「もう一度だ!」
悲鳴に近い怒号が神殿内に響き渡る。
声の主のそばで錫杖を構えていた上級司祭が、申し訳なさそうにかぶりを振って錫杖を下ろす。
「ロンドクリフ殿、残念ですが……」
「なぜだ! 金なら払う、あんたなら息子を呼び戻せるんだろう!」
二度の蘇生術。しかし、手ごたえに反してラウルが目を覚ますことはなかった。頭の傷すら、癒えてはいない。
上級司祭は整えられた白いひげを悲しげに震わせ、縋りつく父親の手を振り払うこともできずにいる。
「……納棺師殿を、お呼びしてください」
「まだだ! まだ息子は戻ってくる! もう一度頼む、布施ならいくらでも払う、だから……!」
パーティメンバーの三人も、ガッシュもユリウスも、口を開くことさえできなかった。
上級司祭に命じられた神官の一人が祭壇を離れる。血まみれの髪をそのままにあお向けに横たえられたラウルの体に取りすがって、父親は真っ青な顔で呪文のように「頼む」「もう一度」「戻ってきてくれ」と繰り返していた。
やがて神官に連れられてやってきたのは、見覚えのある納棺師——デンケンだった。
「あんた……」
ユリウスが何か言いかけたが、何も応えずデンケンは静かに祭壇へ歩み寄る。それに気づいた父親が跳ね起きるように立ち上がり、デンケンに掴みかかった。
「おい、何をする気だ! 息子はまだ蘇生術の途中だ、まだ死んでないんだ! 納棺師なんぞ呼んでないぞ!」
「……お辛いところ、失礼いたします」
デンケンは反論しない。ただそれだけ言い、掴まれるままに静止している。
「納棺師なぞ、呼んだ覚えはないと言ってる! 死体を棺桶に納めるだけしか能のないやつが、おれの息子を殺す気かぁ!」
父親は激昂するままにデンケンの胸ぐらをつかんでゆする。
デンケンは応えない。ただ、仲裁しようと動いたユリウスを、ゆったりとした指の動きで静止した。
父親の怒りは収まらない。黙り込んで父親を見つめているデンケンに、こぶしを振り上げる。
「このっ……! 何とか言ったらどうだ!」
がつっ、と衝撃音がした。殴られたデンケンがしりもちをつく。
「——おい!」
ユリウスが一歩前に出る。しかし、その一歩の後、彼は何を思ったのかそのまま凍り付いた。
ガッシュがユリウスの視線の先を見る。そして、そこにいるデンケンに言葉を失った。
彼のモノクルは吹き飛び、髪も、つかまれていたネクタイも乱れていた。だがデンケンはそれすら気にも留めぬ様子で立ち上がる。
モノクルを拾うことも、ゆがんだネクタイを直すこともなく、ただゆっくりと直立の姿勢に戻る。
白手袋に包まれたその手は、一度もこぶしを握らない。
そして、低く、とげの一切ない凪いだ声で、ささやくように言った。
「承知、いたしました」
男はフンと鼻を鳴らし、胸を張ってラウルを指さす。
「この子はな、ロンドクリフ商会をしょって立つ逸材なんだ」
よほど、自慢の息子だったのだろう。手放しで息子を褒めるその姿は、しかし少しずつ、肩が震え、声が小さくなっていく。
「今は何を思ったか家を出てしまっているが、いつか戻ってきて……戻ってきて、この家を……私の事業を、将来を、継ぐ……継ぐはず、だったんだ……!」
「左様でございますか」
——「継ぐはずだった」。
その一言は、ひどく悲しく響いた。
「ご準備が整いましたら、ご令息をお預かりいたします」
「…………」
父親はひざを折った。表情が怒りから虚無へ、それから嘆きへ。
「う……うぅ……ラウル……ラウル……!」
そこにいたのは、横柄な商家の当主ではなかった。
ただ、愛する息子を喪って悲嘆にくれる、一人の父親の姿だった。
◆ ◆ ◆
納棺のためにラウルとデンケンが別室へ移動したあとも、誰も何も言えない重苦しい空気が続いた。ロンドクリフ商会の関係者だろう、黙々と葬儀の準備や手続きを続ける中、父親もぼんやりと虚空を見つめている。
やがて、その重苦しい雰囲気を小さな一言でほんの少し変えた者がいた。
「……あ……ねえ、あれってどうなったのかな」
僧侶だ。パーティの仲間に視線をやっている。振り返った二人も、何か思い当たったように顔を上げた。
「そういえば……あの後すぐにゴブリンどもに追われて逃げちまったから……」
「俺も……持ってない」
「ラウルの荷物に入ってないかな」
「探してみるか……」
三人は顔を見合わせ、ラウルの荷物を整理し始める。それを見たユリウスが彼らの手元をのぞき込んだ。
「何してんだ?」
「ラウルがヘルヘイムに潜った目的の素材を探しているんです」
「ねえ、見てこれ!」
僧侶が手にしたのは、「商会の令息」が持つものにしては、あまりにも質素であり、不相応なものだった。
小さなペンチにルーペ。やすり。
それは、宝飾職人が仕事に使う工具一式。かなり、といかないまでも、それなりに使い込まれている。
僧侶が手にしていたのは、その中にあった布袋。中から出てきたのは、指輪の台座だった。
シンプルだが、やさしい雰囲気の装飾が施された指輪と、その台座。
台座にはめられるはずの石だけが、そこにはなかった。
「……完成させてたのかよ……」
剣士がうめく。魔術師は何も言えず、震える息を吐きだした。
「どういうことだ? ラウルはロンドクリフ商会の跡取りだろ。なんでこんな、職人の工具が」
「……あいつ、家出した後、隣町のゴルヴァンって宝飾職人の親方のところに弟子入りして、住み込みで職人やってたんです」
魔術師が低い声で言う。言葉に詰まるガッシュをしり目に、剣士が続いた。
「小さなころから宝飾の職人に憧れてたけど、父親がああでしょ、だから大喧嘩になって、家を出ちゃったって」
「恋人に結婚指輪を自分の手で誂えるんだって。私たちと一緒に探しに行った素材が、その石だったんです」
肩を震わせて、僧侶は涙をふく。
「……そんなもの……」
ぼそりと、父親がうめいた。
「そんなもの、言えばいくらだって買ってやったものを……」
ぐす、と鼻を鳴らした僧侶が、私たちもそう言いました、と言い返す。
「買えばいいって、言ったんですけど。職人の給料じゃ、ヘルヘイムの素材は高価すぎて手に入らないからって。自分の手で完成させないと、意味ないんだって、最後まで譲ってくれなくて……!」
誰も、何も言えなくなった。
ガッシュはどこまでも勘違いを裏切ってくるラウルに申し訳ない気分になる。と同時に、ユリウスが「本気で家を出て冒険者になった奴もいる」と言っていたのを思い出した。もしかしたら、ガッシュが知らないだけで、案外そういう奴は多いのかもしれない。
その時、扉が開いて棺を乗せた台車を押しながら、デンケンがゆっくりと入ってきた。
入り口で一礼し、ささやくような、しかしよく通る声で告げる。
「——故人様のご準備が整いました」
最初に反応したのは、父親だった。立ち上がり、ふらふらと棺のほうへ向かう。
涙をぬぐうことも忘れたように、両手でラウルの頬を挟んで嗚咽を繰り返していた。
会場には色とりどりの花が供えられ、ろうそくが揺れる。デンケンがその中央に棺を移動させると、ようやくガッシュたちもラウルとの面会が許された。
「……よかった……頭、きれいにしてもらったんだね」
僧侶がほっとしたようにささやいて、ラウルの髪を梳く。
血まみれだった髪はきれいに濯がれ、陥没していた後頭部もどうやったのか、きれいに整えられている。
「……あんた、すごいな」
ユリウスの感嘆に、デンケンは表情を変えなかった。ただ目礼し、「恐れ入ります」とだけ応える。
「ラウル!」
突然扉が開き、一人の女性が飛び込んできた。ガッシュが驚いて顔を上げると、泣きはらした女性が涙も拭かず棺のほうへふらふらと歩み寄る。
しかし、その歩みは突然父親によって遮られた。
「……何をしに来た、このあばずれが」
地響きにも近い低い声で罵声を浴びせる。
「お前が篭絡したせいで、ラウルが……!」
「お、お義父様……」
「お前に父と呼ばれる筋合いはない! 出ていけ、お前にラウルの死に目など拝ませてやるものか!」
聞くに耐えない、と僧侶が踏み出そうとし、魔術師に止められる。
「あれが……恋人?」
「はい……」
ガッシュの独り言に剣士が頷く。
女性は必死で父親に取りすがって懇願している。
「お願いです、一目だけでも!」
「くどい! お前のせいでラウルが……! 帰れ、お前にラウルの葬儀に出る資格などないわ!」
突き飛ばされ、倒れ込んだ女性を僧侶がかばう。しかし、父親は鼻息も荒く女性をにらんだまま、その場を動こうとはしなかった。
「……わかり、ました……」
肩を落とし、女性は踵を返す。ふらふらと、その場を立ち去ろうとする。
——その時だった。
「お待ちください」
ただ一言、デンケンが女性を呼び止める。ベストの内ポケットから取り出した布包みを手にし、足音もなく女性に歩み寄った。
ガッシュは驚き、ユリウスを見る。隣にいたはずのユリウスすら、デンケンが動き出していたのに気づいていなかったらしい。
振り返った女性に、布包みを手渡し、デンケンは一言だけ告げた。
「お忘れ物でございます」
「……え……」
困惑しながらも、女性は布包みを開いた。
……その中にあったものを、ガッシュは知らない。
ただ、女性の顔が大きくゆがみ、泣き叫びながらその場に崩れ落ちたのを、誰もが見ていた。
「バカ……! あなたバカよ、ラウル……! こんな、こんなもののために……!」
◆ ◆ ◆
葬儀と埋葬を終え、豪勢な装飾や花が片づけられていくのを見ながら、ガッシュはぼんやりと考え込んでいた。
「何考えてんだ?」
「いや……人生いろいろだと思ってよ」
「なんだそりゃ」
ユリウスに覗き込まれ、適当にごまかしながら頬杖をつく。
あとで聞いたところによると、布包みの中にあったのはラウルが握りしめていたものだったらしい。
上層の鉱物資源の中で稀にとれる、「赤い薔薇石」。
カットすると薔薇のような模様が浮き出る赤い石だ。
パーティの仲間たちによれば、ラウルはそれを探していたのだそうだ。
文字通り、「命がけで」。
「……問題があるんだけどよ」
厳かな声で、ユリウスが言う。
「……なんだよ」
「……今回の依頼、ただ働きなんだわ」
…………沈黙。
「——っはーァ!?」
ガッシュは叫んだ。神官が飛んできて「ご静粛に願います!」と怒られる。
「すんません……って、なんでだよ!」
「だから言っただろ、実入りがないんだって、この仕事」
そう返すユリウスも苦い顔だ。
「どうすんだよ。俺金ねえんだけど」
「それは俺も同じだよ」
「飯も食えねえ」
「酒も飲めねえ」
はあ、とどちらともなくため息をついた。
「しゃあねえ、飯抜くか……」
「あー、腹減った……」
言いながら、ちょうど遺族の控室に使われていた部屋の前を通りかかる。と、旨そうなスープのにおいが漂ってきた。
顔を見合わせたところで、二人の腹の虫が盛大に悲鳴をあげる。
気まずそうに腹を押さえる二人の目の前で、控え室のドアが静かに開いた。
「……お二人とも」
その部屋から顔を出したのはデンケンだ。
「どうされたのです」
「いや……金がねえからにおいだけでもごちそうになろうかと思ってぇ」
訳が分からない言い訳をするユリウスに、デンケンが何とも言えない表情をする。それも一瞬、右目のモノクルを直した彼は姿勢を正し、静かに言った。
「お座りなさい」
「へ」
「スープくらいは出しましょう」
「あ、いやでも、申し訳ね……」
ガッシュが辞退しかけたところで、再度、盛大に二人の腹の虫が自己主張した。
もう一度何とも言えない表情をしたデンケンが、重ねて「お座りなさい」といい、二人を部屋に招き入れる。
デンケンは静かに鍋をかき回し、一口味見をしてから、ほんの少し塩を足した。
その背中を見ながら、ユリウスが問いかける。
「なあデンケン、さん」
「デンケンで構いません。なんですか」
スープをよそいながらデンケンはユリウスの質問に答える。
「なんで、あの時殴り返さなかったんだよ」
「何がでしょう」
「親父さんに殴られたろ、あんとき」
「殴り返す必要がありましょうか」
それがあまりにもごく普通の声だったので、ガッシュもユリウスもなんとなく納得してしまう。
「さあ、おあがりなさい」
言いながらふるまわれたスープは、野菜と芋と、少しの肉が入った、何の変哲もないスープだった。
だが、においを嗅いだだけで何となく、ほっとどちらからともなく息を吐く。
「いただきまーす」
「……ただきます」
二人して声をかけてスープを啜ると、不思議と疲労がほどけていくような気がした。
悲鳴に近い怒号が神殿内に響き渡る。
声の主のそばで錫杖を構えていた上級司祭が、申し訳なさそうにかぶりを振って錫杖を下ろす。
「ロンドクリフ殿、残念ですが……」
「なぜだ! 金なら払う、あんたなら息子を呼び戻せるんだろう!」
二度の蘇生術。しかし、手ごたえに反してラウルが目を覚ますことはなかった。頭の傷すら、癒えてはいない。
上級司祭は整えられた白いひげを悲しげに震わせ、縋りつく父親の手を振り払うこともできずにいる。
「……納棺師殿を、お呼びしてください」
「まだだ! まだ息子は戻ってくる! もう一度頼む、布施ならいくらでも払う、だから……!」
パーティメンバーの三人も、ガッシュもユリウスも、口を開くことさえできなかった。
上級司祭に命じられた神官の一人が祭壇を離れる。血まみれの髪をそのままにあお向けに横たえられたラウルの体に取りすがって、父親は真っ青な顔で呪文のように「頼む」「もう一度」「戻ってきてくれ」と繰り返していた。
やがて神官に連れられてやってきたのは、見覚えのある納棺師——デンケンだった。
「あんた……」
ユリウスが何か言いかけたが、何も応えずデンケンは静かに祭壇へ歩み寄る。それに気づいた父親が跳ね起きるように立ち上がり、デンケンに掴みかかった。
「おい、何をする気だ! 息子はまだ蘇生術の途中だ、まだ死んでないんだ! 納棺師なんぞ呼んでないぞ!」
「……お辛いところ、失礼いたします」
デンケンは反論しない。ただそれだけ言い、掴まれるままに静止している。
「納棺師なぞ、呼んだ覚えはないと言ってる! 死体を棺桶に納めるだけしか能のないやつが、おれの息子を殺す気かぁ!」
父親は激昂するままにデンケンの胸ぐらをつかんでゆする。
デンケンは応えない。ただ、仲裁しようと動いたユリウスを、ゆったりとした指の動きで静止した。
父親の怒りは収まらない。黙り込んで父親を見つめているデンケンに、こぶしを振り上げる。
「このっ……! 何とか言ったらどうだ!」
がつっ、と衝撃音がした。殴られたデンケンがしりもちをつく。
「——おい!」
ユリウスが一歩前に出る。しかし、その一歩の後、彼は何を思ったのかそのまま凍り付いた。
ガッシュがユリウスの視線の先を見る。そして、そこにいるデンケンに言葉を失った。
彼のモノクルは吹き飛び、髪も、つかまれていたネクタイも乱れていた。だがデンケンはそれすら気にも留めぬ様子で立ち上がる。
モノクルを拾うことも、ゆがんだネクタイを直すこともなく、ただゆっくりと直立の姿勢に戻る。
白手袋に包まれたその手は、一度もこぶしを握らない。
そして、低く、とげの一切ない凪いだ声で、ささやくように言った。
「承知、いたしました」
男はフンと鼻を鳴らし、胸を張ってラウルを指さす。
「この子はな、ロンドクリフ商会をしょって立つ逸材なんだ」
よほど、自慢の息子だったのだろう。手放しで息子を褒めるその姿は、しかし少しずつ、肩が震え、声が小さくなっていく。
「今は何を思ったか家を出てしまっているが、いつか戻ってきて……戻ってきて、この家を……私の事業を、将来を、継ぐ……継ぐはず、だったんだ……!」
「左様でございますか」
——「継ぐはずだった」。
その一言は、ひどく悲しく響いた。
「ご準備が整いましたら、ご令息をお預かりいたします」
「…………」
父親はひざを折った。表情が怒りから虚無へ、それから嘆きへ。
「う……うぅ……ラウル……ラウル……!」
そこにいたのは、横柄な商家の当主ではなかった。
ただ、愛する息子を喪って悲嘆にくれる、一人の父親の姿だった。
◆ ◆ ◆
納棺のためにラウルとデンケンが別室へ移動したあとも、誰も何も言えない重苦しい空気が続いた。ロンドクリフ商会の関係者だろう、黙々と葬儀の準備や手続きを続ける中、父親もぼんやりと虚空を見つめている。
やがて、その重苦しい雰囲気を小さな一言でほんの少し変えた者がいた。
「……あ……ねえ、あれってどうなったのかな」
僧侶だ。パーティの仲間に視線をやっている。振り返った二人も、何か思い当たったように顔を上げた。
「そういえば……あの後すぐにゴブリンどもに追われて逃げちまったから……」
「俺も……持ってない」
「ラウルの荷物に入ってないかな」
「探してみるか……」
三人は顔を見合わせ、ラウルの荷物を整理し始める。それを見たユリウスが彼らの手元をのぞき込んだ。
「何してんだ?」
「ラウルがヘルヘイムに潜った目的の素材を探しているんです」
「ねえ、見てこれ!」
僧侶が手にしたのは、「商会の令息」が持つものにしては、あまりにも質素であり、不相応なものだった。
小さなペンチにルーペ。やすり。
それは、宝飾職人が仕事に使う工具一式。かなり、といかないまでも、それなりに使い込まれている。
僧侶が手にしていたのは、その中にあった布袋。中から出てきたのは、指輪の台座だった。
シンプルだが、やさしい雰囲気の装飾が施された指輪と、その台座。
台座にはめられるはずの石だけが、そこにはなかった。
「……完成させてたのかよ……」
剣士がうめく。魔術師は何も言えず、震える息を吐きだした。
「どういうことだ? ラウルはロンドクリフ商会の跡取りだろ。なんでこんな、職人の工具が」
「……あいつ、家出した後、隣町のゴルヴァンって宝飾職人の親方のところに弟子入りして、住み込みで職人やってたんです」
魔術師が低い声で言う。言葉に詰まるガッシュをしり目に、剣士が続いた。
「小さなころから宝飾の職人に憧れてたけど、父親がああでしょ、だから大喧嘩になって、家を出ちゃったって」
「恋人に結婚指輪を自分の手で誂えるんだって。私たちと一緒に探しに行った素材が、その石だったんです」
肩を震わせて、僧侶は涙をふく。
「……そんなもの……」
ぼそりと、父親がうめいた。
「そんなもの、言えばいくらだって買ってやったものを……」
ぐす、と鼻を鳴らした僧侶が、私たちもそう言いました、と言い返す。
「買えばいいって、言ったんですけど。職人の給料じゃ、ヘルヘイムの素材は高価すぎて手に入らないからって。自分の手で完成させないと、意味ないんだって、最後まで譲ってくれなくて……!」
誰も、何も言えなくなった。
ガッシュはどこまでも勘違いを裏切ってくるラウルに申し訳ない気分になる。と同時に、ユリウスが「本気で家を出て冒険者になった奴もいる」と言っていたのを思い出した。もしかしたら、ガッシュが知らないだけで、案外そういう奴は多いのかもしれない。
その時、扉が開いて棺を乗せた台車を押しながら、デンケンがゆっくりと入ってきた。
入り口で一礼し、ささやくような、しかしよく通る声で告げる。
「——故人様のご準備が整いました」
最初に反応したのは、父親だった。立ち上がり、ふらふらと棺のほうへ向かう。
涙をぬぐうことも忘れたように、両手でラウルの頬を挟んで嗚咽を繰り返していた。
会場には色とりどりの花が供えられ、ろうそくが揺れる。デンケンがその中央に棺を移動させると、ようやくガッシュたちもラウルとの面会が許された。
「……よかった……頭、きれいにしてもらったんだね」
僧侶がほっとしたようにささやいて、ラウルの髪を梳く。
血まみれだった髪はきれいに濯がれ、陥没していた後頭部もどうやったのか、きれいに整えられている。
「……あんた、すごいな」
ユリウスの感嘆に、デンケンは表情を変えなかった。ただ目礼し、「恐れ入ります」とだけ応える。
「ラウル!」
突然扉が開き、一人の女性が飛び込んできた。ガッシュが驚いて顔を上げると、泣きはらした女性が涙も拭かず棺のほうへふらふらと歩み寄る。
しかし、その歩みは突然父親によって遮られた。
「……何をしに来た、このあばずれが」
地響きにも近い低い声で罵声を浴びせる。
「お前が篭絡したせいで、ラウルが……!」
「お、お義父様……」
「お前に父と呼ばれる筋合いはない! 出ていけ、お前にラウルの死に目など拝ませてやるものか!」
聞くに耐えない、と僧侶が踏み出そうとし、魔術師に止められる。
「あれが……恋人?」
「はい……」
ガッシュの独り言に剣士が頷く。
女性は必死で父親に取りすがって懇願している。
「お願いです、一目だけでも!」
「くどい! お前のせいでラウルが……! 帰れ、お前にラウルの葬儀に出る資格などないわ!」
突き飛ばされ、倒れ込んだ女性を僧侶がかばう。しかし、父親は鼻息も荒く女性をにらんだまま、その場を動こうとはしなかった。
「……わかり、ました……」
肩を落とし、女性は踵を返す。ふらふらと、その場を立ち去ろうとする。
——その時だった。
「お待ちください」
ただ一言、デンケンが女性を呼び止める。ベストの内ポケットから取り出した布包みを手にし、足音もなく女性に歩み寄った。
ガッシュは驚き、ユリウスを見る。隣にいたはずのユリウスすら、デンケンが動き出していたのに気づいていなかったらしい。
振り返った女性に、布包みを手渡し、デンケンは一言だけ告げた。
「お忘れ物でございます」
「……え……」
困惑しながらも、女性は布包みを開いた。
……その中にあったものを、ガッシュは知らない。
ただ、女性の顔が大きくゆがみ、泣き叫びながらその場に崩れ落ちたのを、誰もが見ていた。
「バカ……! あなたバカよ、ラウル……! こんな、こんなもののために……!」
◆ ◆ ◆
葬儀と埋葬を終え、豪勢な装飾や花が片づけられていくのを見ながら、ガッシュはぼんやりと考え込んでいた。
「何考えてんだ?」
「いや……人生いろいろだと思ってよ」
「なんだそりゃ」
ユリウスに覗き込まれ、適当にごまかしながら頬杖をつく。
あとで聞いたところによると、布包みの中にあったのはラウルが握りしめていたものだったらしい。
上層の鉱物資源の中で稀にとれる、「赤い薔薇石」。
カットすると薔薇のような模様が浮き出る赤い石だ。
パーティの仲間たちによれば、ラウルはそれを探していたのだそうだ。
文字通り、「命がけで」。
「……問題があるんだけどよ」
厳かな声で、ユリウスが言う。
「……なんだよ」
「……今回の依頼、ただ働きなんだわ」
…………沈黙。
「——っはーァ!?」
ガッシュは叫んだ。神官が飛んできて「ご静粛に願います!」と怒られる。
「すんません……って、なんでだよ!」
「だから言っただろ、実入りがないんだって、この仕事」
そう返すユリウスも苦い顔だ。
「どうすんだよ。俺金ねえんだけど」
「それは俺も同じだよ」
「飯も食えねえ」
「酒も飲めねえ」
はあ、とどちらともなくため息をついた。
「しゃあねえ、飯抜くか……」
「あー、腹減った……」
言いながら、ちょうど遺族の控室に使われていた部屋の前を通りかかる。と、旨そうなスープのにおいが漂ってきた。
顔を見合わせたところで、二人の腹の虫が盛大に悲鳴をあげる。
気まずそうに腹を押さえる二人の目の前で、控え室のドアが静かに開いた。
「……お二人とも」
その部屋から顔を出したのはデンケンだ。
「どうされたのです」
「いや……金がねえからにおいだけでもごちそうになろうかと思ってぇ」
訳が分からない言い訳をするユリウスに、デンケンが何とも言えない表情をする。それも一瞬、右目のモノクルを直した彼は姿勢を正し、静かに言った。
「お座りなさい」
「へ」
「スープくらいは出しましょう」
「あ、いやでも、申し訳ね……」
ガッシュが辞退しかけたところで、再度、盛大に二人の腹の虫が自己主張した。
もう一度何とも言えない表情をしたデンケンが、重ねて「お座りなさい」といい、二人を部屋に招き入れる。
デンケンは静かに鍋をかき回し、一口味見をしてから、ほんの少し塩を足した。
その背中を見ながら、ユリウスが問いかける。
「なあデンケン、さん」
「デンケンで構いません。なんですか」
スープをよそいながらデンケンはユリウスの質問に答える。
「なんで、あの時殴り返さなかったんだよ」
「何がでしょう」
「親父さんに殴られたろ、あんとき」
「殴り返す必要がありましょうか」
それがあまりにもごく普通の声だったので、ガッシュもユリウスもなんとなく納得してしまう。
「さあ、おあがりなさい」
言いながらふるまわれたスープは、野菜と芋と、少しの肉が入った、何の変哲もないスープだった。
だが、においを嗅いだだけで何となく、ほっとどちらからともなく息を吐く。
「いただきまーす」
「……ただきます」
二人して声をかけてスープを啜ると、不思議と疲労がほどけていくような気がした。


