Angel Rest ――英雄を棺に納めた男――

 ——こんな商売やってんだ。終わりがまともだなんて、期待しちゃいない。
 一人ぼっちで魔物に食われるのだって、罠にかかって串刺しにされるのだって、覚悟してたつもりだった。

「……た……」

 ……でも。

「たす……け……」

 でも。

 これは、——これは、あんまりだ。

 全身が熱い。痛いんじゃない。もう痛みも感じない。
 ずる、ずる、と皮膚が剥ける感触がする。

 装備もどこかにやってしまった。喉も焼け付いてまともに声なんか出ない。目はとうに、前どころか光さえ。

 あんまりだ。
 こんなの、あんまりだ。
 かみさま。あたしが何したっていうの。

「たすけ……て……!」

 その声が聞こえたわけでもないだろうに、遠くから、何かが近づいてくる気配があった。

「要……者……! 全身に重……、担……移送が……!」

 その声が聞こえてくるのが、遠くからなのか、近くからなのか、もうわからない。
 でも、人の声だ。

 渾身の力で縋りつこうと指を伸ばす。

「たす……けて……!」

 だが、その指が何かをつかむことはなく。
 意識は……闇に落ちた。

 ◆ ◆ ◆

「……おいあれ」
「ああ……」

 ヘルヘイム近くを通りすがったガッシュとユリウスが見たのは、ギルド直轄のヘルヘイム救援部隊と、担架に乗せられて入り口から運び出される誰かの姿だった。
 ずるり、と担架から力なく落ちた手は血まみれでただれており、一見して明らかに無事でないことが分かる。

 ヘルヘイム救援部隊は、主に上層を巡回し、救援を必要としている冒険者や魔物に連れ込まれた一般人を救出する部隊だ。

「あのやられ方……アシッドスライムだろうな」

 ユリウスが低い声でつぶやく。物理攻撃が効きにくいうえ、強い酸性を示すアシッドスライムの体液を全身に浴びると、まず無事では済まない。
 ギルドの冒険者が忌み嫌う魔物の一種だ。

「あの手の細さ、女か……。最近アシッドスライムの量も増えてるって、救援隊が言ってたな」

 呻いたガッシュの目には、ただれた手が身に着けた石のブレスレッドが焼き付いていた。

「まあ、俺らには関係ない話だ」
「そういうの声出して言うのやめろよ……」

 言い合いながらも、ガッシュはこの時考えてもいなかった。
 この人物に、その日一日、ずいぶんと振り回される羽目になろうとは。

「——身元不明遺体の遺族探しぃ!?」

 直後、ギルドマスターに呼び出された二人を待っていたのは、「理不尽」の三文字に尽きる命令だった。

「そうだ。お前ら最近暇だろ」
「暇じゃないっすよ。金もないのにもうギルドのためのタダ働きなんかできないっす」
「そうそう、正式な依頼として出してもらわないと」

 口々に言うガッシュとユリウスだが、ギルドマスターは聞く耳を持たない。

「まあ聞け。ついさっき救援隊が救出したものの、そのまま息を引き取った女なんだがな」
「いやっす聞きたくないっす」
「文句なら聞いてから言え」
「言っても聞きゃしねえくせに」

 ギルドマスターはソファに座ってため息をつく。

「ヘルヘイムに潜るのは何も俺たちギルドのメンバーだけじゃない。中にはフリーの傭兵やトレジャーハンター、民間人だってな」
「それと俺らと何の関係があるんすか」
「万が一あの女がフリーのトレジャーハンターだったりしたらどうなる? 救援部隊の出動だってタダじゃないんだ。すでに金を出して救出されてるのに、遺族を探し出して、葬儀を出して……その金はギルドが出すことになる」
「……ドケチ野郎」

 ぼそりとユリウスが吐き出すのを、ガッシュは確かに聞いた。

 だが、それは確かに一理あるのだった。
 ギルドも慈善事業ではない。ヘイムレストに住む民間人ならともかく、好きでヘルヘイムに潜った一攫千金を目指すトレジャーハンターや傭兵が、ギルドに加入もせずに金だけ出させる。ギルドマスターとして苦々しく思うのも当然ではある。

 ……ある、が。

「だからって……タダ働きはないでしょ、タダ働きは」

 食い下がるガッシュの声など聞こえないとばかりにギルドマスターは話を進める。

「納棺はデンケンさんがやってくれてる。まあ正直、あの人以外はやりたがらんだろうけどな、身元不明遺体なんて」
「……デンケン」

 ふいに、ユリウスがぽつりとつぶやく。突破口を見つけたとばかりににやりと笑って、ギルドマスターが身を乗り出した。

「そうそうデンケンさん。お前たち最近、あの人になついてるだろ。あの人を助けると思って、よろしく頼んだぞ」

 いうが早いか、ギルドマスターはそのまま部屋を出ていく。

「ちょ、ちょっと待っ……!」
「……え、今の俺のせい?」

 追いかけようと立ち上がるガッシュ、困った顔でそれを見上げるユリウス。

「……くそっ」

 お前のせいだと当たり散らす気も起きず、ガッシュは毒づいてドスンとソファに座りなおした。

 ◆ ◆ ◆

「ああ知ってるよ、あの女だろ」

 宿酒場のカウンターで聞けば、その女のことはすぐにわかった。
 特徴的な石のブレスレット。ガッシュのように覚えていた者も多そうだ。
 ガッシュは身を乗り出した。

「名前は!?」
「いやそこまでは。一人で泊まりに来て、飯も一人で食ってたしな」

 カウンターの男も途方に暮れた顔で宿帳をめくる。名前の部分には「ジェーン・ドゥ」。いわゆる「名無しの権兵衛」という奴だ。
 ユリウスが眉を寄せた。

「……よくこれで泊めたな」
「金払ってトラブルさえ起こさなかったら、こちとらどんな人だってお客さんだよ」
「そのお客さんの名前すらわからないんじゃ、世話ないだろ」
「訳アリのお客もいるからね」

 ガッシュの言い返す言葉にも、カウンターの男は肩をすくめるばかりでらちが明かない。

「名前もわからん、所属もわからんじゃ、どうしようもねえな……」

 ユリウスが肩をすくめる。「でも少なくとも、名前を書かないってことはギルド所属じゃないってことだ」

 ああ、とガッシュも頭を抱える。最悪の事態だ。

「ギルドマスターが言った通り、フリーのトレジャーハンターかなんかなんだろうな……」
「まあ、念のためギルドにも照会してもらおう」
「……だな」

 ギルドでも、市場でも、宿酒場でも、聞ける相手には呼び止めて聞く。
 しかし、誰に聞いても、どう聞いても、返ってくる言葉は同じだ。

 ギルドの冒険者曰く。

「石のブレスレットをした女? ああ見たよ」
「なんか話したか!?」
「いや……声も聞いたことねえ」

 武器屋の鍛治師曰く。

「ブレスレットの女ねえ……ああ、確かに来たな」
「名前とか名乗ったか?」
「いや、ふらっと来て武器研いだだけで帰ってったよ」

 アイテム屋の女主人曰く。

「ブレスレットをしたお客さん? ええ、いらっしゃいましたよ」
「……名乗ったりは……」
「いやねえ、訳ありのお客さんもいますから。そんなあれこれと聞き出したりしやしませんよ」

 市場の男曰く。

「ああブレスレットの。見かけたよ」
「……なんか、話したりとか」
「いや……毎日あそこのパン屋に同じパン買いに行ってんな、くらいだな」

「全部空振りかよ……!」

 膝に手をやりため息をつくガッシュ。隣ではユリウスがうんざりとした顔で首を振っている。

「なあもうデンケンとこ行こうぜ。いませんでしたでいいじゃん」
「そういうわけにもいかねえだろ……!」

 唇を尖らせて眉を寄せたユリウスは肩をすくめる。

「……お前ってそういうやつだったよな」
「なんだよ、文句あるならそう言え」
「ねえよ、文句なんて。でも一旦デンケンとこ行こうぜ。納棺の時間もあるだろ」
「……そうだな」

 言いながら歩き出す。メイン通りを行き過ぎる冒険者や傭兵たち、それに街の住人。中に身元不明遺体の「正体」を知っている人はいるのか。考えないでもなかったが、ガッシュはもう、その一人一人を呼び止めて確認する気も起きない。

「お前に今言うのもなんだけどさ——」

 ユリウスが歩きながら周囲を見回す。

「俺も見た事ある。あの女。正確には……まあ、あのブレスレットつけた女の後ろ姿だけなんだけどさ」
「……それは俺も同じだよ」

 ガッシュが言い返した。
 この街には多くの人が訪れる。中には変わった装備やアクセサリを持つ者も多い。
 理由は、わかる。そのブレスレットに目が行くものの、その人物を知っているわけではない、というのは。
 わかるが、それにしたってこの女はまるで「他人との交流」を避けていたようにも感じられる。

 宿帳に名前は書かず、会話も最低限、食事はいつも一人。
 挙句がこれだ。身元不明で誰も覚えてはいない。

「あんな死に方だけはしたくねえな……」

 ユリウスの独り言が、ガッシュにも重くのしかかる。同意の代わりに、ガッシュはため息を返した。

 ◆ ◆ ◆

 納棺所にやってくると、納棺を終えた棺のそばで、デンケンが立ち尽くしていた。

 いや、立ち尽くす、という表現は正しくない。
 折り目正しく白手袋の手を前で組み、微動だにしない。
 文字通りの直立不動で、じっと棺のそばにたたずんでいる。

「デンケンさん!」

 ガッシュが駆け寄ると、岩か壁のように動かなかったデンケンがようやく動く。といっても、首と視線だけがわずかにガッシュのほうを向いただけだ。

「お疲れ様です。故人様のお名前などは、お分かりになりましたか」
「それが……」

 ガッシュが言いよどんで視線をそむける。代わりにユリウスが肩をすくめた。

「いや、全くわからん。見かけたってやつは多いくせに、名前も、どこから来たのかも、全然周りと話さなかったみたいだ」
「左様ですか」

 落胆した、という様子もなく、ユリウスの言葉にデンケンは相槌を打つ。
 居心地が悪くなったガッシュは、棺のほうをのぞき込んだ。

「納棺は、済んだのか?」
「はい」

 ガッシュの視線の先の遺体は、頭や頬、そして全身に清潔な包帯が巻かれ、丁寧に組まれた左手にはあのブレスレットが輝いている。

「……デンケン殿」

 入ってきた神官が、心配そうにデンケンをのぞき込む。

「もうお休みください、デンケン殿。納棺を終えてからずっと、そちらで……」
「いえ、まだご出棺まで、時間がありますので」

 神官が助けを求めるようにガッシュとユリウスを見る。

「二人からも何とか言ってください! デンケン殿は朝から食事はおろか休みも取らず……!」
「……デンケン、あんた」

 ユリウスの声にも、デンケンは応えない。

「……この方に」

 低い声が、ぽつりと静まり返った部屋に落ちる。

「この方に、最期にお別れをしたい方は、いらっしゃらないのでしょうか」

 トーンは変わらない。
 そして、デンケンは動かない。

 ガッシュは確信した。

 ならば——。

「……俺、もう一回参列者いねえか探してくるわ」
「あ、おい待てよ! ……ああもう」

 走り出したガッシュを、ユリウスが追いかけてくる。

「一人で行くなよ」
「あの状況であーそーですか俺ら関係ないんでそれじゃあってできるか!?」
「できねえのはわかってるけど、一人で動くなって」

 走りながら来た道を戻る。
 すれ違った男女に、片っ端から声をかける。

 石のブレスレットをした女に心当たりはないか。
 少しでもいい、何か会話をしてなかったか。
 そいつの出棺が迫ってる。最後に別れを言いたいことはないか。

 そのすべてで、同じ回答が返ってくる。

「知らない」
「すれ違っただけで、名前も知らない」
「会話もしてないし、特に思い出もない」
「そもそもギルドにも所属してないのに、別れを言うほど深い関係でもない」

「くそがっ……!」

 息を切らしながらガッシュが毒づく。

「……まあ、期待はしてなかったけどよ……」

 ユリウスの声も沈んでいる。

 日が暮れるまで、二人は声をかけ続けた。
 確かに、そこに女が生活していた痕跡はある。
 それでも、そこに誰か「一緒に行動していた者の影」はどこにもなかった。

 最期まで、彼女は独りだった。
 それを、走るほどに、声をかけるほどに、思い知らされる。

「デンケン殿、もう……刻限です」

 足が棒になるほど走り回って、二人が戻ってくると、神官がデンケンを説得しているところだった。

「この方は、神殿の無縁墓地に葬られます。そろそろ……お時間です」
「……左様ですか」

 振り返ったデンケンが、二人に向かって花を差し出してくる。

「献花を、お願いいたします」

 二人は黙って花を受け取った。棺の中に他に花はない。顔を見合わせ、その胸元に花を供える。
 最後にデンケンがそのそばに花を供える。
 白手袋の指先が、一度だけ棺の縁に静かに触れた。
 ゆっくりと蓋を持ち上げる。

「——永遠の旅路に、安らぎのあらんことを」

 ささやく声とともに、棺の蓋が閉められる。
 二人の見ている先で、名も知らぬ彼女の顔は永遠に見えなくなった。

 ◆ ◆ ◆

「……結局、誰だったのかわからずじまいか」

 神官たちが棺を担いで去るのを見ながら、ガッシュが肩を落としてため息をつく。その背中をぱし、と軽くユリウスが叩いた。

「……こんな商売してんだ、不幸な最期に、ある程度の覚悟はあったと思おうぜ」
「そうはいってもよ……」

 何か、納得がいかない。
 ガッシュの顔色にそれを感じ取ったのだろう、ユリウスも宙をにらみながら、音を立ててため息をついた。

「俺はごめんだけどな、あんな死に方」
「俺だってごめんだ」
「なあ、俺が死んだら、お前が葬式出してくれよ」
「縁起でもねえこと言うなよ」

 ガッシュは肘鉄でユリウスの言葉を遮る。だが、言いたいことは何となく理解できた。

「まあ……なんだ。飯でも食いに行こうぜ!」

 肘鉄を食らったわき腹をさすりながら、ユリウスは無理やり明るい声で叫ぶ。
 ガッシュは半眼でそんなユリウスをにらんだ。

「あほか。俺もあんたも、金欠だろうが」
「…………」

 ユリウスは黙り込み、ガッシュを見返す。

 ガッシュの脳裏に、あることが浮かんでいた。
 おそらく、ユリウスも同じことを考えていたのだろう。

 同時に、後ろに立っていたデンケンを振り返る。

「…………」

 デンケンはモノクルを直し、厳かに言った。

「スープくらいしか出せませんが」
「ゴチになります」

 思わず即座に、ガッシュとユリウスは声を合わせてデンケンに頭を下げていた。
 こちらへ、と歩き出すデンケンの後について歩きながら、ガッシュは女のブレスレットを思い返していた。

 あれは、誰かからのプレゼントかもしれない。
 もしかしたら、自分で買ったものかもしれない。

 そんな今から考えれば愚にもつかない想像を働かせながら。