「凪、あれ充電しておいて」
キッチンでなにかを炒めている母から声が飛んできた。
「あー……あいつ?」
「そう。よろしくね」
それっきり料理に集中しだしたようで、母からの追加の言葉はない。
凪は勉強の手を止めると、球体の充電コードを探した。あの日以来、充電コードは束ねてテレビの横のケースに置かれることになったので、すぐに見つかった。
「充電するからこっち来い」
「はーい」
どこへともなく呼びかけると、隣の部屋から球体が出てきた。いつでも充電できるようにコンセントのそばで待ち構えていると、ころころとこっちに来る。
その転がるスピードが心なしか遅い気がして、凪は球体に聞いてみた。
「遅くないか」
「なにが?」
「動きが。あんまよく見てなかったけど、前はもうちょい速かっただろ」
「そうかな?」
「それ以外ももろもろ遅くなってるだろ」
「そんなことないって。いつも通りだよ。僕の感覚だと」
つまりその感覚が正しくないんだな、と凪は内心で呟く。
球体自身も凪も『球体は誰なのか』という問いに答えられないまま日が流れていき、その中で凪は少しだけ球体と話すようになった。
強いて言うならこだわらなくなったからか。なにか用事がない限り話すことはないが、確実に関わりは増えた。
そうすると球体の小さな変化が目につくようになった。
端的にまとめると、最近、球体の調子が悪い気がするのだ。まだ『気がする』の域を出ないが。しかも、球体は認めていないが。
「コードさすから抜けないように気を付けろよ。前みたいに絡まったりしても今度は助けてやらないからな」
「えー? そこは助けてよ」
充電のコードをさすと、球体は少しだけ震えた。
「兄ちゃん、あり、……がとう」
――ほら、やっぱり。
不自然に声が途切れたことには気付いていないふりをする。
動きが遅く感じるのは勘違いかもしれないが、声が途切れるのは勘違いではないはずだ。返事が数秒遅れることもある。
『なあ、最近あいつの調子悪くないか』
この前母に聞いてみると、母は本気にしていない様子で『接触の問題じゃないの?』と答えていた。
『脳と機械の接続が悪いからでしょ。最近の技術なんだから、ちょっと調子悪いくらいあるんじゃない?』
そうじゃないだろ、と母の言う通りには思えなくて、そのときは納得できなかった。でも、細かいことをいちいち気にしていても仕方がない。
凪は母の言葉を思い返して納得しようとしながら、部屋に戻った。
明らかにおかしいと思ったのは、その数日後の朝だった。
鳥の鳴き声と、カーテンの隙間から差し込む光で目が覚めた。自然な目覚めだった。
ぼんやりした頭のままで体を起こして、ベッドから下りる。クローゼットから制服を取り出したあたりで、違和感を覚えた。前に感じたのと似た違和感。
――そうか、あいつ今日来てないからか。
そういう日もあるのか、忘れているのか。またコードに引っかかっていたりするのかもしれない。
――だとしたら、今度こそ誰かに助けてもらってるんじゃないのか?
妙に胸騒ぎがして、凪は取り出した制服をかけてリビングに下りた。
「凪、おはよう」
「おはよう。父さん、あいつ見なかったか?」
「湊か? てっきり凪と一緒に来るのかと思ってたんだが」
ということは、まだ一回も下に来ていないということだ。そうなると上にいる可能性が高い。
凪は脳を回転させる。夜は自分の部屋にいると本人が言っていたから、……多分あいつは部屋にいるはずだ。
二階に戻って真っ先に湊の部屋へ向かい、ドアの隙間から顔を出した。
――なんだ、いるじゃん。
部屋の中央に球体はいた。
でも、そこにいるだけで動いていない。どことなくデジャブを感じる。今度こそ充電切れだろうか。
「おい、ここでなにしてんだ」
「兄ちゃん、おはよう。起こし……に行けな、く、てごめんね」
「起こしに来いって言ったことねえだろ。で、なにしてんだよ」
「それがさ……動けなくな、ちゃって」
「は?」
すうっと指先が冷たくなった。まだ冬じゃないのに、手袋なしのまま外ですごしていたときのような……。
でも、そういえば。
そういえば、昨日の夜も来なかった。『おやすみ』も毎日必ず言いに来ていたのに。
「夜か、ら、なんかおかしいなぁとは思ってた、んだよね。大人し、くしてたら直る……と思ったんだ、けど、朝、になったら動かなくなっててさ。もう、困っちゃ、うよね」
もしかしたら、調子が悪い程度じゃないのかもしれない。思っているよりもよくない状態なのかもしれない。
「……放課後、研究機関の施設まで行くぞ」
「え?」
「お前になんかあったら父さんも母さんも心配する。だから、連れて行く」
それだけ言い残すと、凪は事情を説明しに母と父を呼びに行った。



