魔力の少ない魔法使い

烏廻さんとの特訓が始まってから数日が経過し、ついに合宿最終日を迎えた。
俺たちは泥を啜るような特訓を繰り返してきたが、未だに彼へ有効な一撃を当てることすら叶わずにいた。だが、初日のようにただ圧倒されるだけではない。俺たちの動きは、確実に変わりつつあった。

黒崎が放つ乾いた銃声が空気を切り裂くと、それを追うように紘弥の雷弾と橘の放つ桜色の矢が、烏廻さんの逃げ道を網の目のように塞ぐ。
「へぇ、いい動きだ」
烏廻さんは地を這うようなステップでそれらを躱すが、その着地先には既に五十嵐とサラの姿があった。
獲物を追う獣のような五十嵐の鉤爪と、死神の如く横一閃に薙がれるサラの大鎌。二人の猛攻を、烏廻さんは黒い剣一本で最小限の動きで受け流す。

だが、その流れた先には、ルイが槍を構えて待ち構えていた。
槍が、回避先を正確に読んだ超高速の刺突を繰り出す。横っ飛びに回避を強要された烏廻さんの、そのわずかな着地の硬直を、ティオナは見逃さなかった。
彼女が掲げた大杖から、爆発的な聖なる極光が溢れ出した。
至近距離で炸裂した純白の輝きが、烏廻さんの視界を強制的に白く染め上げる。
その刹那、帝のが閃光の如く空を薙ぎ、鋭い斬撃が彼の首元へと肉薄した。
「おっと……!」
烏廻さんは白い剣を振り上げ、目視できないはずの斬撃を、勘だけで強引に上方へと弾き飛ばす。
その大きな体勢の崩れ――それこそが、俺たちの狙いだった。
「双炎剣壱ノ型――【陽炎(かげろう)】!」
俺は死角から踏み込み、全力の抜刀を繰り出す。
だが、それさえも烏廻さんの双剣に阻まれた。
一瞬、視線が交差する。
俺の口角が上がったのを見て、烏廻さんは一瞬だけ不思議そうに眉をひそめた。
直後、彼は背後の「本命」に気づき、目を見開く。
「――【フロスト・ノヴァ】」
俺の影に溶け込むように潜んでいた玲奈が、至近距離から魔法を放った。

狙撃、近接、刺突による誘導、そして視界を奪う極光。
十人の意識が一本の糸に繋がったかのような波状攻撃。
流石の烏廻さんでも、これだけ体勢を崩した今なら、逃げ場はないはずだ。
凍てつく衝撃が、確実に彼の胸元を捉えた――そう確信した瞬間、烏廻さんの姿が視界からフッと消え失せた。
「……ッ! どこへ――」
「ふぅ~、今のはなかなか良い連携だったな。肝が冷えたぜ」
直後、背後から烏廻さんののんびりとした声が響いた。
いつの間に。視界から消えただけじゃない、背後に回り込まれたことすら察知できなかった。
「くそっ……今のでも当たらないのかよ」
紘弥が地面に膝をつき、悔しげに拳を叩きつける。
「……隼人君、どうする? まだ何かある?」
サラが焦ったように聞いてくるが、俺は力なく首を振った。今の連携は、俺たちがこの数日間で練り上げた最高の手札だった。
俺たちが絶望感に沈みかけた、その時。
烏廻さんが満足げな笑みを浮かべ、二振りの剣を消した。
「……よし、お前ら。合格だ」
「「「……へ?」」」

突拍子もない言葉に、全員の間の抜けた声が重なった。
「合格ってどういう意味っすか!?」
「言葉の通りの意味だ。最後の一撃は、俺も少し本気で避けちまったからな。誇っていいぜ、お前ら」
……今まで全然本気じゃなかったってことか。どんだけ底知れないんだこの人は。
「まあ、俺に勝つことなんか百年早い。攻撃を当てるのも五十年は早いな」
憎たらしいほど高い壁。普段はだらしない中年教師のくせに、底知れない「怪物」であることを突きつけてくる。
「烏廻先生、今日の午後からはどうするんですか?」
橘の質問に、烏廻さんは少し考え込んだ後、思い出したように手を打った。
「そういや、夜にこの辺で花火が上がるってチラシがあったな。キリもいいし、午後は解散だ。夜は祭りでも見てこい」
「……いいんですか?」
「おう。体を休めるのも立派な修行だ。戦い詰めで頭が固まったら、勝てる戦も勝てなくなるからな」
「よっしゃぁあ! やっと休めるぜ!」
「はぁー、もうくたくただよぉ……」
紘弥が歓喜の叫びを上げ、サラはその場にへたり込んだ。他の奴らも緊張の糸が切れたのか、岩に座り込んだり、大の字で寝転がったりしている。
優斗さんと対峙した時とはまた違う、神経を削られるような疲労が全身を支配していた。
「おいおい、そんな土の上で寝るなよ。旅館に帰ってから休めって」
「一歩も動けないくらい疲れてるんすよ、こっちは!」
「はぁ……しゃあねぇか」
烏廻さんはため息をつきながら、俺たちを集まるように促した。
「ほら、肩に触れろ。『転移』で旅館まで運んでやるよ」
全員が触れたのを確認し、彼が短く詠唱する。
「【転移】」
視界がぐにゃりと歪んだかと思うと、次の瞬間には見慣れた旅館の前に立っていた。
「ほら、昼飯食って部屋でゆっくり休め。花火も行きたくなきゃ寝てていいからな」
気怠げに言い残すと、烏廻さんは一人で歩き出した。
「あれ、烏廻さんはどこ行くんですか?」
「んー? ちょっと野暮用がな。大人の隠れ家ってやつだよ」
ひらひらと手を振りながら、彼はいつものように飄々と去っていった。
「まあ、いいじゃん! そんなことより飯だ飯! 腹減って死ぬ!」
紘弥が真っ先に旅館へ駆け込み、俺たちも顔を見合わせて苦笑いしながら後に続く。


 
昼食を終えた後、ロビーで自然と花火の話題になった。
「……ねえ、今夜の花火、みんな行く?」
切り出したのは、誰だったか。
合宿最終日。地獄のような特訓を乗り越えた俺たちの間には、今までとは違う、どこか浮き足立ったような空気が流れていた。
「私、行きたい!」
サラが元気よく手を挙げると、五十嵐もそれに続く。
「他の奴らは?」
「私も行きたいかな」
橘が少し控えめに同調した。
「私はどっちでもいいわ」
玲奈は相変わらず素っ気ない。
「えーと、ティオナは行きたい?」
黙り込んでいるティオナに話を振ると、彼女は無言のまま小さくコクンと頷いた。自分から発言することは少ないが、話しかければちゃんと反応してくれる。
「女性陣は賛成四人、どっちでもいいが一人だな。男はまあ、俺と隼人は行くとして……全員に聞くまでもなく賛成多数だな」
おいおい紘弥、俺がいつ行くと言った。まあ、行くつもりではあったけど。
帝なんかはこういう俗っぽい行事には興味がないと思っていたが、特に文句を言わないということは行くつもりなのだろう。
「じゃあ、決まりだね!」

解散の合図と共に、女性陣は連れ立って自分たちの部屋へ戻っていった。
俺たち男子も部屋へと引き上げる。

「で? お前、誰を誘うんだ?」
部屋に着くなり、紘弥がニヤニヤしながら俺の肩を小突いてきた。
「なにが?」
「は? そんなの決まってんだろ。女子だよ女子!」
「何言ってんだ?」
全く言っている意味が分からない。
「祭りで、女子と二人っきりで回らないのかって聞いてんだよ」
「二人っきりって何で? 全員で回ればいいじゃん。せっかくの打ち上げなんだし」
俺が本気でそう言うと、紘弥は何故か深々とため息をついた。
「はぁ~……まあ、お前ならそう言うと思ったけどさ」
「フッ、君のその絶望的な鈍感さには呆れるね」
そこに帝まで割り込んできて、小馬鹿にしたように鼻で笑われた。
「なんだと?」
「帝の言う通りだ。今回だけは、お前と意見が合うな」
「ふん、僕は君と意見なんか合わせたくもないけどね」
「あぁ!?」
そこから何故か、紘弥と帝の口喧嘩が始まってしまった。喧嘩するほど仲が良いってやつだろうか。
「隼人君は罪な男ですねぇ」
ルイまで肩をすくめて言う始末だ。どういうことだよ、誰かちゃんと説明してくれ。
「なぁ、黒崎。お前はあいつらの言ってる意味が分かるか?」
部屋の隅で黙々と本を読んでいた黒崎に話を振る。彼は本から視線を外し、哀れむような目で俺を見た。
「……ああ、痛いほどわかる」
黒崎も分かるのか。分からないのは俺だけ?


女子部屋は、男子よりも早々に花火の話で沸いていた。
「お店も出てるんだよね!」
「そうだよ凛ちゃん。旅館のポスターに書いてあった!」
「ありがと! でさ、サラ。桐宮君を誘わないの?」
五十嵐が意地悪な笑みを浮かべ、サラの顔を覗き込んだ。
「え!? な、ななな何で隼人君を誘うの!?」
サラは突然振られた話題に、分かりやすくテンパり始めた。
「サラちゃん、動揺しすぎだよ」
橘が苦笑いしながらツッコミを入れる。
「だ、だだって! 凛ちゃんが変なこと言うから!」
「サラ、噛んじゃってかっわい~」
「うぅ」
からかわれたサラは、顔を真っ赤にして両手で顔を覆ってしまった。
「なんで、わかったの?」
指の隙間から上目遣いで、自分が隼人のことを気にしているとバレた理由を尋ねる。
「そりゃあねぇ?」
「うんうん、サラちゃんずっと隼人君のことばっか見てるし」
「ええ? そ、そんなに見てた?」
「無意識で目で追ってたんだね」
橘のトドメの一撃に、サラはさらに顔を赤くした。
「思い切って誘ってみたら?」
「で、でもさ。隼人君のそばにはいつも玲奈ちゃんがいるしさ……」
サラは急に自信を無くしたように、しゅんと肩を落とした。
「そんなに弱気じゃだめだよ? それこそ、西園寺さんにとられちゃうよ?」
「分かった。私、誘ってみる!」
五十嵐の言葉に背中を押され、サラは顔を上げて両手で自分の頬をパンッと叩いた。
「それでこそサラだよ!」
「ありがとね、凛ちゃん、瑞希ちゃん!」

「はあ、なんだかな」
結局、あいつらの言っていた意味は分からないままだ。
部屋では未だに紘弥と帝が言い争い、ルイはどこかへ行ってしまった。
黒崎は相変わらず黙々と本を読んでいる。一度表紙を見せてもらったことがあるが、内容が難解すぎて題名すら覚えていない。
「ここにいてもすることないし、俺もその辺ぶらついてくるか」
俺が外に出ようと部屋のドアを開けた、その瞬間だった。
「キャ!」
「うぉっ!」
目の前にサラが立っており、不意の鉢合わせにお互い変な声を上げてしまった。
「どうしたんだ?」
男子部屋の前にいたということは、誰かに用事があったのだろう。
「え、えーと、その……」
サラは俯き、もじもじと指を絡ませている。顔が赤い。なんか様子がおかしいぞ。
「……あのね、花火、一緒に回って欲しいの。ダメかな?」
サラが恐る恐る、上目遣いで聞いてきた。
「いいけど?」
「ほ、ほんとに!?」
サラの顔がパッと明るくなる。
「いや、だって元々みんなで一緒に回るって話だったし」
「え?」
「昼もそんな流れだったろ?」
俺がそう言うと、サラの表情がスッと固まった。あれ、俺何か勘違いしてるか?
「…………」
「サラ? どうした?」
「――隼人君のバカ!!」
サラは涙目でそう叫ぶと、脱兎のごとく走り去ってしまった。
「え?」
な、なんで急に怒ったんだ? 俺、怒らせるようなこと何か言ったか?
原因が分からなければ、対処のしようがない。誰か女心に詳しそうなやつはいないか。
俺はそっと部屋を振り返り、黒崎を見た。
「てな訳なんだけど。黒崎、俺が何で怒られたか分かるか?」
黒崎は静かに本を閉じた。そして、また深々とため息をついた。
「……そういう事は自分で考えて解決するべきだと思うが。仕方ない」
「俺はどうしたらいいんだ」
「……改めて、クロイツと『二人きりで』出店を回ろうと誘ってみたらどうだ?」
「二人きりで? ……でも、怒ってる相手を誘っても断られないか?」
「……出店で何か好きなものを買ってやると言えば、機嫌も直るんじゃないか」
なるほど。物で釣る作戦か。言い方はあまり良くないかもしれないが、背に腹は代えられない。
「よし、だったらもう一回誘ってくる。黒崎、サンキューな!」
「……ああ。健闘を祈る」
黒崎の的確なアドバイスに感謝しつつ、俺はサラを追いかけて旅館の廊下を歩き出した。

「どこに行ったんだよ」
この旅館は無駄に広くて、なかなか見つからない。
と、自販機の前でジュースを買っている玲奈の背中を見つけた。
「おい、玲奈」
「何よ?」
「サラを見なかったか?」
「サラなら、あっちの中庭の方へ行くのを見たわよ」
玲奈が顎で方向を示す。
「サンキュー」
「あ、ちょっと待ちなさいよ」
教えられた方向へ走ろうとした俺を、玲奈が呼び止めた。
「サラに何の用なのよ」
玲奈の声は、いつもより少しだけ低かった。
「別に大した用事じゃないから、いいだろ?」
そう答えると、玲奈の目がスッと細くなった。
「いいから教えなさいよ」
「サラに、一緒に出店回らないかって誘いに行くんだよ」
「そ、そう……」
玲奈は少しだけ目を逸らし、ジュースの缶をぎゅっと握りしめた。
缶が小さく軋む音がした。
「――確かに大した用事じゃないわね」
「だろ?じゃあな」
俺は足早にその場を立ち去った。
しかし、玲奈のやつ、なんかちょっと怒ってたような……? ああいう時は、あまり関わらないのが一番だ。

玲奈が教えてくれた中庭へ出ると、ベンチにポツンと座っているサラの背中を見つけた。
「おい、サラ!」
「…………」
声を掛けても、サラはそっぽを向いたままで返事をしてくれない。
そんなに怒っているのか。
「サラ、怒ってるよな?」
「……怒ってない」
そう口では言っているが、頬をこれでもかと膨らませたその態度は完全に怒っている。
「そのー、なんだ。今日の夜、俺と二人で一緒に出店回らないか? 好きなもの、何でも奢るからさ」
「えっ」
サラがパッとこちらを振り返った。
「ダメ、か?」
「ううん、全然ダメじゃないよ! 本当に、私と『二人で』回ってくれるの?」
「ああ。約束する」
「ありがとう、隼人君!」
サラの顔に、たちまち満面の笑顔が戻った。
ふぅ、なんとか機嫌が直ったみたいだ。これも黒崎のアドバイスのおかげだ。今度何かお礼をしないとな。
「フフッ、何奢って貰おっかな~♪」
そんなに嬉しそうにされると、断らなくて良かったと思ってしまう。
……いや、待て。
俺の財布の中身、足りるよな?