「……落ち着けなんて言うなよ」
獣の唸り声のような獰猛な声でガッシュに言うユリウスに、ガッシュも肩をすくめるしかない。
「ていうか、あんたが言って止まるタイプじゃないことは大体理解できてる」
「…………」
「でもクールに行けよ。少なくとも今あんたが足を止めてるのは、俺のマップ待ちだろ」
「……ああもう、そうだよ!」
髪を掻きむしりながら叫ぶユリウス。ガッシュは手にしたマップを光源魔法で照らしながら、進むべき方向を指さす。
「ホーバルの地底湖、あっちだ」
「……ありがと」
「素直で何より」
歩きながら、レイド種についてガッシュは確認してみることにした。
「俺、まだレイド種って噂しか聞いたことないんだけどさ」
「俺は……一回だけ戦ったことある」
「どんな相手なんだ」
「魔王っているだろ、あれの直属の部下ってやつ。言葉もしゃべるし、魔術も使う。マジで、魔物とはレベルもあり方も違う。そういう敵だ」
「今回交渉してきたってことは……」
「交渉なんてモンじゃない。あんなのただの脅しだよ。基本的に話が通じないと思って戦った方がいい」
「戦った方がいいって……ちなみに、戦える相手なのかよ」
低い声でガッシュがそういうと、ユリウスは憂鬱そうに眉をしかめて、それからうめいた。
「……よく死ななかったな、あの頃の俺」
「オーケーわかった。とりあえず一人でぶつからないようにしよう」
歩きながら、ふう、と息をついたユリウスを見て、ガッシュは肘鉄で相手をつつく。
「で、少しは頭に上った血は胴体に戻ってきたかよ」
へ、と目をしばたたいたユリウスは、一瞬後に「たはっ」と声を立てて笑った。
「戻った。ありがとうな」
「……おう」
この落差のすさまじさがこの男の魅力であると気づいたのは、本当につい最近のことかもしれない。
ガッシュは咳ばらいをして、視線を地図に戻す。
「……とはいえ、急がなきゃいけないってのは事実だよな」
「ヴァル兄……」
焦りの見える声でユリウスがうめく。焦るなと言ったところで無駄なのはわかる。あの冷静で頼りがいがあるヴァルターの顔を思い出した。あの男に何かあれば、救援隊にも大きなダメージになるだろう。
「にしても、どうして敵……って、レイド種だろうけど、そいつは救援隊に攻撃を仕掛けようとしたんだろうな」
「なんでって?」
ユリウスが首をかしげている。ガッシュはだってそうだろ、と地図を見ながら言葉を継ぐ。
「ここがガルディの谷な」
「うん」
「で、ここが今から行くホーバルの地底湖」
「うんうん」
「まったく逆の方向だ。ガルディの谷でワイルドウルフを救援隊にけしかけたのは、どちらかと言えばレイド種の考え方から言えば『陽動』ってやつだろ」
「そう……なるな」
「つまり本命はこっち。ホーバルの地底湖だ。レイド種は救援隊の仲間をおとりにして戦力を分散させようとしてる」
顎をつまんで、ユリウスはふむ、と考え込む。
「確実に、救援隊にダメージを負わせようとしてる、ってことだよな」
「そうなる、だろうな。でも、それはなんでだ?」
ガッシュの問いかけに、ユリウスは首をかしげる。
「……えっと、レイド種の考え方なんて、俺にはさっぱり……」
「そういうと思ったよ。畜生!」
ばし、と膝を叩いて、ガッシュは髪を掻きむしった。
「そんなことより早くいこうぜ、ヴァルを助けなきゃ」
「……そうだな」
考えても何もわからないのは事実だ。今はヴァルターを連れ帰ることを優先させなければ。
「ホーバルの地底湖へ急ごう。レイド種がどれほど強いかはわからないが、こうして策を弄するってことは救援隊全体で攻めれば何とかなる敵の可能性が高いってことだ」
「よし、行くぞ!」
ユリウスがそう叫んだ瞬間、ガキン、と剣げきの音がした。
二人は顔を見合わせ、全力で走りだす。
「今の音って!」
「ヴァルの得物は片手剣と盾だ! もうヴァルは戦ってる!」
飛び出してきたワイルドウルフを一刀で斬り伏せ、ユリウスはそのまま走り続ける。何かにおびえたように別の個体も飛び出してきたが、仲間が斬り伏せられたのを見て、別のほうへ駆け去っていく。
それを視界の端にとらえてガッシュもユリウスの後を追う。角を曲がり、顔を上げると、ユリウスがそのすぐ前で立ちすくんでいた。
何があったのか、とその背中越しに視線を投げると、赤と銀の背中が見えた。
立っている。……あれはヴァルターだ。
「よかった、まにあっ——」
ガッシュがそう息をついた、その瞬間。
ガラン、とヴァルターが手にしていた盾が落ちる。そのままゆっくりと膝を折った。
「ヴァル——!」
さけんだユリウスがヴァルターに駆け寄る。ガッシュもあわててそのあとを追いかけると、ヴァルターは何とか剣を地面に突き立てて倒れるのをふせいだものの、その胸には大きく切り裂かれた傷があり、おびただしい血が鎧の隙間からあふれていた。
「ヴァル、ヴァル兄、しっかりしろ!」
「……ユリ、ウス。俺に、かまうな」
ガッシュは周囲を見渡す。冒険者と思しき人物が一人、赤と銀の鎧を着こんだ救援隊が数人。盾はことごとく割られ、槍は叩き折られ、ほとんどの者が倒れ伏しているものの、なんとか息はあるようだ。
しかし……ガッシュはすぐに視線を巡らせる。
なにか……いる。近くに!
「ユリウスッ!」
叫んだその瞬間、ユリウスが顔を上げ、ヴァルターを守るように剣を振りぬく。
ガキィン、と大きな音を立てて、振りぬかれた剣に阻まれたいびつな形の剣と、それを握る「何か」。
それはトン、トン、とステップを踏んで後ろへ飛び下がると、顔を上げる。
「……気を、付けろ……! レイド種、だ……!」
「ヴァル、傷に障る。もうしゃべるな……!」
立ち上がるユリウスに代わって、ガッシュがヴァルターの体を支える。
「レイド種レイド種、って。ボクにはちゃんとゲリセンって名前があるのにさ」
そう言ったのは、少年のような見た目の人影だった。
だが、それはただの少年というには不自然な点が多すぎる。
青黒いボディスーツのような衣装。そして、いびつな剣。
その軽装は、上層とはいえヘルヘイムに潜るにはあまりにも不釣り合いな装備だった。
それに何より——背中に生えた黒い翼。
それは人間に見えて、明らかに人間とは異なる「何か」だった。
「お前がヴァルをやったのか!」
剣を構えるユリウスを眺めて、それは肩をすくめてにこりと笑う。
「うん。ボクがやった。そのおじさんがキュウエンタイ? の一番エライやつなんでしょう?」
「だから、襲ったっていうのか?」
「うん!」
ガッシュがうめくと、こくん、と無邪気な顔でそれはうなずく。
「このおじさんがいなくなれば、キュウエンタイは大ダメージ! もう誰もヘルヘイムで迷った人を助けられなくなるんだよね?」
「なんでこんなことを……! 人質なんて卑怯な真似をしやがって!」
ユリウスの詰問に、心底不思議そうにそれは首をかしげる。
「だって、……あれ、なんて言ったっけ。ヨウキュウジョシャ? は助けなくちゃいけないから、冒険者がボクみたいな魔族に捕まったら、おじさんたちは絶対来るよね?」
ほら、ボクの言った通り! やっぱりボクって天才! まるで子供のように飛び跳ねて喜ぶそれ——自ら「ゲリセン」と名乗ったそれをにらみながら、ガッシュは声を低めてユリウスに呼び掛けた。
「ユリウス、そいつの足止め頼む。ヴァルターの止血を終えるまで、なんとか奴を抑えててくれ」
「……いや、その必要は、ない」
呻いたのは、ユリウスではなくヴァルターだ。
「ガッシュ、俺のことは放っておいてユリウスと一緒に全力で奴と戦え。ユリウス、一人で勝てる相手じゃない、周りにかまうな、生き延びるために奴を全力で退けろ……!」
「ヴァル兄、でも……!」
「心配するな、救援隊だってそれなりに訓練は積んできているし、ある程度の覚悟はしている。それに……」
それに、の後の言葉は、ガッシュにだけ理解できた。
止血、と言いはしたものの、足元に広がる血の海を見て、助かると安請け合いできる者などいはしないだろう。
実際、止血がどれほどの意味があるのかは、口にしたガッシュでさえわからなかった。
ガッシュは傷に障らないようゆっくりとヴァルターに肩を貸して壁際まで連れて行くと、足早に戻ってきてボウガンを構える。
「ガッシュ、援護頼む」
今までにない、殺気をむき出しにしたユリウスの声に、ガッシュは静かにうなずいた。
「……任せろ、相棒」
「今度はお兄さんたちが遊んでくれるの? じゃあ、始めようか!」
レイド種ゲリセンはいびつな剣をゆっくりと振り上げ、にっこりと笑った。
◆ ◆ ◆
「……勝算はあるのか」
「わかんねえ」
ガッシュの問いかけにユリウスは答える。
「以前戦ったときは、相手の気配を探るのに必死だった」
「気配って、どういうことだよ」
「——こういうことだよ?」
真横から聞こえてきたゲリセンの声。ガッシュはとっさに自分の身を投げ出す。ガキン、という剣と剣がぶつかり合う音。振り返れば今自分が立っていた場所にゲリセンがいて、振り返ったユリウスがゲリセンの剣を受け止めていた。
「ユリウス!?」
「こいつら、なんかよくわかんねえけど瞬間移動してくるんだよ!」
瞬間移動。つまり相手は、自分の死角から突然攻撃を仕掛けてくるのも簡単だということ。
「この状況でどう援護しろっつんだよ!」
「わからん!」
いっそすがすがしく思うほどきっぱりとしたユリウスの言葉に、ガッシュは腹筋を使って起き上がった。
「ほんと、あんたといると退屈だけはしねえな!」
「それほどでも!」
「バカ野郎、ほめてねえよ!」
叫んだ瞬間、どこからともなく光弾。身をかがめて躱し、とんできた方向へボウガンの矢を打ち込む。
「ムダムダ!」
鼻歌でも歌いそうな声が自分の足元から。のけぞった瞬間、行き過ぎた剣に巻き込まれた胸元のボタンが一つ砕けた。
「くそっ!」
罵声とともにユリウスが斬りつける。と、すぐさま気配が消えて再び、ゲリセンは二人の間合いの外に現れた。
「間合いの外からは光弾、隙とみりゃ瞬間移動で斬撃……」
ユリウスの声。ガッシュは初めて相対したレイド種の笑えないレベルに、頭を掻きむしりたくなる衝動を必死で抑えた。そんな隙を見せている暇はない。
にらみ合う中、まだ余裕を見せているゲリセンが問いかけてくる。
「お兄さんたち、何者? ボクの攻撃をこんなに躱すなんて、まぐれじゃできないよね」
ガッシュは答えようにも答えられなかった。正直、ガッシュが躱せていたのはただのまぐれだ。いやな予感に身を任せていただけ。ユリウスも似たようなものだろう。
「どうする……早くしねえとヴァル兄が……!」
そのユリウスも焦りから歯ぎしりをしている。それを見たゲリセンが、首をかしげて何やら考え込んでいたが、ぽん、と手を叩いて微笑んだ。
「そっかそっか。そっちの金髪のお兄さんが一番強いけど、お兄さんの心を折るにもさっきのおじさんが重要なんだね。じゃあ……」
言った瞬間、ゲリセンは再び姿を消す。
「ちっ」
「今度はどこだ!」
叫んで身構える、その、背後で。
「死んじゃえ、おじさん!」
ゲリセンの声。
慌てて振り返れば、逆手に剣を持ち替えたゲリセンと——。
「やめろ——!」
叫んで走り出すユリウス。だがそれよりはるかに早く、ゲリセンはヴァルターの胸に剣を突き立てた。
がふっ、と重い咳とともに、ヴァルターが苦悶の表情を浮かべて吐血する。……だが。
「……つかまえ、たぞ……、っこの、悪ガキ、が……!」
ヴァルターは自分の胸に突き立てられた剣と、ゲリセン自身の腕を両手でつかんだ。
……血まみれの歯をむき出しにして笑いながら。
その瞬間、初めて、ゲリセンの顔が歪む。
「なっ……! は、放せよ、おじさん!」
癇癪のように叫びながらゲリセンはヴァルターを蹴りつける。しかしヴァルターは放さない。両手で剣と腕を握りしめ、叫んだ。
「いまだ、やれユリウス——!!」
「ぅおおぉぉぉぉッ!!」
突進したユリウスの両手剣が、振り返ったゲリセンの左肩をとらえる。とっさに身をひねったゲリセンの左腕が吹き飛び、同時に蹴り飛ばされたヴァルターがもんどりうって壁に叩きつけられた。
「……やったな」
一瞬で掻き消え、再び現れたゲリセンの姿は、明らかに先ほどとは違っていた。
片腕を失い、傷を押さえ、顔色はどす黒く変色している。
それは明らかに人間らしい姿を装っていた、ゲリセンの本当の見た目だとしか思われなかった。
「やったな、人間のくせに! ボクの腕を、よくもボクの腕を!」
「うるせぇ! てめえだけは断じて許さねえ、よくもヴァルを!!」
剣をかまえ、再び突進するユリウス。それを見たゲリセンの表情は、先ほどとは打って変わった怯えの色をにじませていた。
「ひっ、……やだ、やだやだやだ! ボクは死ねない、アンハイル様が待ってる! アンハイル様に褒めていただくまで、ボクは死ねないんだぁっ!」
叫んだ瞬間、その姿はすうっと霧に紛れるように掻き消えていく。
「まて!」
ガッシュは叫び矢を放つ。しかし、バシっと音を立てて矢が突き立ったのは、何もない床だった。
「覚えたぞ、オマエタチの顔! いつか絶対殺してやる!」
ゲリセンは声だけを残し、気配もすべて消え失せていく。
「くそっ……逃げられた!」
「ヴァル!」
ユリウスは剣を放り出すと、壁に叩きつけられたまま動かないヴァルターのほうへ駆けよった。
「ヴァル……ヴァル兄!」
「ユ……ユリ、ウス……」
ゴホ、と血の泡を吹きながら、ヴァルターはうっすらと目を開ける。
「みんなは……無事か。要、救助者……は……?」
「あんた以上に大けがしてる奴なんてここにはいねえよ!」
「そう、か……よかった」
「よかったじゃねえよ! 何もよくねえよ!」
「何を言う。要救助者は助かった……お前たちの、おかげ、だ」
ありがとう、な。
小さな声でのその言葉に、ガッシュも何も言えず黙り込む。
うつむいていた顔を上げ、ユリウスを見た。
「ユリウス、ヴァルターさんを担いで先に行け。救援隊と要救助者の意識が戻り次第、俺も後を追いかける」
「……でも」
「ヴァルターさんは重傷だ、でも意識はある! 今ならまだ……!」
言いかけて、言葉が先に出てこなくなった。
ガッシュにもわかっている。あれだけの攻撃を受けて、無事でいられる道理は……。
「ガッシュ、ありがとうな、でも俺は……いい」
「ヴァルターさん……」
「ユリウス、わかっているだろう。やるべきことを、やれ」
その声は、弱弱しくも、どこまでも芯の通った強い声だった。
奥歯をかみしめて、ユリウスはその声を一心に聞いている。
「おやっさんに教わったこと。俺と……学んだこと。おまえなら、やれるはずだ。そう、だな?」
「うん……うん」
「そうだ……それで、いい」
血まみれの手が、ユリウスの髪をクシャリとなでる。笑みを含んだ声は、ひどく穏やかだ。
「口だけは、いっちょまえの、小僧が。レイド種を……退けるまでに、なるとは、な」
「ヴァル、もうしゃべんな、傷が開く……!」
「ユリウス……ユーレ、なあ……大きく、なったなぁ……」
息をつめたユリウスはヴァルターの手を握り返す。
——その顔を見て、ヴァルターは何を思ったのだろう。
ガッシュには、わからない。
「すまん……少し、眠る。あとは……頼ん……」
言葉の途中で、ユリウスの手からヴァルターの手がするりと抜け、ぱたりと落ちた。
「……ヴァル? ヴァル兄? ……いや、うそ、嘘だっ……!」
ガッシュは黙って立ち上がる。もう、どうにも耐えられなかった。
「嘘だ、ヴァル兄、嘘だ……! 嘘だあぁぁぁぁぁっ!!」
出会ってから日も浅く、しかし、幾度も死線を越えた相棒の、慟哭には。
——コード:エマージェンシー。
レイド種による救援隊強襲案件。
上層、ホーバルの地底湖においてダブルSクラスの盗賊とトリプルSクラスの戦士がレイド種と交戦。
軽傷者、5名、重傷者、3名。
——死者、1名。
レイド種案件を死者1名でおさめる、歴史的快挙。
獣の唸り声のような獰猛な声でガッシュに言うユリウスに、ガッシュも肩をすくめるしかない。
「ていうか、あんたが言って止まるタイプじゃないことは大体理解できてる」
「…………」
「でもクールに行けよ。少なくとも今あんたが足を止めてるのは、俺のマップ待ちだろ」
「……ああもう、そうだよ!」
髪を掻きむしりながら叫ぶユリウス。ガッシュは手にしたマップを光源魔法で照らしながら、進むべき方向を指さす。
「ホーバルの地底湖、あっちだ」
「……ありがと」
「素直で何より」
歩きながら、レイド種についてガッシュは確認してみることにした。
「俺、まだレイド種って噂しか聞いたことないんだけどさ」
「俺は……一回だけ戦ったことある」
「どんな相手なんだ」
「魔王っているだろ、あれの直属の部下ってやつ。言葉もしゃべるし、魔術も使う。マジで、魔物とはレベルもあり方も違う。そういう敵だ」
「今回交渉してきたってことは……」
「交渉なんてモンじゃない。あんなのただの脅しだよ。基本的に話が通じないと思って戦った方がいい」
「戦った方がいいって……ちなみに、戦える相手なのかよ」
低い声でガッシュがそういうと、ユリウスは憂鬱そうに眉をしかめて、それからうめいた。
「……よく死ななかったな、あの頃の俺」
「オーケーわかった。とりあえず一人でぶつからないようにしよう」
歩きながら、ふう、と息をついたユリウスを見て、ガッシュは肘鉄で相手をつつく。
「で、少しは頭に上った血は胴体に戻ってきたかよ」
へ、と目をしばたたいたユリウスは、一瞬後に「たはっ」と声を立てて笑った。
「戻った。ありがとうな」
「……おう」
この落差のすさまじさがこの男の魅力であると気づいたのは、本当につい最近のことかもしれない。
ガッシュは咳ばらいをして、視線を地図に戻す。
「……とはいえ、急がなきゃいけないってのは事実だよな」
「ヴァル兄……」
焦りの見える声でユリウスがうめく。焦るなと言ったところで無駄なのはわかる。あの冷静で頼りがいがあるヴァルターの顔を思い出した。あの男に何かあれば、救援隊にも大きなダメージになるだろう。
「にしても、どうして敵……って、レイド種だろうけど、そいつは救援隊に攻撃を仕掛けようとしたんだろうな」
「なんでって?」
ユリウスが首をかしげている。ガッシュはだってそうだろ、と地図を見ながら言葉を継ぐ。
「ここがガルディの谷な」
「うん」
「で、ここが今から行くホーバルの地底湖」
「うんうん」
「まったく逆の方向だ。ガルディの谷でワイルドウルフを救援隊にけしかけたのは、どちらかと言えばレイド種の考え方から言えば『陽動』ってやつだろ」
「そう……なるな」
「つまり本命はこっち。ホーバルの地底湖だ。レイド種は救援隊の仲間をおとりにして戦力を分散させようとしてる」
顎をつまんで、ユリウスはふむ、と考え込む。
「確実に、救援隊にダメージを負わせようとしてる、ってことだよな」
「そうなる、だろうな。でも、それはなんでだ?」
ガッシュの問いかけに、ユリウスは首をかしげる。
「……えっと、レイド種の考え方なんて、俺にはさっぱり……」
「そういうと思ったよ。畜生!」
ばし、と膝を叩いて、ガッシュは髪を掻きむしった。
「そんなことより早くいこうぜ、ヴァルを助けなきゃ」
「……そうだな」
考えても何もわからないのは事実だ。今はヴァルターを連れ帰ることを優先させなければ。
「ホーバルの地底湖へ急ごう。レイド種がどれほど強いかはわからないが、こうして策を弄するってことは救援隊全体で攻めれば何とかなる敵の可能性が高いってことだ」
「よし、行くぞ!」
ユリウスがそう叫んだ瞬間、ガキン、と剣げきの音がした。
二人は顔を見合わせ、全力で走りだす。
「今の音って!」
「ヴァルの得物は片手剣と盾だ! もうヴァルは戦ってる!」
飛び出してきたワイルドウルフを一刀で斬り伏せ、ユリウスはそのまま走り続ける。何かにおびえたように別の個体も飛び出してきたが、仲間が斬り伏せられたのを見て、別のほうへ駆け去っていく。
それを視界の端にとらえてガッシュもユリウスの後を追う。角を曲がり、顔を上げると、ユリウスがそのすぐ前で立ちすくんでいた。
何があったのか、とその背中越しに視線を投げると、赤と銀の背中が見えた。
立っている。……あれはヴァルターだ。
「よかった、まにあっ——」
ガッシュがそう息をついた、その瞬間。
ガラン、とヴァルターが手にしていた盾が落ちる。そのままゆっくりと膝を折った。
「ヴァル——!」
さけんだユリウスがヴァルターに駆け寄る。ガッシュもあわててそのあとを追いかけると、ヴァルターは何とか剣を地面に突き立てて倒れるのをふせいだものの、その胸には大きく切り裂かれた傷があり、おびただしい血が鎧の隙間からあふれていた。
「ヴァル、ヴァル兄、しっかりしろ!」
「……ユリ、ウス。俺に、かまうな」
ガッシュは周囲を見渡す。冒険者と思しき人物が一人、赤と銀の鎧を着こんだ救援隊が数人。盾はことごとく割られ、槍は叩き折られ、ほとんどの者が倒れ伏しているものの、なんとか息はあるようだ。
しかし……ガッシュはすぐに視線を巡らせる。
なにか……いる。近くに!
「ユリウスッ!」
叫んだその瞬間、ユリウスが顔を上げ、ヴァルターを守るように剣を振りぬく。
ガキィン、と大きな音を立てて、振りぬかれた剣に阻まれたいびつな形の剣と、それを握る「何か」。
それはトン、トン、とステップを踏んで後ろへ飛び下がると、顔を上げる。
「……気を、付けろ……! レイド種、だ……!」
「ヴァル、傷に障る。もうしゃべるな……!」
立ち上がるユリウスに代わって、ガッシュがヴァルターの体を支える。
「レイド種レイド種、って。ボクにはちゃんとゲリセンって名前があるのにさ」
そう言ったのは、少年のような見た目の人影だった。
だが、それはただの少年というには不自然な点が多すぎる。
青黒いボディスーツのような衣装。そして、いびつな剣。
その軽装は、上層とはいえヘルヘイムに潜るにはあまりにも不釣り合いな装備だった。
それに何より——背中に生えた黒い翼。
それは人間に見えて、明らかに人間とは異なる「何か」だった。
「お前がヴァルをやったのか!」
剣を構えるユリウスを眺めて、それは肩をすくめてにこりと笑う。
「うん。ボクがやった。そのおじさんがキュウエンタイ? の一番エライやつなんでしょう?」
「だから、襲ったっていうのか?」
「うん!」
ガッシュがうめくと、こくん、と無邪気な顔でそれはうなずく。
「このおじさんがいなくなれば、キュウエンタイは大ダメージ! もう誰もヘルヘイムで迷った人を助けられなくなるんだよね?」
「なんでこんなことを……! 人質なんて卑怯な真似をしやがって!」
ユリウスの詰問に、心底不思議そうにそれは首をかしげる。
「だって、……あれ、なんて言ったっけ。ヨウキュウジョシャ? は助けなくちゃいけないから、冒険者がボクみたいな魔族に捕まったら、おじさんたちは絶対来るよね?」
ほら、ボクの言った通り! やっぱりボクって天才! まるで子供のように飛び跳ねて喜ぶそれ——自ら「ゲリセン」と名乗ったそれをにらみながら、ガッシュは声を低めてユリウスに呼び掛けた。
「ユリウス、そいつの足止め頼む。ヴァルターの止血を終えるまで、なんとか奴を抑えててくれ」
「……いや、その必要は、ない」
呻いたのは、ユリウスではなくヴァルターだ。
「ガッシュ、俺のことは放っておいてユリウスと一緒に全力で奴と戦え。ユリウス、一人で勝てる相手じゃない、周りにかまうな、生き延びるために奴を全力で退けろ……!」
「ヴァル兄、でも……!」
「心配するな、救援隊だってそれなりに訓練は積んできているし、ある程度の覚悟はしている。それに……」
それに、の後の言葉は、ガッシュにだけ理解できた。
止血、と言いはしたものの、足元に広がる血の海を見て、助かると安請け合いできる者などいはしないだろう。
実際、止血がどれほどの意味があるのかは、口にしたガッシュでさえわからなかった。
ガッシュは傷に障らないようゆっくりとヴァルターに肩を貸して壁際まで連れて行くと、足早に戻ってきてボウガンを構える。
「ガッシュ、援護頼む」
今までにない、殺気をむき出しにしたユリウスの声に、ガッシュは静かにうなずいた。
「……任せろ、相棒」
「今度はお兄さんたちが遊んでくれるの? じゃあ、始めようか!」
レイド種ゲリセンはいびつな剣をゆっくりと振り上げ、にっこりと笑った。
◆ ◆ ◆
「……勝算はあるのか」
「わかんねえ」
ガッシュの問いかけにユリウスは答える。
「以前戦ったときは、相手の気配を探るのに必死だった」
「気配って、どういうことだよ」
「——こういうことだよ?」
真横から聞こえてきたゲリセンの声。ガッシュはとっさに自分の身を投げ出す。ガキン、という剣と剣がぶつかり合う音。振り返れば今自分が立っていた場所にゲリセンがいて、振り返ったユリウスがゲリセンの剣を受け止めていた。
「ユリウス!?」
「こいつら、なんかよくわかんねえけど瞬間移動してくるんだよ!」
瞬間移動。つまり相手は、自分の死角から突然攻撃を仕掛けてくるのも簡単だということ。
「この状況でどう援護しろっつんだよ!」
「わからん!」
いっそすがすがしく思うほどきっぱりとしたユリウスの言葉に、ガッシュは腹筋を使って起き上がった。
「ほんと、あんたといると退屈だけはしねえな!」
「それほどでも!」
「バカ野郎、ほめてねえよ!」
叫んだ瞬間、どこからともなく光弾。身をかがめて躱し、とんできた方向へボウガンの矢を打ち込む。
「ムダムダ!」
鼻歌でも歌いそうな声が自分の足元から。のけぞった瞬間、行き過ぎた剣に巻き込まれた胸元のボタンが一つ砕けた。
「くそっ!」
罵声とともにユリウスが斬りつける。と、すぐさま気配が消えて再び、ゲリセンは二人の間合いの外に現れた。
「間合いの外からは光弾、隙とみりゃ瞬間移動で斬撃……」
ユリウスの声。ガッシュは初めて相対したレイド種の笑えないレベルに、頭を掻きむしりたくなる衝動を必死で抑えた。そんな隙を見せている暇はない。
にらみ合う中、まだ余裕を見せているゲリセンが問いかけてくる。
「お兄さんたち、何者? ボクの攻撃をこんなに躱すなんて、まぐれじゃできないよね」
ガッシュは答えようにも答えられなかった。正直、ガッシュが躱せていたのはただのまぐれだ。いやな予感に身を任せていただけ。ユリウスも似たようなものだろう。
「どうする……早くしねえとヴァル兄が……!」
そのユリウスも焦りから歯ぎしりをしている。それを見たゲリセンが、首をかしげて何やら考え込んでいたが、ぽん、と手を叩いて微笑んだ。
「そっかそっか。そっちの金髪のお兄さんが一番強いけど、お兄さんの心を折るにもさっきのおじさんが重要なんだね。じゃあ……」
言った瞬間、ゲリセンは再び姿を消す。
「ちっ」
「今度はどこだ!」
叫んで身構える、その、背後で。
「死んじゃえ、おじさん!」
ゲリセンの声。
慌てて振り返れば、逆手に剣を持ち替えたゲリセンと——。
「やめろ——!」
叫んで走り出すユリウス。だがそれよりはるかに早く、ゲリセンはヴァルターの胸に剣を突き立てた。
がふっ、と重い咳とともに、ヴァルターが苦悶の表情を浮かべて吐血する。……だが。
「……つかまえ、たぞ……、っこの、悪ガキ、が……!」
ヴァルターは自分の胸に突き立てられた剣と、ゲリセン自身の腕を両手でつかんだ。
……血まみれの歯をむき出しにして笑いながら。
その瞬間、初めて、ゲリセンの顔が歪む。
「なっ……! は、放せよ、おじさん!」
癇癪のように叫びながらゲリセンはヴァルターを蹴りつける。しかしヴァルターは放さない。両手で剣と腕を握りしめ、叫んだ。
「いまだ、やれユリウス——!!」
「ぅおおぉぉぉぉッ!!」
突進したユリウスの両手剣が、振り返ったゲリセンの左肩をとらえる。とっさに身をひねったゲリセンの左腕が吹き飛び、同時に蹴り飛ばされたヴァルターがもんどりうって壁に叩きつけられた。
「……やったな」
一瞬で掻き消え、再び現れたゲリセンの姿は、明らかに先ほどとは違っていた。
片腕を失い、傷を押さえ、顔色はどす黒く変色している。
それは明らかに人間らしい姿を装っていた、ゲリセンの本当の見た目だとしか思われなかった。
「やったな、人間のくせに! ボクの腕を、よくもボクの腕を!」
「うるせぇ! てめえだけは断じて許さねえ、よくもヴァルを!!」
剣をかまえ、再び突進するユリウス。それを見たゲリセンの表情は、先ほどとは打って変わった怯えの色をにじませていた。
「ひっ、……やだ、やだやだやだ! ボクは死ねない、アンハイル様が待ってる! アンハイル様に褒めていただくまで、ボクは死ねないんだぁっ!」
叫んだ瞬間、その姿はすうっと霧に紛れるように掻き消えていく。
「まて!」
ガッシュは叫び矢を放つ。しかし、バシっと音を立てて矢が突き立ったのは、何もない床だった。
「覚えたぞ、オマエタチの顔! いつか絶対殺してやる!」
ゲリセンは声だけを残し、気配もすべて消え失せていく。
「くそっ……逃げられた!」
「ヴァル!」
ユリウスは剣を放り出すと、壁に叩きつけられたまま動かないヴァルターのほうへ駆けよった。
「ヴァル……ヴァル兄!」
「ユ……ユリ、ウス……」
ゴホ、と血の泡を吹きながら、ヴァルターはうっすらと目を開ける。
「みんなは……無事か。要、救助者……は……?」
「あんた以上に大けがしてる奴なんてここにはいねえよ!」
「そう、か……よかった」
「よかったじゃねえよ! 何もよくねえよ!」
「何を言う。要救助者は助かった……お前たちの、おかげ、だ」
ありがとう、な。
小さな声でのその言葉に、ガッシュも何も言えず黙り込む。
うつむいていた顔を上げ、ユリウスを見た。
「ユリウス、ヴァルターさんを担いで先に行け。救援隊と要救助者の意識が戻り次第、俺も後を追いかける」
「……でも」
「ヴァルターさんは重傷だ、でも意識はある! 今ならまだ……!」
言いかけて、言葉が先に出てこなくなった。
ガッシュにもわかっている。あれだけの攻撃を受けて、無事でいられる道理は……。
「ガッシュ、ありがとうな、でも俺は……いい」
「ヴァルターさん……」
「ユリウス、わかっているだろう。やるべきことを、やれ」
その声は、弱弱しくも、どこまでも芯の通った強い声だった。
奥歯をかみしめて、ユリウスはその声を一心に聞いている。
「おやっさんに教わったこと。俺と……学んだこと。おまえなら、やれるはずだ。そう、だな?」
「うん……うん」
「そうだ……それで、いい」
血まみれの手が、ユリウスの髪をクシャリとなでる。笑みを含んだ声は、ひどく穏やかだ。
「口だけは、いっちょまえの、小僧が。レイド種を……退けるまでに、なるとは、な」
「ヴァル、もうしゃべんな、傷が開く……!」
「ユリウス……ユーレ、なあ……大きく、なったなぁ……」
息をつめたユリウスはヴァルターの手を握り返す。
——その顔を見て、ヴァルターは何を思ったのだろう。
ガッシュには、わからない。
「すまん……少し、眠る。あとは……頼ん……」
言葉の途中で、ユリウスの手からヴァルターの手がするりと抜け、ぱたりと落ちた。
「……ヴァル? ヴァル兄? ……いや、うそ、嘘だっ……!」
ガッシュは黙って立ち上がる。もう、どうにも耐えられなかった。
「嘘だ、ヴァル兄、嘘だ……! 嘘だあぁぁぁぁぁっ!!」
出会ってから日も浅く、しかし、幾度も死線を越えた相棒の、慟哭には。
——コード:エマージェンシー。
レイド種による救援隊強襲案件。
上層、ホーバルの地底湖においてダブルSクラスの盗賊とトリプルSクラスの戦士がレイド種と交戦。
軽傷者、5名、重傷者、3名。
——死者、1名。
レイド種案件を死者1名でおさめる、歴史的快挙。


