在名たちの中学は隣町で、電車で1時間程度かかった。在名には地元だが俺にとっては結構な遠出になるので土曜日を丸一日使うことになった。
在名は駅まで俺を迎えに来てくれた。休日の在名は白いTシャツにデニムという極めてシンプルな格好で、男友達と一緒とはいえ外出だからと気合いを入れてブランドもののシャツにネックレスまでつけてきた俺は少し恥ずかしかった。在名が俺を上から下まで全身しげしげと見てくるので余計に恥ずかしい。
「波瀬、すげーおしゃれだね。制服姿しか知らないからなんか新鮮」
「そうだよね。失恋って共通点がなかったら俺たち、一緒に出かけるような仲でもなかったし」
そういえばそうだったな、と在名は思い出したように言う。横並びで歩くと在名はすっと背が高くて、思わず俺も姿勢を正す。中学時代から梨奈まで彼女が途切れたことはないから外見はそんなに悪くないと思うけど、俺は髪色やファッション、雰囲気で誤魔化しているところが正直ある。隣を歩く在名は相変わらずアホ毛がぴょんぴょんしてたけど、自然に上がった前髪から覗く額は形がよく、鼻はすっと通り唇は薄く控えめに顔におさまっていた。素材のいいイケメンって飾らなくていいからずるいなあ、と柄にもなくいじけてしまう。
駅から歩いて10分程の在名の中学は、最近建て替えられたらしく綺麗な校舎だった。
警備員室で入館許可証を貰い、校内に入る。まったく知らない中学に入るなんて初めてなので俺は物珍しくなってきょろきょろと見回す。休日なので廊下は空っぽだが、グラウンドでは運動部が走り回っていて遠くから吹奏楽部が練習している楽器の音が聞こえた。窓から差し込んでくる昼間の光が廊下をきらきらと照らしている。2人して履いている来客用のスリッパが歩くたびにきゅっきゅっと鳴った。
「俺と真帆は1年2組だったんだ」
在名は体が覚えているとでも言うようにすいすい廊下を進んでいく。在名の背中を追いかけて長い廊下を歩くのは、過去へタイムスリップしていくような感覚だった。1年2組の前まで来た時、俺は在名の身長が縮んで中学生に戻ってしまうんじゃないかとすら思った。在名はドアの前で立ち尽くし、「1-2」の札を見上げている。
「すべての始まりの場所だね」
俺が呟くと在名は俺の方を振り向いて「そう言うと感慨深いな」と言った。ここから在名と真帆ちゃんの恋が始まり、熱い恋と長い年月を経て在名は恋を失った抜け殻になってしまった。今その傍で、抜け殻の息をなんとか吹き返そうと付き添っている俺が、もし在名や真帆ちゃんと同じ中学だったらと想像しようとする。
だけど想像は膨らまなかった。
俺と在名を結びつけているのは失恋したという共通点。
中学が一緒で廊下ですれ違ったりしても目もくれなかったに違いない。現に、失恋するまで俺は在名のことを知らなかったんだから。
運命の女神は在名にそっぽを向いたが、失恋の女神は俺を見て微笑んだ。
俺に同じ境遇の男を与えてくれた。
「…入らないの?」
いつまでも教室のドアを見つめたまま固まっているのでしびれを切らした俺が声をかける。
「…そうだな」
「在名が入らないなら俺が休日潰した意味なくなるんだけど」
「…うん、そうだよな。頑張る」
在名は一大決心でもしたように頷くと、がらがらと音を立てて教室のドアを開けた。教室はどの学校にもありそうな至って普通の教室で、規則正しく机が並んでいる。空っぽなのに、息を吸うと中学生たちの騒がしさの名残のようなものが胸いっぱいに入り込んできた。俺が通っていた中学ではないのに懐かしい匂いがする。
在名の方をそっと盗み見ると、呆然としたように立ち尽くしていた。彼の指先が無意識に、そばにあった机の表面をなぞる。机にはこの机の主が、暇つぶしに彫刻刀で彫ったらしい穴ぼこがあった。どこの誰かも知らない中学生が今使っているその机に、在名は中学生の真帆ちゃんを重ねているようだ。
「遠くから見てることしか、できなかったな」
在名は目を細めた。涙を堪えているであろうことが分かって、俺はそっと目をそらす。今も在名の胸を食い荒らす猛獣のような痛み、「失恋」という儚げな言葉の響きからはかけ離れた壮絶な痛み。
この教室の片隅で初めての恋の甘さと苦味を1人噛み締めていた在名に想いを馳せてみる。落ち着きなく足を動かし手を組んで、眉間にシワを寄せて恋の痛みに耐える中学生の在名。急に、時を超えて中学生の在名に優しく声をかけてあげたい気持ちになった。
君の気持ちは、俺にも分かるよ。恋の痛みなら君ほどじゃないけど俺も知ってる。恋の痛みはずっと続くんだ…
「1年の時はまともに話せなかったんだっけ?」
現在の在名に尋ねると、在名は恥ずかしそうに頷いた。
「でも、初めてキスしたのはこの教室だったんだ。放課後誰もいない場所を探してまわってたらたまたまここに辿り着いて、そこの窓際で」
また運命的でロマンチックな展開。初めて出会った場所に戻ってきて、初めてのキスを交わした在名と真帆ちゃん。あの頃の2人は羨ましいほど運命に愛されていたんだね。
美しい思い出が強すぎるのと、在名の情緒が豊かすぎることが相まって、思い出は時間が経つほど忘れがたくなっているのだろう。大抵思い出なんて後からいいように補正されてるだけで、実際その時々は大したことなかったりするのだけれど。
窓が少しだけ開いていて、カーテンが揺れている。俺は無意識にそっちの方へ歩いて行った。中学生の在名と真帆ちゃんが初めてキスをした場所。過去の2人に思いを馳せてみると、やっぱり現在の在名がどうしようもなく可哀想になった。あの時幸せいっぱいだった在名は、数年後打ちのめされてここに帰ってくることになるなんて思ってもみなかったに違いない。
腕を組んで在名の方を振り向くと、在名は子どもみたいに首を傾げて俺の方を見ていた。でも在名が見ているのは俺ではなく、中学1年生の真帆ちゃんだ。
俺も同じく首を傾げて笑う。
「これはさすがに再現やめとく?」
俺が冗談まじりに言うと、在名は口をぽかんと開けた。
「あっ…そ、そりゃそうだよ!」
在名は慌てて両手を振ってから、その後小さな笑いを漏らした。
「よかった。キスまで再現させられたらどうしようかと思ったよ。それでなくてもこの前、側溝にはめられたばっかりだしね」
「はは…ごめん」
窓からこぼれ落ちている光のせいかもしれないが、在名はまた顔色がよくなったみたいに見えた。
帰り道、在名は駅まで俺を送ると言い張って聞かなかった。駅までの道は覚えたし迷ったらGoogleマップを使うから平気だと言っても聞く耳持たずだ。
「電車賃出したいくらいだよ」
過去を辿っている間だけでなく、今現在も大袈裟な在名に俺は少し笑ってしまう。
「在名、いいって。気を遣いすぎだよ」
「だって波瀬は休日にわざわざ俺の思い出巡りのために遠いとこ電車乗り継いで来てくれたんだし…」
そう言われてふと気づく。友達(というより、失恋仲間)になって間もない、特別仲がいい訳でもない奴に対してかけるにしては結構な手間だ。休日をほぼ丸一日潰して友達の母校に行き、思い出巡りと名前はついているものの特に何もせず帰ってくるなんて。
俺ってよっぽど暇が嫌いなんだなと自分で自分に呆れる。
「いいんだよ、暇してるし。彼女がいないってやっぱりどうしても手持ち無沙汰になるね」
「波瀬はどっしり構えてるなー。体は細いのに」
「ちょっと。どういう意味?」
「悪い意味じゃなくて。俺なんか真帆と…別れてから情けないくらい動揺してるのに」
在名は自分の体を見下ろす。元はもう少し肉付きがよかったに違いない。在名は背が高く筋肉質だったのが、失恋のせいで少し肉が落ちて体が貧相になってしまったようだ。だがそれでも俺よりずっと筋肉があるのが、Tシャツ越しでも分かる。俺は地道に筋トレしても一向に筋肉のつく様子のない自分の体を恨めしく思う。
「まあ初めての失恋ならそんなものなんじゃないの」
「波瀬は初めての失恋じゃないんだな」
「そうだね。振られたり、振ったりは何回かあったかな」
「経験豊富なんだなー。これからもいろいろ教えてくれよ、頼むわ」
肩にぽんと手を置く在名の目はまっすぐだ。まっすぐすぎてこっちが恥ずかしくなるくらい。
もしかして、純粋すぎるが故に振られたのかもな、なんて俺はいぶかる。


