最後のフィルムを回すまで

 彼女を家まで送った後、僕は一人歩きながら考えていた。

なぜ彼女があそこまで「覚えておく」ことに熱心なのか。

でもやめた。

今日で一日で、ひとつだけ分かったことがある。

鏡子は変な奴だ。

だけど、一緒にいてとても居心地のいいやつでもあった。

今日の晩御飯は、肉野菜炒めだった。

彼女ならきっと、野菜の香りも覚えておきたいとかいうのだろうな。

そう思いながら食べたごはんは、いつもより少しおいしい気がした。

 翌朝、僕はいつもより早く学校へ向かった。

学校へと続く坂道には、まだ人はまばらだった。

きっと今日は、クラスで一番乗りだろう。

そう思っていた。

ガラリ、と音を立ててドアを開ける。

教室には、もう一人いた。

それはーーー

カメラを手に、散った桜を眺めている鏡子の姿だった。
 
彼女は僕に気づく様子もなく、静かにカメラを構える。

僕はその髪の毛の落ち方に、光の当たり方に、制服のしわに、なぜか心を奪われた。

どうしてなのか、自分でもわからなかった。

ただ、しばらく彼女から目を離すことができなかった。

ガラッとドアが開く。

「おはよー」

ぞろぞろとクラスメイト達が入ってきた。

クラスメイト達の声に気づいたのか、彼女はカメラを机に置いた。

ふいに目が合う。

彼女は少しだけ眠そうな顔で、

「おはよ、綴くん」

と、小さな声で挨拶してきた。

「おはよ、鏡子」

クラスがざわッとした。

……そういえば。

よく考えてみれば、まだ知り合って間もないはずの男女が。

しかもまだ話しているところすら見られたことがなかった男女が。

いきなり名前で呼び合えば、そりゃあ驚くだろう。

それに気が付いた僕は、慌てて言い直した。

「えっと……山科、おはよう」

「鏡子」

彼女は少しむっとした顔をした。

「鏡子、って呼んで」

「……わかったよ」

どうやら名前呼びからは逃げられないらしい。

でも。

なぜだか、少しだけ嬉しかった。

昨日会ったばかりなのに、ほかのクラスメイトとは違う呼び方をしている。

それが、ほんの少しだけ特別なことのように思えた。

友だちにも、そういう特別はあるものなのだろう。

その時の僕は、そう思っていた。

やがて続々とクラスメイトが集まり、気が付けば教師も教室に入ってきていた。

彼女が何を撮ろうとしていたのか。

それは、また後で聞けばいい。

そう思って、僕は自分の席に着いた。

ホームルームが終わったら、すぐに授業が始まる。

だから僕は昼休みに彼女のもとへ行こうと思った。

授業は入学したてだからだろう。

どの授業も、教科書と資料集の使い方、宿題の頻度などを事務的に説明されただけで終わった。

鏡子の方を見ると、彼女はきれいな姿勢でーー寝ていた。

どうやったらあの姿勢で寝れるのか、と心の中ツッコミをいれていたらあっという間に午前の授業は終わった。

お昼ご飯の前には掃除の時間だ。

僕はなるべく手早く終わらせて、教室へと戻った。

だが、彼女は席にはいなかった。

まだ掃除が終わっていないのか。

そう考えたが、彼女と同じ掃除グループの男子が帰ってきているところを見ると、もう終わっているようだ。

どこにいったのだろう。

もしかして……。

僕の頭の中に一つの仮説が浮かぶ。

僕は中庭へと向かった。

案の定、彼女はそこにいた。

朝と同じようにカメラを構えていた。

「鏡子」

僕が彼女の名を呼ぶと、彼女はこちらを振り返り、

「綴。どうしたの?」

 と笑顔で聞いてきた。

 ほんとに初めて会った時の無表情の彼女と同一人物とは思えない。

そんなことを考えながら、僕は彼女に尋ねた。

「何を撮っていたの?」

「音」

「音?」

「ビデオ撮影してるの?」

 ならば早く黙らなければ邪魔になってしまう。

 そう思って口をふさいだ僕を見て、彼女はまた笑う。

「違うよ。写真」

「写真で音を撮っているのか?」

「うん」

「でも音って写真じゃとれないだろ」

僕は至極当たり前であるはずのことを彼女に問いかける。

「とれるもん」

彼女はちょっとむくれた顔でそう言い張る。

「写真を見て、音が聞こえてくることってない?」

「例えば、誕生日会の写真」

「みんなが自分をお祝いしてくれてる声が聞こえるような気がしない?」

彼女は僕に問いかける。

僕はスマホを取り出し、自分の誕生日の時に取ってもらった写真を見る。

周りには家族がいて、真ん中には僕がいて。

ああ、そういえばこの日はみんなでいろんなこと言ってわらったなあ。

そんなことを思い出した。

写真を見て、記憶が音を補完しているという点では、写真で音は取れるのかもしれない。

少し納得した顔をしていると。

「ね、撮れるでしょ」

彼女は言ってきた。

 「じゃあなんの音を撮っていたんだ?」

「風の歌声」

「好きだな、それ」

「きれいだからね」

 そこまで言って、彼女は、はっとしたようにこちらを見た。

「綴!」

「な、なに」

僕は少し後ろに下がる。

「一緒に写真を撮ろう!」

「え?」

「綴の声も残しておきたいの」

「ダメかな」

そんな風に言われたら、だめだなんて言えないじゃないか。

まあ、もともとだめだなんて言うつもりはないんだけど。

こうして僕らは写真を撮った。

彼女は普段から使っているからだろう。

慣れた手つきでカメラを構えていた。

シャッターを切るために、僕たちの距離が少しずつ近づいていく。

なぜか、胸が少しだけ騒がしかった。

これはきっと僕が写真を撮りなれていないだ。

そういうことにしておいた。