魔力の少ない魔法使い

「……は……やと?」
「ああ。悪い、遅くなった」
 俺が静かにそう答えると、玲奈の大きな瞳から張り詰めていた糸が切れたように大粒の涙が零れ落ちた。
「……っ、ほんと遅すぎるわよ。バカっ」
 玲奈は乱暴に涙を拭い、安心しきったような、だけど少し怒ったような泣き笑いの表情を見せる。俺はそんな彼女の顔を見て、心の底からホッと息を吐き出した。
 視線を横に移すと、サラと絋弥の二人もこちらに向かって足を引きずりながら歩いてくる。
 二人とも服は破れ、全身ボロボロだったが、幸い命に関わるような致命傷はないようだった。良かった、なんとか間に合ったんだ。
「お前……本当に隼人なのか?」
 絋弥がまだ信じられないというように、探るような目を向けてくる。
「ああ、俺だよ。……なんだったら本人証明のために、お前の秘密でもバラそうか? 確か六月の放課後だったか――」
「ストップ! ストップ! 信じる! 信じるからやめろ!」
 俺が絋弥の黒歴史を暴露しようとすると、奴は慌てふためいて全力で止めてきた。
「……ったく。確かに隼人だな」
 安堵の溜息をつく絋弥。
 ――まあ、精神世界にいたアースは俺の視覚や記憶を通して外を見ていたみたいだし、仮に俺が乗っ取られていたとしても、お前の秘密は筒抜けなんだけどな。
 ……っていうか、それって俺の恥ずかしい記憶も全部アースに丸わかりってことだよな!? 普通に考えてめちゃくちゃ恥ずかしくないか!?
「よ、よがっだぁぁぁっ! ……う、っ……、うわぁぁん……!」
 サラはもう我慢できないとばかりに、子供のように声を上げて物凄く号泣し始めた。
「ちょっ!泣きすぎだって!凄い嬉しいけど!」
「だ、だっでぇ……怖かったんだもん……!」
 サラは泥だらけの両手で、ぐしゃぐしゃになった顔の涙を何度も拭う。
「三人とも、無事で良かった。……ありがとう」
 俺は三人に心からの感謝を込め、笑顔でそう告げた。
「――ここからは俺がやる。だから三人とも、ここから逃げてくれ」
 俺は笑顔を収め、前方で静かに佇む男の方へと鋭い視線を向けた。
 あいつ、さっきから追撃してくる気配がないが、一体どういうつもりだ?
「は!? 何言ってんだ!」
「そうだよ! 隼人君も一緒に逃げようよ!」
 絋弥とサラが血相を変え、俺の腕を強く掴んで引き留めようとする。
「あいつの本当の狙いは俺だろ?だから、俺が残って戦う」
「だったらみんなで戦えばいいじゃん!」
 サラが必死な顔で訴えかけてくる。俺はその震えるサラの小さな手を優しく握り、ゆっくりと首を横に振った。
「三人はもう十分戦ってくれた。……今度は、俺が戦う番だ」
 俺が手を離すと、サラはまだ何かを言いたげに唇を噛んだが、俺の目を見てそれ以上は何も言わなくなった。
 後ろにいるニ人へ視線を向ける。絋弥は悔しそうに、そして玲奈は真剣な眼差しで俺のことを見つめていた。
「大丈夫だって。あいつが桁外れに強いのは分かってる……けど、不思議と負ける気はしないんだ」
 俺の中には今、アースがいる。
 あいつよりも遥かに理不尽で強大な存在と対峙したおかげか、契約を交わしたおかげか、目の前の男に対して不思議と恐怖は感じなかった。
「……隼人。約束、ちゃんと覚えてるわよね?」
 玲奈が、確認するように真っ直ぐな声で聞いてくる。
「もちろんだ。……必ず、生きて帰る」
「そう。……なら、分かったわ。二人とも、行きましょう」
「「えっ!?」」
 あっさりと引き下がった玲奈の言葉に、サラと絋弥が驚きの声を上げる。
「大丈夫よ。隼人は昔から、約束『だけ』は絶対に守ってくれるから」
 玲奈はふっと口角を上げ、どこか誇らしげな、優しい口調でそう言った。
 ……おい、「だけ」ってのは余計だろ。それだと俺が約束以外は何も守らないみたいじゃないか。
「……はぁ。西園寺がそこまで言うなら、分かったよ」
「……そうだ、ね。……うん、隼人君を信じる」
 二人は玲奈の信頼の強さに当てられたのか、渋々ながらも納得してくれたようだ。
「でも!危なくなったらすぐ逃げること!絶対無理はしないこと!良い!?」
「あ、ああ……」
 玲奈の物凄い剣幕と迫力に押され、俺は思わずたじろぎながら頷いた。
 玲奈は満足そうに一つ頷くと、サラたちの背中を押して部屋の出口へと向かっていく。
「隼人!無事に帰ってきたら、特上の焼肉奢ってやるよ! 俺との約束だからな!」
 最後に、絋弥が扉の前でこちらを振り返り、ニカッと笑ってそう叫んだ。
「おう!それ、絶対守れよ?」
 俺が笑って返すと、絋弥は力強く頷き、部屋から出て行った。
 三人の気配が完全に遠ざかったのを確認し――俺は纏う空気を一変させ、再び男へと向き直った。
「……随分と、大人しく待っててくれたんだな」
「君にとって、友人との最後の会話に水を差すほど、私は野暮ではないつもりだ」
 男は冷徹な声でそう言うと、手にした剣をゆっくりと構えた。
「それに、私も君とは少し話がしたいと思っていたのでね」
「そうか。じゃあ――早速語り合おうぜ」
 俺は剣を構えるや否や、床を爆発的に蹴り飛ばした。
 ドンッ! という衝撃音を残し、一瞬にして男の懐へと距離を詰める。
「なっ!?」
「お前には色々と、言いたい文句があるんだよッ!!」
 驚愕に目を見開く男へ向け、渾身の力で剣を薙ぎ払う。
「ぐぅッ!?」
 男は咄嗟に剣を盾にしてガードしたが、俺の一撃の重さに耐えきれず、そのまま後方の壁際まで一直線に吹き飛ばされた。
「……これは、少々驚いたな……」
 壁に激突し、床に倒れ伏した男だったが、すぐに体勢を立て直して立ち上がる。その様子から、深いダメージは通っていないようだ。
 と言うか、驚いたのは俺の方も同じだった。
 玲奈を助けた時は必死すぎて気にならなかったが、身体の軽さ、踏み込みのスピード、剣に乗るパワー……その全てが、以前とは比べ物にならないほど跳ね上がっている。
 身体能力の向上、これが、アースが言っていた『力』ってやつか……!
『違ぇよ』
 突然、直接脳内に呆れたような低い声が響いた。
「うおっ!?」
 俺はビクッと肩を跳ねさせ、思わず変な奇声を上げてしまった。
「……どうした?」
 男が警戒を解き、不思議そうな顔をして俺を見る。そりゃそうだ。戦闘狂みたいな突進をしてきた奴が、いきなり一人で奇声を上げれば誰だって困惑する。
「な、なんでもない!」
 俺はぶんぶんと手を振って誤魔化した。すっかり、アースと心の中で念話ができることを忘れていた。
(……それで、何が違うんだよ?)
『俺の力の根源は”魔”だ』
 心の中で問いかけると、アースの声が即座に返ってくる。
(魔?魔法ってことか?)
『それもあるが、俺の場合はより”魔力”という概念そのものが重視されている』
 魔力……。つまりは、俺自身の魔力量が底上げされたってことか。確かに、今の俺の体内には、以前とは比べ物にならないほどの膨大な魔力が渦巻いているのが分かる。
「……何をしている? 来ないのか?」
 俺が心の中でアースの解説に聞き入っていると、男が怪訝そうに再び話しかけてきた。
「そちらから来ないのであれば、今度はこちらから行くとしよう」
 次の瞬間、男の姿が掻き消えた。
 そして息をする間もなく俺の目の前に現れ、上段から必殺の剣を振り下ろしてくる。
「――ッ!」
 俺は慌ててステップを踏み、ギリギリでその凶刃を避ける。
『いいか、話の途中だったが、魔力ってのは単なる”量”だけの問題じゃねぇからな』
(お前、この状況でも平気で話しかけてくんのかよ!)
『当たり前だ。これくらい余裕だろ』
 お前は規格外だから余裕かもしれないが、こっちはお前の授業を聞きながらこの化け物と戦うのは結構ハードルが高いんだぞ!
「くそっ!」
 俺は続け様に放たれる男の連撃を必死に躱し、態勢を立て直すために大きく後ろへ飛び退いた。
(……それで!? 量だけじゃないって、どういうことだよ!)
 俺は息を切らしながら、心の中でアースに続きを促す。
『簡単に言えば、”質”だ』
(質? そう言われてもな……)
 魔力に質なんて概念があるのは初耳だ。
『お前ら人間はひたすら量を重視しているからな……そもそも魔力に”質”があるなんて事実を知らない奴が殆どだろうな』
 それはそうだ。今までは魔力量が多ければ多いほど強い、デカい魔法が撃てると思っていたし、学校でもそう教わってきた。
『だが、現実は違う。極限まで高められた質の高い魔力は、魔法の威力を跳ね上げる』
(つまり……同じ魔力を込めた魔法でも、質が高い俺の方が圧倒的に強いってわけかッ!)
 俺はアースの解説を頭で処理しながら、なんとか男の鋭い斬撃を剣で弾き返す。しかし、意識が二分しているせいで、どうしても反応がコンマ一秒遅れてしまう。
「ふむ……先程の威勢はどうした。この程度か?」
「……?」
 男の余裕を見せるような挑発に、俺は思わず顔をしかめる。
「いや、失礼。先程の一撃に比べて、君の動きがあまりに鈍ったように感じたのでね」
 男は拍子抜けしたように嘆息した。
 それに関しては弁解の余地がない。脳内で高度な魔法理論の授業を受けながら死闘を繰り広げるなんて、今の俺にはさすがにキャパオーバーだ。
『……ちっ。とりあえず、今はこれくらいの説明で十分だろ。死にそうなくらい危なかったら助言してやる。せいぜい気張れよ』
 俺の苦戦を感じ取ったのか、アースは呆れたようにそう言い残し、脳内からふっと気配を消した。
「……悪かったな。ちょっと色々と、力の使い方を考えててな」
 俺は剣を握り直し、ゆっくりと重心を落として男を見据える。
 頭の中の雑念は消えた。みなぎる力に振り回されるのではなく、自分の意志でコントロールする感覚が掴めてくる。
「こっからは――ちゃんと本気でやってやるよ」