魔力の少ない魔法使い

あれから、さらに数日が経過した。
 俺が丸三日も目を覚まさなかったのは、完全に底を突いた魔力と極度の疲労が原因だったらしい。治癒魔法のおかげで怪我自体はとっくに完治しており、魔力も少しずつ回復してきた今、数日前までベッドで寝込んでいたのが嘘のように身体は軽く、違和感なく動くことができていた。
 病室の窓辺に立ち、そっとカーテンを揺らす微風を浴びる。
 窓の外では、学園の修復作業が急ピッチで進められていた。崩れた外壁や抉れた中庭を見下ろしていると、あの激戦が確かにここで起きた現実なのだと実感が湧いてくる。
 コンコン、と控えめなノックの音が静かな病室に響いた。
「……ん、入っていいですよ」
 振り向いて声をかけると、ゆっくりと扉が開いた。
「おや。魔力切れで三日も倒れていたとは思えないくらい、すっきりした顔をしていますね」
 どこか呆れたような、けれど安堵の滲む声と共に顔を出したのは、ルイだった。彼の方も治癒魔法による処置が済んでいるらしく、あの時のボロボロだった姿から一転して、すっかり普段通りのしっかりとした足取りだ。
「なんだ、ルイだったのか。怪我の方はとっくに治ってたし、今はもう普通に動けるよ。……ルイこそ、もう大丈夫なのか?」
「ええ、私もこの通りです。魔力も戻ってきましたし、もう動き回って大丈夫だそうです」
 そんな軽口を交わしながら、ルイは窓辺にいる俺の隣まで歩み寄り、同じように外の景色へと視線を向けた。
 瓦礫が片付けられていく中庭を、二人で黙って見下ろす。
 気まずい沈黙ではない。ただ、互いに無事でここに立っているという事実を、静かに噛み締めるような時間だった。
「……今回は色々とすみませんでした」
 ふいに、ルイがぽつりと呟いた。
「あなたを守るために組織を抜けてまでしたのに、結局危険な目に遭わせてしまった……本当にすみません」
「やめろよ。別にお前は悪くないだろ……自分を拾って育ててくれた人を裏切ってまで、俺側についてくれたんだ。葛藤だって相当あっただろうし……それに、お前も意識がなくなるまで一緒に戦ってくれたんだろ? こっちこそ感謝しかないよ」
 俺が真っ直ぐにそう告げると、ルイは短く息を吐いて、ふっと柔らかな笑みを零した。
「そうですか……やはり、あなたは優しい人ですね」
 静かな声でそう呟いた後、ルイの表情が少しだけ真剣なものに変わる。
「……イーラのことは、聞きました」
「……そうか。悪かったな、止めきれなくて」
「いえ……あなたが気に病むことはありません。むしろ、最後まで彼と向き合ってくれたことに感謝しています……それに、生きているかもしれないんですよね?」
「俺の勘だけどな」
「ならその勘を信じておきます」
 心地よい風が、二人の間を通り抜けていく。
「おーい! 隼人、起きてるかー!?」
 バンッ! と勢いよく病室の扉が開け放たれ、廊下から鼓膜を揺らすような大声が飛び込んできた。
「絋弥……ノックくらいしろよ、声でかいって」
 呆れる俺の視線の先には、両手いっぱいに差し入れらしき紙袋を抱えた絋弥の姿があった。その後ろからは、玲奈やサラ、橘と顔を覗かせる。
「ちょっと九条、病室なんだから静かにしなさいよ!」
「とか言いながら、玲奈ちゃんもちょっと小走りだったよね」
「なっ……! サラ、余計なこと言わないでよ!」
 真っ赤になって抗議する玲奈を、サラがくすくすと笑いながら躱す。
「ふふっ……相変わらずだね、二人は」
 口元にそっと手を当てて上品に微笑むのは、橘だ。彼女もまた怪我の様子を感じさせない、穏やかな表情を浮かべている。
「桐宮君、それにルイ君も。……無事に話せるようになって、本当によかった」
 優しく丁寧なお辞儀をする橘に、俺は「橘も無事でよかった」と返しつつ、少し照れくさく頭を掻いた。
 数日前の死闘が嘘のような、いつもの騒がしい日常の風景だった。
 ルイも目を丸くした後、肩を揺らして吹き出した。
「相変わらず、賑やかな人たちですね」
「お、ルイも一緒だったのか! お前ももう平気なのか?」
「ええ、おかげさまで」
 わちゃわちゃと病室が賑やかになったところで、廊下の方から気怠げなため息が降ってきた。
「お前らなぁ……あれほど騒ぐなと言っただろうが。ここは医務室だぞ」
 烏迴さんだ。相変わらず眠そうな目をこすりながら部屋に入ってくる。
「烏迴さん」
「おう。二人とも、動けるくらいには魔力も戻ったみたいだな」
 烏迴さんは病室を見渡し、小さく息を吐いた。
「二人に今後のことを伝えに来たんだ。さっき学園長――お前の母さんから正式に話があってな。学園の結界や施設の復旧にはしばらく時間がかかる。その間、授業は無期限の休講だ」
「休講……」
「実家に帰れる奴は帰宅も許可されている……気分転換に帰るのも良し、学園に残るのも良しと言ったところだ」
「実家かー。正直、これだけ色々あると一回帰って家のベッドで思いっきり寝てえな……。流石に親もニュースとか見て心配してるだろうし」
「そうね……確かに一度帰った方が良さそうね」
 玲奈が同意するように頷く。
「うん。私も一度実家に戻って、両親に元気な姿を見せようかな。……少し、過保護なところがあるからね」
 困ったように、けれど温かな声音で橘が微笑む。

「んー、私はどうしよっかな〜」
「なんだ、サラは帰らないのか?」
「いや〜……実家、ちょっと落ち着かないんだよね」
「実家なのに?」
「まあ、色々あるんだよ〜。それより、隼人君は帰るの?」
「……そうだな、母さんは復旧で忙しいだろうし、姉ちゃんも生徒会が忙しいって言ってたからな〜帰っても誰もいないからどうするかな」
 それぞれの事情を口にする俺たちの様子を見て、烏迴さんは満足げに頷いた。
「まあ、お前らが一番リラックスできる場所を選ぶのがいい。お前らには今回、嫌ってほど過酷な思いをさせちまったからな。学園の復旧や事後処理は俺たち大人に任せて、今はしっかり羽を伸ばしてこい」
「……いいんですか? まだ色々、片付いてないことも多いのに」
 俺が少しだけ遠慮がちに尋ねると、烏迴さんは軽く俺の頭を小突いた。
「子供が大人に気ぃ使ってどうする。お前の母さんだって、お前にはゆっくり休んでほしいと思ってるさ。……それに、頭を空っぽにして休む時間ってのも、案外大事なもんだぞ」
 眠そうな目の中に、確かな気遣いの色が滲んでいる。
 その言葉に、俺は少しだけ肩の力が抜けるのを感じた。
 イーラのこと、アースが言っていた過去の因縁のこと……考えなければならないことは山積みだ。でも、烏迴さんの言う通り、今は一度戦いから離れて心身をリセットするのも悪くない。
「……分かりました。じゃあ、お言葉に甘えて少し休ませてもらいます」
「おう、そうしろ」
「ルイ君はどうするの?」
 ふと、サラがルイの方を見て首を傾げた。
「俺の実家、来るか? 親父もお袋も、事情を話せば歓迎してくれると思うぜ! 部屋ならいくらでも余ってるからな!」
 絋弥が無邪気に提案する。
 絋弥を見てると忘れてしまうが、流石は八大貴族といったところか、玲奈の家もかなりデカいからな。
 絋弥の提案にルイは目を丸くした後、ふっと吹き出して笑った。
「お誘いは嬉しいですが、私はやめておきます。少しだけ野暮用がありまして」
「そっかー、残念。まあでも、お互いゆっくり休もうぜ!」
「よし! 今後の予定も決まったことだし、解散の前にまずは俺が買ってきた特製ケーキで快気祝いだ!」
 絋弥が意気揚々と紙袋をごそごそと漁り始める。
「ちょっと九条!それ振り回して走ってきたの!? 絶対中身崩れてるじゃない!」
「大丈夫だって! 俺の完璧なバランス感覚を舐めんなよ!」
「そういう問題じゃないでしょ!」
「まあまあ。形はともかく、味はきっと美味しいはずだよ! なんたって有名なところのやつだからね!」
 ギャーギャーと言い合いを始める二人を宥めるように、サラがくすくすと笑う。
「お茶の葉を持ってきたんだ。お祝いのお茶は、私が淹れるね」
 優雅にお茶の準備を始める橘の姿も加わり、病室に再び笑い声が満ちていく。
 窓の外を見上げれば、どこまでも高く澄んだ青空が広がっていた。
窓の外を見上げれば、どこまでも高く澄んだ青空が広がっていた。
 イーラのことも、アースが口にした過去のことも、まだ解決してはいない。
 それでも――今は考えなくていい。
 こうしてまた、みんなと笑っていられる。それだけで、今は十分だった。
俺は仲間たちの笑顔を見つめながら、静かにそう思った。