魔力の少ない魔法使い

グラ目掛け、無数のメスが一斉に飛んでいく。グラは向かってくるメスを次々と弾き飛ばしながら、強引に茜との距離を詰めていった。
 しかし、茜は一切動じることなく次の行動に移っていた。
 両手を広げ、指の間に何本ものメスを挟んで静かに構える。
「オラァ!」
 目前まで迫ったグラが、渾身の拳を振り下ろした。
 ――ガァンッ!
 だが、その拳が捉えたのは茜ではなく床だった。
「なっ……!?」
 グラが即座に振り返る。
 そこには、既にメスを構えた茜の姿があった。
 踏み込みの勢いと視線の動きを読んで横へ抜けただけ。それでも、グラにはまるで一瞬で背後へ回られたように感じられた。
 茜は振り下ろされたままのグラの腕を、流れるような動作で斬りつける。
「くっ……!」
 グラは痛みに耐えながら、もう片方の手で茜を捕まえようとする。
 だが、それも虚しく空を切った。
 拳を振るえば半歩外へ。
 腕を伸ばせば懐へ。
 グラが茜を捉えようとするたび、僅かな動きで攻撃を外され、その隙へ正確にメスを差し込まれる。
「そう簡単には捕まらんよ」
 茜は小さく笑った。
「チッ……!」
 グラは構わず襲いかかる。
 右拳。
 左拳。
 さらに蹴り。
 だが、どれも決定打にはならない。
 それどころか、一つ攻撃を繰り出すたびに腕や肩、脇腹へ浅い傷が増えていく。
 それでもグラは諦めなかった。
「だったら、これはどうだ!」
 腰を大きく捻り、渾身の蹴りを放つ。
 今度は茜も避けなかった。
 両腕を使って真正面から受け止める。
「――っ!?」
 足を掴まれた瞬間、グラは危険を察知した。
 強引に足を引き抜き、そのまま後方へ跳ぶ。
 着地したグラは自分の脚を見下ろした。
 受け止められた一瞬の間に、脛をメスで深く斬られている。
「あっぶねぇ~……もう少し遅かったら、どうなってたか分かんねぇぞ」
 額に汗を浮かべながら、それでもグラは不敵に笑う。
「あんな奴がいるなんて聞いてねぇけどな~。何なんだよ、あの化け物……」
 その視線の先で、茜は変わらぬ表情のままメスを弄んでいた。
「……化け物とは女性に対して失礼だな」
 茜は僅かに眉を寄せる。
「見た目で言うなら、貴様の方がよほど化け物なのだが……まあいい。次はどうする?」
「接近戦は厳しそうだし……こっちで勝負だな!」
 グラが右手を突き出した。
「【インフェルノ・フレイム】!」
 炎が一気に噴き上がり、グラの前方で巨大な火球へと膨れ上がる。
 そのまま放たれた火球が茜のいた場所へ着弾し、炎と煙が周囲へ広がった。
「そりゃあ、これで終わる訳ねぇよな~!」
 結果を確認するより先に、グラは左手を向ける。
「【暴風龍の息吹(ぼうふうりゅうのいぶき)】!」
 周囲の空気が一点へと集まり、唸りを上げる。
 圧縮された風が解き放たれ、巨大な渦となって煙ごと茜を飲み込んだ。
 さらにグラは間髪入れず、両手を地面へ叩きつける。
 大量の魔力が流し込まれ、床が激しく隆起した。
 岩塊が次々と突き出し、茜の逃げ場を塞いでいく。
「ほう……なかなか器用だな」
 風圧に耐えながら、茜が呟く。
 その直後、足元から鋭い岩塊が突き上がった。
 茜は咄嗟に地面へ魔力を流し、土の壁を立ち上げる。
 岩塊が壁へ激突し、砕けた土煙が一帯を覆った。
「今だ!」
 グラはさらに魔力を流し込み、岩塊を押し込む。
 土壁が崩れ、その向こうにいた茜の姿が完全に見えなくなった。
「へへっ……やったか?」
「おい、何をしているんだ」
「――え?」
 背後から声がした。
 振り返ろうとした瞬間、茜の拳がグラの頬へ叩き込まれる。
「ぐっ……!」
 グラは数メートル転がり、すぐさま体勢を立て直した。
「どうやって……!?」
「ただ移動しただけだ。あの土壁は防ぐためというより、貴様の視界を遮るために作ったものだからな」
 茜は感心したようにグラを見る。
「しかし驚いたよ。魔法の腕は一流じゃないか。正直、今の連携は少し焦ったぞ」
「チッ……このままじゃ埒が明かねぇな」
 グラは傷だらけの腕を下ろし、大きく息を吐いた。
「仕方ねぇ。本気でやるか……」
 空気が変わる。
「【大罪魔法――暴食ノ魔王(ベルゼブブ)】!」
 グラの体内から大量の魔力が溢れ出し、禍々しい渦となって全身を包み込んだ。
「……ほう」
 茜の目が細められる。
 次の瞬間、グラが床を蹴った。
 先ほどまでより明らかに鋭い踏み込み。
「オラァ!」
 拳が茜へ迫る。
 茜は上体を僅かに反らして避け、その腕へメスを走らせる。
「ぐっ!」
 グラは構わず裏拳を振るう。
 茜は一歩退いてそれを外した。
「身体能力は多少は上がったようだな」
 茜は静かに構え直す。
「だが、動きそのものは変わっていない」
「うるせぇ!」
 グラはさらに攻撃を重ねる。
 速度も力も先ほど以上。
 だが、茜は真正面から張り合おうとはしなかった。
 初動を見て攻撃線から外れ、隙が生まれた瞬間だけメスを振るう。
 腕。
 肩。
 脚。
 少しずつ傷が増えていく。
「そろそろ終わりにするぞ」
 茜がそう告げ、歩み寄った。
 ――その時だった。
「……っ」
 茜の足が止まる。
 身体から急速に力が抜け、その場に片膝をついた。
「……む?」
「へへっ……油断してたろ?」
 グラが勝ち誇った笑みを浮かべる。
「今の魔法は身体能力を上げるだけじゃねぇ。俺の周りにいる奴の魔力を少しずつ喰っていくんだ」
 グラは自分の腕についたブレスレットを指差す。
「こいつみたいに触れる必要もねぇ。近くにいれば、それだけで喰える」
「なるほど……先ほどから妙に魔力の減りが早いと思ったが、そういうことか」
「もうまともに動けねぇだろ?」
 グラが茜の前まで歩み寄り、右手を振り上げる。
 だが――その動きが止まった。
「……何笑ってんだよ」
 見下ろした茜が、楽しそうに笑っていたからだ。
「面白い」
「は?」
「実に良い。久しぶりに、少し楽しめそうだ」
 茜はゆっくりと立ち上がる。
 そして何の躊躇もなく、手にしたメスを自分の肩へ突き立てた。
「なっ……!?」
 グラが目を剥く。
 鮮血が白衣を染める。
 茜はメスを引き抜くと、傷口へ手をかざした。
 淡い光が灯り、傷が徐々に塞がっていく。
「何してんだ……アンタ……」
「簡単な話だよ」
 茜は肩についた血を指ですくった。
「私の武具〈ラミアティオ〉には、大きく二つの能力がある」
 茜の周囲へ次々とメスが現れる。
「一つは複製。これは既に見せたな」
「……」
「そして、もう一つ」
 茜は血に濡れたメスを見せる。
「吸った血を魔力へ変換する」
 グラの表情が固まった。
「まさか……」
「ああ。他人の血である必要はない。自分の血でも構わん」
「自分を斬って……魔力を作ってんのかよ!?」
「そういうことだ」
 茜は事もなげに答える。
「もちろん無制限ではない。血を失えば身体は弱るし、治癒にも魔力を使う。繰り返し過ぎれば先に私の身体がもたん」
 そこで、口元を僅かに吊り上げた。
「だが――貴様に喰われた分を補う程度なら十分だ」
「なんて奴だ……」
 グラが思わず後退する。
「さて」
 茜がメスを構える。
「貴様が私の魔力を喰らい切るのと、私が貴様の血を奪い切るの。どちらが早いかな?」
「ふざけんな!」
 グラが後方へ跳ぶ。
 同時に無数のメスが襲いかかった。
「くっ!」
 グラは腕で弾き、身体を捻って避ける。
 だが全てを防ぐことはできない。
 何本かが腕や脚を掠め、血が飛び散った。
 その度に〈ラミアティオ〉へ吸い込まれた血が、茜の魔力へと変わっていく。
「――ッ! 何なんだよ、この能力!」
「貴様とは相性が悪かったな」
 茜は淡々と答えた。
 グラは距離を取ろうとする。
 だが、焦りから動きが単調になっていた。
 茜はその進路を読み、一足先に回り込む。
「なっ――」
 振り抜かれたグラの裏拳を潜り、腹部へ蹴りを叩き込む。
「ぐはっ!」
 グラの身体が後方へ飛ぶ。
 体勢を立て直した時には、既に茜が迫っていた。
「クソッ!」
 グラも意地を見せた。
 茜の腕を強引に掴むと、そのまま力任せに投げ飛ばす。
 茜は空中で身体を捻り、床へ着地。
 そこへグラが突進する。
「捕まえたぞ!」
 首を掴み、そのまま押し倒す。
 馬乗りになり、両手へ力を込めた。
「ぐっ……」
 さすがの茜も顔を歪める。
「これなら避けられねぇだろ!」
「……それはどうかな」
「何――」
 茜が腰を捻り、グラの片脚を払う。
 体勢を崩した瞬間、身体を入れ替えるように拘束から抜け出した。
「ゴホッ……なかなかやるな」
 首を押さえながら立ち上がる。
 そして右手を掲げた。
「だが、終わりだ」
「――ッ!」
 グラの周囲に、大量のメスが浮かび上がっていた。
「待っ――」
 メスが一斉に降り注ぐ。
 グラは腕で急所を守りながら必死に身を捩る。
 だが避けきれない。
 肩、腕、脚、脇腹へと次々にメスが突き刺さった。
「ぐあああっ!」
 グラが膝をつく。
「ハァ……ハァ……クソッ……」
「どうやら私の方が早かったようだな」
 茜も僅かに息を乱しながら言う。
「魔力を喰えるからといって、肉体まで無限に動く訳ではない。傷も疲労も蓄積する」
「まだ……だ……!」
 グラが歯を食いしばる。
 背中の羽を広げ、上空へ飛び上がった。
「我、汝に願う。我、欲するは闇。深淵より来る常闇――」
 グラの前に漆黒の球体が形成される。
「最後の一撃か」
 茜も空を見上げ、右手を掲げた。
「我、光を欲するものなり。天に輝く星々よ、今こそ我が元へ集いて――」
 無数の光が一点へ集まり始める。
「我が前に立ち塞がりし愚者に絶望を与えん――【常闇の黒絶(とこやみのこくぜつ)】!」
「神の加護を以て、我を阻む者を穿て――【ステラ・ラディウス】!」
 闇と光が正面からぶつかった。
 激しい衝撃が広がり、訓練場を強風が駆け抜ける。
「ぐっ……!」
 拮抗は長く続かなかった。
 傷と疲労の蓄積したグラの魔法が、徐々に押し返されていく。
「クソッ……!」
 グラは咄嗟に横へ飛び、直撃を避けた。
 そのまま距離を取ろうと羽を動かす。
「ハァ……ハァ……ひとまず、ここから離れて――」
「離れて、どうする?」
「――!?」
 声は上から聞こえた。
 見上げたグラの視界に、落下してくる茜の姿が映る。
「いつの間に――」
 グラが腕を上げるより早く、茜の拳が顔面へ叩き込まれた。
「がっ……!」
 グラは地面へ叩き落とされ、そのまま数度転がって動かなくなった。
 茜は静かに着地し、倒れたグラへ歩み寄る。
「ふむ……気絶したか」
 グラの腕に残されたブレスレットへ視線を落とす。
「消えていないところを見ると、これはこいつの武具ではなく魔道具と見てよさそうだな」
 茜はブレスレットを外して回収すると、魔法陣から鎖を出現させ、グラの身体を拘束した。
「さて」
 しゃがみ込み、グラの頬を軽く叩く。
「起きろ」
「うっ……」
 何度か叩かれ、グラが呻きながら目を開ける。
「俺は……負けたのか……」
「そうだ」
 茜はあっさり答えた。
「それで、貴様には聞きたいことがある」
「俺が……言うとでも思ってんのか……?」
 グラが鋭く睨む。
「なに」
 茜は一本のメスを取り出した。
「言うようにすれば良いだけの話だ」
「な、何をする気だ……」
 刃先を見つめ、グラの顔が引きつる。
 対する茜は、満面の笑みを浮かべた。
「楽しい楽しい時間の始まりだ」
「……」
 その瞬間。
 グラの顔から完全に血の気が引いた。