命にかかわる失恋

放課後、初めて在名に呼ばれて行ったのは学校から歩いてすぐの商店街だった。古き良き時代の名残といった場所で、学校帰りに暇つぶしに立ち寄る生徒もいるけれど、並んでいるのは時代から取り残された商品を置いている店ばかりで全体的に色褪せている。高校生の興味を引くようなものはなく、大抵の生徒は素通りしてしまう。初めての思い出巡りに選ぶにしては、かなり地味な場所だ。

在名は昨日マックで会った時より少しだけ目の下の隈がましになっているように見えた。俺のその場の思いつきは、消えかけの在名の命の灯火を少しだけ蘇らせたらしい。

「商店街でどんな特別な思い出があるの?俺、再現手伝うよ」

乗りかけた船だから、俺はできるだけ在名の望みを叶えてやろうと思っていた。それに俺としても、梨奈と別れて退屈している放課後に何かやるべきことがあるのは有り難い。在名は商店街の奥の方へ俺の方を振り向きもせず進んでいき、寂れた店が立ち並ぶ場所で止まった。

「ここ…ここに真帆がハマって大変だったんだよな」

在名が指さした先には、蓋のされていない側溝があった。浅いながらに固まりかけの泥が溜まっている。

「片足ずぼっといっちゃってさ。俺が両脇にこう…手を差し込んで、抱っこするみたいに引っ張り上げてあげたんだ。救出された猫みたいな顔してて、可愛かったんだよなあ」

幸せそうに話す在名に俺は言葉を失う。彼女が溝にハマったことが、そんなに大事な思い出なのか?しかも初回の思い出巡りにその場所を選ぶほどに。

なにか特別な力のある側溝なのかとまじまじ見てみたが、どう見ても普通に汚いどこにでもある側溝だった。

「……で、それを再現するの?」

俺は自分のローファーを見下ろす。決して安くはなかったものだ。俺の顔を見て在名は慌てて言った。

「大丈夫、俺がハマるよ!」
「いや、それじゃ意味ないよね。ハマったのは彼女で、助けたのが在名なんだろ?」

なんでこんなことやってんだろうと思いつつ、俺はローファーと靴下を脱いで揃えて地面に置き、制服のズボンを膝まで捲り上げた。在名が息を呑んで俺を見ている。

俺はおそるおそる片足を側溝に差し入れた。足にぬちょりと泥が絡みついてくる感覚に、背中に寒気が走る。引き攣った笑いを浮かべながら在名の方を振り向いて、

「やだぁー…はまっちゃった……たすけてぇ……」

と言ってみる。ついでに、ちょっと女の子みたいに手をぱたぱたさせて首を傾げてみるという演技つきで。自分で自分のやっていることに笑いそうになるが、失恋で死にかけている男を救うためにやっているのだからあくまでも真剣な顔をしなければと唇を強く結ぶ。在名は呆然としていたがすぐはっとして、俺の両脇下に手を差し入れた。相変わらず幽霊みたいな顔色だったけど力はちゃんとあって、俺を軽々抱き上げた。

「大丈夫?ま、真帆…?」

なんというくだらないごっこ遊び。在名に抱き上げられながら俺は込み上げてくる笑いを抑えられない。でも俺の名前じゃなく元カノの名前を呼び、徹底して思い出の再現をしている在名の前で爆笑したら失礼だろう。本人は真剣なんだから。

側溝から在名に助けられて、俺は裸足で地面に降り立った。足がぬるぬるして気持ち悪い。在名はリュックの中からタオルを取り出したが、どろどろの俺の足を見て「どこかで洗わないと。そこの公園まで行こう!水道があるから」と言った。ローファーと靴下を抱えて裸足で公園に向かおうとしたら、在名が俺を押し留めた。

「俺のせいで足怪我させたらダメだから!乗って!」

在名はしゃがんで俺をおんぶしようと姿勢をとっている。

「いいって。恥ずかしいから…」
「怪我したら大変だろ」

人を側溝にはめといて今更何を言ってるのか。

考えるとまたおかしくなってきて、どっちにしろ訳のわからない状況なんだしこの意味不明な状況に甘えて、在名の背中に乗ることにした。誰かにおんぶされるのなんて小学生以来のような気がする。在名の背中は広くてもたれると安定感があった。



俺が公園の水道で足を洗っている間に、在名はコンビニでレモンティーを2本買ってきてくれた。

「ありがとう。お金払うよ。いくら?」
「いいよ。…側溝にハマってもらったんだし」

申し訳なさそうに言う在名に俺はそれもそうかと変に納得する。

「じゃあ遠慮なく。いただきます」
「…懐かしいな。この公園でよく真帆とレモンティー飲みながら喋ったんだ」

俺への気遣いかと思ったらこれも思い出巡りの一環だったらしい。わずかに微笑みながらレモンティーを飲む在名に拍子抜けして俺もレモンティーを口に運ぶ。さっぱりした甘みが渇いていた喉を潤した。

「どうだった?記念すべき、初めての思い出巡礼」

正直言ってさっきのがうまくいったのかどうかは自信がない。まだ足の指の間に泥が挟まってる気がしてもぞもぞと足の指を動かしながら尋ねると、意外にも明るい声が返ってきた。

「うん、悪くなかった。というよりすごくよかったかもしれない。波瀬を抱っこしてる時、真帆を抱っこしたあの時の気持ちを思い出したよ」
「思い出したんなら、余計辛くさせちゃったかなあ」
「いや。最近はさ、真帆がいなくて悲しい苦しいって気持ちで吐きそうだったんだけど、波瀬とあそこで思い出再現した時は違ったな。ああ俺、真帆との間にあんなに楽しい思い出があったんだって思い出せて、なんか元気出た」


確かに在名は昨日より格段に饒舌になっていたし、顔色も少しだけよくなっていた。昨日シェイクをちみちみ飲んでいたのとは比べ物にならない勢いでレモンティーを飲んでいる。

俺が側溝にハマるだけでここまで元気になる男。
生命力が強いんだか弱いんだかわからない。

「やってみるまでは傷口をえぐることにならないかって心配だったけど、波瀬の言う通りにやったらうまく行く気がする。お前のアイデア、天才的かも。なあ、これからも付き合ってくれる?」

こうまで褒められて悪い気はしないし、俺は昨日まで死んでいた在名の目に宿った希望の煌めきを見逃さなかった。

「もちろん。次はどこに行く?」

暇になった放課後に、ちょっと変わった予定ができるなら俺も嬉しい。この失恋狂人を立ち直らせることに集中していたら、案外時間も早く過ぎていくかもしれない。
彼女がいなくて手持ち無沙汰、たまらない寂しさを紛らわせるのにちょうどいいはずだ。