「今日は木曜日だけど、夏休みだから……もしかしたらシフトに……」
そうブツブツと言いながら大翔が足早に目指すのは手塚のバイト先であるピノ。推し活の一環で手塚の大体のシフトは把握しているつもりだが、長期休み中のイレギュラーな場合はよくわからない。
ピノまで行って手塚に会えない空振りも考えられる……そんなことを考えている時、スマホの存在を思い出した。メッセージアプリで連絡を取ればいいんだ、と。
そう思い出しアプリを立ち上げはしたものの、メッセージを打つ大翔の手が停まる。
「メッセージを送ったとして……スルーされたらどうしよう。僕がいままで着信も全部スルーしてたから……なんだよいまさらって思われないかな……」
手塚は話を聞いて欲しいと言っていたのを、拒絶していたのは大翔だ。それをいまになってこちらの話を聞いて欲しいというのはあまりに虫が良過ぎやしないだろうか。
そんなことを考えている内に、大翔の足がゆるゆると速度を落としていく。あともう少しでピノがあるショッピングモールに着くのだが、尋ねたところで会ってもらえるのだろうかという不安が大きく大翔の心を占めていく。
「僕にとって手塚さんは特別な人だけど……手塚さんにとっての僕がそうとは限らないかもしれない……いや、それを確かめに行こうとしてるんだけど、でも……」
相手は自分と同じくちょっと拗らせたフェチの持ち主だ。大翔が思い描いているようなことを同じように思っているとは限らない。寧ろその可能性の方が高いとも言える。
思い至った勢いのままに手塚を訪ねようとしているけれど、本当に受け入れてもらえるのだろうか。いまさらにそんな不安が湧いてくる。
それでも足は無意識下にモールの方へ進んでいく。通い慣れた道は、目をつぶってでも行けるほどにピノへも道のりを覚えているのだろう。
ジッとしていても汗が噴き出るような暑さの屋外からモール内へ入ると、すぅっと冷気に包まれていく。汗が瞬時に乾いて行き、その冷たさで大翔は冷静さを取り戻してきているような気がしてきた。
「……なんで僕、同盟を解除なんて言っちゃったんだろう。せめて、あの後手塚さんと話くらいすればよかった。それからでも、どうするか決めても遅くなかったのに」
写真の約束を守られなかったのはショックではあったが、手塚の言い分を聞く余地はあったのではないか。少なくとも、大翔にとって手塚が特別であるというのなら、一旦彼の言動を信じて確認するべきだったのではないか。そんな後悔がいまになって湧いてくる。
「そのことも、まず謝らないとだよな。それから、手塚さんは僕にとっては特別で――」
「俺が君にとっての、何? 謝るって何のことを?」
「……へ?」
程よく混みあった夏休みの夕方のモール内をとぼとぼと歩いていると、聞き覚えのある声が耳に飛び込んでくる。
驚いて顔を上げて振り返ると、見慣れた緑のエプロン姿の手塚が、段ボールを抱えて佇んでいた。
「手塚さん……?」
まさか本当に今日シフトに入っているなんて、ということにまず驚き、そして同じくらいいつもと変わらない様子で声をかけてくれたことに驚いていた。
「いまから店に行くのか?」
「えっと……はい。一応」
手塚に会いに行くために、とは言わなかったが、言葉としては間違っていないのでそううなずく。
すると手塚は少し考える風にうつむき、やがて「あのさ」と口を開く。
「俺これ捨てに行ったら上がりなんだけど、時間ある?」
思いがけない提案を手塚の方からされ、大翔はどぎまぎしながらうなずいた。手塚に特別な人だとか宝物だとかを確認するためにピノを目指してはいたものの、どう話を切り出すかまでは考えていなかったからだ。
自分の無計画さにいまさらながら呆れつつも、大翔は手塚に言われるがままモール内にある噴水広場で待つことになった。
同盟を解除するとは自分から言ったものの、そうなってから改めて大翔にとって手塚が特別であることに気付かされた――そんな言い分を、果たして手塚が受け止めてくれるのか。
(受け止めてくれたとして、だから何? ってなったらどうしよう……手塚さんにとっての僕が、本当に宝物だとか特別かなんてわからないんだし……)
そうなってしまったら、いよいよもう手塚に会うことはできなくなるだろう。推しである手と触れ合えないことも悲しいが、それ以上に、手塚に会えなくなることが悲しい。想像するだけで気持ちが萎れてしまう。まるで花にとっての水のような気がしてくる。なくてはならない、不可欠なもの。
「特別ってそういうことなのかな……手塚さんにとっての僕は、ただの特別とは違う……?」
不可欠だなんて相当だ。なくてはならないものと同じ意味じゃないか。そんなのまるで、手塚なしでは生きていけないような――――
「ごめん、待たせたよな」
そこまで大翔が考え至った時、手塚がひょいと顔を覗かせて現れた。急いで走って来たのか、少し息が弾んで汗ばんでいる。
大翔がふるふると首を横に振り、「いいえ」とか「お疲れ様です」とかごにょごにょと言っていると、手塚は大翔の座るベンチの隣に腰を下ろす。
そうして二人久々に顔を合わせたのはいいものの、どちらからどうなにを話し始めればいいかわからず、黙り込んでしまう。
(どうしよう……聞きたいことがいっぱいあるはずなのに、どれから聞いていいかわからない……)
前回言葉を交わした時は一方的に大翔から断ち切ったこともあり、いまさらながら気まずさを覚えてしまう。ジリッとした沈黙が、夕凪の時間の日差しに溶けていく。
何かを言わなくては。そう思えば思うほど、大翔の口は重くなっていくのだった。
どれくらいの間、どちらも黙り込んでいただろうか。近くの噴水で遊んでいた小さな子どもが遊び疲れて帰ってしまうほどの間、二人はその光景を黙って見つめていた。
ゆっくりと、夏の日差しが傾き始め夕凪が終わっていく。まるで大翔たちがいる所だけが時が停まっているかのように、空気の流れが緩やかだ。
このまま永遠に黙り込んだままなんだろうか――そんな気さえしてきたその時、「あのさ」とポツリと手塚が口を開いた。
思わず大翔が顔を上げると、夕日に縁どられた手塚の横顔が目に入る。切れ長の、意思の強そうな眼差しとその目許に大翔は惹き付けられて目が離せない。
「合宿中、本当は何度も足柄くんにビデオ通話しないかって言いそうだったんだ。初日から、毎日」
「……え、毎日?」
確か通話をしたのは三日目くらいだったかと思うが、そんなにも大翔の足が恋しかったというのだろうか。
思いがけず手塚の意志が弱いことを知り、大翔は瞬きをして見つめる。夕日に縁どられている横顔からはそんな様子は全く窺えないのに。
そうして手塚は困ったように苦笑しつつこちらを振り返り、「情けないだろ」と言うのだ。
「お守りのあの写真持っててもさ、見ててもさ、全然物足りなくて。ずっと寂しくて、なんかすかすかしてたんだ、気持ちが」
「……写真じゃ、物足りなかったんですか?」
それは相当に重症になってしまっていないか? と、大翔は心配になったのだが、手塚が言いたいのはフェチの重症度ではないようなのだ。
手塚は大翔の方を振り返り、ジッとこちらを見つめてくる。その眼差しが、いままで見たこともないほどに甘さを感じるのは何故なのか。
「うん……全然だった。見れば見るほど足柄くんの足が……いや、違うな。足だけの話じゃなかったな」
「え? 足だけじゃないんですか?」
それは一体どういうことだろうか。足フェチ以外にも目覚めたというのだろうか。しかも大翔のお守りを見ていて、とも言う。
問うように返す大翔に、手塚はくすりと苦笑してスマホを取り出してくる。そうして差し出された画面には、あの『お守り』の写真の、それは手塚の視点から撮ったものが映し出されている。
一体これがどうしたというのだろう――と、大翔がさらに問おうとすると、手塚が画面の一カ所を指してくる。そこにあるのは、こちらを見つめつつスマホを構えている大翔の顔が写り込んでいた。
その顔はやわらかくほどけていて無防備にさえ見えて、それでいて推しである手塚の手に触れられ幸せそうにも見える。
自分がこんな顔を手塚の前でさらしているのか、と思うと、大翔は改めて恥ずかしさを覚えた。
「この顔、全然ピンボケではっきり見えなくてさ……あー、もっとちゃんと見たいー、って思ってて」
「見たいって……僕の顔ですよ? 足じゃないですよ?」
「うん。俺さ、合宿の間ずっと、足柄くんの足もだけど、この顔も見てた気がする。」
思いがけない言葉に瞬きも忘れて見つめていると、手塚がそっと大翔の頬に触れてくる。いつもフェチ会の時に大翔の足に触れてくる時と同じ、丁重でお姫様に触れるかのように。
触れられるごとに、大翔の心臓がうるさいぐらいに騒ぎ出す。何かを大翔に知らせるかのように、胸を叩く。
「そ……そんなの、フェチ関係ないじゃないですか……か、顔だなんて……」
「顔もだけど、なんて言うのかな……足柄くんのさ、いまこうやって触って真っ赤になってるとことか、フェチ会の順番のジャンケンで勝って大喜びするとことか、そういう素直なリアクションをずっと見たいなって思ってた」
「な……なんでそんなの、見たいなんて……フェチ同盟、なのに……」
「なんでだろうな。ずっと会えない間考えてたんだよ。足柄くんの足に会いたいのか、足柄くんに会いたいのか」
それは、大翔も同じようなことを考えていたことだ。手塚の手が恋しいのか、手塚が恋しいのか、自分でも判断がつかなくて……新妻の言葉にハッとさせられたとも言える。手塚にとっての特別が、大翔であるのかどうかを。
それを確かめに来たことを改めて思い出し、大翔は手塚の目を見つめる。『お守り』の写真と同じような優しくほどけた目が、大翔を見ている。
「そんでさ、じゃあビデオ通話してみて、会いたくなったら足柄くんに会いたいのかも、って考えて写真見てたら……」
「あの、指原さんって人に見られちゃったんですか?」
「そーなんだよ……しかもあいつ、前にも俺が足の拾い画像見てたの知ってるからさぁ……『また足かよ』とか『まさか彼女の足?』とかしつこく聞いて来て」
その上あのビデオ通話を見られてしまったので余計に指原からの追及がしつこく、「どういう関係? いえないやつ?」などといらぬ詮索までしてきたらしい。その執拗さに腹が立ってしまい、つい言ってしまったそうだ。
「言ったって……フェチ仲間だ、って言ったんですか?」
言い表すとすればそうとしか言いようがないだろうなと大翔は思っていた。そして友達であろう指原に退かれたから、もうフェチ同盟は解消でいい――そんな話をしに来たのだろうか。
(さっきは顔が見たかったみたいなこと言ってたけど、でも実はこういうことがあったからやっぱりナシで……って言いに来たのかな……)
ぐるぐるする想像に胸が不安の色に染まっていく。宝物だの特別な人だのを確認するまでもなく、手塚の中では大翔とのことは終わりになってしまったのだろうか、と。
しかし返ってきた言葉は、全く予想もしないものだった。
「いや。好きなものを分かち合える、宝物みたいに大事な人だって言った」
「え……」
まさに大翔が確かめようとしていた言葉が、するりと手塚の口からこぼれ出た瞬間、言葉を失った。欲しいと思っていたけれど、本当にその言葉が差し出されるとは思っていなかったから、驚きで瞬きも忘れて手塚を見つめてしまう。
手塚は、黙って見つめ返してくる大翔が、不快になっていると思ったのがバツの悪そうな顔をしている。
「悪かったよ、勝手にそんな風に言って。足柄くん的にはもう俺とは同盟を解除って先に言ってたし――」
「……そうですけど、解除とはちょっと違うかもです」
手塚の言葉を阻むように大翔が口を開くと、驚いたような目が向けられる。どういうことだ? と、問うような目に、大翔は今しがた差し出されて受け取った言葉を胸に、答える。
「手塚さんとは、もう同盟とかなしでいいです」
「……それは俺が約束破ったから?」
「それもなくはないですけど、そうじゃなくて」
手塚が眉根を寄せて首を傾げているのを見つめながら、大翔は小さく息を吸い、言葉を続ける。自分の中に芽生えた、彼への想いを伝えるために。
「僕にとっての手塚さんは、特別なんです。推しでもあるけど、それだけじゃなくて……その、宝物みたいに、大事なんです。フェチのこともわかり合えるし。でもそれ以外のことでも手塚さんといると楽しくなるし、知らないことを知れる感じがするから、その……やっぱり、特別な宝物なんだなって思って。だから……」
一気にそこまでを割と早口でまくし立てるように語り、大翔は大きく息を吐く。普段手について語る時よりも熱がこもった語り口調になっているからかもしれない。なにせ、特別な宝物である本人に想いを伝えるのだから。
「だから……もう、同盟とかなしにして、僕の靴を選んでくれる人になってくれませんか。ずっと、ずっと……一緒にいて欲しいんです」
最後の方は声が震えていたように思う。それでも伝え切った言葉と思いに後悔はなかった。
あとはどう、手塚が答えをくれるのか。祈るような思いで目を伏せていると、「参ったな」と呟く声がする。
驚き顔を上げると、真っ赤になった手塚が口元を隠すようにして顔を反らしつつも嬉しさの隠せない表情をしていたからだ。
「……俺が言おうとしてたこと、全部言われた」
「……へ? 全部?」
「足柄くんと同盟とかそういうのナシで一緒にいたいって言おうと思ってたんだけど……やべぇ、先越された」
手塚は真っ赤な顔のままそう苦笑したかと思うと、大翔の方に手を伸ばし、そのままグイッと引き寄せていく。そうしてそのまま、呆気にとられて半開きのままの大翔の唇を塞いだ。
「え、え、手塚さん……!? え、いまの、え?」
「っはは、やべ、足柄くんのリアクションめっちゃ可愛い。足以外もかわいいとかズルすぎる」
「え、あ、ちょ……ンぅ……」
吐息を感じるほどの近距離で微笑まれたかと思うと、手塚がもう一度大翔の唇を塞ぐ。しかも、さっきよりも深く絡むようなキスで。
いままで体験したことがないような事態に理解が追い付かない大翔は、ただされるがまま手塚にいつの間にか抱きしめられていた。フェチ会でもないような事態に、どう反応すればいいかわからない。
「て、て、てづかさん……あの、あの」
「これからは足柄くんの足以外も愛でさせてもらうからね」
「ふぇ!?」
「俺はもう足柄くんフェチだから」
そう耳元で囁かれたかと思うと、その耳たぶにも噛みつかれるようにキスをされる。ぞくりとする甘味を感じる振る舞いに、大翔はただただ捕らわれるばかりだ。
(でも……なんか、すごく嬉しい……。手塚さんが、僕のこと特別って言ってるみたいで)
そうして恐る恐る大翔の方からも手塚の背に腕を回してみると、その背中の熱さに驚かされる。愛しい、そうはっきりと大翔は感じた。
「……僕も、手塚さんフェチです」
そう小さく囁く大翔の耳元にもう一度口付けが施され、大翔は甘いくすぐったさにこっそり笑った。
そうブツブツと言いながら大翔が足早に目指すのは手塚のバイト先であるピノ。推し活の一環で手塚の大体のシフトは把握しているつもりだが、長期休み中のイレギュラーな場合はよくわからない。
ピノまで行って手塚に会えない空振りも考えられる……そんなことを考えている時、スマホの存在を思い出した。メッセージアプリで連絡を取ればいいんだ、と。
そう思い出しアプリを立ち上げはしたものの、メッセージを打つ大翔の手が停まる。
「メッセージを送ったとして……スルーされたらどうしよう。僕がいままで着信も全部スルーしてたから……なんだよいまさらって思われないかな……」
手塚は話を聞いて欲しいと言っていたのを、拒絶していたのは大翔だ。それをいまになってこちらの話を聞いて欲しいというのはあまりに虫が良過ぎやしないだろうか。
そんなことを考えている内に、大翔の足がゆるゆると速度を落としていく。あともう少しでピノがあるショッピングモールに着くのだが、尋ねたところで会ってもらえるのだろうかという不安が大きく大翔の心を占めていく。
「僕にとって手塚さんは特別な人だけど……手塚さんにとっての僕がそうとは限らないかもしれない……いや、それを確かめに行こうとしてるんだけど、でも……」
相手は自分と同じくちょっと拗らせたフェチの持ち主だ。大翔が思い描いているようなことを同じように思っているとは限らない。寧ろその可能性の方が高いとも言える。
思い至った勢いのままに手塚を訪ねようとしているけれど、本当に受け入れてもらえるのだろうか。いまさらにそんな不安が湧いてくる。
それでも足は無意識下にモールの方へ進んでいく。通い慣れた道は、目をつぶってでも行けるほどにピノへも道のりを覚えているのだろう。
ジッとしていても汗が噴き出るような暑さの屋外からモール内へ入ると、すぅっと冷気に包まれていく。汗が瞬時に乾いて行き、その冷たさで大翔は冷静さを取り戻してきているような気がしてきた。
「……なんで僕、同盟を解除なんて言っちゃったんだろう。せめて、あの後手塚さんと話くらいすればよかった。それからでも、どうするか決めても遅くなかったのに」
写真の約束を守られなかったのはショックではあったが、手塚の言い分を聞く余地はあったのではないか。少なくとも、大翔にとって手塚が特別であるというのなら、一旦彼の言動を信じて確認するべきだったのではないか。そんな後悔がいまになって湧いてくる。
「そのことも、まず謝らないとだよな。それから、手塚さんは僕にとっては特別で――」
「俺が君にとっての、何? 謝るって何のことを?」
「……へ?」
程よく混みあった夏休みの夕方のモール内をとぼとぼと歩いていると、聞き覚えのある声が耳に飛び込んでくる。
驚いて顔を上げて振り返ると、見慣れた緑のエプロン姿の手塚が、段ボールを抱えて佇んでいた。
「手塚さん……?」
まさか本当に今日シフトに入っているなんて、ということにまず驚き、そして同じくらいいつもと変わらない様子で声をかけてくれたことに驚いていた。
「いまから店に行くのか?」
「えっと……はい。一応」
手塚に会いに行くために、とは言わなかったが、言葉としては間違っていないのでそううなずく。
すると手塚は少し考える風にうつむき、やがて「あのさ」と口を開く。
「俺これ捨てに行ったら上がりなんだけど、時間ある?」
思いがけない提案を手塚の方からされ、大翔はどぎまぎしながらうなずいた。手塚に特別な人だとか宝物だとかを確認するためにピノを目指してはいたものの、どう話を切り出すかまでは考えていなかったからだ。
自分の無計画さにいまさらながら呆れつつも、大翔は手塚に言われるがままモール内にある噴水広場で待つことになった。
同盟を解除するとは自分から言ったものの、そうなってから改めて大翔にとって手塚が特別であることに気付かされた――そんな言い分を、果たして手塚が受け止めてくれるのか。
(受け止めてくれたとして、だから何? ってなったらどうしよう……手塚さんにとっての僕が、本当に宝物だとか特別かなんてわからないんだし……)
そうなってしまったら、いよいよもう手塚に会うことはできなくなるだろう。推しである手と触れ合えないことも悲しいが、それ以上に、手塚に会えなくなることが悲しい。想像するだけで気持ちが萎れてしまう。まるで花にとっての水のような気がしてくる。なくてはならない、不可欠なもの。
「特別ってそういうことなのかな……手塚さんにとっての僕は、ただの特別とは違う……?」
不可欠だなんて相当だ。なくてはならないものと同じ意味じゃないか。そんなのまるで、手塚なしでは生きていけないような――――
「ごめん、待たせたよな」
そこまで大翔が考え至った時、手塚がひょいと顔を覗かせて現れた。急いで走って来たのか、少し息が弾んで汗ばんでいる。
大翔がふるふると首を横に振り、「いいえ」とか「お疲れ様です」とかごにょごにょと言っていると、手塚は大翔の座るベンチの隣に腰を下ろす。
そうして二人久々に顔を合わせたのはいいものの、どちらからどうなにを話し始めればいいかわからず、黙り込んでしまう。
(どうしよう……聞きたいことがいっぱいあるはずなのに、どれから聞いていいかわからない……)
前回言葉を交わした時は一方的に大翔から断ち切ったこともあり、いまさらながら気まずさを覚えてしまう。ジリッとした沈黙が、夕凪の時間の日差しに溶けていく。
何かを言わなくては。そう思えば思うほど、大翔の口は重くなっていくのだった。
どれくらいの間、どちらも黙り込んでいただろうか。近くの噴水で遊んでいた小さな子どもが遊び疲れて帰ってしまうほどの間、二人はその光景を黙って見つめていた。
ゆっくりと、夏の日差しが傾き始め夕凪が終わっていく。まるで大翔たちがいる所だけが時が停まっているかのように、空気の流れが緩やかだ。
このまま永遠に黙り込んだままなんだろうか――そんな気さえしてきたその時、「あのさ」とポツリと手塚が口を開いた。
思わず大翔が顔を上げると、夕日に縁どられた手塚の横顔が目に入る。切れ長の、意思の強そうな眼差しとその目許に大翔は惹き付けられて目が離せない。
「合宿中、本当は何度も足柄くんにビデオ通話しないかって言いそうだったんだ。初日から、毎日」
「……え、毎日?」
確か通話をしたのは三日目くらいだったかと思うが、そんなにも大翔の足が恋しかったというのだろうか。
思いがけず手塚の意志が弱いことを知り、大翔は瞬きをして見つめる。夕日に縁どられている横顔からはそんな様子は全く窺えないのに。
そうして手塚は困ったように苦笑しつつこちらを振り返り、「情けないだろ」と言うのだ。
「お守りのあの写真持っててもさ、見ててもさ、全然物足りなくて。ずっと寂しくて、なんかすかすかしてたんだ、気持ちが」
「……写真じゃ、物足りなかったんですか?」
それは相当に重症になってしまっていないか? と、大翔は心配になったのだが、手塚が言いたいのはフェチの重症度ではないようなのだ。
手塚は大翔の方を振り返り、ジッとこちらを見つめてくる。その眼差しが、いままで見たこともないほどに甘さを感じるのは何故なのか。
「うん……全然だった。見れば見るほど足柄くんの足が……いや、違うな。足だけの話じゃなかったな」
「え? 足だけじゃないんですか?」
それは一体どういうことだろうか。足フェチ以外にも目覚めたというのだろうか。しかも大翔のお守りを見ていて、とも言う。
問うように返す大翔に、手塚はくすりと苦笑してスマホを取り出してくる。そうして差し出された画面には、あの『お守り』の写真の、それは手塚の視点から撮ったものが映し出されている。
一体これがどうしたというのだろう――と、大翔がさらに問おうとすると、手塚が画面の一カ所を指してくる。そこにあるのは、こちらを見つめつつスマホを構えている大翔の顔が写り込んでいた。
その顔はやわらかくほどけていて無防備にさえ見えて、それでいて推しである手塚の手に触れられ幸せそうにも見える。
自分がこんな顔を手塚の前でさらしているのか、と思うと、大翔は改めて恥ずかしさを覚えた。
「この顔、全然ピンボケではっきり見えなくてさ……あー、もっとちゃんと見たいー、って思ってて」
「見たいって……僕の顔ですよ? 足じゃないですよ?」
「うん。俺さ、合宿の間ずっと、足柄くんの足もだけど、この顔も見てた気がする。」
思いがけない言葉に瞬きも忘れて見つめていると、手塚がそっと大翔の頬に触れてくる。いつもフェチ会の時に大翔の足に触れてくる時と同じ、丁重でお姫様に触れるかのように。
触れられるごとに、大翔の心臓がうるさいぐらいに騒ぎ出す。何かを大翔に知らせるかのように、胸を叩く。
「そ……そんなの、フェチ関係ないじゃないですか……か、顔だなんて……」
「顔もだけど、なんて言うのかな……足柄くんのさ、いまこうやって触って真っ赤になってるとことか、フェチ会の順番のジャンケンで勝って大喜びするとことか、そういう素直なリアクションをずっと見たいなって思ってた」
「な……なんでそんなの、見たいなんて……フェチ同盟、なのに……」
「なんでだろうな。ずっと会えない間考えてたんだよ。足柄くんの足に会いたいのか、足柄くんに会いたいのか」
それは、大翔も同じようなことを考えていたことだ。手塚の手が恋しいのか、手塚が恋しいのか、自分でも判断がつかなくて……新妻の言葉にハッとさせられたとも言える。手塚にとっての特別が、大翔であるのかどうかを。
それを確かめに来たことを改めて思い出し、大翔は手塚の目を見つめる。『お守り』の写真と同じような優しくほどけた目が、大翔を見ている。
「そんでさ、じゃあビデオ通話してみて、会いたくなったら足柄くんに会いたいのかも、って考えて写真見てたら……」
「あの、指原さんって人に見られちゃったんですか?」
「そーなんだよ……しかもあいつ、前にも俺が足の拾い画像見てたの知ってるからさぁ……『また足かよ』とか『まさか彼女の足?』とかしつこく聞いて来て」
その上あのビデオ通話を見られてしまったので余計に指原からの追及がしつこく、「どういう関係? いえないやつ?」などといらぬ詮索までしてきたらしい。その執拗さに腹が立ってしまい、つい言ってしまったそうだ。
「言ったって……フェチ仲間だ、って言ったんですか?」
言い表すとすればそうとしか言いようがないだろうなと大翔は思っていた。そして友達であろう指原に退かれたから、もうフェチ同盟は解消でいい――そんな話をしに来たのだろうか。
(さっきは顔が見たかったみたいなこと言ってたけど、でも実はこういうことがあったからやっぱりナシで……って言いに来たのかな……)
ぐるぐるする想像に胸が不安の色に染まっていく。宝物だの特別な人だのを確認するまでもなく、手塚の中では大翔とのことは終わりになってしまったのだろうか、と。
しかし返ってきた言葉は、全く予想もしないものだった。
「いや。好きなものを分かち合える、宝物みたいに大事な人だって言った」
「え……」
まさに大翔が確かめようとしていた言葉が、するりと手塚の口からこぼれ出た瞬間、言葉を失った。欲しいと思っていたけれど、本当にその言葉が差し出されるとは思っていなかったから、驚きで瞬きも忘れて手塚を見つめてしまう。
手塚は、黙って見つめ返してくる大翔が、不快になっていると思ったのがバツの悪そうな顔をしている。
「悪かったよ、勝手にそんな風に言って。足柄くん的にはもう俺とは同盟を解除って先に言ってたし――」
「……そうですけど、解除とはちょっと違うかもです」
手塚の言葉を阻むように大翔が口を開くと、驚いたような目が向けられる。どういうことだ? と、問うような目に、大翔は今しがた差し出されて受け取った言葉を胸に、答える。
「手塚さんとは、もう同盟とかなしでいいです」
「……それは俺が約束破ったから?」
「それもなくはないですけど、そうじゃなくて」
手塚が眉根を寄せて首を傾げているのを見つめながら、大翔は小さく息を吸い、言葉を続ける。自分の中に芽生えた、彼への想いを伝えるために。
「僕にとっての手塚さんは、特別なんです。推しでもあるけど、それだけじゃなくて……その、宝物みたいに、大事なんです。フェチのこともわかり合えるし。でもそれ以外のことでも手塚さんといると楽しくなるし、知らないことを知れる感じがするから、その……やっぱり、特別な宝物なんだなって思って。だから……」
一気にそこまでを割と早口でまくし立てるように語り、大翔は大きく息を吐く。普段手について語る時よりも熱がこもった語り口調になっているからかもしれない。なにせ、特別な宝物である本人に想いを伝えるのだから。
「だから……もう、同盟とかなしにして、僕の靴を選んでくれる人になってくれませんか。ずっと、ずっと……一緒にいて欲しいんです」
最後の方は声が震えていたように思う。それでも伝え切った言葉と思いに後悔はなかった。
あとはどう、手塚が答えをくれるのか。祈るような思いで目を伏せていると、「参ったな」と呟く声がする。
驚き顔を上げると、真っ赤になった手塚が口元を隠すようにして顔を反らしつつも嬉しさの隠せない表情をしていたからだ。
「……俺が言おうとしてたこと、全部言われた」
「……へ? 全部?」
「足柄くんと同盟とかそういうのナシで一緒にいたいって言おうと思ってたんだけど……やべぇ、先越された」
手塚は真っ赤な顔のままそう苦笑したかと思うと、大翔の方に手を伸ばし、そのままグイッと引き寄せていく。そうしてそのまま、呆気にとられて半開きのままの大翔の唇を塞いだ。
「え、え、手塚さん……!? え、いまの、え?」
「っはは、やべ、足柄くんのリアクションめっちゃ可愛い。足以外もかわいいとかズルすぎる」
「え、あ、ちょ……ンぅ……」
吐息を感じるほどの近距離で微笑まれたかと思うと、手塚がもう一度大翔の唇を塞ぐ。しかも、さっきよりも深く絡むようなキスで。
いままで体験したことがないような事態に理解が追い付かない大翔は、ただされるがまま手塚にいつの間にか抱きしめられていた。フェチ会でもないような事態に、どう反応すればいいかわからない。
「て、て、てづかさん……あの、あの」
「これからは足柄くんの足以外も愛でさせてもらうからね」
「ふぇ!?」
「俺はもう足柄くんフェチだから」
そう耳元で囁かれたかと思うと、その耳たぶにも噛みつかれるようにキスをされる。ぞくりとする甘味を感じる振る舞いに、大翔はただただ捕らわれるばかりだ。
(でも……なんか、すごく嬉しい……。手塚さんが、僕のこと特別って言ってるみたいで)
そうして恐る恐る大翔の方からも手塚の背に腕を回してみると、その背中の熱さに驚かされる。愛しい、そうはっきりと大翔は感じた。
「……僕も、手塚さんフェチです」
そう小さく囁く大翔の耳元にもう一度口付けが施され、大翔は甘いくすぐったさにこっそり笑った。



