魔力の少ない魔法使い

あれから、季節は静かに過ぎていった。
 学園の修復が終わり、休講が明けたのは十二月に入ってからだった。襲撃してきた者たちは、すでに学園の地下牢から別の施設へと移送され、事後処理は大人たちの手によって着々と進められていた。
 また、休講期間の間に色々な話も耳に入ってきた。俺たちだけでなく、別のクラスだった水無姉妹とその従者である雨宮、それに八雲や一ノ瀬たちも、あの襲撃の際に俺のために戦ってくれていたらしい。
 俺以外にも、あの状況で俺を助けようと動いてくれた奴らがいたのだ。
 久しぶりに戻った教室には、以前と変わらない顔が並んでいた。
 ルイもその一人だ。彼は休講明けから、当たり前のように俺たちと一緒に登校している。
 本人は、かつて俺を敵に回したことに深く負い目を感じ、自主的に退学しようとしていたらしい。だが、学園長である母さんや烏迴さんたちから「お前は正規の試験を突破して入学している以上、辞める必要はない」と強く諭され、今もこうして学園に残っている。
 最初の頃こそ、俺に対してどこか遠慮しているようなところもあった。けれど、俺が何度も気にするなと言い続けたことで、少しずつ以前のように話せるようになっていた。
 学園を襲ったイーラとの戦い。アースとの出会い。命を懸けた死闘を経て、俺たちはそれぞれに大きなものを抱えることになった。
 姿を消したイーラの行方。アースが知る、母さんや烏迴さんたちの過去の因縁。そして、俺自身の中に芽生えた新たな力の感覚。
 分からないことは、まだいくつも残っている。
 それでも――俺たちは、前へ進んでいった。
「おい隼人! ぼーっとしてんじゃねえよ!」
「うわっ!」
 突然、勢いよく背中を叩かれる。
「いってぇ!」
「ははは! こんなところにいたのか!」
 振り返れば、絋弥がいつもの調子で無邪気に笑っていた。
「もう授業始まるだろ。早く戻ろうぜ!」
「ああ、今行くよ」
 そんな何気ないやり取りを、俺たちは何度も繰り返した。
 放課後、訓練場で手合わせをしたり、くだらない話で笑い転げたり。試験前には図書室に集まって全員で頭を抱え、寒空の下、中庭の自動販売機の前で温かい缶コーヒーを奪い合ったりもした。
 あの日から、大きな事件は起こらなかった。
 けれど、振り返ってみれば――そんな穏やかで退屈な日々こそが、今の俺たちにとって一番必要な時間だったのかもしれない。
 イーラのことも、アースのことも、今すぐ答えが出るわけじゃない。
 だからこそ、俺たちは一度、それらを胸の奥へしまった。
 そして、気づけば厳しい冬は終わっていた。
 雪が解け、暖かな風が吹き始める。
 校庭の桜が咲き始めた頃。俺たちは、一年生として最後の日を迎えた。
 ――そして。
 春。
 俺たちは二年生になった。

 始業式を終えた俺たちは、新しい学年の校舎へと向かっていた。
 掲示板の前には、張り出されたクラス分けを確認しようと、多くの生徒たちが集まっている。
「よっしゃー! 俺と隼人、同じクラスだぜ!」
 掲示板を確認した絋弥が、バンバンと俺の肩を叩いて歓声を上げる。
「痛いってば……」
「あとは玲奈とサラも一緒だな!」
「ちょっと九条。そんな大声出さなくても聞こえてるわよ」
 玲奈が呆れたようにため息をつく。
「……まあ、また一緒なのは悪くないけど」
 そう言いながら、玲奈の口元には小さな笑みが浮かんでいた。
「おお、今年は水無姉妹と雨宮も同じクラスみたいだぜ」
 絋弥が掲示板の別の場所を指差す。
「ああ、本当だ」
 そこには、見覚えのある名前が並んでいた。
 水無涼子。
 水無京子。
 そして――雨宮俊。
 一年生の魔闘祭で戦った、あの三人だ。
「……あら」
 その時、背後から聞き覚えのある声がした。
「これはこれは、西園寺さん。今年はご一緒のようですわね」
 振り返ると、水色の髪を高い位置で結い上げた少女が腕を組んで立っていた。その隣には、同じ水色の髪を優雅な縦ロールに巻いた少女。そして二人の少し後ろには、青髪を整え、眼鏡をかけた男子生徒――雨宮が立っている。
「……あんたたち」
 玲奈の表情が露骨に曇る。
「相変わらず、朝から嫌な顔ですわね」
「そっちこそ、相変わらずね。涼子」
「まあ!相変わらず生意気ですこと!」
「誰が生意気よ」
「……お前ら、朝っぱらから何やってんだ?」
 俺が呆れながら口を挟むと、京子がこちらを向いた。
「あ、桐宮君じゃない今年は同じクラスメイトとしてよろしく」
「おう。よろしくな」
「……なんであんたは普通に挨拶できるのよ」
 玲奈が呆れた顔をする。
「いや、別に敵じゃないだろ」
「去年は敵だったじゃありませんの!」
 涼子がすかさず言い返す。
「まあ、魔闘祭だからな」
「そういう問題ではありませんわ!」
 どういう問題なんだろうか。
 そんな二人のやり取りを見て、雨宮が深いため息を吐いた。
「……朝から騒がしいですね、お二人とも」
「雨宮は相変わらず苦労してるな」
「ああ、分かってくれるか」
 雨宮が心底疲れた顔で頷く。
「ちょっと、俊!何を勝手に桐宮隼人と意気投合してるんですの!」
「ちょっと、俊!私は騒がしくしてないわよ!騒いでるのは涼子と玲奈じゃない!」
「はいはい。分かってますよ」
 雨宮は慣れた様子で二人をあしらう。
「それより、そろそろ教室に行かないと遅れますよ」
「……そうね」
「仕方ありませんわね」
 水無姉妹は不満そうにしながらも歩き出した。
 その背中を見送りながら、俺は小さく笑う。
「今年も賑やかになりそうだな」
「……あの二人がいる時点で、間違いなくそうなるわね」
 玲奈が肩を落とした。
 俺たちもそのまま、自分たちの教室へ向かう。すると、少し離れたところから声がかかった。
「おや、隼人君」
 振り返ると、ルイと橘が掲示板の前に立っていた。
「どうした?」
「どうやら、私は皆さんとは別のクラスになったようです」
 ルイが少し残念そうに笑う。
「私もだね」
 橘も掲示板を見上げながら頷いた。
「でも、隣の教室だから、休み時間ならすぐ会えるよ」
「ああ。それなら大した問題じゃないな」
「ええ。そうですね」
 ルイが穏やかに笑う。
「それに、こうして新しい環境になるのも悪くありません。皆さんと離れるのは少し寂しいですが」
「まあ、寮の部屋も変わらないし、毎日顔を合わせることには変わらないだろ」
「それは。そうですね」
 ルイはそう答えると、俺たちに向かって軽く手を振った。
「では、また後ほど」
「ああ」
 ルイと橘と別れ、俺たちは新しい教室へと足を踏み入れた。
 教室には、一年生の時から見慣れた顔もあれば、少しだけ見慣れない顔もある。
 同じ学年でも、クラスが変われば人間関係も少し変わる。
 それでも――俺の周りには、去年から一緒に過ごしてきた仲間たちがいる。
 一年生の時より、ほんの少しだけ大人びたクラスメイトたち。窓から差し込む、うららかな春の日差し。
 新しい一年が始まる。
 去年とは違う一年になる。
 けれど、きっと今年もこいつらと笑って過ごしていくんだろう。
 ――そんなことを、俺は疑いもしなかった。
 教室をぐるりと見渡す。
「……あれ?」
 何かが、おかしい。
「……サラは?」
 俺がぽつりとこぼしたその言葉に、絋弥もキョトンと首を傾げた。
「あれ? そういや、まだ来てないのか?」
 玲奈もハッとして教室を見回す。
「そういえば……」
 窓際の後ろから二番目。
 サラの席だけが、空いていた。
 机の上には何もない。
 鞄もない。
 本人の姿もない。
「寝坊でもしてるんじゃない?」
 玲奈がそう言ったものの、その声にはどこか引っかかるものがあった。
「でも、始業式にも来てなかったよな?」
 俺が静かに呟く。
「……え?」
 その言葉に、玲奈が顔を上げた。
 始業式。
 確かに、サラの姿を見ていない。
 ガラッ。
 俺たちが顔を見合わせていると、教室の前扉が開いた。
「はいはい、お前ら席につけー」
 入ってきたのは、相変わらず眠そうな顔をした烏迴さんだった。
「今年も一年、俺がお前らの面倒を見ることになったわけだ。去年よりは少しくらい大人しくなってくれてることを期待してるぞ」
「無理だと思います」
「即答すんな、桐宮」
 教室に小さな笑いが起こる。いつもの光景だった。
 けれど――。
 出席を取っていた烏迴さんの声が、途中で止まった。
「……サラ・クロイツは今日は休みとのことだ」
「風邪ですか?」
 俺が尋ねる。
「ああ、そうらしい」
「二年生早々風邪とは災難だな〜」
 絋弥はそう言って、あまり気にした様子もなく自分の席へ戻っていく。
 俺もその時は、それ以上深く考えなかった。きっと、明日には来る。そう思っていた。
 ――けれど。
 次の日になっても、サラは来なかった。
「まだ休んでるのか」
 朝のホームルームが終わった頃、玲奈がスマホを取り出す。
「昨日からずっと休んでるし、一応聞いてみるわ」
「ああ」
 玲奈がサラにメッセージを送る。
 すると、すぐに返信が返ってきた。
『ごめんごめん! まだちょっと熱が下がらなくてさ〜』
 続けて、もう一件。
『心配しなくても大丈夫だから!』
「だって。普通に返事は来たわ」
 玲奈がスマホの画面を見せてくる。
「なんだ、元気そうじゃん」
 絋弥が笑う。
「それなら、もう少し休めば大丈夫だろ」
「ああ……そうだな」
 本人が大丈夫だと言っている。
 なら、今はそれ以上気にする必要もないだろう。
 ――そう思っていた。
 けれど。
 その翌日も、サラは来なかった。
 さらに、その翌日も。
 それでも、連絡をすれば返事は返ってくる。
『まだ治ってないんだよね〜』
『みんなは気にせず学校楽しんでて!』
 いつもと変わらない、明るい返事。
 だからこそ、俺たちも強く問い詰めることはできなかった。
 ただ――日が経つにつれて、俺の中には少しずつ違和感が積み重なっていった。風邪にしては長すぎる。それに、何となく引っかかる。
「……サラ」
 放課後、誰もいない席を見つめる。窓の外では、春の風に乗って桜の花びらが舞っている。
新しい学年が始まった。それなのに、サラだけが教室にいない。
 そして、数日が過ぎた。
 その日も、サラは来なかった。
 ホームルームが始まり、烏迴さんが教室へ入ってくる。
「はいはい、お前ら席につけー」
 いつもと変わらない眠そうな声。俺たちもそれぞれ席につく。そして、出席を取り始めた烏迴さんの声が、サラの名前のところで止まった。
「……」
 烏迴さんはしばらく黙り、ゆっくりと顔を上げた。
「……お前らに、話しておくことがある」
 その声には、いつもの気怠さがなかった。
「サラ・クロイツは――」
 嫌な予感がした。
「学園を辞めることになった」
「…………え?」
 思考が止まった。
 玲奈も、絋弥も、言葉を失っている。
「ちょ、ちょっと待ってください」
 俺は思わず立ち上がった。
「サラが……学園を辞める?」
「ああ」
「なんでですか?」
 烏迴さんは、しばらく俺を見つめていた。
 けれど――。
「……詳しいことは、俺からは話せん」
「でも、サラは……」
 俺は言葉を詰まらせる。
 だって、昨日だって普通に連絡が来ていた。
 『大丈夫だよ』と。
 『もう少ししたら戻るから』と。
 それなのに――。
「……どういうことなんだよ」
 誰も答えてくれなかった。
 窓際の席を見る。
 そこには、今日も誰も座っていない。
 春の風が吹き込み、カーテンが静かに揺れていた。
 俺はただ、その空席を見つめることしかできなかった。
――二年生編、開幕。