正直お散歩と言っても、校内で散歩して楽しい場所に心当たりはない。
隣の逢坂くんが楽しそうにしているのがせめてもの救いかもしれない。
「浅井先輩、どこに行きましょうか?」
満面の笑みを浮かべる逢坂くんに、僕は悩みながらこう言った。
「どこかで座って話さない?」
変わり映えのしない校内をむやみに歩き回るよりはまだいいような気がする。
「そうですね! 浅井先輩とお話し、楽しみです!」
「じゃあ中庭行こうか。今日は風もあるしそんなに暑くないよ」
「はい!」
梅雨時の束の間の晴天、今日の空気は湿気を含んでいるがそれほど暑くなかった。
僕と逢坂くんはそれぞれ自販機で飲み物を買って、木陰のベンチに腰掛けた。
「浅井先輩、覚えてますか?」
「え?」
突然の逢坂くんのセリフに僕は何のことかと考える。
「やっぱり覚えてないですよね。俺たち、初めて会ったのはこの中庭なんですよ」
「え? 昨日が初めてじゃないんだ……。覚えてなくてごめん」
僕は悲しそうにする逢坂くんに申し訳なく思う。でもこんなイケメン、一度会ったら忘れないと思うんだけど……。
「いえ、いいんです。一年も前のことだから」
「え? 一年前って……逢坂くん入学前だよね?」
「はい。中三の時、学校見学を兼ねて文化祭に来ていて、そこで浅井先輩と初めて会ったんです」
「そうなの!?」
頭の中をどんなに一所懸命探っても、逢坂くんの記憶はヒットしない。
去年の文化祭の記憶といえば、印象に残っているのは、せいぜい今年と同じく女装コンテストに出場したという微妙な思い出と、あとは転んだ中学生を助けてあげたことくらいしかない。
そこでふと考える。
あれ? 中学生?
僕は隣に座る逢坂くんをまじまじと見つめる。
「……浅井先輩、そんなに見つめられると恥ずかしいです」
頬を赤く染めて、逢坂くんは俯いた。
僕のことを見つめるのはいいけど、その逆はダメなんだな……。
そんなふうに思った時、ふと記憶の片隅に鼻血と泥水に塗れた綺麗な横顔が思い浮かんだ。
「あれ? もしかして……、水たまりの子が逢坂くんだったりする!?」
「はい!! それです!!」
僕は驚いて逢坂くんを上から下まで舐めるように何度も見た。
嘘でしょ……?
恥ずかしそうに頬を染める逢坂くんと、水たまり中学生は似ても似つかない。
「え? 待って? なんか、めっちゃデカくなってない!?」
「はい。一年で14センチ身長が伸びました」
「だよね!? あの時は僕より小さかったよね?」
どおりで気がつかないはずだ。
僕の記憶の中の水たまり中学生=逢坂くんは、小さくて華奢な可愛らしい男の子だった。
たった一年でこんなにも変わってしまうなんて、成長期とはいえ驚きを隠せない。
僕なんて、3センチしか伸びてないのに……。
「浅井先輩に似合う男になりたくて、頑張って筋トレして、毎日牛乳2リットル飲んで、たまに気持ち悪くなったりしながら受験勉強したんです」
「そ、そう……」
牛乳が苦手な僕は、2リットルの牛乳を想像して少し気分が悪くなった。
それにしても、似合う男になるためなんて……。
僕はただの大したことない普通の男子高校生なのに。
ああ、少し胸が痛むのはなぜだろう。
「あの時はありがとうございました」
「あはは、いいんだよ。ああいうのはお互い様なんだから。今度は逢坂くんが困ってる人見つけたら助けてあげてよ」
「浅井先輩……、先輩は、やっぱり今でも綺麗で優しい……」
「そんなことないよ」
僕は逢坂くんのそのセリフに照れながらも、格好つけてなんでもないことみたいに言葉を返した。
そして、手の中のストレートティーを飲みながら去年のことを思い返した。
一年前の文化祭のあの日、僕は慣れない女装姿で中庭を歩いていた。
僕の通う高校では毎年、文化祭で女装&男装コンテストが開かれていた。
1・2年の各クラスからそれぞれ代表を選出して、優勝したクラスにはちょっとした賞品が与えられる。
その代表に選ばれたのだ。
中庭を突っ切ってコンテスト会場まで行く道すがら、僕は水たまりに顔からダイブしている中学生に遭遇した。
前日の雨で、まだ足元は所々ぬかるんでいた。それに足を取られたのかもしれない。
僕は慌てて駆け寄って、彼を助け起こした。
「大丈夫?」
「……」
返事がない。楽しみに遊びにきていただろうに……、相当ショックだったんだろう。
水たまりに血が落ちて、赤い波紋を作る。
その顔面は血と泥で汚れて酷い有様だった。
大怪我かと思ったけれど、出血は鼻血で特に顔に傷があるわけではないようだ。
近所の中学校の制服を着た彼は呆然とした様子で座り込んでいる。
僕は着慣れないナース服のポケットからハンカチとティッシュを出した。
「今日は女子(仮)なんだからハンカチとティッシュくらいは持ってたら?」と誠士に渡されたものだ。
まさかこんなところで役に立つとは思わなかった。
「一回水道で顔を洗ってから一緒に保健室行こうか」
僕は彼の顔を水道で軽く濯ぎ、ハンカチで拭いてからティッシュを渡した。
そして一緒に保健室へ行ったのだった。
ちなみに女装コンテストには間に合ったけれど、介抱しているうちに僕の衣装にも血と泥がついてしまい、世界観がホラーチックになってしまった。
しかしそれが功を奏してディストピア賞を受賞したのは微妙な思い出だ。
「あの時、俺は……」
逢坂くんはそう言ってから一呼吸置くように、手に持ったオレンジジュースを一口飲んだ。
僕は相槌を打つのを忘れて、彼の喉仏が上下に動くのをぼうっと見ていた。
「浅井先輩に一目惚れしたんです」
逢坂くんは遠くを見ながら言った。
「一目惚れ、なんだ」
「はい。それで入学してすぐ浅井先輩を探したんですけど、あの時名前も聞かなかったし、あの……言いにくいんですけど、女子、だと思っていて……」
「まあ、あんな格好してたら男子とは思わないよね」
僕は頭を掻いた。
それに逢坂くんは女装コンテストの間、まだ保健室にいただろう。気がつかなくてもおかしくはない。
「よく考えたら浅井先輩、普通にしゃべってたし声で気がついてもよかったんですけど、本当に綺麗だったから」
「……」
僕は何も言えなかった。
綺麗かどうかはともかく、自分の女装姿が逢坂くんの人生を多少なりとも狂わせてしまったとは思いもしなかった。
「つい先日の今年の文化祭の女装コンテストで、魔法少女のコスプレ女装する浅井先輩をやっと見つけて、俺はすごく嬉しくて……」
しかも僕が二度目の屈辱的体験をしている時に、逢坂くんは僕を見つけて喜んでいたなんて。
「……あ! コンテスト優勝おめでとうございます!」
「……はは…、ありがと」
そこは触れないで欲しかった。
「浅井先輩を見つけた後、美羽や巧に手伝ってもらって、浅井先輩のこと色々調べてたら彼女がいた時期があることがわかって……」
逢坂くんはそこまで一息で言って、そのあと大きく息を吸うと、オレンジジュースをぐびりと飲んだ。そしてセリフを続ける。
「……それで、男の俺じゃダメなのかなって思って。でも、どうしても諦められなくって! あの……、だから女装したんですけど……」
ああ、それであんな格好で告白してきたのか、と繋がった。
昨日はびっくりしたけれど、でも、今は腑に落ちたような、不思議な気持ちだった。
素直に、一生懸命でかわいいな、とすら思った。
「女装なんてしなくていいんだよ」
そっと、呟くように僕は言った。
逢坂くんはオレンジジュースを脇に置くと、こちらに体を向けて、壊れ物でも触るように優しく僕の手を取った。
僕は何も言うことができずに、逢坂くんの言葉を待った。
オレンジジュースを持っていたせいか、逢坂くんの手はしっとりと冷たかった。
「昨日、友達になってもらえて、すごく嬉しかったのは本当です。でも、俺はやっぱり浅井先輩が好きなんです。……これからもずっと、好きでいてもいいですか?」
僕は、少しだけ考えてから言った。
「……それは、僕がダメって言ったら諦められるの?」
「……! 無理です! きっとずっと好きです!」
きゅっと、手を強く握られる。
「だよね。誰がなんて言ったって、好きな気持ちはどうにもならないよね。まあ、僕は僕のどこがいいんだろうって思うけど」
「……浅井先輩! じゃあ俺は!」
「僕が言うのもなんだけど、逢坂くん、頑張ってよ」
自分でも思ってもみない言葉が出てきて驚いた。でも、その時は本当にそう言いたいと思ったのだ。
「それって、どういう意味ですか?」
重ねられた手の温度は既に温かくなっていて、そこから逢坂くんの気持ちが流れてくるみたいで切なくなる。
痛いほどに気持ちが伝わってくるから、残酷だとも思うけど、でも……。
僕が女子だったら、きっとなんの問題もなかった。普通にOKして、普通に付き合っていたと思う。
そう思うからこそ、どうしたらいいかわからなかった。
遠くに聞こえる予鈴の音が、僕たちを引き裂いていく。
「……授業、始まるよ」
「そうですね」
僕たちは立ち上がって、校舎を見た。
自由になった手が寂しく感じるのは、気のせいだろうか?
隣の逢坂くんが楽しそうにしているのがせめてもの救いかもしれない。
「浅井先輩、どこに行きましょうか?」
満面の笑みを浮かべる逢坂くんに、僕は悩みながらこう言った。
「どこかで座って話さない?」
変わり映えのしない校内をむやみに歩き回るよりはまだいいような気がする。
「そうですね! 浅井先輩とお話し、楽しみです!」
「じゃあ中庭行こうか。今日は風もあるしそんなに暑くないよ」
「はい!」
梅雨時の束の間の晴天、今日の空気は湿気を含んでいるがそれほど暑くなかった。
僕と逢坂くんはそれぞれ自販機で飲み物を買って、木陰のベンチに腰掛けた。
「浅井先輩、覚えてますか?」
「え?」
突然の逢坂くんのセリフに僕は何のことかと考える。
「やっぱり覚えてないですよね。俺たち、初めて会ったのはこの中庭なんですよ」
「え? 昨日が初めてじゃないんだ……。覚えてなくてごめん」
僕は悲しそうにする逢坂くんに申し訳なく思う。でもこんなイケメン、一度会ったら忘れないと思うんだけど……。
「いえ、いいんです。一年も前のことだから」
「え? 一年前って……逢坂くん入学前だよね?」
「はい。中三の時、学校見学を兼ねて文化祭に来ていて、そこで浅井先輩と初めて会ったんです」
「そうなの!?」
頭の中をどんなに一所懸命探っても、逢坂くんの記憶はヒットしない。
去年の文化祭の記憶といえば、印象に残っているのは、せいぜい今年と同じく女装コンテストに出場したという微妙な思い出と、あとは転んだ中学生を助けてあげたことくらいしかない。
そこでふと考える。
あれ? 中学生?
僕は隣に座る逢坂くんをまじまじと見つめる。
「……浅井先輩、そんなに見つめられると恥ずかしいです」
頬を赤く染めて、逢坂くんは俯いた。
僕のことを見つめるのはいいけど、その逆はダメなんだな……。
そんなふうに思った時、ふと記憶の片隅に鼻血と泥水に塗れた綺麗な横顔が思い浮かんだ。
「あれ? もしかして……、水たまりの子が逢坂くんだったりする!?」
「はい!! それです!!」
僕は驚いて逢坂くんを上から下まで舐めるように何度も見た。
嘘でしょ……?
恥ずかしそうに頬を染める逢坂くんと、水たまり中学生は似ても似つかない。
「え? 待って? なんか、めっちゃデカくなってない!?」
「はい。一年で14センチ身長が伸びました」
「だよね!? あの時は僕より小さかったよね?」
どおりで気がつかないはずだ。
僕の記憶の中の水たまり中学生=逢坂くんは、小さくて華奢な可愛らしい男の子だった。
たった一年でこんなにも変わってしまうなんて、成長期とはいえ驚きを隠せない。
僕なんて、3センチしか伸びてないのに……。
「浅井先輩に似合う男になりたくて、頑張って筋トレして、毎日牛乳2リットル飲んで、たまに気持ち悪くなったりしながら受験勉強したんです」
「そ、そう……」
牛乳が苦手な僕は、2リットルの牛乳を想像して少し気分が悪くなった。
それにしても、似合う男になるためなんて……。
僕はただの大したことない普通の男子高校生なのに。
ああ、少し胸が痛むのはなぜだろう。
「あの時はありがとうございました」
「あはは、いいんだよ。ああいうのはお互い様なんだから。今度は逢坂くんが困ってる人見つけたら助けてあげてよ」
「浅井先輩……、先輩は、やっぱり今でも綺麗で優しい……」
「そんなことないよ」
僕は逢坂くんのそのセリフに照れながらも、格好つけてなんでもないことみたいに言葉を返した。
そして、手の中のストレートティーを飲みながら去年のことを思い返した。
一年前の文化祭のあの日、僕は慣れない女装姿で中庭を歩いていた。
僕の通う高校では毎年、文化祭で女装&男装コンテストが開かれていた。
1・2年の各クラスからそれぞれ代表を選出して、優勝したクラスにはちょっとした賞品が与えられる。
その代表に選ばれたのだ。
中庭を突っ切ってコンテスト会場まで行く道すがら、僕は水たまりに顔からダイブしている中学生に遭遇した。
前日の雨で、まだ足元は所々ぬかるんでいた。それに足を取られたのかもしれない。
僕は慌てて駆け寄って、彼を助け起こした。
「大丈夫?」
「……」
返事がない。楽しみに遊びにきていただろうに……、相当ショックだったんだろう。
水たまりに血が落ちて、赤い波紋を作る。
その顔面は血と泥で汚れて酷い有様だった。
大怪我かと思ったけれど、出血は鼻血で特に顔に傷があるわけではないようだ。
近所の中学校の制服を着た彼は呆然とした様子で座り込んでいる。
僕は着慣れないナース服のポケットからハンカチとティッシュを出した。
「今日は女子(仮)なんだからハンカチとティッシュくらいは持ってたら?」と誠士に渡されたものだ。
まさかこんなところで役に立つとは思わなかった。
「一回水道で顔を洗ってから一緒に保健室行こうか」
僕は彼の顔を水道で軽く濯ぎ、ハンカチで拭いてからティッシュを渡した。
そして一緒に保健室へ行ったのだった。
ちなみに女装コンテストには間に合ったけれど、介抱しているうちに僕の衣装にも血と泥がついてしまい、世界観がホラーチックになってしまった。
しかしそれが功を奏してディストピア賞を受賞したのは微妙な思い出だ。
「あの時、俺は……」
逢坂くんはそう言ってから一呼吸置くように、手に持ったオレンジジュースを一口飲んだ。
僕は相槌を打つのを忘れて、彼の喉仏が上下に動くのをぼうっと見ていた。
「浅井先輩に一目惚れしたんです」
逢坂くんは遠くを見ながら言った。
「一目惚れ、なんだ」
「はい。それで入学してすぐ浅井先輩を探したんですけど、あの時名前も聞かなかったし、あの……言いにくいんですけど、女子、だと思っていて……」
「まあ、あんな格好してたら男子とは思わないよね」
僕は頭を掻いた。
それに逢坂くんは女装コンテストの間、まだ保健室にいただろう。気がつかなくてもおかしくはない。
「よく考えたら浅井先輩、普通にしゃべってたし声で気がついてもよかったんですけど、本当に綺麗だったから」
「……」
僕は何も言えなかった。
綺麗かどうかはともかく、自分の女装姿が逢坂くんの人生を多少なりとも狂わせてしまったとは思いもしなかった。
「つい先日の今年の文化祭の女装コンテストで、魔法少女のコスプレ女装する浅井先輩をやっと見つけて、俺はすごく嬉しくて……」
しかも僕が二度目の屈辱的体験をしている時に、逢坂くんは僕を見つけて喜んでいたなんて。
「……あ! コンテスト優勝おめでとうございます!」
「……はは…、ありがと」
そこは触れないで欲しかった。
「浅井先輩を見つけた後、美羽や巧に手伝ってもらって、浅井先輩のこと色々調べてたら彼女がいた時期があることがわかって……」
逢坂くんはそこまで一息で言って、そのあと大きく息を吸うと、オレンジジュースをぐびりと飲んだ。そしてセリフを続ける。
「……それで、男の俺じゃダメなのかなって思って。でも、どうしても諦められなくって! あの……、だから女装したんですけど……」
ああ、それであんな格好で告白してきたのか、と繋がった。
昨日はびっくりしたけれど、でも、今は腑に落ちたような、不思議な気持ちだった。
素直に、一生懸命でかわいいな、とすら思った。
「女装なんてしなくていいんだよ」
そっと、呟くように僕は言った。
逢坂くんはオレンジジュースを脇に置くと、こちらに体を向けて、壊れ物でも触るように優しく僕の手を取った。
僕は何も言うことができずに、逢坂くんの言葉を待った。
オレンジジュースを持っていたせいか、逢坂くんの手はしっとりと冷たかった。
「昨日、友達になってもらえて、すごく嬉しかったのは本当です。でも、俺はやっぱり浅井先輩が好きなんです。……これからもずっと、好きでいてもいいですか?」
僕は、少しだけ考えてから言った。
「……それは、僕がダメって言ったら諦められるの?」
「……! 無理です! きっとずっと好きです!」
きゅっと、手を強く握られる。
「だよね。誰がなんて言ったって、好きな気持ちはどうにもならないよね。まあ、僕は僕のどこがいいんだろうって思うけど」
「……浅井先輩! じゃあ俺は!」
「僕が言うのもなんだけど、逢坂くん、頑張ってよ」
自分でも思ってもみない言葉が出てきて驚いた。でも、その時は本当にそう言いたいと思ったのだ。
「それって、どういう意味ですか?」
重ねられた手の温度は既に温かくなっていて、そこから逢坂くんの気持ちが流れてくるみたいで切なくなる。
痛いほどに気持ちが伝わってくるから、残酷だとも思うけど、でも……。
僕が女子だったら、きっとなんの問題もなかった。普通にOKして、普通に付き合っていたと思う。
そう思うからこそ、どうしたらいいかわからなかった。
遠くに聞こえる予鈴の音が、僕たちを引き裂いていく。
「……授業、始まるよ」
「そうですね」
僕たちは立ち上がって、校舎を見た。
自由になった手が寂しく感じるのは、気のせいだろうか?


