魔力の少ない魔法使い

あれから、季節は静かに過ぎていった。
 学園の修復が終わり、休講が明けたのは十二月に入ってからだった。
 襲撃してきた者たちはすでに学園の地下拘束室から別の施設へと移送され、事後処理も大人たちの手によって少しずつ進められていた。
 休講中には、あの日のことについて色々な話も耳に入ってきた。
 俺たちだけじゃない。
 別のクラスだった水無姉妹と、その従者である雨宮。
 それに八雲や一ノ瀬たちも、あの襲撃の最中、俺を助けるために動いてくれていたらしい。
 俺の知らないところでも、俺のために戦ってくれた奴らがいた。
 そのことを知った時は、なんとも言えない気持ちになった。
 久しぶりに戻った教室には、以前と変わらない顔ぶれが並んでいた。
 ルイも、その一人だった。
 彼は休講明けから、当たり前のように俺たちと一緒に登校している。
 本人は、かつて俺を敵に回したことを気にして、自主的に退学しようとしていたらしい。
 けれど、母さんや烏廻さんたちから「正規の試験を突破して入学している以上、辞める必要はない」と説得され、今も学園に残っている。
 最初の頃こそ、俺に対して少し遠慮しているようなところもあった。
 それでも、俺が何度も気にするなと言い続けているうちに、少しずつ以前のように話せるようになっていった。
 学園を襲ったイーラとの戦い。
 アースとの契約。
 命を懸けた死闘を経て、俺たちはそれぞれに色々なものを抱えることになった。
 姿を消したイーラの行方。
 十五年前に起きたこと。
 そして、俺自身の中にあるアースの力。
 分からないことは、まだいくつも残っている。
 それでも――俺たちは前へ進んでいった。
「おい隼人! ぼーっとしてんじゃねえよ!」
「うわっ!」
 突然、背中を勢いよく叩かれる。
「いってぇ!」
「ははは! こんなところにいたのか!」
 振り返れば、紘弥がいつもの調子で笑っていた。
「もう授業始まるだろ。早く戻ろうぜ!」
「ああ、今行くよ」
 そんな何気ないやり取りを、何度も繰り返した。
 放課後には訓練場で手合わせをして。
 くだらない話で笑い合って。
 試験前には図書室に集まって、全員で頭を抱えた。
 寒空の下、中庭の自動販売機の前で温かい缶コーヒーを奪い合ったこともある。
 あの日以来、大きな事件は起こらなかった。
 けれど振り返ってみれば、そんな穏やかで退屈な日々こそが、俺たちには必要だったのかもしれない。
 イーラのことも。
 アースのことも。
 すぐに答えが出るものじゃない。
 だから俺たちは一度、それらを胸の奥へしまった。
 そして――気づけば、厳しい冬も終わっていた。
 雪が解け、暖かな風が吹き始める。
 校庭の桜が咲き始めた頃。
 俺たちは一年生として、最後の日を迎えた。
 そして――春。
 俺たちは、二年生になった。
 始業式を終えた俺たちは、新しい学年の校舎へ向かっていた。
 掲示板の前には、張り出されたクラス分けを確認しようと大勢の生徒たちが集まっている。
「よっしゃー! 俺と隼人、同じクラスだぜ!」
 掲示板を確認した紘弥が、バンバンと俺の肩を叩いて歓声を上げる。
「痛いってば……」
「あとは西園寺とサラも一緒だな!」
「ちょっと九条。そんな大声出さなくても聞こえてるわよ」
 玲奈が呆れたようにため息をつく。
「……まあ、また一緒なのは悪くないけど」
 そう言いながら、その口元には小さな笑みが浮かんでいた。
「おお、今年は水無姉妹と雨宮も一緒みたいだぜ」
 紘弥が掲示板の別の場所を指差す。
「ああ、本当だ」
 そこには、見覚えのある名前が並んでいた。
 水無涼子。
 水無京子。
 そして――雨宮俊。
 一年生の魔闘祭で戦った、あの三人だ。
「……あら」
 その時、背後から聞き覚えのある声がした。
「これはこれは、西園寺さん。今年はご一緒のようですわね」
 振り返る。
 水色の髪を優雅な縦ロールにした涼子。
 その隣で、水色の髪を高い位置で結い上げた京子が、腕を組んで立っていた。
 そして二人の少し後ろには、眼鏡をかけた雨宮が立っている。
「……あんたたち」
 玲奈の顔が露骨に曇った。
「相変わらず、朝から嫌な顔ですわね」
「そっちこそ相変わらずね、涼子」
「まあ! 相変わらず生意気ですこと!」
「誰が生意気よ」
「……お前ら、朝っぱらから何やってんだ?」
 呆れて口を挟むと、京子がこちらを向いた。
「あ、桐宮君。今年は同じクラスメイトとしてよろしくね」
「おう。よろしくな」
「……なんであんたは普通に挨拶できるのよ」
 玲奈が呆れた顔をする。
「いや、別に敵じゃないだろ」
「去年は敵だったじゃありませんの!」
 涼子がすかさず反応する。
「魔闘祭だったからだろ」
「そういう問題ではありませんわ!」
 どういう問題なんだよ。
 そんなやり取りを見て、雨宮が深いため息を吐いた。
「……朝から騒がしいですね」
「雨宮は相変わらず苦労してるな」
「ああ。分かってくれるか」
 雨宮が心底疲れた顔で頷く。
「ちょっと俊! 何を勝手に桐宮隼人と意気投合してるんですの!」
「俊! 私は騒がしくしてないわよ! 騒いでるのは涼子と玲奈じゃない!」
「はいはい。分かってますよ」
 雨宮は慣れた様子で二人をあしらった。
「それより、そろそろ教室に行かないと遅れますよ」
「……そうね」
「仕方ありませんわね」
 水無姉妹は不満そうにしながらも歩き出した。
 その背中を見ながら、俺は小さく笑う。
「今年も賑やかになりそうだな」
「……あの二人がいる時点で、間違いなくね」
 玲奈が肩を落とした。
 俺たちも教室へ向かおうとした、その時。
「おや、隼人君」
 少し離れた場所から声がした。
 振り返ると、ルイと橘が掲示板の前に立っていた。
「どうした?」
「どうやら、私は皆さんとは別のクラスになったようです」
 ルイが少し残念そうに笑う。
「私もだね」
 橘も掲示板を見ながら頷いた。
「でも隣の教室だから、休み時間ならすぐ会えるよ」
「ああ。それなら大した問題じゃないな」
「ええ。そうですね」
 ルイが穏やかに笑う。
「新しい環境になるのも悪くありません。皆さんと離れるのは少し寂しいですが」
「まあ、寮の部屋も変わらないし、毎日顔合わせることには変わらないだろ」
「それはそうですね」
 ルイはそう答えると、俺たちへ軽く手を振った。
「では、また後ほど」
「ああ」
 ルイと橘に別れを告げ、俺たちは新しい教室へ足を踏み入れた。
 一年生の頃から見慣れた顔もあれば、ほとんど話したことのない顔もいる。
 同じ学年でも、クラスが変われば人間関係は少し変わる。
 それでも――俺の周りには、去年から一緒に過ごしてきた仲間たちがいる。
 一年生の頃より、ほんの少しだけ大人びたクラスメイトたち。
 窓から差し込む、暖かな春の日差し。
 新しい一年が始まる。
 去年とは違う一年になる。
 それでも、きっと今年もこいつらと笑って過ごしていくんだろう。
 ――そんなことを、俺は疑いもしなかった。
 教室を何気なく見渡す。
「……あれ?」
 何かが引っかかった。
「……サラは?」
 俺が呟くと、紘弥も首を傾げる。
「あれ? そういや、まだ来てねえのか?」
 玲奈も教室を見回した。
「そういえば……」
 窓際の後ろから二番目。
 サラの席だけが空いていた。
 机の上には何もない。
 鞄もない。
 もちろん、本人の姿もない。
「寝坊でもしてるんじゃない?」
 玲奈がそう言った。
 けれど、その声には僅かな引っかかりがあった。
「でも……始業式にもいなかったよな?」
 俺が呟く。
「……え?」
 玲奈が顔を上げた。
 そうだ。
 始業式でも、サラの姿を見ていない。
 ガラッ。
 俺たちが顔を見合わせていると、教室の前扉が開いた。
「はいはい、お前ら席につけー」
 入ってきたのは、相変わらず眠そうな烏廻さんだった。
「今年も一年、俺がお前らの面倒を見ることになった。去年より少しくらいは大人しくなってることを期待してるぞ」
「無理だと思います」
「即答すんな、桐宮」
 教室に小さな笑いが起きる。
 いつもの光景だった。
 やがて出席確認が始まる。
 そして――。
「……サラ・クロイツ」
 返事はない。
 烏廻さんが名簿から顔を上げる。
「サラは今日は休みだ」
「風邪ですか?」
 俺が尋ねる。
「ああ。そうらしい」
「二年生早々風邪とは災難だな〜」
 紘弥はさほど気にした様子もなく言った。
 俺も、その時はそれ以上考えなかった。
 きっと明日には来る。
 そう思っていた。
 ――けれど。
 次の日になっても、サラは来なかった。
「まだ休んでるのね」
 朝のホームルームが終わると、玲奈がスマホを取り出した。
「昨日からずっと休んでるし、一応聞いてみるわ」
「ああ」
 玲奈がメッセージを送る。
 すると、すぐに返信が届いた。
『ごめんごめん! まだちょっと熱が下がらなくてさ〜』
 続けて、もう一件。
『心配しなくても大丈夫だから!』
「だって。普通に返事は来たわ」
 玲奈が画面を見せる。
「なんだ、元気そうじゃん」
 紘弥が笑う。
「なら、もう少し休めば大丈夫だろ」
「ああ……そうだな」
 本人が大丈夫だと言っている。
 それなら、俺たちが騒ぐことでもない。
 ――そう思っていた。
 けれど。
 その翌日も、サラは来なかった。
 さらに、その次の日も。
 それでも、連絡をすれば返事は来る。
『まだ治ってないんだよね〜』
『みんなは気にせず学校楽しんでて!』
 いつもと変わらない、明るい文面。
 だからこそ、俺たちもそれ以上強く聞くことができなかった。
 ただ――。
 日が経つにつれて、俺の中には少しずつ違和感が積み重なっていった。
(……長くないか?)
 普通の風邪にしては、少し長すぎる。
 それに、なんだろう。
 上手く言えないけど、何かが引っかかる。
「……サラ」
 放課後。
 誰もいない席を見つめる。
 窓の外では、春の風に乗って桜の花びらが舞っていた。
 新しい学年が始まった。
 なのに、サラだけがここにいない。
 そして――数日が過ぎた。
 その日も、サラは来なかった。
「はいはい、お前ら席につけー」
 いつものように烏廻さんが教室へ入ってくる。
 俺たちも席についた。
 けれど。
 出席を取り始めた烏廻さんの声が、サラの名前のところで止まった。
「…………」
 しばらくの沈黙。
 やがて烏廻さんは名簿を閉じ、顔を上げた。
「……お前らに、話しておくことがある」
 その声には、いつもの気怠さがなかった。
 教室が静まり返る。
「サラ・クロイツは――」
 胸の奥に、嫌な感覚が走った。
「学園を辞めることになった」
「…………え?」
 一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
 紘弥も。
 玲奈も。
 誰も言葉を発さない。
「ちょ、ちょっと待ってください」
 気づけば、俺は立ち上がっていた。
「サラが……学園を辞める?」
「ああ」
「なんでですか?」
「…………」
 烏廻さんはしばらく俺を見ていた。
 けれど、静かに首を横に振る。
「……詳しいことは、俺からは話せん」
「でも……」
 昨日だって、普通に連絡が来ていた。
 大丈夫だと。
 もう少しすれば戻れると。
 それなのに。
「……どういうことなんだよ」
 答える者はいなかった。
 俺はゆっくりと、窓際へ視線を向けた。
 サラの席。
 そこには、今日も誰も座っていない。
 開いた窓から春の風が吹き込み、カーテンだけが静かに揺れていた。