「なあ、柊真。今日、またあそこ行かね?」
六時間目が終わって鞄を持ち上げたところで、斜め前の席に座ってた伊織が椅子ごとこっちを向いた。
赤い髪の下で妙に期待のこもった目をしてやがるが、肝心の行き先がわからねえ。
「どこだよ?」
「あの女装メイドカフェ」
「はあ? なんでだよ?」
「俺、ローズちゃんにもう一回会いたくて」
悪びれもせず返された名前に、俺は伊織の顔を凝視する。
ローズってのは、確かこの前俺らの接客をした女装メイドの名前だ。
「ローズちゃんて。あいつ男だぞ?」
「でも綺麗だったじゃん。俺、元々背が高くてキリっとしたキツ目の美人がタイプなんだよね。別に付き合うわけじゃねえんだし、見てるだけなら性別関係ないっしょ」
伊織の中じゃ、男か女かより顔が好みかどうかのほうが大事らしい。こいつが他人の好きなもんにいちいちケチをつけねえ性格なのは知っていたが、自分の好みまでそこまで大らかだとは知らなかった。
「一人で行けば?」
「一人じゃ入りづらいんだよ。おごるから付いてきてくれよ」
そこで俺の足が止まった。あの店は飲み物も食いもんも、普通の店よりちょっと高い。店員がひらひらした服で運んでくるだけで値段が上がる仕組みには納得いかねえが、伊織が払うってんなら話は別だ。
「飯もか?」
「好きなの頼んでいいから」
「じゃあ行く」
「お前、こういうときだけ決めんの早えな」
伊織は呆れたように笑いながら立ち上がる。
自分から誘っておいて文句を言うんじゃねえよと思ったが、おごりを撤回されたら困るから黙っておく。
教室を出た伊織はいつもより歩くのが速く、廊下の窓に映るたびに前髪をいじっている。
「お前、まさかマジで惚れたんじゃねえだろうな?」
「そんなんじゃねえって。もう一回近くで見たいだけ」
「見せもんみてえに言うなよ」
「メイドカフェの店員なんだから、見られんのも仕事だろ。それにちゃんと金も払うし、迷惑かけるつもりもねえよ」
そこだけは妙にまともなことを言いやがる。もっとも、伊織の浮かれた足取りを見る限り、ただ見たいだけで終わるのかは怪しかった。
--------
店の扉を開けると、頭上で小さなベルがカランコロンと音を立てた。
「お帰りなさいませ」
近くにいたメイドが俺たちに頭を下げる。
その声を聞いて、伊織の顔がわかりやすく明るくなる。
「イオリ様、トウマ様。またいらして来てくださったんですね」
俺たちを出迎えたのは、お目当てのローズだった。
艶のある長い髪には深紅の薔薇が飾られ、黒いドレスに白いエプロン。瞬きをすると長いまつ毛が音を立てそうだ。
遠目なら女にしか見えねえが、近くに立つとやっぱり男っぽい。厚底の靴を履いている分、俺より頭一つ分ぐらい身長が高い。
「俺らの名前、覚えててくれたの?」
伊織が嬉しさを隠す気もなく訊くと、ローズは口元をやわらかく持ち上げた。
「もちろんです。前回、お名前を教えて頂きましたから」
「一回来ただけなのに、すげえな」
「御主人様のお名前を覚えるのはメイドとして当然です」
その言い方が、女装メイドにしちゃ妙に堅苦しい。どっかで似たような喋り方を聞いたことがあるような……。
だが、伊織がさっさとローズについていったせいで、それ以上考える暇はなかった。
壁際の席に案内され、俺はメニューの中から値段の高いフードセットを探した。向かいに座った伊織はメニューなんかほとんど見ず、注文を取りに来たローズの顔ばかり見ている。
「今日の化粧、前とちょっと違う?」
「よくお気づきになりましたね。今日は目尻にワインレッドを入れているんです」
「やっぱり。そっちのほうがローズちゃんの目に似合ってるよ。元々キリっとしてんのが、もっと綺麗に見えるっつーか」
「ありがとうございます」
「口の色もいいよな。真っ赤じゃなくて、ちょっと暗いやつ。髪の薔薇とも合ってるし」
伊織が化粧をそこまで細かく見ていることにも驚いたが、褒められたローズの頬がわずかに緩んだことにはもっと驚いた。前回来たときは完璧な営業用の笑顔しか見せなかったのに、今の顔はそれとは少し違っている。
「イオリ様は、よく見ていらっしゃるんですね」
「詳しくはねえけど、似合うってことはわかるよ。その服もすげえ似合ってるよな。袖のレースも可愛いし」
褒める勢いが止まらねえ伊織に対し、ローズはエプロンの裾を指先で軽くつまんだ。
「この衣装は、自分で作ったものなんです」
「自分で? 最初から全部?」
「はい。市販のものだと肩幅や袖丈が合わないことが多いので、型紙から作っています。レースやリボンも、自分で選びました」
「マジかよ。化粧できて服まで作れんの? 器用すぎんだろ」
伊織が身を乗り出す。
俺は頬杖をつきながら二人の話を聞き流していたが、ローズの指にだけは自然と目が向いた。男らしく骨張っていて、メイドの格好には似合わねえぐらい大きな手だ。あれで針を持って、細けえレースを縫いつけているところを想像すると、妙な感じがした。
「店の衣装、全部ローズが作ってんの?」
「まさか。自分が着るものと、ほかの子から頼まれて何着か作っただけですよ」
「人の分まで作れんのか。すげえな」
「好きで続けているうちに覚えただけです」
好きだから覚えた、なんて簡単に言うが、型紙だの縫い方だの、覚えることはいくらでもありそうだ。
家庭科がめちゃくちゃ苦手で提出物も出せなかった俺には、とても真似できそうにない。
「トウマ様は、こういった衣装にご興味はありませんか?」
急に話を振られ、俺はメニューから顔を上げた。
「ねえよ。着ろって言われても絶対着ねえからな」
「着ていただくつもりで伺ったわけではありません」
「柊真、似合うんじゃね? 脚出すやつ」
「テメェ、ぶっ飛ばすぞ」
「御屋敷内での喧嘩はお控えください」
ローズに真顔で止められたせいで、伊織が腹を抱えて笑いだした。
冗談に決まってんだろと言い返しかけたが、真正面から俺を見るローズの目がやけに真剣で、まともに反論するのも馬鹿らしくなる。
「柊真、好きなもん頼んでいいぞ。俺はこのローズソーダ」
「じゃあ、この一番高いハンバーグセットで」
「は? テメエは遠慮ってもんがねえのか?」
「好きなの頼めっつったの、お前だろ」
「確かに仰られていましたね」
なぜかローズまで俺の味方につき、伊織は財布の中身を確認しながら注文を認めた。
ローズが厨房に向かうと、あいつの後ろ姿を追っていた伊織が、テーブル越しに小さく呟く。
「やべえ。俺、ますます好きになっちまったかも」
「見てるだけじゃなかったのかよ?」
「見てるだけでいいって言っただけで、好きじゃねえとは言ってねえだろ」
「めんどくせえことになっても知らねえぞ」
「ならねえって。ローズちゃんは店員で、俺はただの客なんだから」
そう言いながらも、伊織の顔は普段女の話をするときよりずっと浮かれていた。
俺には男相手にそこまで夢中になる感覚はわからねえし、知りたいとも思わない。
おごってもらえるうちは付き合ってやってもいいが、毎回連れてこられるのだけは勘弁してほしかった。
「お待たせいたしました」
戻ってきたローズが、伊織の前に薔薇色のソーダを置き、俺のほうにはアイスコーヒーを添えた食事のセットを並べる。
「柊真様は、前回と同じくシロップなしでよろしかったですよね?」
「……そんなことまで覚えてんのかよ」
「一度伺ったことは、なるべく忘れないようにしていますから」
背筋を真っすぐ伸ばした立ち方も、真面目くさった返し方も、やっぱり誰かに似ている気がする。
けど、どうしても思い出せない。
俺はその引っかかりをアイスコーヒーと一緒に飲み込むしかなかった。
六時間目が終わって鞄を持ち上げたところで、斜め前の席に座ってた伊織が椅子ごとこっちを向いた。
赤い髪の下で妙に期待のこもった目をしてやがるが、肝心の行き先がわからねえ。
「どこだよ?」
「あの女装メイドカフェ」
「はあ? なんでだよ?」
「俺、ローズちゃんにもう一回会いたくて」
悪びれもせず返された名前に、俺は伊織の顔を凝視する。
ローズってのは、確かこの前俺らの接客をした女装メイドの名前だ。
「ローズちゃんて。あいつ男だぞ?」
「でも綺麗だったじゃん。俺、元々背が高くてキリっとしたキツ目の美人がタイプなんだよね。別に付き合うわけじゃねえんだし、見てるだけなら性別関係ないっしょ」
伊織の中じゃ、男か女かより顔が好みかどうかのほうが大事らしい。こいつが他人の好きなもんにいちいちケチをつけねえ性格なのは知っていたが、自分の好みまでそこまで大らかだとは知らなかった。
「一人で行けば?」
「一人じゃ入りづらいんだよ。おごるから付いてきてくれよ」
そこで俺の足が止まった。あの店は飲み物も食いもんも、普通の店よりちょっと高い。店員がひらひらした服で運んでくるだけで値段が上がる仕組みには納得いかねえが、伊織が払うってんなら話は別だ。
「飯もか?」
「好きなの頼んでいいから」
「じゃあ行く」
「お前、こういうときだけ決めんの早えな」
伊織は呆れたように笑いながら立ち上がる。
自分から誘っておいて文句を言うんじゃねえよと思ったが、おごりを撤回されたら困るから黙っておく。
教室を出た伊織はいつもより歩くのが速く、廊下の窓に映るたびに前髪をいじっている。
「お前、まさかマジで惚れたんじゃねえだろうな?」
「そんなんじゃねえって。もう一回近くで見たいだけ」
「見せもんみてえに言うなよ」
「メイドカフェの店員なんだから、見られんのも仕事だろ。それにちゃんと金も払うし、迷惑かけるつもりもねえよ」
そこだけは妙にまともなことを言いやがる。もっとも、伊織の浮かれた足取りを見る限り、ただ見たいだけで終わるのかは怪しかった。
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店の扉を開けると、頭上で小さなベルがカランコロンと音を立てた。
「お帰りなさいませ」
近くにいたメイドが俺たちに頭を下げる。
その声を聞いて、伊織の顔がわかりやすく明るくなる。
「イオリ様、トウマ様。またいらして来てくださったんですね」
俺たちを出迎えたのは、お目当てのローズだった。
艶のある長い髪には深紅の薔薇が飾られ、黒いドレスに白いエプロン。瞬きをすると長いまつ毛が音を立てそうだ。
遠目なら女にしか見えねえが、近くに立つとやっぱり男っぽい。厚底の靴を履いている分、俺より頭一つ分ぐらい身長が高い。
「俺らの名前、覚えててくれたの?」
伊織が嬉しさを隠す気もなく訊くと、ローズは口元をやわらかく持ち上げた。
「もちろんです。前回、お名前を教えて頂きましたから」
「一回来ただけなのに、すげえな」
「御主人様のお名前を覚えるのはメイドとして当然です」
その言い方が、女装メイドにしちゃ妙に堅苦しい。どっかで似たような喋り方を聞いたことがあるような……。
だが、伊織がさっさとローズについていったせいで、それ以上考える暇はなかった。
壁際の席に案内され、俺はメニューの中から値段の高いフードセットを探した。向かいに座った伊織はメニューなんかほとんど見ず、注文を取りに来たローズの顔ばかり見ている。
「今日の化粧、前とちょっと違う?」
「よくお気づきになりましたね。今日は目尻にワインレッドを入れているんです」
「やっぱり。そっちのほうがローズちゃんの目に似合ってるよ。元々キリっとしてんのが、もっと綺麗に見えるっつーか」
「ありがとうございます」
「口の色もいいよな。真っ赤じゃなくて、ちょっと暗いやつ。髪の薔薇とも合ってるし」
伊織が化粧をそこまで細かく見ていることにも驚いたが、褒められたローズの頬がわずかに緩んだことにはもっと驚いた。前回来たときは完璧な営業用の笑顔しか見せなかったのに、今の顔はそれとは少し違っている。
「イオリ様は、よく見ていらっしゃるんですね」
「詳しくはねえけど、似合うってことはわかるよ。その服もすげえ似合ってるよな。袖のレースも可愛いし」
褒める勢いが止まらねえ伊織に対し、ローズはエプロンの裾を指先で軽くつまんだ。
「この衣装は、自分で作ったものなんです」
「自分で? 最初から全部?」
「はい。市販のものだと肩幅や袖丈が合わないことが多いので、型紙から作っています。レースやリボンも、自分で選びました」
「マジかよ。化粧できて服まで作れんの? 器用すぎんだろ」
伊織が身を乗り出す。
俺は頬杖をつきながら二人の話を聞き流していたが、ローズの指にだけは自然と目が向いた。男らしく骨張っていて、メイドの格好には似合わねえぐらい大きな手だ。あれで針を持って、細けえレースを縫いつけているところを想像すると、妙な感じがした。
「店の衣装、全部ローズが作ってんの?」
「まさか。自分が着るものと、ほかの子から頼まれて何着か作っただけですよ」
「人の分まで作れんのか。すげえな」
「好きで続けているうちに覚えただけです」
好きだから覚えた、なんて簡単に言うが、型紙だの縫い方だの、覚えることはいくらでもありそうだ。
家庭科がめちゃくちゃ苦手で提出物も出せなかった俺には、とても真似できそうにない。
「トウマ様は、こういった衣装にご興味はありませんか?」
急に話を振られ、俺はメニューから顔を上げた。
「ねえよ。着ろって言われても絶対着ねえからな」
「着ていただくつもりで伺ったわけではありません」
「柊真、似合うんじゃね? 脚出すやつ」
「テメェ、ぶっ飛ばすぞ」
「御屋敷内での喧嘩はお控えください」
ローズに真顔で止められたせいで、伊織が腹を抱えて笑いだした。
冗談に決まってんだろと言い返しかけたが、真正面から俺を見るローズの目がやけに真剣で、まともに反論するのも馬鹿らしくなる。
「柊真、好きなもん頼んでいいぞ。俺はこのローズソーダ」
「じゃあ、この一番高いハンバーグセットで」
「は? テメエは遠慮ってもんがねえのか?」
「好きなの頼めっつったの、お前だろ」
「確かに仰られていましたね」
なぜかローズまで俺の味方につき、伊織は財布の中身を確認しながら注文を認めた。
ローズが厨房に向かうと、あいつの後ろ姿を追っていた伊織が、テーブル越しに小さく呟く。
「やべえ。俺、ますます好きになっちまったかも」
「見てるだけじゃなかったのかよ?」
「見てるだけでいいって言っただけで、好きじゃねえとは言ってねえだろ」
「めんどくせえことになっても知らねえぞ」
「ならねえって。ローズちゃんは店員で、俺はただの客なんだから」
そう言いながらも、伊織の顔は普段女の話をするときよりずっと浮かれていた。
俺には男相手にそこまで夢中になる感覚はわからねえし、知りたいとも思わない。
おごってもらえるうちは付き合ってやってもいいが、毎回連れてこられるのだけは勘弁してほしかった。
「お待たせいたしました」
戻ってきたローズが、伊織の前に薔薇色のソーダを置き、俺のほうにはアイスコーヒーを添えた食事のセットを並べる。
「柊真様は、前回と同じくシロップなしでよろしかったですよね?」
「……そんなことまで覚えてんのかよ」
「一度伺ったことは、なるべく忘れないようにしていますから」
背筋を真っすぐ伸ばした立ち方も、真面目くさった返し方も、やっぱり誰かに似ている気がする。
けど、どうしても思い出せない。
俺はその引っかかりをアイスコーヒーと一緒に飲み込むしかなかった。

