魔力の少ない魔法使い

体育館へと続く渡り廊下には、ズルズルと重いものを引きずる音が響いていた。
「ちょっとアンタ、いつまで引きずるつもりよ! 服が汚れるし、床に擦れて痛いんだけど!」
「いいでしょ? 担ぐより楽なんだから。それに、敵に塩を送るほど私だってお人好しじゃないわよ」
「それはそうかもしれないけど、乙女の扱いってもんがあるでしょ!」
「アンタが乙女かどうかは知らないけど、もう着いたから安心しなさい」
 戦闘の疲労で息を切らしながらも、楓は文句を言い続けるルクスの足を掴んだまま、体育館の重い扉を蹴り開けた。
 広い体育館には、避難してきた生徒たちの不安げな声と、負傷者を治療する教師たちの慌ただしい声が入り混じっている。
「……ん? 来たか。結構ボロボロだな。お疲れさん」
 体育館へ入ってすぐの壁際。
 背中を壁へ預けて座り込んでいた優斗が、楓に気づいて片手を上げた。
 制服のあちこちが破れ、土埃や血の跡が残っている。呼吸もまだ完全には整っておらず、ヴァリとの戦闘が楽なものではなかったことが窺えた。
「優斗こそ、ちょっと苦戦したんじゃない? その怪我、手当てしなくて平気なの?」
「まあな。でも致命傷はないし、俺より先に診てもらうべき奴がいるだろ」
 優斗が苦笑した、その時だった。
 すぐ足元から、鎖の擦れる甲高い音が鳴る。
「……お? ルクスじゃねぇか。随分こっぴどくやられたみたいだな」
 優斗の横では、特殊な術式の刻まれた鎖で手足を厳重に拘束されたヴァリが床に座らされていた。
 転がされたルクスを見るなり、ニヤリと笑う。
「そう言うアンタも、かなりやられてるみたいだけど?」
「いやぁ、マジで強かったわ、コイツ。油断したつもりはねぇんだけどな」
 ヴァリは首だけを動かし、優斗を見る。
「アンタたち、自分の立場分かってる?」
 捕虜とは思えないほど呑気に話している二人を見て、楓が呆れたように口を挟んだ。
「分かってるって。この鎖のせいで魔力もまともに練れねぇし、身体もほとんど動かせねぇんだ。話すくらいいいだろ?」
「……はぁ。まあいいわ」
 楓はため息をつき、ルクスから手を離した。
「それで、他のみんなは?」
「学園長は負傷者の手当てをしてる。今のところ、命に関わるような重傷者はいないみたいだ」
 優斗は体育館の一角へ視線を向けた。
「それと、エスクードならあそこだ。勝ったみたいだが、相当消耗したらしい」
 体育館の隅では、ルイが壁に背を預けたまま眠っていた。
 その近くへ視線を移す。
「で、あっちにいるのが今回侵入してきた連中のうち三人。全員生きてる。今は気絶してるだけだ」
 そこにはスペル、インヴィ、ケディアが並んで横たわっていた。
 三人ともヴァリと同じく、魔力を封じる鎖で厳重に拘束されている。
「なるほど……烏廻先生たちは?」
「烏廻先生……ああ、姉の方はまだ戻ってきてないが――」
「呼んだか?」
「っと、噂をすればだな」
 体育館の入口から落ち着いた声が聞こえた。
 全員の視線がそちらへ向く。
 そこには、鎖でぐるぐる巻きにされた大柄な男――グラを小脇に抱えた茜が立っていた。
 白衣には戦闘の跡が残り、肩口には自らつけた傷による血の染みもある。それでも歩き方に乱れはなく、表情にも大きな疲労は見えなかった。
「邪魔だ」
 茜は短く言うと、まるで荷物でも置くようにグラをヴァリたちの方へ放り投げた。
「ぐへっ! ちょっ、扱い雑じゃねぇか!?」
 拘束されたグラは受け身も取れず、そのまま床へ転がった。
「よぉ、グラ。お前もやられたみたいだな」
「おう! ヴァリもルクスもやられたのか」
「私たち以外もよ」
 ルクスが、気絶しているスペルたちの方へ顎をしゃくる。
「ありゃ、本当だ。見事に完敗だな!」
 自分も捕まっているというのに、グラはガハハと豪快に笑った。
 しかし――
「おい」
「……っ」
 その声だけで、グラの笑いが止まった。
「誰が喋っていいと許可した?」
 茜は笑っていた。
 だが、その目はまったく笑っていない。
 一歩。
 また一歩と近づいてくる茜を見て、グラの顔色が見る見るうちに青ざめていく。
「ご、ごめんなさい……」
「喋るなと言っただろう?」
「……!」
「分かったか?」
 グラは巨体を小刻みに震わせながら、必死に何度も頷いた。
 鎖がガチャガチャと音を立てる。
「よろしい」
 茜は満足そうに笑い、踵を返した。
「お、おい……グラに何があったんだ?」
 ヴァリが声を潜める。
「知らないわよ。私もあんなに怯えてるグラなんて初めて見たわ……」
 ルクスも引きつった表情で答える。
「あの女、一体何をしたのよ……」
「なんだ? 知りたいのか?」
「「いえ、結構です」」
 二人は勢いよく首を横に振った。
「……結構遅かったっすね」
 その一連のやり取りを見ていた優斗が、頬を引きつらせながら茜へ声をかける。
「ああ。なに、少し拷問……歓談をしていてな」
(((今、絶対拷問って言ったよな?)))
 その場にいた全員の心が一つになった。
「それで、少し面倒なことが分かった」
 茜の表情から笑みが消える。
「どうやら侵入者は、全部で七人いるらしい」
「……え?」
 楓が目を丸くした。
 一方、優斗には大きく驚いた様子がない。
「ん? その反応……既に知っていたか?」
「はい。ついさっき烏廻先生から聞きました」
 優斗は頷く。
「今は、隼人のいる方へ向かってます」
「辰巳が?」
「ああ。どうやら、まだ捕まっていない七人目が隼人のところにいる可能性が高いらしいです」
「なるほどな」
 茜は腕を組み、僅かに目を細めた。
「辰巳が向かったのなら、少なくとも最悪の事態にはなりにくいだろう」
「……そうだといいんだけど」
 楓が不安げに呟く。
 その時だった。
 ――ドゴォンッ!!
 遠くから、腹の底に響くような衝撃音が轟いた。
「な、何!?」
 楓が弾かれたように振り返る。
 続けて、微かな振動が体育館まで伝わってきた。
「今の……学園長室がある方角よね!?」
 楓が反射的に出口へ駆け出そうとする。
「待て、楓」
 優斗の声がそれを止めた。
「でも!」
「今の俺たちが行ってどうする。ほとんど魔力も残ってないだろ」
「でも、隼人が危ないかもしれないじゃない!」
「だからこそだ」
 優斗は壁から背を離し、音のした方角へ視線を向けた。
「今、あっちから二つ大きな魔力を感じる。一つは侵入者。そしてもう一つは――」
 一度言葉を切る。
「隼人だ」
「……隼人?」
「ああ。前とは魔力の感じが違う。でも、あいつで間違いないと思う」
 楓は僅かに目を見開く。
「じゃあ……契約に成功したってこと?」
「おそらくな」
 楓の肩から、ほんの少しだけ力が抜けた。
 だが、不安が消えたわけではない。
「それでも……」
「西園寺の言う通りだ」
 茜が静かに歩み寄る。
「辰巳も向かっている。それに、今の音がしたということは、少なくとも隼人はまだ戦えている」
「……」
「心配だからといって、今の状態で飛び出せば状況を悪くするだけだ」
 楓は唇を噛む。
 拳を強く握りしめた。
「……悔しいけど、そうね」
 しばらくして、深く息を吐く。
「今の私じゃ、行っても足手まといになる」
「そういうことだ」
 優斗が頷いた。
「俺たちに今できるのは、この体育館と避難してる奴らを守ることだ」
「それと、捕虜の監視だな」
 茜が付け加える。
「誰かさんたちが余計なことをしないように」
「いやいや、無理だって。この鎖で何しろってんだよ」
 ヴァリが苦笑する。
「喋る余裕はあるようだな」
「……黙ります」
 即座に口を閉じたヴァリを見て、楓が思わず小さく笑った。
 張り詰めていた空気が、ほんの僅かに緩む。
「よし」
 茜が周囲を見渡した。
「負傷者の確認と、体育館周辺の警戒を続けるぞ。まだ終わったと決めつけるな」
「了解」
 優斗も立ち上がる。
 楓はもう一度だけ、遠くで戦う弟のいる方角へ目を向けた。
(隼人……ちゃんと帰ってきなさいよ)
 そして視線を戻す。
 まだ、自分たちにもやるべきことが残っている。
 遠くから響く戦闘の音を聞きながら、彼らはそれぞれの役目へと戻っていった。