魔力の少ない魔法使い

死闘が続く中庭。
 ルクスと楓の攻防は、圧倒的な手数の差により、ルクスの完全に一方的な様相を呈していた。
 髪の槍、尻尾の鞭打、死角からの魔法。四方八方から襲い来る凶悪な連撃を、楓は紙一重で捌き続けていたが、次第に体力の限界が見え始めていた。
「ハァ……ッ、ハァ……ッ!」
「ふふっ。中々しぶといわねぇ。いつまで持つかしら?」
 息一つ乱さないルクスに対し、楓は肩を揺らし荒い呼吸を繰り返している。その決定的な隙を突き、ルクスは無数の髪を大蛇のように伸ばし、楓の顔面を容赦なく薙ぎ払った。
「くっ……!」
 両腕でガードするも、重い衝撃に弾き飛ばされ地面へと激しく倒れ込む。
 ルクスはうつ伏せの楓へ悠然と近づき、トドメとばかりに足高く振り上げた。
 ――だが、足を振り下ろした瞬間。
 倒れていた楓がバネのように跳ね起き、無防備な腹部へ両拳を真っ直ぐに突き出した。
「火拳弐ノ型――【紅蓮撃(ぐれんげき)】ッ!!」
 ルクスは咄嗟に腕をクロスさせてガードするが、直後、腕に突き刺さった拳から紅蓮の爆炎が至近距離で弾け飛んだ。
「きゃあっ……!?」
 爆風に煽られ吹き飛ぶルクス。楓はその隙を逃さず、獲物を追う獣のように跳躍して追撃に走る。
 ルクスは空中で鋭い髪の槍を射出するが、楓はそれを首の皮一枚で躱し抜き、下からルクスの横腹へと強烈な回し蹴りを叩き込んだ。
「ッ……!」
 ルクスは蹴られた勢いを利用して後方へ飛び退き、口角から垂れる血を苛立ち紛れに拭い取る。
(……おかしいわね。さっきよりも、明らかに動きが速くなっている……?)
 ルクスは内心の疑問を押し隠し、ニヤリと嗜虐的な笑みを浮かべる。
「そろそろ、終わりにしましょうか」
 ルクスが一気に加速した。段違いの速さで楓の懐へ潜り込み、必殺の拳を腹部へと突き刺す。
 しかし、楓は深くしゃがみ込んで回避し、下から渾身のアッパーを繰り出した。
 ゴッ!!
 顎を捉えられたルクスは、被弾の瞬間に髪を硬化させて防御し、後方へ飛ぶことでダメージを抑え込んだ。それでも脳を揺らす衝撃は殺しきれず、床に膝をつく。
(一体、何が起きているの……!? さっきより格段に動きのキレも打撃の重さも上がっている!)
「……私が何をしたのか、分からないって顔ね」
 楓の言葉に、ルクスは警戒を強めてさらに距離を取る。
「……ハッ。答えは『何もしていない』よ」
「……そんなはずはないわ。明らかに動きが良くなっている。それも戦い始めた時より遥かにね」
 否定するルクスに、楓は「本当よ」と肩を竦めた。
 その瞬間、楓の両腕のグローブから陽炎のような激しい熱気と炎が立ち昇り始めた。
「まさか……そのグローブの能力?」
「ええ。私の〈カグツチ〉は極端なスロースターターなの。時間が経てば経つほど、私は青天井で強くなる」
「そういうこと。なら、もっと早く終わらせておくべきだったわねぇ」
「もう貴女に勝ち目はないと思うけど?」
「ふふっ……舐めないで。何も奥の手は一つだけじゃないのよ。あまり使いたくはなかったけれど……仕方ないわね」
 ルクスの瞳に、昏い欲望の色が宿る。
「【大罪魔法:色欲ノ魔王(アスモデウス)】ッ!!」
 不気味な黒いオーラを纏い、ルクスは楓へと一直線に突撃する。楓は冷静に拳を躱し、空いた胴体へ完璧なカウンターを叩き込もうとした。
 ――が。
(……えっ?)
 拳を打ち込む瞬間に「一瞬の躊躇い」が生じ、初動が僅かに遅れた。
 その隙をルクスが見逃すはずもなく、重い一撃が楓の顔面にクリーンヒットする。
「がッ……!」
 地面を転がる楓。なんとか立ち上がろうとするが、そこへ追撃の蹴りが迫り、ボールのように蹴り飛ばされた。即座に体勢を立て直して拳を振るうが、あっけなく躱されてしまう。
(…おかしいッ、この人がさっきより速くなった?…いや、私が遅くなっている?)
楓は自身に起こった変化に戸惑う。楓がラストの攻撃を避け反撃しようとするといつの間にか距離を取っていた。
(……それも違う、相手のスピードも確かに少し上がってるけど十分に避けれる範囲、攻撃する時にだけ何故か一瞬遅れてしまう)
楓は必死に考える。
(……もしかして、これは……)
 楓は大きくバックステップを踏んでルクスと十分な距離を取った。
「……精神干渉系の、魔法?」
「驚いたわ。まさか数合で見破るなんて。……いいわ、教えてあげる。どうせ防ぎようはないんだから」
 ルクスは勝利を確信したように胸を張る。
「私に危害を加えようとする者の『無意識下』にストップをかけさせる魔法よ。同性だから効果は薄れるみたいだけど……貴女の動きを鈍らせるには十分みたいねぇ」
「……なるほどね」
 自分に起きている現象の正体を理解し、楓の表情が僅かに曇る。倒そうと意識すればするほど、体が勝手に手加減をしてしまう極悪な呪い。
「……どう? これで貴女に勝ち目はなくなったわ」
 勝ち誇るルクス。しかし、楓は目を閉じて深く息を吸い込んだ。
「ふぅーーーーっ。……よし!」
 パンッ! と両拳を胸の前で勢いよく打ち合わせる。
「まだ諦めていないみたいだけど、無駄よ」
「まぁ、見てなさい」
 楓は地を蹴り、何の捻りもない単調な直線軌道で走り出した。
「本当に、バカな子……」
 大振りの右ストレート。ルクスは鼻で笑いながら難なく躱した。
「だから、無駄だって言ってるでしょ――」
「ええ、知ってるわ」
 躱された直後。楓は振り抜いた右足を軸にして凄まじい速度で回転し、見えない死角から左の後ろ回し蹴りを放った。
 ドゴォォォォンッ!!
「なッ……!?」
 予想外の連撃にガードするも、圧倒的な破壊力に砲弾のように吹き飛ばされるルクス。空中で必死に体勢を立て直して着地し、驚愕の声を上げる。
「……どういうことよ! 何故、躊躇なく攻撃できたの!?」
「ごちゃごちゃ考えるのは、私の性に合ってないのよ」
 楓は〈カグツチ〉の炎を揺らめかせながら不敵に笑う。
「無意識にストップをかけられるなら、理屈も思考も全部捨てて、本能のまま『何も考えずに』殴り続ければいいだけの話でしょ?」
「……何よ、その単細胞すぎる考え方」
「最高の褒め言葉として受け取っておくわ」
 我を忘れて飛びかかるルクス。しかし、余計な思考を一切削ぎ落とした楓はそれを流水のごとく受け流し、鋭いカウンターを顔面へ叩き込む。
 叩きつけられ、起き上がり、攻撃を仕掛けては吹き飛ばされる。
思考を放棄し、完全な「無心」へと昇華された楓の動きの前に、ルクスの魔法は完全に無意味化していた。
 次第にルクスの足が完全に止まる。肩で激しく息をしながら楓を睨みつけるルクス。対する楓は静かに、熱い炎を纏った無感情な瞳で見据えていた。
 その圧倒的な威圧感に気圧され、ルクスは思わず一歩後ずさる。
「――ッ! どうしてッ!」
「貴女はもう私に勝てないと本能で悟った。だから視線から逃れるために距離を取ろうとしてるのよ」
「ッ!! 調子に乗らないで!! 煉獄の業火よ、灼熱の焔よ! その紅蓮たる炎をもって我が敵を燃やし尽くせ!! 【灼獄の爆炎(しゃくごくのばくえん)】ッ!!」
 ルクスの全魔力が込められた巨大な爆炎の塊が出現し、部屋を焼き尽くさんばかりの勢いで楓へと襲いかかった。
 しかし、楓は避ける素振りすら見せず、真っ向からその炎の壁へと突っ込んでいく。
「……そんなッ!?」
 〈カグツチ〉の熱量で身を護りながら爆炎を力押しで突き破り、あっという間にルクスの眼前に迫った。
 極限まで熱を高めた右腕が、太陽のように眩く燃え上がる。
「火拳参ノ型――【煌拳(おうけん)】ッ!!!」
 すべてを打ち砕く黄金の輝きを纏った一撃が、ルクスの腹部を完璧に貫いた。
「――ッぁ…………」
 最大奥義をまともに食らったルクスは、くの字に折れ曲がりながら凄まじい勢いで吹き飛び、壁に激突してそのまま崩れ落ちた。
 濛々と立ち込める煙の中、楓がゆっくりと近づく。気絶しているルクスが元の姿へと戻っていくのを確認し、ようやく警戒を解いた。
「……どうやら、終わったみたいね」
 楓はふうと大きく息を吐き出し、強張っていた自身の肩をトントンと叩く。
「はぁーっ。それにしても疲れたわね」
「……ゲホッ、ゴホッ……。私の方が……疲れたわよ……。もう指一本、動かせないわ……」
 息を吹き返したルクスが血を吐きながら恨めしそうに呟く。
「それは自業自得ね。……さてと」
 楓は足元に魔法陣を展開し、そこから這い出た鎖でルクスの身体を隙間なく簀巻きに縛り上げた。
「よし、これでOKね」
「……それにしても、あの巨大な炎の中に正面から突っ込むなんて無茶苦茶よ貴女」
 鎖の中で動けないルクスが、呆れたように吐き捨てる。
「言ったでしょ? ごちゃごちゃ考えるのは性に合わないって。とりあえず突っ込んで、思い切り殴り飛ばせればそれでいいのよ」
「……流石に脳筋すぎるわよ。動物園の猿でも、もうちょっと頭を使って戦うわ」
「ん? 今、何か言った?」
 楓がギロリと冷たい視線を向けると、ルクスはヒッとなって慌てて目を逸らした。
「よし! それじゃあ運びますか!」
 楓は鎖の端をガシッと掴むと、ルクスを床に引きずりながら悠々と歩き出した。
「ちょ、ちょっと!? 引きずらなくてもいいじゃない!?」
「だったら自分の足で歩きなさいよ」
「もう一歩も動けないって言ったでしょ!? というより貴女、さっきの悪口聞こえてたわね!?」
 ズリズリとみっともなく引きずられながら必死に抗議するルクス。
 しかし楓はそれを完全に無視し、鼻歌交じりでルクスを引きずり続けるのだった。