あの日のランチ以来、学食に集まって6人で食事するのが日常になった7月の上旬、僕たちは昼食後、期末テストの話題で盛り上がっていた。
「あー、薄々気づいてたけど数Ⅰ赤点だったよー、先輩、どーしよー」
杉村さんが隣に座る結菜に縋り付きながら半泣きになる。
「美羽ちゃん、だいじょーぶだいじょーぶ!アタシも赤点だから!」
「あ!じゃ、大丈夫そうですね!」
「一緒に補習受けよ!」
「はーい」
色んな意味で大丈夫じゃないし、学年が違うから一緒に補習は受けられないだろうと、ツッコミどころ満載の会話はみんなスルーしている。
杉村さんはともかく、結菜の数学が壊滅的なのは今に始まったことではないし。
「浅井先輩、もしよかったら今度一緒に勉強しませんか? 勉強教えてもらえたら嬉しいです」
二人の会話を見ていた逢坂くんが不意に僕へ話題を振った。
いくら一年前に履修済みとはいえ、赤点こそないもののお世辞にも成績がいいとは言えない僕が、誰かに教えられるとは思えない。
「あー、逢坂くん、ちょっと教えるのは難しいかも……」
「……そうですか……」
目に見えてがっかりする姿は、しょぼくれた大型犬のようだ。
僕は慌てて言葉を紡ぐ。
「ごめんね。あ! でも科目によってはなんとかなるかも……!」
その様子を見ていた神崎くんが僕に告げ口をする。
「浅井先輩、こいつメッチャ勉強できますよ。一緒にいるための口実なんでー、そんな教えなきゃ! とかって考えなくてもOKっス」
「そうなの?」
僕は神崎くんの方を見た。
「今回もぶっちぎりで1位なんじゃないかなー。今日の現国も満点で名前呼ばれてたし、そもそも数学も英語も何もかも得意っスよ」
「へー! 逢坂くん、すごいね! 僕が教えてもらいたいくらい!」
素直に感心する。
こんなにイケメンで、さらに成績もいいなんて完璧すぎる。
「……! 俺でよければ!」
目を輝かせた逢坂くんに向かって、神崎くんはツッコミを入れた。
「遥、2年の範囲教えられんの? ……お前ならいけんのか?」
「急いで勉強します!」
やっぱり2年の範囲は難しいんだ、と思って僕は逆に安心した。
「あはは……大丈夫だよ、気持ちだけで」
「すみません! 俺があと一ヶ月早く生まれていたら同じ学年だったのに……!」
残念がる逢坂くんの気を紛らわせようと、僕は話題を変えた。
「逢坂くん、4月生まれなんだね」
「はい! 4月23日生まれです。浅井先輩の誕生日はいつですか?」
「10月15日だよ」
逢坂くんはまるで子供のように目を輝かせている。
「秋生まれなんですね! 浅井先輩のイメージにピッタリです! 誕生日は一緒にお祝いさせてください!」
「あはは。ありがとう。楽しみにしてるよ」
今年の誕生日は賑やかになりそうだ。
その日を思い描いて、素直に楽しそうだなと思う。
「それにしても、もう少し早く生まれていれば浅井先輩と一緒に授業受けられたと思うと、自分にがっかりです。俺、ホントバカですね」
結局元の話題に戻ってしまった。
「バカも何も、自分で生まれる時期どうにかできないだろ。マジで逢坂、ブレないね。思い切って、飛び級しちゃえば?」
誠士が面倒くさそうにあくびをしながら言った。
「いえ、さすがにそれは……。え、でも待てよ……?」
逢坂くんはぶつぶつ言いながら口元に手を当てて考え込んでいる。その姿はまるで彫像のようで妙な迫力がある。
「おい、本気にするなよ? おーーい」
自分の世界に入り込んでしまっているようだ。誠士が声をかけてもびくともしない。
「あ、ソイツ、そうなったらもうダメっス。でも割と早めに復活するんで放っておいてください」
神崎くんの言葉を聞いて僕たちは顔を見合わせた。
そうしているうちに予鈴が鳴る。
それに気がついた逢坂くんははっとした様子で、僕の方を見ると慌てたように言った。
「せっかくの浅井先輩との食事時間に考え込むなんて……! すみません!」
「僕は別に構わないけど……」
逢坂くんが静かに何かを考える姿は、いつもと違ってまた別の格好良さがあって新鮮だったし。
けれど僕のセリフをどんなふうに受け取ったのか、逢坂くんは寂しそうに微笑んで言った。
「……そうですか。じゃあ、また」
僕たちはサッと片付けた後、それぞれのクラスへと解散した。
「おはよー」
僕は挨拶をしながら自分の席に向かって歩く。いつもどおりのはずの教室には、夏休み前の少し浮ついた空気とは違うざわめきがあった。
「いおりん、おはよ。ねえ見て? いおりんの席の斜め後ろ。机が増えてんだよね」
「本当だ。この時期に転校生とか?」
「いやいや、それなら夏休み明けでしょ。まあ、先に準備しておいたってこともあるかもだけど。それにしても時期がおかしいよな」
誠士と結菜、3人でああでもないこうでもないと話し合う。もう少し待てば先生が来て謎が解けるだろうけれど、予鈴を無視して話すその時間が妙に楽しかった。
チャイムとともに担任の中山先生が扉を開けて入ってくる。
そしてその後に続く人影もなくいつも通りだった。
「いつもより騒がしいな。どうした? ホームルーム始めるぞ」
増えた机に気づかない中山先生に痺れを切らしたクラスメイトが声を上げる。
「せんせー! 机が1つ増えてるんですけど、転校生とかですか?」
「転校生? そんな予定はないけど……確かに机、増えてるな。いたずらか? しょうがないな。委員長、放課後片付けておいてくれ」
「はーい」
さも面倒くさそうに委員長が答えた。別に余分に机があったところで大して困らないと思うけど、やっぱり戻すんだな。
僕は斜め後ろを振り返って誰の仕業だろうかとぼんやり考えた。
HRが終わり、次の現国の授業の準備をしていると珍しく逢坂くんが教室にやってきた。
「浅井先輩! おはようございます!」
「あれ? どうしたの?」
最近は昼休みこそ集まって過ごしているが、通常の授業の間の休み時間は短いこともあってあまり会うことはない。急ぎの用件でもあるのだろうか?
それにしても、相変わらず笑顔が眩しい。こんな完璧イケメンが僕を好きだというのだから世も末だ。
「はい! 浅井先輩と一緒に授業を受けようと思いまして!」
「はい?」
「机と椅子がないので取り急ぎ昨日の夕方のうちに運んでおいて正解でした!」
そう言いながら、逢坂くんは当たり前のように増えた机に着席した。
「……犯人はお前か……」
いつの間にか近くに来ていた誠士が逢坂くんにデコピンをする。
「痛ッ」
「誠士、逢坂くんが可哀想だよ」
「いおりん、なんだかんだでコイツを甘やかすよね」
「甘やかしてるつもりはないけど……」
なんかこう……、いたずらがバレた大型犬のように感じて助けてあげたくなってしまう。
「何々?はるちゃん、ついに2年上陸?」
結菜がニヤニヤしながら近づいてきて、小型扇風機の風を逢坂くんに当てる。前髪がぱあっと舞い上がって整った顔が丸出しになった。
風に逆らって少し上を向く姿が可愛くて、僕は逢坂くんの頭を撫でた。
「で、マジで授業受けんの?」
クラスメイトはだんだんと気づき始めて何事かと様子を窺っている。
そんな教室の様子を気にするでもなく、逢坂くんはどこから調達したのか2年の現国の教科書を机に広げながら返事をした。
「はい! 次の授業現国ですよね! 国語は母国語なのでわかります!」
「わかるとかわからないの問題じゃないと思うけど! はるちゃん、相変わらずイカれてるぅ! よし! トライしよ!」
結菜はお腹を抱えながらそう言って逢坂くんの背中をバンバン叩いた。
それにしても、結菜、いつの間に逢坂くんのことをはるちゃんと呼ぶようになったのだろう?
なぜか少しだけモヤっとして、慌てて小さく首を振る。
僕がそんなことを思っていると、教室の扉がガラリと開いて現国の石上先生が入ってきた。
逢坂くんに気を取られて、予鈴の音に気が付かなかった。
結構大きな音なのに……。
「おはようございまーす」
石上先生は教壇に立ち、いつものように大きな声で挨拶をしてから辺りを見回した。
僕たちは逢坂くんの周りを離れ、それぞれの席に移動する。
多分……、いや、これ、絶対バレちゃうんだろうけど、今から1年の教室に戻るのももう遅い気がする。
なんとなく教室に来た逢坂くんに嬉しくなって特に止めもせずにいた結果、授業が始まってしまったけど、これ、まずくない?
少なくとも逢坂くんの内申点はやばそうかも。
そっと振り返って見ると、笑顔の逢坂くんと目が合った。
幸い現国の石上先生は割と生徒に理解のある優しい先生だからなんとかなることを祈ろう。
「あれ? 今日はみんないつもよりやけに元気ね? 善き哉善き哉。それでは前回の続き。中島敦の山月記、やりますよー」
先生の言葉に教室のざわめきが僅かに和らぐ。教科書を開く音がそこかしこで聞こえた。
「何ページですかね?」
後ろでこそこそと隣の黒崎さんに質問する逢坂くんの声が聞こえる。
「今日は78ページ、5行目からだね」
黒崎さんが普通にどこからか教えていることがおかしくて、笑っている場合じゃないのに思わず吹き出しそうになる。
クラスメイト達も先生の目を盗んで、時々振り返っては逢坂くんの動向を気にしていた。
「さて、それじゃあまず朗読してもらおうかな。今日は13日だから13番の黒崎さん」
「はい」
後ろで凛とした声が響く。
それと同時に、僕は内心でまずいと思った。
「……己の自尊心のせいで、獣になってしまった」
感情を込めて読む黒崎さんの朗読は素晴らしいもので、まるで俳優や声優のようだ。
けれども僕はそれに全く集中できなかった。
石上先生はきっと、次の朗読者を黒崎さんの前か隣の生徒にする。前の席の僕ならいいけれど、右隣は逢坂くんだ。
絶対にバレてしまう。
僕は普段なら朗読が嫌でビクビクするところを、今回ばかりは自分を指名して欲しいと祈っていた。
けれどもその祈りは叶わず、無情にも石上先生は右隣を指名した。
「素敵な朗読ありがとう。じゃあ次、右隣」
教室がざわめく。
しかし逢坂くんは気に留めることもなく流暢に続きを朗読した。
「これが己を損い、妻子を苦しめ、友人を傷つけ、果ては、己の外形をかくの如く、内心にふさわしいものに変えて了ったのだ」
あれ? 意外とバレてない?
僕は息をそっと吐いた。
「あら、黒崎さんに続いて上手な朗読ね。でもなぜあなたがこのクラスにいるのかな? 逢坂くん」
石上先生はそう言って教科書から目を離す。
やっぱりしっかりバレていた。
僕の両手はなぜか少し震えている。
「はい。1年の授業だけでは物足りないので参加させていただきました!」
驚くほど堂々ともっともらしいセリフを言う逢坂くんを僕は振り返って見る。
ほんの一瞬だけ僕の方を見て、大丈夫だとでも言うように首を振る。
「あら。確かにあなたは成績いいものね。でもそれとこれとは話が別でしょう。……いいわ。物足りないなら課題を出してあげる」
「いや、課題ではなく生の授業を……」
「じゃあ時間がある時補習してあげるわ。だから自分の教室に帰りなさい」
「……はい」
優しくも厳しい石上先生の言葉を受け、逢坂くんは寂しそうに教科書を片付ける。
きっとこの前の昼休みの話から思いついて、僕と同じ授業を受けるためにとった行動なんだろう。だけど逢坂くんは一言もそんなことは言わなかった。
名残惜しそうに教室を去ってゆく逢坂くんをなす術もなく見送る。
僕はなぜだかすごく寂しくなって、その後の授業に集中することができなかった。
「ご迷惑をかけてすみませんでした!」
昼休みになって、僕が学食のいつもの席に着くなり、逢坂くんは立ち上がってテーブルに頭を擦り付けるように深々と頭を下げながら言った。
「とにかく顔を上げて。座ってよ」
僕は言いながら、隣の椅子を引いて逢坂くんを座るように促す。
「ワンチャン終わりまでいけるかと思ったけど。やっぱ甘くないね」
サンドイッチを食べながら、誠士が他人事のように言う。
「今回のことは、遥の単独行動なんで。でも制御できなくてすんません」
申し訳なさそうな顔をして、神崎くんが小さく頭を下げた。
「別に神崎は逢坂の飼い主ってわけじゃないだろ? 謝ることないよ。むしろ面白がって教室に帰せなかった俺らが悪いし」
誠士は言いながらチラリと逢坂くんを見る。
逢坂くんはしゅんとしたまま、お弁当はまだ手付かずだ。
今日の逢坂くんの授業紛れ込み事件は、昼前までにほぼ全校に知れ渡ることになった。
昼休みには職員会議も開かれることになり、思ったより大事になっている。
「そうそう。面白がっちゃったウチらも悪い。しかもいおりんなんてちょっと喜んじゃってたから!」
結菜は言いながら僕の方をチラチラ見ながらニヤついている。
「マジですか? 遥、冒険した甲斐あったじゃん」
そう言った杉村さんに小突かれ、逢坂くんは小さく肩を揺らす。そして恐る恐るといった様子で僕の方を見た。
「あはは。喜んだかどうかはともかく、逢坂くんが教室出ていく時、寂しかったよ」
僕は逢坂くんの頭を掻き回すように撫でてから、買っておいたオレンジジュースを差し出した。
「……浅井先輩、これ……」
「いっぱい叱られて疲れちゃったでしょ? これでも飲んで元気出して」
オレンジジュースを受け取った逢坂くんは、さっきまで萎れていたのが嘘みたいに、今では花が咲くように笑っている。
「ありがとうございます!」
「同じ授業は受けられないけど、一緒に勉強はできるんだから。今度みんなで勉強会しよう? ね、だからあんな無茶しないの。いい?」
「はい! 今後皆さんの迷惑にならないように気をつけます!」
いつも通りに元気にお弁当を食べ始める逢坂くんを見て、僕は心底安心した。
「逢坂の飼い主はやっぱりいおりんだよね。甘やかしすぎないでちゃんと躾けといて」
誠士の言葉を聞いて、飼い主なんて逢坂くんに失礼だと思いながらも、僕はなぜだか少しこそばゆいような、嬉しい気持ちになった。
「ねー、はるちゃん。記念にいおりんと写真撮ってあげるよ」
「記念? ですか?」
結菜のセリフに不思議そうな声で逢坂くんは問う。
「そう。2年1組侵入記念」
「結局失敗に終わってるけどな」
すかさず誠士のツッコミが入る。
けれどもその後に1年生二人の後押しが続いた。
「でもいいんじゃない? いおりん先輩との写真、遥、欲しがってたじゃん」
「確かに。会えない時にその写真を見て思いを馳せればいいんじゃね?」
結菜がぱんっと両手で叩く。
「そうと決まれば、ほら、もっと近くに寄って! いおりんもはるちゃんもいいでしょ?」
「僕は別に構わないけど……」
「願ってもないです」
隣に座る誠士に、無言でぐいと逢坂くんの方へ押しやられた。
「遥、いおりん先輩。こうやって二人でハート作って!」
細かな指示が入って、僕たちはちょっとしたポーズを取らされる。
「いいじゃんいいじゃん。なんかアイドルくさい」
杉村さんが両手で長方形を作ってその中を覗き込んだ。
「じゃあ撮るよー! はい、チー牛ッ」
「え? チー牛ってウケるんだけど」
「うっさい。噛んだだけじゃん」
「結菜先輩、おもろすぎる」
「もーそれはいいから! いおりん写真送るね! はるちゃんにはいおりんから送ってあげるんだよ?」
「うん」
僕は送られてきた写真を見る。
オレンジジュースを真ん中にして、それぞれの手を組み合わせてハートを作った二人ははにかんだような笑みを浮かべている。
胸に温かいものが降りてきて、僕は思わず逢坂くんの顔を見た。
目が合って、満面の笑みを返されてドキリと心臓が騒ぐのを感じた。
そして翌日『他学年の授業に参加することはできない』という校則が新たに追加されたのだった。
「あー、薄々気づいてたけど数Ⅰ赤点だったよー、先輩、どーしよー」
杉村さんが隣に座る結菜に縋り付きながら半泣きになる。
「美羽ちゃん、だいじょーぶだいじょーぶ!アタシも赤点だから!」
「あ!じゃ、大丈夫そうですね!」
「一緒に補習受けよ!」
「はーい」
色んな意味で大丈夫じゃないし、学年が違うから一緒に補習は受けられないだろうと、ツッコミどころ満載の会話はみんなスルーしている。
杉村さんはともかく、結菜の数学が壊滅的なのは今に始まったことではないし。
「浅井先輩、もしよかったら今度一緒に勉強しませんか? 勉強教えてもらえたら嬉しいです」
二人の会話を見ていた逢坂くんが不意に僕へ話題を振った。
いくら一年前に履修済みとはいえ、赤点こそないもののお世辞にも成績がいいとは言えない僕が、誰かに教えられるとは思えない。
「あー、逢坂くん、ちょっと教えるのは難しいかも……」
「……そうですか……」
目に見えてがっかりする姿は、しょぼくれた大型犬のようだ。
僕は慌てて言葉を紡ぐ。
「ごめんね。あ! でも科目によってはなんとかなるかも……!」
その様子を見ていた神崎くんが僕に告げ口をする。
「浅井先輩、こいつメッチャ勉強できますよ。一緒にいるための口実なんでー、そんな教えなきゃ! とかって考えなくてもOKっス」
「そうなの?」
僕は神崎くんの方を見た。
「今回もぶっちぎりで1位なんじゃないかなー。今日の現国も満点で名前呼ばれてたし、そもそも数学も英語も何もかも得意っスよ」
「へー! 逢坂くん、すごいね! 僕が教えてもらいたいくらい!」
素直に感心する。
こんなにイケメンで、さらに成績もいいなんて完璧すぎる。
「……! 俺でよければ!」
目を輝かせた逢坂くんに向かって、神崎くんはツッコミを入れた。
「遥、2年の範囲教えられんの? ……お前ならいけんのか?」
「急いで勉強します!」
やっぱり2年の範囲は難しいんだ、と思って僕は逆に安心した。
「あはは……大丈夫だよ、気持ちだけで」
「すみません! 俺があと一ヶ月早く生まれていたら同じ学年だったのに……!」
残念がる逢坂くんの気を紛らわせようと、僕は話題を変えた。
「逢坂くん、4月生まれなんだね」
「はい! 4月23日生まれです。浅井先輩の誕生日はいつですか?」
「10月15日だよ」
逢坂くんはまるで子供のように目を輝かせている。
「秋生まれなんですね! 浅井先輩のイメージにピッタリです! 誕生日は一緒にお祝いさせてください!」
「あはは。ありがとう。楽しみにしてるよ」
今年の誕生日は賑やかになりそうだ。
その日を思い描いて、素直に楽しそうだなと思う。
「それにしても、もう少し早く生まれていれば浅井先輩と一緒に授業受けられたと思うと、自分にがっかりです。俺、ホントバカですね」
結局元の話題に戻ってしまった。
「バカも何も、自分で生まれる時期どうにかできないだろ。マジで逢坂、ブレないね。思い切って、飛び級しちゃえば?」
誠士が面倒くさそうにあくびをしながら言った。
「いえ、さすがにそれは……。え、でも待てよ……?」
逢坂くんはぶつぶつ言いながら口元に手を当てて考え込んでいる。その姿はまるで彫像のようで妙な迫力がある。
「おい、本気にするなよ? おーーい」
自分の世界に入り込んでしまっているようだ。誠士が声をかけてもびくともしない。
「あ、ソイツ、そうなったらもうダメっス。でも割と早めに復活するんで放っておいてください」
神崎くんの言葉を聞いて僕たちは顔を見合わせた。
そうしているうちに予鈴が鳴る。
それに気がついた逢坂くんははっとした様子で、僕の方を見ると慌てたように言った。
「せっかくの浅井先輩との食事時間に考え込むなんて……! すみません!」
「僕は別に構わないけど……」
逢坂くんが静かに何かを考える姿は、いつもと違ってまた別の格好良さがあって新鮮だったし。
けれど僕のセリフをどんなふうに受け取ったのか、逢坂くんは寂しそうに微笑んで言った。
「……そうですか。じゃあ、また」
僕たちはサッと片付けた後、それぞれのクラスへと解散した。
「おはよー」
僕は挨拶をしながら自分の席に向かって歩く。いつもどおりのはずの教室には、夏休み前の少し浮ついた空気とは違うざわめきがあった。
「いおりん、おはよ。ねえ見て? いおりんの席の斜め後ろ。机が増えてんだよね」
「本当だ。この時期に転校生とか?」
「いやいや、それなら夏休み明けでしょ。まあ、先に準備しておいたってこともあるかもだけど。それにしても時期がおかしいよな」
誠士と結菜、3人でああでもないこうでもないと話し合う。もう少し待てば先生が来て謎が解けるだろうけれど、予鈴を無視して話すその時間が妙に楽しかった。
チャイムとともに担任の中山先生が扉を開けて入ってくる。
そしてその後に続く人影もなくいつも通りだった。
「いつもより騒がしいな。どうした? ホームルーム始めるぞ」
増えた机に気づかない中山先生に痺れを切らしたクラスメイトが声を上げる。
「せんせー! 机が1つ増えてるんですけど、転校生とかですか?」
「転校生? そんな予定はないけど……確かに机、増えてるな。いたずらか? しょうがないな。委員長、放課後片付けておいてくれ」
「はーい」
さも面倒くさそうに委員長が答えた。別に余分に机があったところで大して困らないと思うけど、やっぱり戻すんだな。
僕は斜め後ろを振り返って誰の仕業だろうかとぼんやり考えた。
HRが終わり、次の現国の授業の準備をしていると珍しく逢坂くんが教室にやってきた。
「浅井先輩! おはようございます!」
「あれ? どうしたの?」
最近は昼休みこそ集まって過ごしているが、通常の授業の間の休み時間は短いこともあってあまり会うことはない。急ぎの用件でもあるのだろうか?
それにしても、相変わらず笑顔が眩しい。こんな完璧イケメンが僕を好きだというのだから世も末だ。
「はい! 浅井先輩と一緒に授業を受けようと思いまして!」
「はい?」
「机と椅子がないので取り急ぎ昨日の夕方のうちに運んでおいて正解でした!」
そう言いながら、逢坂くんは当たり前のように増えた机に着席した。
「……犯人はお前か……」
いつの間にか近くに来ていた誠士が逢坂くんにデコピンをする。
「痛ッ」
「誠士、逢坂くんが可哀想だよ」
「いおりん、なんだかんだでコイツを甘やかすよね」
「甘やかしてるつもりはないけど……」
なんかこう……、いたずらがバレた大型犬のように感じて助けてあげたくなってしまう。
「何々?はるちゃん、ついに2年上陸?」
結菜がニヤニヤしながら近づいてきて、小型扇風機の風を逢坂くんに当てる。前髪がぱあっと舞い上がって整った顔が丸出しになった。
風に逆らって少し上を向く姿が可愛くて、僕は逢坂くんの頭を撫でた。
「で、マジで授業受けんの?」
クラスメイトはだんだんと気づき始めて何事かと様子を窺っている。
そんな教室の様子を気にするでもなく、逢坂くんはどこから調達したのか2年の現国の教科書を机に広げながら返事をした。
「はい! 次の授業現国ですよね! 国語は母国語なのでわかります!」
「わかるとかわからないの問題じゃないと思うけど! はるちゃん、相変わらずイカれてるぅ! よし! トライしよ!」
結菜はお腹を抱えながらそう言って逢坂くんの背中をバンバン叩いた。
それにしても、結菜、いつの間に逢坂くんのことをはるちゃんと呼ぶようになったのだろう?
なぜか少しだけモヤっとして、慌てて小さく首を振る。
僕がそんなことを思っていると、教室の扉がガラリと開いて現国の石上先生が入ってきた。
逢坂くんに気を取られて、予鈴の音に気が付かなかった。
結構大きな音なのに……。
「おはようございまーす」
石上先生は教壇に立ち、いつものように大きな声で挨拶をしてから辺りを見回した。
僕たちは逢坂くんの周りを離れ、それぞれの席に移動する。
多分……、いや、これ、絶対バレちゃうんだろうけど、今から1年の教室に戻るのももう遅い気がする。
なんとなく教室に来た逢坂くんに嬉しくなって特に止めもせずにいた結果、授業が始まってしまったけど、これ、まずくない?
少なくとも逢坂くんの内申点はやばそうかも。
そっと振り返って見ると、笑顔の逢坂くんと目が合った。
幸い現国の石上先生は割と生徒に理解のある優しい先生だからなんとかなることを祈ろう。
「あれ? 今日はみんないつもよりやけに元気ね? 善き哉善き哉。それでは前回の続き。中島敦の山月記、やりますよー」
先生の言葉に教室のざわめきが僅かに和らぐ。教科書を開く音がそこかしこで聞こえた。
「何ページですかね?」
後ろでこそこそと隣の黒崎さんに質問する逢坂くんの声が聞こえる。
「今日は78ページ、5行目からだね」
黒崎さんが普通にどこからか教えていることがおかしくて、笑っている場合じゃないのに思わず吹き出しそうになる。
クラスメイト達も先生の目を盗んで、時々振り返っては逢坂くんの動向を気にしていた。
「さて、それじゃあまず朗読してもらおうかな。今日は13日だから13番の黒崎さん」
「はい」
後ろで凛とした声が響く。
それと同時に、僕は内心でまずいと思った。
「……己の自尊心のせいで、獣になってしまった」
感情を込めて読む黒崎さんの朗読は素晴らしいもので、まるで俳優や声優のようだ。
けれども僕はそれに全く集中できなかった。
石上先生はきっと、次の朗読者を黒崎さんの前か隣の生徒にする。前の席の僕ならいいけれど、右隣は逢坂くんだ。
絶対にバレてしまう。
僕は普段なら朗読が嫌でビクビクするところを、今回ばかりは自分を指名して欲しいと祈っていた。
けれどもその祈りは叶わず、無情にも石上先生は右隣を指名した。
「素敵な朗読ありがとう。じゃあ次、右隣」
教室がざわめく。
しかし逢坂くんは気に留めることもなく流暢に続きを朗読した。
「これが己を損い、妻子を苦しめ、友人を傷つけ、果ては、己の外形をかくの如く、内心にふさわしいものに変えて了ったのだ」
あれ? 意外とバレてない?
僕は息をそっと吐いた。
「あら、黒崎さんに続いて上手な朗読ね。でもなぜあなたがこのクラスにいるのかな? 逢坂くん」
石上先生はそう言って教科書から目を離す。
やっぱりしっかりバレていた。
僕の両手はなぜか少し震えている。
「はい。1年の授業だけでは物足りないので参加させていただきました!」
驚くほど堂々ともっともらしいセリフを言う逢坂くんを僕は振り返って見る。
ほんの一瞬だけ僕の方を見て、大丈夫だとでも言うように首を振る。
「あら。確かにあなたは成績いいものね。でもそれとこれとは話が別でしょう。……いいわ。物足りないなら課題を出してあげる」
「いや、課題ではなく生の授業を……」
「じゃあ時間がある時補習してあげるわ。だから自分の教室に帰りなさい」
「……はい」
優しくも厳しい石上先生の言葉を受け、逢坂くんは寂しそうに教科書を片付ける。
きっとこの前の昼休みの話から思いついて、僕と同じ授業を受けるためにとった行動なんだろう。だけど逢坂くんは一言もそんなことは言わなかった。
名残惜しそうに教室を去ってゆく逢坂くんをなす術もなく見送る。
僕はなぜだかすごく寂しくなって、その後の授業に集中することができなかった。
「ご迷惑をかけてすみませんでした!」
昼休みになって、僕が学食のいつもの席に着くなり、逢坂くんは立ち上がってテーブルに頭を擦り付けるように深々と頭を下げながら言った。
「とにかく顔を上げて。座ってよ」
僕は言いながら、隣の椅子を引いて逢坂くんを座るように促す。
「ワンチャン終わりまでいけるかと思ったけど。やっぱ甘くないね」
サンドイッチを食べながら、誠士が他人事のように言う。
「今回のことは、遥の単独行動なんで。でも制御できなくてすんません」
申し訳なさそうな顔をして、神崎くんが小さく頭を下げた。
「別に神崎は逢坂の飼い主ってわけじゃないだろ? 謝ることないよ。むしろ面白がって教室に帰せなかった俺らが悪いし」
誠士は言いながらチラリと逢坂くんを見る。
逢坂くんはしゅんとしたまま、お弁当はまだ手付かずだ。
今日の逢坂くんの授業紛れ込み事件は、昼前までにほぼ全校に知れ渡ることになった。
昼休みには職員会議も開かれることになり、思ったより大事になっている。
「そうそう。面白がっちゃったウチらも悪い。しかもいおりんなんてちょっと喜んじゃってたから!」
結菜は言いながら僕の方をチラチラ見ながらニヤついている。
「マジですか? 遥、冒険した甲斐あったじゃん」
そう言った杉村さんに小突かれ、逢坂くんは小さく肩を揺らす。そして恐る恐るといった様子で僕の方を見た。
「あはは。喜んだかどうかはともかく、逢坂くんが教室出ていく時、寂しかったよ」
僕は逢坂くんの頭を掻き回すように撫でてから、買っておいたオレンジジュースを差し出した。
「……浅井先輩、これ……」
「いっぱい叱られて疲れちゃったでしょ? これでも飲んで元気出して」
オレンジジュースを受け取った逢坂くんは、さっきまで萎れていたのが嘘みたいに、今では花が咲くように笑っている。
「ありがとうございます!」
「同じ授業は受けられないけど、一緒に勉強はできるんだから。今度みんなで勉強会しよう? ね、だからあんな無茶しないの。いい?」
「はい! 今後皆さんの迷惑にならないように気をつけます!」
いつも通りに元気にお弁当を食べ始める逢坂くんを見て、僕は心底安心した。
「逢坂の飼い主はやっぱりいおりんだよね。甘やかしすぎないでちゃんと躾けといて」
誠士の言葉を聞いて、飼い主なんて逢坂くんに失礼だと思いながらも、僕はなぜだか少しこそばゆいような、嬉しい気持ちになった。
「ねー、はるちゃん。記念にいおりんと写真撮ってあげるよ」
「記念? ですか?」
結菜のセリフに不思議そうな声で逢坂くんは問う。
「そう。2年1組侵入記念」
「結局失敗に終わってるけどな」
すかさず誠士のツッコミが入る。
けれどもその後に1年生二人の後押しが続いた。
「でもいいんじゃない? いおりん先輩との写真、遥、欲しがってたじゃん」
「確かに。会えない時にその写真を見て思いを馳せればいいんじゃね?」
結菜がぱんっと両手で叩く。
「そうと決まれば、ほら、もっと近くに寄って! いおりんもはるちゃんもいいでしょ?」
「僕は別に構わないけど……」
「願ってもないです」
隣に座る誠士に、無言でぐいと逢坂くんの方へ押しやられた。
「遥、いおりん先輩。こうやって二人でハート作って!」
細かな指示が入って、僕たちはちょっとしたポーズを取らされる。
「いいじゃんいいじゃん。なんかアイドルくさい」
杉村さんが両手で長方形を作ってその中を覗き込んだ。
「じゃあ撮るよー! はい、チー牛ッ」
「え? チー牛ってウケるんだけど」
「うっさい。噛んだだけじゃん」
「結菜先輩、おもろすぎる」
「もーそれはいいから! いおりん写真送るね! はるちゃんにはいおりんから送ってあげるんだよ?」
「うん」
僕は送られてきた写真を見る。
オレンジジュースを真ん中にして、それぞれの手を組み合わせてハートを作った二人ははにかんだような笑みを浮かべている。
胸に温かいものが降りてきて、僕は思わず逢坂くんの顔を見た。
目が合って、満面の笑みを返されてドキリと心臓が騒ぐのを感じた。
そして翌日『他学年の授業に参加することはできない』という校則が新たに追加されたのだった。


