最後のフィルムを回すまで

翌日の放課後。

「綴くん、会議をします」

彼女はそう言って、僕の机の上に一冊のノートを置いた。

ちなみにいつも眼鏡なんてしていないのに今日はしていた。

「鏡子って眼鏡するんだな」

彼女は軽く首を傾げ、「ああ」っと理解したような声を出した。

「これ、伊達だよ」

「え?」

「なんかそれっぽいじゃん?」

「そう…かな?」

そう言いながら僕は目の前に置かれたノートを見る。

表紙には大きな字で、

「映画制作ノート」

と書かれている。

彼女は得意げにノートの表紙をめくる。

一ページ目には…

何も書かれていなかった。

「…白紙だけど」

「うん」

「会議するんじゃなかったの?」

「今からするよ」

「どうやって?」

「それをこれから決めるの」

「…何も決まってないじゃないか」

「だから会議するんだよ」

「会議のやり方を決める会議?」

「うん」

彼女は自信満々に首を縦に振る。

やる気だけはあるんだな。

僕は苦笑して、

「…まあいいや」

と彼女の向かいの席に座った。

「それで、映画って何から決めるんだ?」

「うーん…」

シャーペンの押す部分を顎に当て、彼女はうなる。

「タイトル…?」

「最後でいいだろ」

「主演?」

「僕らじゃなかったの?」

「そうだった」

「じゃあ一個決まり!」

そう言って彼女は大きく、丸っこい文字で『主演:綴くん、鏡子』と書いた。

たったそれだけなのに。

前にも話していたのに。

文字になった途端、本当に僕たちが映画を作るのかという実感が少しだけわいた。

「次は?」

「次?」

彼女は再びシャーペンを顎に当てる。

「…監督?」

「誰がやるんだ?」

「綴くん」

「なんで」

「なんとなく」

「却下」

僕がそう言うと、鏡子は少し不満そうに頬を膨らませた。

「じゃあ私?」

「主演も監督もやるの?」

「かっこよくない?」

「大変そうだけど」

「じゃあ二人でやろう」

「監督って二人でできるものなのか?」

「私たちの映画なんだからいいの」

どうやら彼女の中では、「私たちの映画」という言葉はたいていの問題を解決するらしい。

鏡子は満足そうに

『監督:綴くん、鏡子』

と書き加えた。

主演と監督。

たった二行しかないのに、もう僕たちの名前が二回も並んでいる。

「それで?」

「うん」

「肝心の話は?」

彼女の手が止まった。

「話…?」

「映画なんだから、ストーリーがいるんじゃない?」

「いるかな」

「いるだろ」

「…」

「…」

二人で二行しか書かれていないノートを見つめる。

映画を作る。

主演と監督は僕と彼女。

そこまでは決まった。

だけど、どんな映画を作るのか。

ふと視線を感じて、彼女の方を見てみると。

彼女は僕の方をじっと見て。

「物語なんてなくていいんじゃない?」

と言い張った。

「え?」

映画を作るにはストーリーが必要である。

そう思っていたのに。

彼女の言葉を聞いて、「ああ、そういえば」と思い出す。

彼女は「普通」の「今」を残したいのだ。

だから映画を作る。

それを僕はすっかり忘れていた。

それに気づいた僕は。

「今日の、今の、僕らを撮るんだね」

そういった。

すると彼女は嬉しそうにうなずいた。

「それじゃあ」

彼女は鞄の中から、いつものカメラを取り出した。

そしてーー。

「はい」

僕にカメラを渡してきて。

「とりあえず、私を撮って」

「鏡子を?」

「うん」

彼女は僕から三歩ほど離れると、窓際に立った。

夕日に照らされ、彼女の長い黒髪はオレンジ色に反射していた。

彼女が以前カメラを構えているときにも思ったが。

彼女は美しい。

僕は、この美しさをきちんと映像に反映できるよう、緊張しながらもカメラを構える。

画面の真ん中に彼女の姿が映った。

思わず手が震える。

「何かポーズとかしないの?」

僕が問うと。

「普通の今を撮るんだから、何もしなくていいの」

「そっか」

「…」

「…」

十秒ほど経った。

彼女は微動だにしない。

「鏡子」

「なに?」

「これが、普通?」

「違うね」

彼女ははにかんだ。

僕はすかさずその姿を写真でとる。

これは映像よりも写真の方がいいと思った。

別に映画らしいことなんて、何も起きていない。

ましてや動画ですらない。

でも。

夕暮れの教室で。

彼女が笑っている。

ただ、それだけだった。

ただそれだけのことが。

今までの中で一番輝いて見えた。

「撮れた?」

彼女の声ではっとする。

彼女は窓際から僕の方へ駆け寄ってくる。

「撮れた」

「見せて」

僕がカメラを差し出すより先に、彼女は僕の隣から、画面をのぞき込んだ。

近い。

ボディーソープだろうか。

当たり前だけど僕とは違うにおいがする。

なんだか落ち着かない。

少し距離を取ろうと動こうとすると彼女もともに動いてくる。

彼女の髪が僕の腕に触れる。

ほんの少しだけくすぐったい。

「…いいね」

「でしょ」

「うん。私、楽しそう」

「そうだね」

きれいだ、と。

そういうにはまだ僕の勇気が足りなかった。

彼女はしばらく写真を眺めていた。

それから、何かを思いついたように顔を上げる。

「じゃあ次、綴くん」

「僕?」

「主演なんだから」

「そうだった」

カメラを彼女に返す。

今度は僕が窓際に立たされた。

「普通にしててね」

「さっきそれで失敗してただろ」

「私は失敗したけど。」

「綴くんならできると思う」

「何その自信」

僕はそう言いながら、窓の外を眺める。

運動部だろうか。

野太い声がグラウンドの方から聞こえてくる。

吹奏楽部は各々自主練が終わり、合わせが始まったのだろうか。

さっきとは違い、そろっていた。

「綴くん」

「ん?」

振り返る。

カシャ。

「…今撮った?」

「撮った」

「まだ何もして無いけど」

「うん」

彼女はカメラの画面を確認して、満足そうに笑った。

「だから、これでいい」

「いや」

「これがいいの」

「何が?」

「綴くんの今」

また、よくわからないことを言う。

でも。

さっきまでなら分からなかったその言葉が、今はほんの少しだけわかる気がした。

彼女は席に戻ると、映画制作ノートを開いた。

『撮影1日目』

その下に、今日撮ったものを書いていく。

『鏡子の写真』

『綴くんの写真』

2つの名前が縦に並んだ。

「…映画なのに写真しかとってなくない?」

僕が言うと、彼女の手が止まった。

「…」

「…」

「明日から頑張ろう」

「そうだね」

結局、僕たちの映画製作1日目は。

映画を1秒もとらないまま終わった。