魔力の少ない魔法使い

別荘の裏手から数分歩くと、そこにはプライベートビーチと言っても過言ではない、見渡す限りの絶景が広がっていた。
真っ白な砂浜が真夏の太陽を反射して宝石のように眩しく輝き、透き通ったエメラルドグリーンの波が穏やかに、心地よい音を立てて寄せている。
「おーい隼人ぉ! こっちこっち! 早くしろ、男のロマンが来るぞ!」
砂浜に出るなり、紘弥のテンションはすでに限界突破していた。
俺は呆れ半分に苦笑いしながら更衣室で着替えを済ませ、外に出る。
鼻腔をくすぐる潮の香りと、肌をジリジリと刺すような夏の熱気。予選の緊迫した日々が嘘のような開放感に、俺も少しだけ浮足立っていた。
だが、その浮ついた心は、更衣室から出てきた女子たちの姿を見た瞬間に完全に停止した。
「みんな、お待たせー!」
一番に駆け寄ってきたサラを見て、俺は思わず息を呑んだ。
薄いピンクを基調とした、フリル付きのビキニ。普段の制服姿からは想像もつかないほど、健康的でしなやかなプロポーションが惜しげもなく披露されている。細い腰つきに反して、強調された女性らしいラインが眩しい。
「あ! もしかして~、見とれてた?」
サラが茶目っ気たっぷりに、覗き込むように顔を近づけてくる。微かにシャンプーの香りがして、俺は咄嗟に顔を逸らした。
「ち、ちがう! ……似合ってる、とは思うけどよ」
「えへへ、ありがと! 隼人君にそう言ってもらえるのが一番嬉しいな」
サラが花が咲いたような笑顔を見せる。その無邪気な破壊力に、俺の心臓はすでに限界に近い。
その後ろからは、黒いビキニに大人びたパレオを腰に巻いた五十嵐(いがらし)と、恥ずかしそうに身を縮めるティオナが歩いてきた。五十嵐のモデル体型は水着になるとさらに際立ち、逆にティオナの白いワンピース水着は、彼女の幼い外見にどこか神秘的な、触れてはいけないような雰囲気を纏わせていた。
「……おい隼人。俺は今、極楽にいるのかもしれん。もう修行なんてしなくていいんじゃないか?」
「紘弥、鼻血拭けよ。死ぬぞお前」
「ふっ、低俗な連中だ。たかが水着で……」
帝が腕を組みながら呆れたように言うが、その視線も少しだけ泳いでいるのを俺は見逃さなかった。
だが、本当の意味で俺を「石」にしたのは、最後に現れた二人だった。
「ごめんなさい、遅くなっちゃって。この紐、結ぶの難しくて……」
髪色と同じ蜜柑色のオフショルダービキニを着こなす橘。おっとりとした彼女の雰囲気に、その大胆なデザインの水着はあまりにも刺激が強すぎる。清楚さと色気のギャップに、視線のやり場に困る。
そして――。

「…………なにジロジロ見てんのよ。この変態」
ネイビーのホルターネックを纏った、玲奈だった。
モデル顔負けのスタイルを持つ彼女が、その水着を完璧に着こなしている。凛とした表情と、隠しきれない柔らかなボディライン。それは砂浜中の視線を釘付けにするほど圧倒的だった。
「あ、いや……」
「ふん、あんたが呆けた顔してるのが悪いんだから。……ほら、行くわよ」
玲奈は少しだけ耳を赤くして、俺の腕を強引に引くように波打ち際へと歩き出した。
繋いだ手の、少し熱を帯びた肌の感触に心拍数が跳ね上がる。
冷たい海水が足元を洗う感触。俺たちは追いかけっこをしたり、ビーチボールを追いかけたりと、束の間の「普通の高校生」としての時間を謳歌した。
五十嵐や橘も波打ち際ではしゃぎ、ティオナは少し離れたところで砂遊びのようなことをしている。

帝も最初は「ふん、愚民の遊びだ」と一人でパラソルの下に陣取り、毒づいていたが、紘弥に無理やり海に放り込まれてからは一変した。
だが――その瞬間、俺は少しだけ違和感を覚えた。
以前の帝なら、絶対にこんな状況を受け入れなかったはずだ。他人に触れられることすら嫌っていたあいつが、今は文句を言いながらも輪の中にいる。
ほんのわずかだが。確実に、あいつは変わり始めている。
「……僕に水をかけようなどと、百年早い!」
帝が指先で水を操り、鋭い水の弾丸を紘弥に放つ。それを見たサラが「竜二くん、大人げなーい!」と背後からバケツ一杯の水を浴びせ、帝が「なっ……!」と顔を真っ赤にする。
その時だった。
帝が、ほんの一瞬だけ――笑った。
すぐに仏頂面に戻ったが、俺は見逃さなかった。
それを皮切りに、俺たちの遊びは魔法を使った水鉄砲合戦へと発展した。
「ふふっ、私の作った水球爆弾、どうですか?」
ルイが海中に仕掛けた水のトラップが弾け、周囲に巨大な水柱が上がる。
「……っ、おい」
巻き込まれて頭からずぶ濡れになった黒崎が、いつもは崩さないポーカーフェイスをひきつらせ、珍しく声を荒げた。



しばらくして、遊び疲れた俺たちは自然と波打ち際に並んで座り、沈みゆく夕日を眺めていた。
先ほどまでの喧騒が嘘のように、波の音だけが静かに響いている。

「……ねえ、隼人君」
隣に座ったサラが、膝を抱えながら海を見つめたまま呟いた。
「こうしてると、予選で戦ったのがずっと昔のことみたいだね。……なんだか不思議。今は、みんながすごく大切な仲間に見えるよ」

その言葉に、少し離れたところで砂を払っていた五十嵐や橘も、優しい眼差しを向けてくる。
帝は相変わらず不機嫌そうな顔で砂浜を見つめていたが、その指先がリズムを刻むように砂を叩いているのを俺は見逃さなかった。
「明日からは、地獄の特訓なんだろうけどさ」
紘弥がオレンジ色に染まった顔をこちらに向け、白い歯を見せて笑う。
「このメンバーなら、案外悪くないかもな。……なあ、黒崎もそう思うだろ?」
突然話を振られた黒崎は、少しだけ驚いたように目を見開いた後、ふっと視線を海へと戻した。
「……ああ、そうだな」
そっけない言葉だったが、そこには確かな信頼の萌芽が感じられた。

「でもさ」
ふと、五十嵐が少し不安げな表情で口を開いた。
「明日からの特訓って、本当にあの烏廻先生がやるんだよね? ……今日みたいに、結局『はい、今日も遊び!』とか言われないかな?」
その言葉に、その場に微妙な空気が流れる。
「確かに……転移魔法は凄かったけど、普段の先生を見てると、本格的な指導ってイメージが湧かないよね」
橘も少し困ったように微笑む。流石に大丈夫だとは思うが、あの鳥迴さんだからな。
「……学園長が直々に担任に指名したのよ。ただの怠慢な教師に、私たちの命運を任せるはずがないわ…もし、本当に駄目だったら学園長に直訴するわ」
その時は俺も一緒に行ってクビにするよう母さんに頼み込もう。
「ふん。適当なら適当で構わないよ」
帝が立ち上がり、砂を払いながら鼻で笑う。
「その時は、僕が君たち全員を叩き直してあげるとも。……さあ、戻るよ。潮風で体がベタついて不快だ」
「あはは! 竜二くん、やる気満々じゃん!」
サラの笑い声が響く。
「行くわよ、隼人。あんたもいつまでも座ってないで」
玲奈に促され、俺も立ち上がった。
不安はある。けれど、今日深まったこの絆があれば、どんな特訓でも乗り越えられる――そんな根拠のない自信が、胸の中に確かにあった。
俺たちは肩を並べ、オレンジ色に染まった砂浜を別荘へと歩き出した。
 

――隼人たちが海で狂騒に浸っていた、その少し後。
陽が傾き始めた別荘の玄関に、一人の青年が姿を現した。
「ようやく来たか。遅いぞ」
影から声をかけたのは、烏廻だった。
「仕方ないでしょ。俺だって色々と忙しいんです。生徒会長なんで」
振り返った烏廻の先には、金髪の青年――星雲魔術師学園生徒会長にして、隼人の師匠である西園寺 優斗が立っていた。
彼がその場に立つだけで、夏の熱気が一瞬にして静まり返るような、圧倒的な「強者」のオーラが周囲を支配する。
「あいつらは今、海ですか。……で、俺は何をすれば?」
「お前はお前で準備しろ。ま、俺の仕事が減るから助かるよ」
優斗は肩をすくめて奥へと消えていく。その足取りには一切の隙がなく、これから始まる「教育」の苛烈さを予感させた。
烏廻はその背中を見送りながら、ふと、隼人達のいる海辺の方を見る。
(……中にいる“あいつ”が気になるな)
底抜けに明るい夏の空の下、烏廻の瞳には、遊びの時間は終わりだと言いたげな鋭い光が宿っていた。
その視線の先では、何も知らない隼人たちの笑い声が、遠く潮風に乗って響いていた。