇとな!」

「行くわよ……属性付加――【火】!」
 ボォッ! と熱い音が鳴り響き、鮮やかな紅蓮の炎が五十嵐の全身を駆け巡る。
「……ますます楽しませてくれるな! 待った甲斐があったぜ!」
「……悪いけど、ここからは一気に終わらせてもらうわね!」
 炎を纏った五十嵐が、力強く地面を一蹴した。
 足元で火花が爆ぜる音と共に、彼女の身体は赤い閃光となって加速する。先ほどまでの動きを遥かに凌駕する踏み込みに、男子生徒は目を見開いた。
「――っ!?」
 彼が防御を固めるよりも早く、五十嵐は一直線にその懐へと飛び込んでいった。