それから俺たちの思い出巡礼はかなりペースを上げた。
放課後になったらお互い額を突き合わせ、次に行く場所を吟味する。俺が命のインスタを見てここにはどんな思い出があるの、と聞くと命は事細かに答えてくれる。ここでは何をした、あれを食べた、真帆ちゃんがこういうことを言った、などなど。俺は梨奈がしたことをこんなに細かく覚えていないし、「楽しかった」程度のざっくりした感想しかない。だけど命は掘れば掘るほど無限に出てくる温泉みたいに思い出話をぶちまける。ここまで愛されていれば確かにうざったく感じることもあるだろうが、寂しがりの俺にとってはぶっちゃけ少し真帆ちゃんが羨ましい。誰かがここまで俺のことを気にかけて、俺がああ言った俺がこうしたと楽しそうに話されるとそれだけで心が満たされる気がする。俺は真帆ちゃんに対し、もったいないなあこんなにいい奴を捨てるなんて、とすら思い始めていた。
「しかしよくそんなにいろいろと覚えてるね。そんなに好きだったんだね」
「うん。まあ…好き、だなあ」
現在進行形の「好き」を聞くと、俺の心がなぜかぎしっと不快な音を立てる。俺たちが楽しみつつも必死にやっている思い出巡りは、命にはあまり効いていないのかもしれない。まだ真帆ちゃんへの「好き」は微塵も薄れていないのだろうか。そう考えるとちょっと面白くない。
「すごいね、命は。1人の人をそんなに好きでいられて」
「うーん…それはちょっと違うのかもしれない…って最近海里を見て思ってる」
「え?」
俺はスマホをスクロールしながら俯いている命のつむじをまじまじと見る。
「1人しか知らないから、この人じゃないとダメだって思い込んでるだけなのかもな」
「…すごい」
俺は思わずため息をついた。驚きのため息だ。
「何、すごいって」
「成長したよ、命。ちょっと前までは自分の命を真帆ちゃんに捧げてもいいから一緒にいたい!言ってたのに」
「成長したって言うのかなあ」
耳の後ろを掻きながら照れたように命が笑う。
確かに、成長かどうかと言われると疑問ではある。
生涯にたった1人の人間しか愛さない人ことだって尊いし、たくさん恋をしたからって偉いわけでもない。だけど1人の女の子を失ったから死にますと言っていた男だと思えば、かなりの成長、いや回復だ。
「でも、海里と話してると考え方がちょっとずつ変わってきてさ。お前の影響、すげー受けてるよ、俺」
嬉しさが込み上げてきてそのまま俺の口角を大幅に上げたので、俺は慌てて口元を手で覆い隠す。思い出巡りは、命にはあまり効いていないどころか大きな影響があったんだ。
そして命はそれを俺のおかげだと思ってくれている。
自分が命の心の形を少しずつ変えているんだと思うと、くすぐったい嬉しさが胸に広がっていく。
「海里、ニヤニヤしてるの隠してもバレてるから!」
命が指先で俺の手の甲をつついてくるので俺は笑い声が漏れてしまう。触れられた手の甲がわずかに熱を持ったような気がした。
いつもつるんでる友達には「海里、最近付き合い悪くね?」とつまらなそうな顔をされていたが、「失恋セラピー中なんすよ」と言うとなら仕方ない、はやく復活しろよと引き下がってもらえた。友達と一緒にいるのも楽しいけど、今は何より命との思い出巡りが優先だ。
とはいえ今日は日曜日で、命との思い出巡りの予定もなかった。ベッドに寝転がってSNSを順番に巡回してから軽く筋トレをしたら、一気に暇になる。そしてこういう何もすることのない、手持ち無沙汰な時に俺を襲うのは行き場のない寂しさだ。
こういう暇な時、命は真帆ちゃんのことで頭がいっぱいになって発狂しそうになるんだろうな。命がそうなるなら俺もと思い、頑張って梨奈のことを思い出してみる。
手を回すのがあんなに好きだった梨奈の細い腰も、ハンドクリームの匂いが香るからキスするのが大好きだったすべすべのやわらかい手も、今はもうなんとなく朧げだ。
代わりに思い出したのは、この前スタバで俺の手の甲を撫でた命の指だった。適度にかさついてて骨ばっていて、なんてことのない、どこにでもある男子高校生の手。俺と大きさもそう違わない。真帆ちゃんの髪や、頬や、人に言えないところまで撫でたであろう手。俺は自分の手をそっと頬にやり、その手が命の手だったらと想像してみた。
俺はベッドに寝転がり、空想の中で隣に命を寝そべらせる。
命はゆっくりと俺に身を寄せてきて、あの手で俺の頬を優しく撫でる。命の手が俺の頬をすべり、首筋、肩、腕を撫でていく。疑いを知らない、執念深いほど真っ直ぐな目で俺を見つめて、それから…自分の手がシャツの中に入りかけたところで俺は我に返った。
「なにやってんだ俺は」
同時にLINEの通知音が鳴って体が大きく跳ねるほど驚く。
俺は今なにをしてたんだ?梨奈のことを思い出そうとしていたのに、いつの間にか脳内の映像が命に入れ替わった。しかも、俺の手は今シャツの中に入って行こうとしていた。一体何を考えてたんだろう?心臓がどくどく音を立てている。動揺したままスマホを引っ掴むと俺を動揺させた張本人からLINE電話がかかってきていてさらに心臓が跳ね上がった。
「海里?暇してる?」
電話の向こうの命の声はそこそこ元気だ。真帆ちゃんのことを考えながら部屋の中で死んでるわけではなかったらしい。
「うん。命のこと考えてた」
咄嗟のことで声が裏返りそうになった上に、よく考えもしないまま返事をしてしまう。
「え?俺のこと?」
「いや、そう言うと変なふうに聞こえるな。命が考えすぎて死んでるんじゃないかなって心配してたって意味!」
変なふうに聞こえるではなく、実際に変なことをしかけていたのだ。俺はシャツの中にこもった自分の行きどころのない熱を感じながら戸惑う。電話の向こうで命はけらけら笑っている。
電話越しだといつもより声がハスキーに聞こえて、耳に心地いい。
「半分当たりかな。本格的に死んじゃう前に、海里に電話しようと思って」
「ちゃんと自分のことわかってるね。俺も暇してるし真帆ちゃんの話、聞くよ」
「いや、俺と真帆じゃなくてさ」
「今日は海里の話、聞かせてよ」
心臓の奥の奥の方にある、誰も、俺さえもしらない部分が握りつぶされたように熱くなった。
「…俺の?でも、俺は大丈夫だよ」
「俺たち失恋仲間で繋がったのに、いつも俺ばっかり一方的に喋ってるじゃん。海里だって話したいことあるだろ?俺、聞くよ。俺で良ければだけど…」
「そんなのいいのに。俺の失恋なんて、命に比べたら軽傷なんだから。トラックに跳ねられたのと躓いて転んだくらいの差なんだよ」
「比べるもんじゃないだろ?辛いものは辛い。一緒じゃん」
少しずつ少しずつ回復し、周りで起こっていることにぼんやりと気づき始めた命を見て俺が最初に思ったのは彼がすごく優しいことだった。命を助けてヒーロー気取りをしている俺の何十倍も優しいのは間違いない。
命の目と声は俺に語りかけてくる。
深くたって浅くたって傷は傷だ。治りかけていても、傷は傷だ。
「…寂しいんだ」
「うん」
命に比べればなんてことのない傷だ。でも俺はもし失恋という繋がりで命がここにいてくれなかったら、寂しくてそれこそ日に日に命のように亡霊みたいな顔になっていたのかもしれない。俺は誰かと別れると必ず心に大きな穴が空いて、埋めるもの探しで必死になる。形が合わなかったり大きすぎたりするものでも無理やり押し込んで穴をなかったことにしようとする。
友達もいる、家族もいる、なのに恋人という座に誰もいない時、俺の心の穴は時間が経過するとともにどんどん広がって俺自身を飲み込みそうなほど大きくなる。得体の知れない寂しさはいつも俺を怯えさせる。怖いから本当はずっと誰かに一緒にいて欲しいのに、それが誰にもうまく言えない。
「平気なふりはできるけど、特別な誰かが一緒にいてくれないと寂しくて死にそうになる」
「海里も死にそうになることあるんだ」
命の声は茶化すようなものではなく、真摯で温かな声だった。優しく鼓膜を揺らす音には、優しさと力強さがあって俺は安心して本音をこぼすことができる。
「命は真帆ちゃんじゃないと駄目だけど、多分俺は梨奈じゃなくてもいいんだ。誰か俺を見てくれて、俺と一緒に毎日過ごしてくれて、俺を特別扱いしてくれるがいたらそれでいい。そんな人がまた現れたら、梨奈のことなんてすぐ忘れるよ」
我ながら納得のいく自己分析だった。
誰だっていいんだ。この自分ではどうしようもない、常に湧き上がってくれる寂しさを誤魔化せる、圧倒的な力を持った人であれば。
「だから正直、あれだけ命に愛されてた真帆ちゃんは惜しいことしたなーって思ってるよ」
「そうかな。俺、やっぱり重かったんだと思うよ」
「俺にはそのくらいの重さが必要かも」
誰かに重いくらい愛されたら、いつかこの寂しさも止むのかもしれない。そして今俺と話している命は、重いくらい誰かを愛せる人だ。
「今はどう?やっぱり寂しい?」
命が真剣な声で尋ねる。
「今は」
俺は天井を見上げ、息を吸い込んだ。命の声を聞いているだけで、息をするのがぐっと楽になるのはなぜなんだろう。
「今は、実はかなりマシ」


