魔力の少ない魔法使い

静寂を失った校舎の廊下で、桜はケディアへ絶え間なく魔法を放ち続けていた。
 火球、風刃、氷槍。
 複数の魔法陣から放たれる攻撃を、ケディアは剣で弾き、あるいは最小限の動きで回避していく。
 しかし、それでも全てを捌き切ることはできない。
「……ッ」
 頬を魔法が掠め、続けざまに風の刃が肩を裂く。
 少しずつ。
 確実に、ケディアの身体へ傷が増えていった。
「……」
 それを見た桜の口元に、僅かな笑みが浮かぶ。
 右手を振り下ろす。
 頭上に展開された巨大な魔法陣が赤く輝いた。
「……!」
 そこから放たれたのは、一本の炎槍。
 ケディアは即座に身体を捻る。
 だが、避け切れない。
「ぐっ……!」
 炎槍が右肩を掠め、肉を焼いた。
 ケディアはすぐさま水を生み出し、纏わりつく炎を消し去る。
 だが、その間にも次の魔法陣は完成していた。
「まだですよ」
 数十本の氷矢が放たれる。
「……ッ!」
 ケディアは剣を振るいながら、その間を縫うように前進した。
 一つを弾き。
 一つを躱し。
 さらに一つを切り落とす。
 身を削りながらも、少しずつ桜との距離を縮めていく。
 桜は表情一つ変えず、次々と魔法陣を展開した。
 炎。
 水。
 風。
 土。
 異なる属性の魔法が絶え間なく放たれ、ケディアの接近を阻む。
「……ッ!」
 それでもケディアは止まらなかった。
 ついに桜の間合いへ踏み込む。
「……!」
 桜が至近距離から魔法を放とうとする。
 しかし、その一瞬だけケディアの方が早かった。
 首元を掴まれる。
「くっ……!」
 そのまま勢いよく床へ叩きつけられ、桜の身体が廊下を転がった。
「……これで終わりだ」
 ケディアが剣を構え、ゆっくりと歩み寄る。
 だが――。
「その言葉」
「……?」
「そっくりそのまま、お返ししますよ」
 ケディアの足元が赤く輝いた。
「なっ――」
 魔法陣。
 いつの間にか仕掛けられていたそれが、一気に発動する。
 ゴォォォッ!!
 巨大な炎柱が立ち上がり、ケディアを飲み込んだ。
「ぐっ……!」
 ケディアは炎の中から強引に飛び出し、後方へ距離を取る。
「ハァ……ハァ……」
 衣服の各所が焼け、身体には幾つもの火傷。
 それでも、剣を握る手は緩まない。
「……まさか、これほど強いとはな」
「伊達にこの学園の学園長を務めていませんよ」
 桜が立ち上がる。
 その周囲へ、再び複数の魔法陣が展開された。
「では――もう少し続けましょうか」
「……来い」
 火球。
 風刃。
 岩槍。
 異なる属性の魔法が一斉に放たれる。
 ケディアは致命傷になり得る攻撃を優先して剣で弾き、残りを身体を捻って避ける。
 しかし、数が多い。
「ぐっ……!」
 防ぎ切れなかった魔法が次々と身体を掠める。
 次第に押し込まれ――。
 ガシャァンッ!
 ついにケディアは廊下の窓を突き破り、外へ飛び出した。
「逃がしませんよ」
 桜も続いて窓から飛び出す。
 先に地面へ着地したケディアが、すぐさま剣を構えた。
(着地の瞬間――)
 桜が地面へ降り立つ。
「そこだ!」
 直後、ケディアが踏み込んだ。
「……ッ!」
 鋭い一閃。
 桜は咄嗟に身体を逸らすが、腕を浅く切り裂かれた。
 鮮血が舞う。
 だが――。
「……」
 桜の身を包む〈天ノ羽衣〉が淡く輝いた。
 傷口へ魔力が集まり、裂けた皮膚が急速に塞がっていく。
「その程度では、意味がありませんよ」
「……そうか」
 ケディアは動じない。
 再び剣を振るう。
 一撃。
 二撃。
 三撃。
 桜は首や胸元へ迫る致命的な攻撃だけを確実に避け、それ以外の浅い傷は〈天ノ羽衣〉の治癒に任せながら反撃の機会を窺った。
(とはいえ……)
 桜は僅かに眉をひそめる。
(傷を治すにも魔力は使います。このまま削られ続けるのは得策ではありませんね)
 右手を掲げる。
 ケディアの頭上へ雷の魔法陣が展開された。
「……!」
 直後。
 白銀の雷撃が降り注いだ。
「ぐっ……!」
 ケディアが剣を掲げて耐える。
 だが、全身を走った電流によって一瞬だけ動きが止まった。
「もらいました」
 桜を取り囲む魔法陣が一斉に輝く。
「……ッ!」
 複数の魔法がケディアへ殺到した。
 回避しようと地面を蹴る。
 しかし、遅い。
「ぐぁッ!」
 爆発。
 ケディアの身体が地面へ叩きつけられた。
「……私の勝ちのようですね」
 桜は魔法陣を残したまま、煙の向こうを見据える。
 十分な手応えがあった。
 だが――。
「……まだだ」
「……」
 煙の中で、人影が動く。
 ケディアがゆっくりと立ち上がった。
「まだ……終わりではない……!」
 身体を震わせながらも、再び剣を握る。
「【大罪魔法――怠惰ノ魔王《ベルフェゴール》】……!」
 重苦しい魔力がケディアの身体から溢れ出した。
 粘りつくような黒い魔力が、その全身を包み込んでいく。
「なるほど……」
 桜の瞳が細められる。
「それが貴方の切り札ですか」
「そうだ……」
 ケディアが剣を構える。
「俺の全てを……貴様にぶつける」
「では」
 桜も周囲へ複数の魔法陣を展開した。
「私も相応の敬意をもって応えましょう」
 炎槍が一斉に放たれる。
「……ッ!」
 ケディアは前進しながら剣を振るい、次々と弾き落としていく。
「……?」
 桜の表情が僅かに変わった。
(速い)
 先ほどまでとは明らかに違う。
 ケディアの剣速も、反応も、身体の動きそのものも大きく向上していた。
「どうした?」
 ケディアが魔法を弾きながら距離を縮める。
「さっきまでの勢いがなくなってきているぞ」
「……そうかもしれませんね」
(身体能力を強化する能力……?)
 桜は水槍を複数放った。
 ケディアは身体を捻って躱し、そのまま一気に距離を詰める。
「……ッ!」
 上段から剣が振り下ろされた。
 桜は後方へ身を引く。
 しかし、完全には避け切れない。
 刃が右腕を浅く切り裂いた。
「くっ……!」
 ケディアはさらに攻める。
 連続する剣撃。
 桜は避け続けるが、次第に押されていく。
「これで終わりだ!」
 横薙ぎの一閃。
 桜は後方へ跳び、寸前で回避した。
 同時に追撃を防ぐため、複数の魔法を放つ。
「……?」
 そこで、ふと自身の右腕へ目を落とした。
(傷が……)
 まだ塞がっていない。
 普段なら〈天ノ羽衣〉によって、すでに治癒が進んでいるはずだった。
(遅い……?)
「……」
 考えている暇はない。
 桜は炎槍と風刃を立て続けに放つ。
 ケディアは剣を振るい、そのほとんどを弾き落とした。
「……ッ」
 桜は大きく距離を取ろうとする。
 しかし――。
「逃がさん」
 先回りしたケディアが退路を塞いだ。
「……!」
 剣が迫る。
 桜は咄嗟に右腕へ土属性の魔力を纏わせ、硬化させる。
 ガンッ!
「くっ……!」
 受け止めたものの、衝撃を殺し切れない。
 桜の身体が後方へ押し飛ばされ、壁へ背中を打ちつけた。
「……っ」
(これは……)
 桜は呼吸を整えながら立ち上がる。
(彼だけが速くなったわけではない)
 身体が重い。
 反応も僅かに遅れている。
(私の動きまで鈍くなっている……?)
 右腕を見る。
 傷はまだ完全には塞がっていない。
 桜は自ら治癒魔法を発動した。
 淡い光が傷口を包み、徐々に塞がっていく。
(治癒魔法そのものは使える)
 ならば――。
(〈天ノ羽衣〉の治癒だけが遅くなっている……?)
 桜はケディアを見据える。
(身体が重くなったことも含めて考えると、あの魔法は単なる身体強化ではない)
 周囲へ放たれている、重く粘つくような魔力。
(自分を強化すると同時に、周囲の魔力活動や身体機能を鈍らせている……?)
 確証はない。
 だが、今起きている現象を考えれば、その可能性は高い。
(厄介ですね)
 桜が右手を振る。
 圧縮された暴風がケディアへ飛ぶ。
「無駄だ」
 剣が振るわれ、暴風が切り裂かれた。
(単発では止まりませんか)
 このまま戦い続ければ、〈天ノ羽衣〉による魔力消費も重なり、こちらが不利になる。
(なら――)
 桜が息を整えた。
(短期決戦しかありませんね)
「我、万雷を欲す――」
「……!」
 詠唱。
 ケディアが即座に反応した。
「させると思うか!」
 間合いを詰め、剣を振るう。
「神の怒りにより降り注ぐ稲妻よ――」
 桜は剣撃を避けながら詠唱を続ける。
「雷轟となりて我が敵を穿つ――」
「止めろッ!」
 ケディアの膝が腹部へ突き刺さった。
「ぐっ……!」
 桜の身体が大きく後方へ押し飛ばされる。
 それでも――。
「矛となりて……顕現せよ!」
 詠唱は止めない。
 頭上に巨大な雷の魔法陣が出現した。
「……!」
 ケディアが上空へ視線を向ける。
 だが。
「煉獄の業火よ、灼熱の焔よ――」
「なに……?」
 桜はまだ詠唱を続けていた。
 一つ目の術式を維持したまま、二つ目の魔法陣が重なるように展開される。
「その紅蓮たる炎をもって――」
「二重詠唱……だと!?」
 ケディアの表情が変わった。
「……ッ!」
 即座に地面を蹴る。
 だが――。
「遅いですよ」
 二つの魔法陣が同時に輝いた。
「我が敵を燃やし尽くせ――」
 雷と炎。
 二つの属性が一点へ収束する。
「【灼雷神の爆号《しゃくらいしんのばくごう》】!!」
「――ッ!?」
 雷光を纏った炎柱が上空から落ちる。
 ケディアは咄嗟に剣を掲げた。
 次の瞬間――。
 轟音。
 雷と炎が同時に炸裂した。
「ぐぁぁぁぁッ!!」
 強烈な衝撃と熱がケディアを飲み込む。
「……」
 桜は魔法陣を残したまま、煙の向こうを警戒した。
 やがて風が吹き抜ける。
 煙が少しずつ晴れていった。
「……」
 地面には、ケディアが仰向けに倒れている。
 全身には火傷と傷。
 そして、先ほどまで身体を覆っていた黒い魔力も消えていた。
 悪魔融合も解けている。
「……どうやら、今度こそ終わったようですね」
 桜はゆっくりと近づいた。
「……最後のは……複合魔法か……」
「……」
 桜が僅かに目を見開く。
 まだ意識がある。
「ご名答。よくご存知で」
「見たのは……初めてだがな……」
「そうですか」
「ゲホッ……ゴホッ……!」
「……さて」
 桜が足元へ魔法陣を展開する。
 そこから黒い鎖が伸び、ケディアの身体を拘束していった。
「貴方には色々と聞きたいことが――」
「……」
「……あら」
 返事がない。
 ケディアは、そのまま意識を失っていた。
「気絶してしまいましたか」
 桜は小さく息を吐く。
「仕方ありませんね。とりあえず運びましょう」
 拘束を確認すると、桜はケディアの身体を抱え上げた。
 そして、傷ついた校舎へ向かってゆっくりと歩き出した。