命にかかわる失恋

付き合い始めてからも、思い出巡りをしていた頃と変わらず俺と命は頻繁に出かけて遊んだ。もう思い出なんてものに配慮する必要もない。俺たちが行きたい場所に行き、やりたいことをやって、喋りたいことを喋る。
今まで女の子としか付き合ったことがないから最初はどうすればいいのか分からず、なんとなくぎこちなくなった。だがそれは命も同じなようで、手を繋ぐのも、キスをするのも、…それ以上のことをするのも、タイミングや相手の顔色を伺いながらだ。

だけど何をするのも、命と一緒だと楽しくてたまらなかった。

初めて俺が真帆ちゃんの代わりとして命とファミマの駐車場でミルクティーを飲んだ時はなんとも思わなかったのに、今や命と一緒に行くとあの場所は天国にすら思える。命は付き合い始めてから俺に触れる回数が格段に増えて、それも嬉しい。俺の癖毛が完全にくしゃくしゃになるまでちょっと荒っぽく撫でたり、頬をつまんでむにむにしたり、腰をくすぐったりすると俺は嬉しくてだんだん声がうわずってくる。人目につく場所でも割と遠慮なく触れてくるのに、場所が場所だとお互い止められなくなるから結構な自制心も必要になってきた。

水族館以来、初めてキスをしたのはあろうことか学校だった。
階段で一緒に休み時間を過ごしているうちに話が止まらなくなり、チャイムが鳴っても離れられなくて行かないとお互い言いつつ、階段に尻がひっついたかのように2人とも立ち上がれなかった。

「…もうサボっちゃう?」チャイムが鳴って10分ほど経ってから俺が言うと海里は廊下に声が響かないよう小声で「今更!」と小さく笑う。

うっかり教室から出てきた先生に見つからないよう、階段で体を寄せ合いくっついて話すのは至福の時間だった。命の顔が間近にあって、声が聞こえやすいよう俺の耳元で話してくれるたびに体中から嬉しさが湧き上がってくる。
ふと会話が途切れて黙り込むと、熱を帯びた命の目が俺を覗き込んでくる。俺はわざと首を傾げて誘ってみる。こういう時、有利なのは恋愛経験が豊富な俺の方だ。

「ずるいって。今の顔、可愛すぎない?」
「普通の顔してただけだけど」
「…なあ海里」

命が俺の頬を優しく撫でてから軽くつまむ。

「キスしていい?」

許可なんてとる必要ないのに。俺が命の目を見て微笑みながら小さく頷くと、命は恐る恐る、俺の唇の端に唇を軽く押し当てた。遠慮がちの触れるか触れないかくらいのキスはくすぐったい。

「何今の、キスって呼べないけど?唇外してるし」俺が笑うと命はムキになった。

「海里余裕ありすぎ!なんかムカつく!」

だけど一度キスをしたら命は止まらなくなった。最初は軽く唇を重ねるだけだったのが、二度目には強く押し当てられる。見た目より柔らかい命の感触に俺も夢中になる。耳元で「可愛い」と囁かれると命の息が身体中に電流みたいに走って、学校の、しかも授業中であることを忘れて変な声を漏らしそうになった。何度も何度も唇を重ねてくる命の首に、手を回して応じる。腕を絡めるだけだと分からなかった、命の逞しい肩まわりや背中に振り落とされまいとしがみつく。さっきまで躊躇していたのが嘘みたいに何度も角度を変えて俺の唇を狙ってくる命はお腹を空かせた大きい動物みたいだ。

「だ、誰か来たらどうす…」
「海里、ちょっと余裕なくなってきた。かわいい」

目を開けると驚くほど俺を切望している命の目が飛び込んできた。俺は惚けて力が抜けてしまう。その拍子に命はうっかり俺を階段に押し倒した。俺たちが触れ合う音だけが響いていた階段に俺が背中をぶつける音が響いて、近くの教室まで聞こえたんじゃないかと焦った。

「ちょ、ストップ!」
「あ、ご、ごめん」
「気持ちは分かるけどここ、学校だし。あと階段だし」

俺が背中に手をついて身を起こすのを命は手伝ってくれた。叱られた子どもみたいに眉を下げているのが可愛い。

「一緒にいると我慢が効かなくて」
「分かってる。命はいつもそう」

俺が笑うと命からもいたずらっぽい笑みが返ってくる。それからまた、額を付き合わせて体を寄せ合い、ぽつりぽつりと話し始める。話が尽きたら、どちらからともなく唇を合わせる。また喋る。キスする。喋る。キスする。これの繰り返し。
唇でお互いの存在を確認し合っているかのような甘い時間は、一生この時間が続けばいいのにと思うのにあっという間に過ぎていく。
命といる間だけ、時間が早送りされてるみたいに感じてしまう。

友達からは「ほんと海里ちんは最近在名とベッタリで。付き合ってるんじゃないの?」と半ば冗談みたいに言われたけど、軽く流しておく。本当のことを知らせるのはもう少しあとでもいいだろう。
だけどこの前たまたま廊下で出くわした時、立ち話ついでに梨奈には報告しておいた。梨奈が以前、あっけらかんと「乗り越えなきゃいけないショーガイいっぱいあるかもしれないけど、頑張れ!!海里ならできる!!」と励ましてくれたのが心に残っていたからだ。実際まだ堂々と友達に男同士で付き合っていることが言えない俺の気後れに対して、梨奈のあの言葉は今もかなりの支えになっている。

「そうなんだー!おめでと!よかったねえ、海里!それにしても、在名っちか〜そかそか〜」

何やら含みを持たせた言い方の梨奈に、俺は少し頭を傾げる。

「梨奈、命と仲良いの?」
「ううんー、真帆づたいでしか知らなーい。真帆とは結構仲良いんだよね」

梨奈が真帆ちゃんと仲がいいとは知らなかった。俺は真帆ちゃんに直接会って話をして結果痛い目を見たわけだが、そんな繋がりがあったなら梨奈から真帆ちゃんのことを聞き出せたかもしれないのに。今命と付き合っているのは俺だという自負はありつつ、やはり命をあそこまでボロボロにした真帆ちゃんという魔性の女への興味と、あと多少のライバル心も尽きない。俺は梨奈に顔を寄せて小声で尋ねる。

「…真帆ちゃんて、どういう子なの?」
「でた、嫉妬だ!」
「いや、そうじゃなくて…そうだけど。やっぱり気になるだろ、元カノは…」
「真帆はフツーだよ。曲者なのは在名の方!あ・り・な!」

意味ありげに名前を区切って楽しそうに言う梨奈を見て、俺は驚く。今のところ、命に変わったところは見られないけれど。強いて言えばあいつは力が強いなとは思う。思い返してみれば俺が命と真帆ちゃんの思い出を再現するために側溝にハマった時も俺を軽々抱き上げたし、人目を忍んで手を繋ぐ時も力が強すぎてちょっと痛い。あの痛さが俺には妙に心地よくて、痛いとは言えないでいるけれど。

「あの2人が別れた原因、なんだと思う?」
「…さあ、なんだろ?」
「真帆はあの通り、大人しくていい子だからはっきりとは言えなかったみたいだけどね〜」

梨奈が俺の耳元に口を寄せ、国家機密でも教えるみたいに呟く。

「在名っち、めっちゃめちゃ嫉妬深いんだって」