魔力の少ない魔法使い

「ほら! どうしたの? 反撃してこないの!」
 無人の市街地に、少女の元気な声が木霊する。
 武具召喚した銀色に光る長剣が空気を裂くヒュッという風切り音と共に振るわれる。だが、紘弥は足元をわずかに滑らせ、最小限の首の動きだけでその凶刃をかわした。数本の前髪がふわりと宙を舞う。
「……チッ」
 小さく舌打ちが漏れる。
 紘弥は現在、この素性も知れない女子生徒と交戦――いや、一方的な防戦を強いられていた。自身の『女子相手に本気は出さない』という信条(ポリシー)に従い、彼から攻撃を仕掛ける様子は一切ない。相手の力量を測りつつ、ひたすら回避と後退に専念している状態だった。
 女子生徒の剣が、銀色の美しい弧を描いて横薙ぎに振るわれる。
 紘弥はアスファルトを滑るように一歩下がり、それも難なく避けた。剣圧だけで周囲の埃が舞い上がる。
「……まさか、本当に戦う気ないんじゃないよね?」
 女子生徒は少し不満そうに、形の良い眉をひそめて動きを止めた。
「……あまり乗り気ではない」
 紘弥は面倒くさそうに肩をすくめる。
「……はぁ。面白くもなんともないね、君。さっきの『自称・紳士』気取り、まだ続ける気?」
「……しゃあねぇだろ。女相手に本気で手を出す男はモテないらしいからな。それに、さっきの素手で突っ込んできた時にガードした腕がまだジンジンしてんだよ」
 紘弥は後頭部をポリポリと掻く。冗談めかしてはいるが、先ほどの彼女の一撃が規格外の重さだったのは事実だ。
「……そうかもしれないけど……」
「だろ?」
 謎のドヤ顔で言い放つ紘弥に、女子生徒は呆れたように深いため息をついた。
「……別にこれは魔闘祭の試合なんだし、男も女も関係ないと思うよ君、本当にそんなんで『九条』の名を背負ってるの?」
 その言葉を聞いた瞬間、紘弥の目がわずかに細められた。
「……九条、か。耳が痛い名前だな」
「当たり前でしょ! 九条家の長男なら、絶対に強いはずなんだから! 私は、君のその本気が見たいの!」
「……九条だからって、強いとは限らないんだけどな……」
 期待に満ちた彼女の言葉を遮るように、紘弥はぼそりと自嘲気味に呟いた。だが、その言葉とは裏腹に、彼の周囲の魔力がわずかに震え始める。
「ん? 何か言った?」
「いや……何も言ってねぇよ。……分かったよ。そこまで言われちゃ、名門の面汚しになるわけにもいかねぇか」
 紘弥がゆっくりと懐から手を出した。
 その掌に魔力が収束し、淡い光と共に幾何学模様の魔法陣が浮かび上がる。
「轟け――〈麒麟〉」
 光の中から雷を纏った双銃が現れる。
「……なに? やる気になってくれた?」
 女子生徒がパッと顔を上げ、嬉しそうに目を輝かせた。
「……まあな。一応、形だけでも整えておかないと、あとで弟に何を言われるか分かったもんじゃない」
 紘弥は双銃を器用に回し、銃口を斜め下へと向けた。
 それを見た女子生徒は、ニッと無邪気に笑うと、剣をぴたりと正眼に構え直した。
「それじゃあ、改めて……いくよ〜!」
 次の瞬間、女子生徒が爆発的な踏み込みを見せた。
 バンッ! とアスファルトがひび割れ、砕けた破片が後方へ吹き飛ぶ。
 武器を手にした紘弥を「敵」として認識した彼女の剣速は、先程までの比ではなかった。
「おっと……!」
 紘弥は双銃を交差させ、迫り来る剣筋を銃身で受け止めた。
 キンッ! と高い金属音が響き、火花が散る。
 彼女の剣は重く、鋭い。紘弥は引き金を引くことなく、銃身を盾や短棒のように使い、流れるような動作で剣をいなしていく。
 上段からの唐竹割り、手首を返しての横薙ぎ、そして心臓を正確に狙った突き。
 休む間もなく繰り出される怒涛の連続攻撃に対し、紘弥は双銃の銃身を器用に使い、剣の軌道をわずかに逸らしながら、紙一重で回避を繰り返す。
(……チッ、想像以上にキレてやがるな。さっきまで本気じゃなかったってことか)
 接近戦において、長剣と双銃では圧倒的に間合いが違う。本来なら距離を取るべきだが、彼女の踏み込みが速すぎて、一度張り付かれると引き剥がす隙がない。
 銃撃しようにも、銃口を向けるよりも先に彼女の剣が届いてしまう。
「ほらほら! 銃使わないの!? 撃ってきなよ!」
 女子生徒は戦闘の熱狂を楽しむように笑いながら、さらに容赦なく剣を振るう。
 紘弥は防戦一方。銃身で剣を弾くたびに、腕に重い衝撃が伝わり、徐々に足取りが重くなっていく。
(……このままじゃ、本当にジリ貧だな)
 紘弥は冷静に戦況を分析した。
 素手よりはマシだが、このまま近接戦を続けていれば、いつかはガードを抜かれる。かといって、強引に弾幕を張れば、この距離では彼女に致命傷を与えかねない。それは「女子相手」という彼のポリシーが許さなかった。
「……だったら、これしかないか」
 女子生徒の渾身の一撃が、上段から断頭台のように振り下ろされる。
 紘弥はそれをあえて受けず、足元に魔力を込めて後方へ大きく跳躍した。
 背中からビル風を浴び、一気に数メートルの安全圏を確保する。
「よっと」
 軽やかに着地すると同時に、短く息を吐いた。
 そして紘弥は、今まで守りに使っていた双銃を、初めて真っ直ぐに彼女へと向けた。
「……ふぅ〜」
 小さく息を整える。面倒くさそうな顔が消え、瞳の奥に鋭い光が宿った。
「一瞬で、無傷で終わらせてやるよ。……文句言うなよ?」
 次の瞬間。
 紘弥の身体の奥底から、休火山が噴火したかのような膨大な魔力が溢れ出した。
「属性付加――【雷】!」
 バチバチィッ! と鋭い音が鳴り響き、青白い強烈な電撃が紘弥の全身を駆け巡る。

「属性付加……!?」
 網膜を焼くような突然の雷光と、肌を刺す圧倒的なプレッシャーを前に、猛攻を続けていた女子生徒の動きが完全に止まった。
 先ほどまでの軽快な笑顔が消え、彼女の瞳に初めて本能的な「恐怖」と、それを上回る「歓喜」が混ざり合う。
「……わりぃけど、ここからは遊びじゃねぇよ」
 青白いスパークを散らす双銃を構えたまま、紘弥は静かに告げる。
 その瞳の中には、すでに雷の如き「超反応」の光が鋭く宿っていた。彼にとって、世界は今やスローモーションのように緩慢な動きに支配されている。
(……できるだけ、傷つけるのは最小限にしたい。それは本心だ)
 紘弥は加速した意識の中で、冷静に彼女の立ち姿を観察した。
 だが、同時に理解していた。これほどの実力者だ。中途半端な一撃では止まらない。いや、中途半端な攻撃こそが、逆に彼女のプライドを傷つけ、より危険な泥沼の戦いへと引きずり込んでしまうだろう。
(……無傷で勝とうなんて、このレベルを相手にすれば奢り(おごり)でしかないか。少しくらいの痛みは、我慢してもらうぜ)
 紘弥は自らの甘さを切り捨てるように、短く、鋭く息を吐き出した。
 ポリシーを完全に捨てたわけではない。だが、九条の長男として、そして一人の戦士として、目の前の少女に「全力」で応えることこそが、今の自分にできる唯一の誠実さだと結論づけたのだ。
「――いくよ!」
 女子生徒が、恐怖を振り払うように叫びながら再び地を蹴った。
 風を切り、銀光を閃かせ、最短距離で紘弥の喉元へと長剣を突き出す。先程までなら紘弥も冷や汗をかいたであろう神速の刺突。
 しかし、雷を纏った紘弥の視界では、その剣筋はあまりに、あまりに遅すぎた。

 紘弥の姿が掻き消えた。
 否、あまりの速度に、周囲の空気が爆ぜたのだ。
 一筋の青白い閃光が市街地を走り抜け、すれ違いざまに双銃の撃鉄が跳ねる。
 ドォォン! と、落雷のような衝撃音が大気を震わせた。
 女子生徒の長剣が、根元から弾き飛ばされる。
 だが、紘弥の追撃はそれだけでは終わらない。彼は彼女の死角へと回り込み、銃身を逆手に持ち替えた。
 双銃から放たれる青白い電撃が、暴力的なまでの質量となって少女の防御を根こそぎ崩しにかかる。
 紘弥の表情から、先ほどまでの面倒くさそうな弛緩は消えていた。
「一瞬で終わらせてもらう!」