魔力の少ない魔法使い

 体育館へと続く道を歩く足取りは、ひどく重かった。
 一歩踏み出すごとに全身の関節が軋み、肺が焼けるように痛む。
(傷とかはお前の力で治るんじゃないのか、アース!)
『あいにく、今のお前にそれを直せるほどの魔力が残ってないんだ。諦めろ』
(くそッ……クラウ・ソラスに魔力を持ってかれ過ぎたか。扱いづらいぞ、あれ)
『そりゃあ、俺の武器だからな。お前が使いこなすのは何百年も先だ』
「マジかよ……」
 思わず、口に出して愚痴がこぼれてしまった。
 隣を歩いていた烏迴さんが、訝しげにこちらを横目で見る。
「ん? 何か言ったか?」
「ああ、いやなんでもないです! ……そういや、烏迴さんって治癒魔法使えないんですか?」
「多少は使えるが、他人にまでは使えん。あれは向き不向きがあるからな。お前の方こそ使えないのか? 母親の学園長と、確か姉の方も使えただろ?」
「俺は全く使えないんですよね……」
「そうか。まあ、もうすぐ体育館に着くし、そこで治してもらえ」
 そんな会話を交わしながら歩みを進めると、やがて体育館の重厚な鉄扉が見えてきた。
 そして、扉の手前の廊下には、見知った顔ぶれが俺たちを待っていた。
「隼人ッ!」
 俺の姿を見るなり、弾かれたように駆け寄ってきたのは姉の楓だった。
「姉ちゃん……」
「あんたって子は、本当に……っ! 無茶ばっかりして!」
 楓はボロボロと涙を零し、そのまま強く抱きしめてこようとした。だが――直前でピタリと動きを止め、俺の満身創痍な身体を察したのか、そっと背中に手を添えるだけにとどめた。
「……よく、生きて帰ってきたわね」
「うん。心配かけてごめん」
 その光景を壁に寄りかかって見守っていた優斗さんが、腕を組みながら歩み寄ってくる。

「優斗さん……」
「……本当に無事で良かった、隼人」
「無事、というには結構ボロボロなんですけどね」
 俺が力なく笑いながら返すと、優斗さんは微かに口元を緩ませた。
「確かにな……まあ、それくらいの軽口が叩けるんなら、無事ってことだろ」
 普段の厳しい指導の時とは違う、安堵の滲んだ優しい声。その労いの言葉に、俺は少しだけ胸の奥が温かくなるのを感じた。
 ふと視線を横に向けると、烏迴さんのもとには、烏迴さんの姉である茜さんが歩み寄っていた。
「お疲れだな、お前にしては随分と時間がかかったんじゃないか?」
「……俺はやってねえよ、桐宮が最後までやり切ったんだ」
「ほう……それは驚いた。アースとの契約というのは、そこまでのものか」
 茜さんが俺へと視線を向ける。
「……まあ、まだまだ使いこなせないですけど」
 俺は苦笑しながら答え――ふと、廊下の隅に異様な光景が広がっていることに気がついた。
「……あいつら」
 俺の視線の先には、学園を襲撃してきた敵組織の幹部がいた。
だが、その姿に威厳など微塵もない。鎖で全身を簀巻きのようにぐるぐる巻きにされ、冷たい廊下の床の上で芋虫のように転がされているのだ。
「ん? ああ、あれか…今回の侵入者達だ。そこの三人は意識があってうるさいからな、黙ってもらっている。残りの三人はまだ気絶している」
茜さんが呆れたように鼻を鳴らす。
「俺たちが無力化して縛り上げたんだ。動けないとはいえ、放置はできないからな」
「そうそう、それから茜さんが『少しでも喋ったらどうなるか分かるな?』って満面の笑顔で脅したら、すっごく大人しくなったのよ」
優斗さんと姉ちゃんがくすくすと笑いながら付け加える。
脅したって……そういや烏迴さんも相当怖がってたな。
「……おい、ガキ」
通り過ぎようとした時、床に転がっていた侵入者の一人が落ち着いた声音で声をかけてきた。その顔に焦りや取り乱した様子はなく、どこか覚悟を決めたような、あるいは当然の結末を受け入れているような静けさがあった。
意識のある残り二人も同じような表情していた。
こいつらとて、イーラの目的や結末がどうなるかはある程度覚悟の上だったのだろう。
「なんだよ」
 俺が足を止めると、こちらに静かに視線を向け、淡々と問いかけてきた。
「一つ聞かせろ。イーラはどうなった」
 その落ち着いた低い声音には、ただ純粋に、自分たちの主の最期を知ろうとする冷徹なまでの冷静さがあった。
俺は床に転がる男を見下ろし、静かに息を吐き出す。
「……あいつは、消えたよ。俺の攻撃のなかで、光に飲まれるみたいに」
「消えた……?つまり、死んだかどうかは分かんねえってことだな?」
「それは、そうだけど……」
「…なら、生きているわね」
 男の横から侵入者の一人である女がそう呟く。
「まあ、イーラがそう簡単に死ぬわけないしな〜」
 もう一人の男も、あっさりとその言葉に同調する。
「……そうだな」
 最初に声をかけてきた男も小さく頷く。
 その表情には、イーラの生存を信じようとする強い意志が滲んでいた。
だが、それと同時に――その奥には、僅かな不安も見え隠れしている。
「本当は……生きていてほしい」
 女がぽつりと呟いた。
「あの人には、まだやり残したことがあるもの」
「……それに、俺たちを置いて勝手に死ぬなんて、許さねえしな」
 男が苦笑する。
 その言葉に、残りの二人も小さく笑った。
 けれど――三人とも、それ以上は何も言わなかった。
 イーラが生きている。
 そう信じたい。
 それが三人の本音なのだろう。
 それでも、もし本当にイーラが死んでいたとしても――彼らは復讐に走るつもりはない。
 きっと、それもまたイーラが望まないことだと知っているからだ。
「……イーラは、最後まで言っていたわ」
女が、静かに口を開いた。
「『俺がどうなろうと、お前たちは自分の人生を生きろ』って」
「……ああ」
 男が目を伏せる。
「『俺のために誰かを憎む必要はない。俺のために命を捨てる必要もない』……だったな」
 その言葉を聞いて、俺は何も言えなくなった。
 やっぱり、イーラは――。
 世界を憎み、世界を変えようとしていた。
 それでも、自分についてきたこいつらには、最後まで自分と同じ道を歩ませたくなかったのだ。
「……変な人よね」
 女が小さく笑った。
「あんなに世界を憎んでいるくせに、私たちにはずっと『憎むな』って言うんだから」
「ほんとだよな〜」
 男も苦笑する。
「自分は散々好き勝手やってるくせに、俺たちには幸せになれってさ」
「……でも、俺は嫌いじゃなかった」
 最初の男が呟く。
「あの人の、そういうところがな」
 三人の間に、しばしの沈黙が流れた。俺はそんな彼らを見つめながら、胸の奥に奇妙な感情が湧き上がってくるのを感じていた。
 敵だ。
 俺たちの学園を襲い、俺を殺そうとした連中だ。
 それは間違いない。
 けれど――。
 こいつらにとってイーラは、ただのボスではなかった。
 命を救ってくれた恩人であり、親であり、帰る場所そのものだったのだ。
「……なあ」
 俺は少し迷った後、口を開いた。
「もし……あいつが生きてたら、どうするんだ?」
 三人が俺を見る。
「どうするって?」
「また、俺を狙うのか?」
 しばしの沈黙。
 やがて、男が小さく首を横に振った。
「……分からねえ」
「え?」
「俺たちは、イーラについていく。それだけだ。あの人が生きているなら、きっとまた何かを考えているだろう」
 男はそこで一度言葉を切る。
「だが……今回のことで、俺たちも少し考えなきゃならねえのかもしれないな」
 その言葉には、戦いを続ける者の強さではなく、初めて自分自身の未来を考え始めたような響きがあった。
「……そうか」
 俺は短く返す。
 そして、もう一度だけ三人を見る。
「じゃあ、俺からも一つだけ言っておく」
「なんだ?」
「イーラは……たぶん、死んでない」
「……!」
 三人の表情が僅かに動く。
「俺にも確信はない。ただの勘だけど…」
 これは根拠のない言葉だった。
 ただ――俺自身も、どこかでそう思っていた。
「だから、もし生きてるなら……今度こそちゃんと決着をつける」
 三人は黙って俺を見つめていた。
 やがて男が、ほんの少しだけ口元を緩める。
「……そうしてくれ」
「え?」
「あの人が生きているなら……今度こそ、お前が止めてくれ」
 その言葉に、俺は目を見開いた。
「俺たちには……あの人を止められねえからな」
 男はそれ以上何も言わなかった。
 俺もまた、返す言葉が見つからなかった。
「……行くぞ、桐宮」
 少し離れたところで、烏迴さんが声をかけてくる。
「はい」
 俺は三人から視線を外し、体育館の方へと歩き出した。
 ――イーラは、本当に死んだのだろうか。
 その答えだけは、今の俺には分からなかった。