放課後は別の顔 ~堅物風紀委員長の弱みを握ったので、ヤンキーな俺の奴隷にします~

 伊織がおごると言った以上、遠慮する理由はない。俺は店で一番高かったハンバーグセットを食っていた。味は、まあ普通にうまい。
 向かいの伊織は、ローズが別の席を回っているあいだも落ち着かず、店内を歩く黒いドレスの裾を目で追っている。見てるだけなら性別は関係ねえと言っていたが、ここまで露骨だと、見られているほうも気づいていそうだった。

「お食事のお味はいかがですか?」

 空になりかけたグラスに気づいたローズが、水差しを持って戻ってきた。

「うまい。こいつのおごりだし」
「おごりかどうかで味は変わらねえだろ」
「自分の金じゃねえ飯は三割増しでうまいんだよ」

 伊織の文句を無視してハンバーグを切っていると、水を注いでいたローズの右手が何気なく目に入った。
 手の甲に、小さな茶色い痣がある。色の抜け方や皮膚のわずかな縮れ方からすると、生まれつきの痣じゃなく、昔できたやけどの痕みたいだった。
 変わっているのはその形で、丸みを帯びた二つの膨らみから下に向かって細くなり、少しいびつではあるものの、ハート型のように見える。

「変わった形してんな」

 フォークを持ったまま見ていると、ローズが水差しをテーブルに置き、自分の手の甲を確かめた。

「これですか?」
「ああ。ハートみてえ」
「子供の頃にできたやけどの痕なんです。治ったら偶然、こんな形になっていました」
「やけどでハートになることあんだな」
「私も、どうしてこの形になったのかはわかりません」

 ローズは痕を隠す様子もなく、右手で水差しの持ち手を握り直した。
 女装して化粧までしているんだから、見た目には相当こだわっているはずだが、これをファンデーションか何かで消す気はないんだろうか。そう思ったが、手なんてしょっちゅう洗うから化粧なんて落ちまうか。

「でも、ハートならローズちゃんに合ってんじゃん。可愛いし、薔薇とハートって、なんかセットっぽいし」

 伊織がまた適当な褒め方をすると、ローズは困ったように眉を下げた。

「やけどの痕まで褒められたのは初めてです」
「嫌だった?」
「いいえ。ありがとうございます」

 ローズはそう答えながら、右手の人差し指を鼻の付け根に当てた。何もないところを下から軽く押し上げ、指が空を滑ってから、自分が何をしたのか気づいたように手を止める。
 見覚えのある動きだとは思ったが、俺より先に伊織が口を開いた。

「もしかして普段眼鏡かけてるの?」
「はい。ここではコンタクトにしてますけど」
「今、完全に眼鏡上げようとしたよな」
「癖になってしまっているようで、ときどきやってしまうんです」
「コンタクトのほうが、顔がよく見えて美人っぽくなるもんな」

 ローズの眉が、わずかに寄った。

「眼鏡をかけている人間は美しくないという決めつけは、偏見もはなはだしいですよ」
「いや、そこまで言ってねえって。俺は眼鏡かけてるローズちゃんも見てみたいし」
「そうでしたか。申し訳ありません」
「眼鏡の日とか作ってよ。絶対似合うから」
「勤務中の姿を私だけの判断で変えるのは極めて無責任です。ご要望として店長に伝えることはできますが、実現するとは限りません」
「店員が一日眼鏡かけるだけで、そこまで大げさに考える?」
「仕事である以上、勝手な判断はできません」

 女装メイドの口から「偏見もはなはだしい」だの「極めて無責任」だのが出てくるとは思わなかった。
 言ってる内容は間違ってねえのかもしれないが、客相手に使うには堅苦しすぎる。
 俺はこいつの喋り方、なんか苦手だな。
 それに、どっかで似たような喋り方を聞いたことある気もする。
 だが俺の関心はそんなことより、まだ皿に残っているハンバーグに戻っていった。

「柊真様も、眼鏡姿をご覧になりたいんですか?」

 ローズにまで話を振られ、俺は手を横に振った。

「いや、俺はどっちでもいい。つーか、腹いっぱいになったから帰りてえ」
「まだ俺、ローズちゃんと話してんだけど」
「もう十分話しただろ。帰るぞ」
「せめてソーダ飲み終わるまで待てよ」
「伊織様を置いて先にお帰りになるのは、極めて薄情ではありませんか?」
「店員が客に説教すんなよ」
「申し訳ありません。つい気になってしまって」

 伊織は慌ててグラスを持ち、残っていた薔薇色のソーダをストローで吸い始めた。
 ローズは俺たちのやり取りを眺めながら笑っていた。



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 翌朝、学校までの道を一人で歩いていると、ポケットの中でスマホが震えた。画面には伊織からのメッセージが表示されている。

『風邪ひいてだるいから休む』

 昨日はローズを見ながらあれだけ浮かれていたくせに、一晩で何があったんだよ。
 『サボりじゃねえだろうな』と返すと、すぐに体温計の写真が送られてきた。
 表示は三十八度を超えている。

『マジで熱あんじゃん。寝てろ』
『ローズちゃんにうつしてたらどうしよう』
『俺より先にそっち心配すんのかよ』
『お前は丈夫そうだから平気っしょ』

 人を何だと思ってやがる。
 返事を打つのも面倒になってスマホをしまい、校門に向かった。
 門の両脇には、今日も風紀委員が立っている。
 登校してくる生徒のネクタイの有無やスカート丈を確認し、違反があれば呼び止めている。
 そこには、黒いバインダーを抱えた成瀬虎太郎もいて、俺の姿を見つけた途端、眼鏡の奥の目が細くなった。

「榊原、止まれ」

 気づかないふりで通り過ぎようとしたが、名前を呼ばれたせいで周りの生徒までこっちを見る。
 無視して追いかけられるのも面倒だから、俺は足を止めた。

「今日は遅刻してねえだろ」
「遅刻しなければ、ほかの規則を破っていいことにはならない。シャツの裾を出すなと一昨日も注意したはずだ」
「たかがシャツぐらいで、いちいち覚えてんじゃねえよ」
「注意を受けた直後に同じ違反を繰り返すとは、極めて悪質だ。それから、そのネックレスとピアスを外せ。髪の色はいつ染め直すんだ? 生徒指導の先生からも指導を受けているはずだ」
「俺の格好で誰か困んのかよ。ほっとけ」
「校則は、誰かが困るかどうかだけで決められているものではない。自分には関係ないと開き直るなど、身勝手もはなはだしい」

 その言葉を聞いた途端、昨日のローズの声が頭の中で重なった。
 極めて無責任。偏見もはなはだしい。

 どっちも普段の会話じゃ滅多に聞かねえ堅苦しい言葉なのに、ローズと成瀬は自然に使っている。
 成瀬は俺が黙ったのを反省したとでも思ったのか、ずれかけた眼鏡を直そうと右手の人差し指を鼻の付け根に当てた。
 その手の甲に、茶色い痣があった。
 丸い二つの膨らみが上に並び、下に向かって細くなる、少しいびつなハート形。昨日、ローズの手にあったやけどの痕と、位置も大きさも同じだった。
 指が眼鏡の中央を押し上げる。ローズが何もない鼻の上でやった動作と、角度までそっくり重なった。

「おい、聞いているのか?」

 成瀬の声を聞きながら、その顔をまじまじと見る。
 眼鏡の有無と化粧の濃さが違いすぎて、今まで同じ顔だなんて考えもしなかったが、目尻の鋭さも、真っすぐ通った鼻筋も、よく見れば同じ形をしている。
 俺らを見た途端に驚いたローズの顔、客の名前を一度で覚えていた真面目すぎる態度、背の高さや手の大きさに加え、「極めて」とか「はなはだしい」って口癖まで、頭の中で一つにつながった。

「おまえ……ローズ?」

 その名前を聞いた途端、成瀬の指が眼鏡に触れたまま止まった。
 いつもなら俺の軽口ぐらいじゃ崩れねえ顔から血の気が引き、レンズ越しの目が隠しきれないほど大きく見開かれる。

「何のことだ?」

 平然を装おうとした声は上ずって、昨夜店で聞いたものと重なった。
 ハート形の痕だけなら似たやつがいるかもしれねえが、眼鏡を直す癖も、口癖も、今の反応も、偶然で片づけるのは無理だった。
 女装メイドカフェ『宵薔薇ドールズ』のローズは、目の前に立っている堅物風紀委員――成瀬虎太郎と同一人物に違いない。俺はそう確信した。