入学からもうすぐ一ヶ月が経とうとしている。
この一ヶ月で、俺もようやくこの【星雲魔術師学園】の空気に慣れてきた。いくつか友人と言える顔ぶれもでき、当初抱いていた居心地の悪さは薄れつつある。
今朝のホームルームも、いつも通りの気怠げな空気で始まった。
「よ~し、今から大事な話をするからな……っと。資料を忘れた。ちょっと職員室に行ってくる」
担任の烏廻さんは、やる気のない声を残して教室を出て行った。相変わらずのマイペースぶりだが、端正な顔立ちとフランクな性格のせいか、女子生徒を中心にファンクラブまで囁かれるほどの人気を博している。
数分後、烏廻さんが戻り、前列から順に一枚のプリントを配り始めた。
「大事な話ってのはこれだ。二学期に行われる学園最大の行事――『魔闘祭(まとうさい)』。その代表選抜をこれから行う」
プリントには、重厚な筆致で『魔闘祭・クラス予選のしおり』と書かれていた。魔闘祭。一般客も入る大規模な競技会で、この学園の威信をかけた戦いの舞台だ。
「先生、代表はどうやって決めるんですか?」
前列の生徒が身を乗り出すように尋ねた。烏廻さんは名簿を丸め、机を軽く叩く。
「いい質問だな、中川」
「……山田です。中川は隣に座っています、先生」
「ああ、そうだな。わざと間違えたんだ。リアクションが欲しくてな」
この人の場合は本当に間違えている可能性もある。
烏廻さんは悪びれもせず、薄笑いを浮かべて話を続けた。
「まあ、決め方はシンプルにいく。お前ら、何か希望はあるか?」
「実力主義で決めるべきでしょう」
遮るように声を上げたのは、紫色の髪を揺らした少年、帝竜二だった。
「弱者が代表になれば、我が一年C組の恥を晒すことになる。トーナメント形式で勝者を決めるのが妥当です」
八大貴族の一角、帝家の嫡男。彼の言葉には、圧倒的な選民思想と、それに見合うだけの実力が宿っている。
「他の奴らもそれで良いか?」
周囲の生徒たちも、帝の威圧感に気圧されたように頷いた。
「よし、決まりだ。そうなると、闘技場の予約をしないとな」
そう言って烏廻さんは再び教室を飛び出していった。
――が、特に続報のないまま放課後になった。
「お前ら~席に着けよ~」
烏廻さんが気怠げに教室へ入ってくる。
「辰巳さーん、闘技場のことどうなったんすか~」
紘弥が声を上げた。漫画やゲームの話で意気投合して以来、彼は担任を下の名前で呼んでいる。
「……悪い、他のクラスに先を越された。予約しに行く途中で、睡魔という名の魔物に引きずり込まれたんだ」
要するに昼寝をしていたらしい。クラス中からブーイングが飛ぶ中、先生は悪びれもせず言い放った。
「ああ、確かにこればっかりは俺が悪い」
こればっかりではないだろう。
「せめてもの償いだ。予選が行われる七月の第一週まで、俺の担当する授業はすべて自主練に充てていい。その代わり、闘技場以外で魔法を使ったらテストは零点だ。質問があればいつでも来い。女子生徒なら大歓迎だぞ」
最後の一言さえなければ、少しは見直せたのだが。
翌朝、黒板にはトーナメント表が貼り出された。
クラス四十名を四人一組のブロックに分け、各ブロックの勝者計十名が代表となる。
「俺の番号は四十番か……。最後の一枠だな」
相手を確認すると、一回戦は山田。そしてそこを勝ち抜けば、二回戦で当たるのはおそらく――帝竜二。
「隼人、行こうぜ」
親友の紘弥に促され、俺たちは放課後の図書館へと向かった。
俺、紘弥、玲奈、サラ、瑞希、ルイ。いつの間にか固定されたこの六人グループは、今やクラスでも目立つ存在になりつつある。
図書館の膨大な蔵書と静寂に圧倒されながら、俺たちは予選に向けた対策を練ることになった。
「隼人君、これ運ぶの手伝って!」
「サラ、借りすぎだろ……」
ピンク色のショートヘアを揺らすサラに頼まれ、俺は重い資料の山を運ぶ。彼女は一見明るいムードメーカーだが、時折、何かに怯えるような影を見せることがあった。
静かな書庫の奥に資料を運び終え、一息つこうとしたその時だった。
「……うるさいね。静かにできないのか」
冷ややかな声と共に、書棚の影から一人の生徒が姿を現した。帝竜二だった。彼は手にしていた魔導書をパタンと閉じ、こちらを一瞥する。
「九条、それに西園寺。君たちがなぜそんな庶民と群れているのか理解に苦しむよ。特に……」
帝の鋭い視線が、俺の隣にいたサラを射抜いた。
「君たちは知らないのか? この女の忌まわしい生まれを。クロイツ家といえば、かつて――」
サラの肩が、目に見えて震え始めた。血の気の引いた彼女の顔を見た瞬間、俺の中で冷たい怒りが弾けた。帝の口から、彼女が秘めていた過去が暴かれようとしたその瞬間。
「黙れよ」
俺の口は、考えるより先に動いていた。
「……なんだい、突然」
「人のプライバシーを騒音代わりに垂れ流す奴が、静かにしろなんて説教するな。お前こそ、家柄の看板がなきゃ自分の言葉も持てないのか?」
周囲の空気が凍りついた。帝の瞳に、明確な蔑みと怒りが宿る。
「……僕を舐めているようだな。後悔させてやるよ」
閉館を告げるチャイムが、最悪のタイミングで鳴り響いた。帝は鼻で笑うと、優雅な足取りで立ち去っていった。
「隼人、お前……」
紘弥が呆れたように、けれどどこか感心したように声を漏らす。
「あんなこと言って、二回戦で当たったらどうするんだよ…鼻につくやつだが実力は確かだぜ?」
「分かってる。帝は俺を叩き潰しに来るだろうな」
震えの止まったサラが、消え入るような声で「ありがとう」と言った。
俺は短く「気にするな」とだけ返し、自分の拳を握りしめた。
魔力差は絶望的だ。まともにぶつかれば、一瞬で捻じ伏せられるだろう。
だが、時間は二ヶ月ある。
「やるしかねぇか……」
魔法は万能ではない。烏廻さんが言っていた最小の消費で最大を得る「効率」と、授業で学んだ「術式理論」。
魔力が少ないからこそ、誰よりも深く考えてきた自分の力を信じるしかない。俺は今、この場所から挑戦を始めることを決意した。
