女装した後輩に告白されてから、どうも日常がバグっている。

 逢坂くんへの気持ちに気づいてから数日が経った。夏の暑さは和らいで、だいぶ過ごしやすくなっていた。
 僕から思いを伝えようか?
 何度も思ったけれど、それは実行できていなかった。
 どこか物悲しい秋の風のせいか、余計に考え込んでしまうのかもしれない。
 逢坂くんはいつも通り、僕のそばにいてくれるのに。
 けれどもこんなふうに僕のそばにいてくれるのも今だけで、いつか黒崎さんのような素敵な女の子の所に行ってしまう気がする。そしてそれがお互いに幸せなのかもしれない。
 そんな思いがちらついて、僕は迷っていた。
 意識して少し逢坂くんと距離をとってしまって、悲しい顔をさせてしまう自分が嫌だった。
 鬱々と思い悩む僕を尻目に、学校生活の一大イベントが迫っていた。
「いよいよ明日だね!」
 結菜が大きな声で言う。
 2年生は明日から3泊4日の修学旅行に出発する。
 行き先は定番の京都・奈良だ。
 海外旅行も珍しくないご時世だけど、僕は国内で良かったと思っている。鉄の塊が飛べる原理を自分が理解できるまで飛行機に乗る気になれない。
「寝坊すんなよ?」
 誠士の言葉にすかさず結菜が突っ込んだ。
「お前もな!」
 いつもの2人のくだらないやりとりが、僕を現実に繋ぎ止めてくれる。
 もうすぐ修学旅行だというのに、楽しみだとかそういう気持ちもあまり湧かず、モヤモヤとした思いを持て余している。
「ほら、2人とも! 今日はさっさと帰って早く寝よう」
 僕は作り笑いをして、2人にそう言いながら帰り支度をする。
 すると、その様子を微笑みながら見ていた黒崎さんが口を開いた。
「キミたちは本当に仲睦まじくて見ていて癒されるね。明日からよろしく頼むよ」
「はーい、麻央ちゃんよろしく!」
「よろー」
「よろしくね」
 誠士、結菜、僕のいつものメンツに黒崎さんを加えたのが2日目、3日目の京都自由散策の班のメンバーだった。
 黒崎さんには罪はないのだけれど、どうしても気になってしまう。
 ちょっと前の僕なら、美人の黒崎さんと同じ班でラッキーと思っていただろうに、えらい違いだ。
 明日からしばらく逢坂くんに会えない。
 自分から距離を取るくせに、会えないのが寂しく感じるなんて自分勝手だと思う。
 僕はため息をついて、みんなに挨拶をする。
「明日はいつもより朝早いからね! じゃあまた明日!」
 少し大袈裟に手を振って教室を後にした。



 翌朝、6時。
 いつもより早い集合時間に合わせて早起きをする。
「伊織、忘れ物ない? 大丈夫?」
 心配性の母さんも同じだけ早起きしていた。
「大丈夫だよ。細かなものは最悪買えるし。そろそろ行くね」
「お誕生日のお祝いは帰ってからね。ケーキ用意しとくから」
「ありがと。いってきます」
 笑顔で手を振る母さんに一声かけて家を出た。
 修学旅行の3日目、僕は17歳の誕生日を迎える。正直いろんなことがありすぎて、誕生日のことをすっかり忘れていた。
 けれど、せっかく忘れていたのに思い出してしまった。
「誕生日は一緒にお祝いさせてください!」
 逢坂くんと交わした何気ない会話が頭をよぎる。やっぱり逢坂くんのことが好きで、できれば2人でお祝いしたかった。
 でも、さすがにこの願いは叶わないだろう。
 僕は首を大きく振ってから頬を軽く叩く。こんな気持ちで修学旅行なんてもったいない。
 旅行中はなるべく考えないようにしよう。それに、この会えない間に、僕の中に答えが見つかるかもしれない。
 スーツケースには、あの日2人で選んだピンクのシャツが入っている。
 誕生日に着ようと思って。
 せめて一緒にいる気分でいられるように。



 新幹線に乗って、京都に向かう。
 学校行事とはいえ、やっぱり友達との泊まりがけの旅行は気分が上がる。
 モヤモヤした気持ちがないといったら嘘になるけれど、それでも素直に楽しいと思う。
 1日目は団体で観光した。
 奈良では鹿に餌をあげて癒され、お寺をいくつか回った。大仏はやっぱり大きかった。
 家族へのお土産を何にしようかと悩むのも楽しい。妹に小さな鹿のマスコットを1つ買った。喜んでくれるだろうか?
 バスで京都まで移動して、これから3日間宿泊するホテルに辿り着く。
 ツインの部屋に誠士と一緒に入る。よくある普通のホテルの部屋なのに、なぜだか少しホッとする。
 食事が終わって部屋に戻るなり誠士はベッドに倒れ込んだ。趣味が昼寝と公言しているだけはある。
「誠士、寝るなら先にお風呂入っちゃいなよ」
 僕は呆れて声をかける。
「これ仮眠だから。いおりん先に入っちゃってよ。んで、ほどよいとこで起こしてー」
「ほどよいとこってどこだよ」
「……ZZZ」
 すでに返事が寝息だ。
「マジか……」
 僕は半笑いのため息をついた。
 そういう僕も、動き回ったというほどでもないのに意外と疲れていた。
 大人しくお風呂に入って明日に備えよう。
 バスタブに湯を入れて、贅沢に家から持ってきた入浴剤を入れる。ほんのりとネロリの香りがする。
 ふと逢坂くんを思い出す。
 端正なイケメンがオレンジジュースを好きだなんて、ギャップすぎて反則だな。
「あはは。全く可愛いんだから」
 僕は湯に浸かって小さく息を吐く。 
 やっぱり逢坂くんのこと考えちゃうんだよなあ。
 体が温まって疲れが溶け出していくような気がした。そろそろ自分の気持ちに答えを出したいと思う。
 でも今日は、明日に備えて寝てしまおう。
 胸に浮かぶ逢坂くんの笑顔は、なぜか寂しげなものだった。



 修学旅行の2日目と3日目は各班に分かれての自由行動だ。
 制服ではなく私服での散策となる。
 僕たちの班は、今日は松尾大社から渡月橋へ行き、嵐山周辺を見て回る予定だ。
 電車に乗って松尾大社を目指す。
「亀見たい! 亀!」
 結菜が子供のようにはしゃいでいる。
 松尾大社には幸運の撫で亀さんという像があって、撫でるとご利益があるそうだ。
 事前の下調べで見かけた像のビジュアルに一目惚れしたらしい。
「鯉の方もちょっとは思い出してやれよ」
 誠士がつまらなさそうに言った。
 そんな2人をぼうっと眺めていると、不意に声をかけられる。
「浅井くんは何か気になるものはあるかい?」
 黒崎さんに顔を覗き込まれてドキッとする。
「ん? うーん。僕は重軽の石かな」
「叶えたい願いがあるんだね。みんなで挑戦しよう」
 笑顔がとても綺麗で、やけに眩しかった。
 僕はなるべく自然に見えるように気をつけて窓の外に顔を向けた。
「そうだね。みんなでやってみよう」
 わざと明るい声を作って答える。
 それとほぼ同時に、目的の駅にもう少しで到着すると車内アナウンスが流れた。
 電車を降りて4人で辺りを見回しながらのんびりと歩く。
 相変わらず結菜は亀の話をしていた。
 朱色の鳥居が見えてくる。その鳥居の上に何か枝のようなものがいくつも垂れ下がっているのが見えた。
 僕たちは中央を避けて鳥居をくぐる。目の前には木造の楼門が木々を背負うようにして建っていた。
「さて、亀吉はどこかな?」
 結菜は辺りを見回しながら言った。
「亀吉って誰だよ。ってか、そもそも亀が女子だったら失礼だろ」
「結菜くん。その前に参拝をしようか」
 2人のくだらない会話に真顔で正論をぶつける黒崎さんが頼もしく見えた。僕たちは無事に参拝して、目的の亀へと向かう。
「カメリーヌいるじゃん! 会いたかったー!」
「また適当な名前つけて。国籍まで変えてるし」
 僕は結菜にツッコミを入れて周りを見る。
 一生懸命亀を撫でる結菜の隣、2匹の鯉の像が気になった。
 鯉……、恋か。
 結菜お気に入りの亀の像をひと撫でしてから、恋愛成就にもご利益がありそうな2匹の鯉の像にこっそりと手を合わせた。
 思い浮かべた逢坂くんの笑顔は曇り1つない。
 いつの間にか隣にいた黒崎さんがふっと微笑んだ。
「鯉の神様がきっと力を貸してくれるさ」
 そのセリフに、僕はなんと返したらいいかわからなかった。
「いおりーん、この石でしょ? 気になってるやつ」
 誠士が呼んでいるのを幸いと、僕はそちらに向かって歩き出す。
「黒崎さん、結菜のことは亀に任せてあっちに行こう!」
「そうだね。結菜くんは亀にご執心だからもう少しそっとしておいてあげよう」
 誠士のそばに台座に置かれた普通の石があった。普通すぎて拍子抜けしてしまった。
「最初に石を持ち上げて、次に願い事を思い浮かべて石を持ち上げて、軽く感じたら願いが叶うらしいよ」
 誠士はつまらなさそうに言った。
「誠士はもう試したの?」
「ん。やってない」
「先にやってみてよ」
 僕は変に緊張していた。
 大袈裟かもしれないけど、神様の審判が降るような、そんな気がしていた。
 誠士はそんな僕の様子を見て、ゆっくりと石に手を伸ばす。
「えー、だって俺、願い事とか特にないし。あ。待てよ?」
 そう言ってから石を2回持ち上げた。
「軽いわ」
 誠士は少し驚いたような顔をしている。
 いったい、何を願ったのだろう?
「マジで?」
「うん。いおりん、よかったな。さて、それじゃあやってみ?」
 促されたけれど、まだ勇気がわかなくて隣の黒崎さんを見る。
「うーん。黒崎さん、先にやってみてよ」
「いいのかい? じゃあ失礼するよ」
 黒崎さんは誠士と同じように石を持ち上げた。僕はたまらず聞いてみる。
「どうだった?」
「そうだね。変わったようには思えないけれど」
「あ、これがいおりんの言ってた石? なんかメッチャ普通だね」
 いつの間にか合流していた結菜が後ろからすっと手を伸ばした。
「え、やだ。重い。宝くじ1等当たらないみたい」
 結菜の生々しい願い事を聞いて、かえって緊張が解けた。
「本当に重さ変わるの? じゃあ僕もやってみるよ」
 僕は恐る恐る石を手にした。艶やかで冷たい感触が気持ちよかった。
 そして逢坂くんのことを思い浮かべる。
 もし軽く感じたら、その時は……。
 そう思ってもう一度持ち上げた石は先ほどよりも不思議と軽く感じた。
「ねえ、いおりん、どうだった?」
「うん。なんか軽い気がする」
 気のせいかもしれない。
 気のせいかもしれないけれど。
 僕はそれでも気分まで軽くなった気がした。
「ねー、おみくじ引かない?」
 結菜が思い出したように言った。
 確かに神社といえばおみくじだ。
「いいね。ボクも引きたいな」
 黒崎さんが賛成する。
「せっかくだから僕も引こうかな。誠士は?」
「んー。俺はいいや」
 誠士はお守りを見ているようだ。
「あ。アタシ、ホワイトタイガーにする」
「可愛らしいね。ボクもその子にしようかな」
 女子2人は白い虎の形をしたおみくじを選ぶ。僕は迷った末に普通のおみくじを引いた。
 ドキドキしながらくじを開くと、そこには中吉と書かれていた。大吉ではないけれど、なかなかの結果で少し安心する。
 結菜が僕の手元を覗き込む。
「いおりん中吉かあ。アタシと一緒。麻央ちゃんは大吉だよー」
「ふふ。大吉にはこれ以上、上がないからね、あとは下がるしかないんだよ。比べて中吉はもっと良くなる可能性があるのさ。それに各項目を見てごらん」
 僕はひとつひとつ目で追っていく。
 やっぱり気になるのは恋愛運だった。
『待ち人、必ずくる』
 たかが占い。そう言われたらそれまでだけれど、大吉よりも嬉しかった。
「いおりん、嬉しそうじゃん」
「何か素敵なことが書いてあったのかい?」
 2人に覗き込まれて、僕は慌てておみくじを畳んだ。そして慌ててごまかす。
「学業運が良かったんだ。前回のテスト、あまりよくなかったからさ、安心しただけ」
「あれ? いおりん、前回割と良かったって言ってなかった?」
「結菜の気のせいじゃない?」
 少し離れたところで黒崎さんが手を振って僕たちを呼んでいる。
「2人とも、おみくじを結ぼう。白木くんも待っているよ」
「はーい」
 結び所で、叶いますようにと念じながらおみくじを結んだ。
「誠士、何かいいものあった?」
 僕は何かを買った様子の誠士に声をかけた。
「お守り買っただけ。まあ石も軽かったしご利益あるでしょ」
「確かに」
 さっきの石の一件を思い出して、僕は妙に納得した。
 松尾大社を満喫した僕たちは、次の目的地、渡月橋へ向かうことにした。
 その道すがら、結菜がみんなに質問する。
「ねー、みんなの願い事はなんだったの?」
「ひみつ」
 誠士が軽くあしらうように答えた。
「軽く感じたんでしょ?」
「うん」
「じゃあいいじゃん」
「よくないし」
 何往復か問答して、突然僕に飛び火する。
「いおりんは?」
「僕もひみつ」
「もしかして、2人ともマジなお願いしたね?」
 図星をさされてどう答えようか悩んでいると、誠士がさらっと回答を逃げた。
「どうでしょう?」
 結菜は今度のターゲットを黒崎さんに定めた。
「麻央ちゃんは?」
「ボクは世界平和だよ」
 黒崎さんは当たり前のことのように、堂々と宣言する。
「スケールが大きいな。そんで重さは変わらないのか」
 誠士が小さく口笛を吹いてから言った。
「世界平和は現状維持なんだね」
 僕は少しだけ残念な気持ちになった。